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面倒くさがり屋の神様

【コミカライズ】面倒くさがり屋の神様にご奉仕中!

作者: 藤谷 要

 冬の弱々しい夕陽が、閑静な神社の境内を照らしている。そこに聞こえてきたのは、賑やかな足音。


 走ってやって来たのは、紺色のコートを着た女子高生だ。ブレザーの制服がコートの下から覗いている。黄色のマフラーを揺らしながら、彼女は鳥居をくぐって石段を足早に上っている。


 眼差しは強く凛として、頬はリンゴのように赤く染まって若く瑞々しい。一つにまとめた艶のある髪は、清潔感溢れていて、彼女の背中で元気に揺れていた。

 その彼女の肩に掛かっているのは、ごく普通の学生鞄の他に、沢山のものが詰まったスーパーの袋。とても参拝客とは思えない荷物だ。


 拝殿へと続く石畳を進み、さらにそこを通り過ぎて、神が鎮座している建物へと足を運ぶ。彼女の小さく開いた口から、忙しげに白い吐息が漏れる。


 到着した本殿はひっそりと静まり返り、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。そこへ彼女は躊躇なく足を踏み入れる。建物の扉を開けて、その中へと侵入した時だ。不思議な事に彼女はそこから姿を消した。――まるで空間へ溶け込むように。




 神社の本殿と、神様が普段過ごしている屋敷は、彼の神力によって繋がっている。さらに驚く事に、そこは異空間のような怪しい場所にあると聞いている。


 訪れた宮本(みやもと)珠子(たまこ)を玄関先で出迎えたのは、神様に仕える二人の神使たちだ。


「「大変でございます! 珠子様!」」


「ど、どうしたの? 二人とも!」


 慌てた二人の様子に珠子は驚く。

 出会ったときから変わらない少年姿の二人。当然ながら彼らは人間ではない。異なる色をした作務衣をいつも愛用している。(うぐいす)色の方がアソウ、黄土(おうど)色をした方がウンソウという名前である。二人揃って五分刈りの頭に切れ長の目つき。その顔は双子のように似ている。

 二人とも挙動不審な様子なので、見ている珠子まで落ち着かなくなる。


 何とか宥めて二人から事情を伺うと、どうやら神様にお見合い話が舞い込んで来たようである。


「「主様は、すっかりお困りのようで」」


 二人が話す主様とは、珠子が仕えている神様のことだ。彼は財運の神様として地元で祀られているが、美の化身と思ってしまうほど、珠子の目からみても彼の美貌は凄まじい。その彼の容姿は神様たちの中でも桁外れらしく、その美しさに惹かれて求婚者が絶えない。そのため、こうしたお見合い話は、珠子が傍にいた十年間で、何度か起きていた。


「前にも同じようなことがあったけど、神様はちゃんと断っていたじゃない。どうして、そんなに慌てるの?」


「「今度ばかりは簡単に断れない相手なんですよ!」」


「まあ!」


 ようやく事態を呑み込めて、驚きの声を上げてしまった。そのせいで胸中がざわついて、目の前にいる二人に言葉を続けられなかった。


 珠子が神様の自室を訪れると、毎度お馴染の光景を目撃する。八畳くらいの和室に置かれたコタツには部屋の主である神様がいる。その彼を中心に色んな物が転がっていて散らかり放題だ。彼はコタツで暖を取りながら、ごろりと横になって普段通りに寛いでいた。


(もう、また片付けてない!)


 昨日この部屋は珠子が帰る前には綺麗に片付いていた。しかし、今ではすっかり部屋の主によって荒らされている。毎度のことに珠子は内心ため息をつく。


 神様は面倒くさがり屋で、いつも珠子が彼のお世話、いや後始末をする破目になっている。


 悩みの種の本人は紺色の和服を着ている。その上には防寒のために羽織っている黒色の褞袍(どてら)

 手入れが面倒だからと短髪で、髪型は普通の若者みたいである。しかし、その容貌は芸能人以上に整っていて、彼の傍で十年間ご奉仕している珠子でさえも、間近で見れば心臓に悪いほどの威力である。


「面倒なことになった」


 珠子を見つめながら呟く神様。その表情は心底面倒くさそうである。


 珠子が神様と出会ったのは、今から約十年前。

 昔、珠子の首の後ろには、鱗のように固くなった皮膚があった。見た目が悪いからと、病院で取り除いても、再び現れた皮膚の異変。その異質な存在に母は不気味さを感じて、珠子を連れて神社へ相談しに行ったのがきっかけだった。


 その帰り道、参道の途中で珠子たちは神様と出会った。


 神様と名乗った彼。常識ある人間ならば、いきなり自分を神と名乗っても信じはしないだろう。しかし、昔話から飛び出してきたような狩衣(かりぎぬ)を身に纏い、並外れな美貌と不思議な雰囲気を兼ね備えていた彼を珠子たちは疑うことはなかった。

 神様は母に告げた。珠子の前世で蛇の因縁があり、それが原因で首に印をつけられたのだと。それを聞いた母は、神様に珠子を助けてほしいと縋った。すると、神様は同じ眷族の仕業だから、その(わざわい)から珠子を守ろうと承諾してくれた。その代わりに、自分に奉公して欲しいと求められたけれども。


 それから珠子は神様の所へほぼ毎日ご奉仕しに行っている。珠子の皮膚の異常は徐々に無くなり、今では痕跡すら残っていない。神様の加護のお陰なのか、宮本家は安泰になり珠子は家族で平穏に暮らしている。


「もう、ちゃんと片づけないと駄目ですよ?」


 一日で散らかった部屋を珠子は文句を言いつつ片付けていた。以前、神使の二人にも愚痴を零したところ、「珠子様がいらっしゃる前はご自分で何でもされていたんですが」と返される始末である。


(私が最終的に何でもしてしまうから、そのせいで面倒くさがりが悪化してしまったのかしら?)


 ちらりと神様を見れば、当の相手はどこ吹く風といった態度で、ご機嫌な顔をして寛いでいる。


「そうだ、珠子。散歩に付き合ってくれ」

「え? 今からですか?」

「ああ、今日は陽が出ていて外出日和だからな」


 そういった途端、神様の姿が煙みたいに変わり、気付くと一瞬で姿を消してしまった。

 着ていた召し物が、支えを失ってしぼんでいく。そのぺったんこになった服の中から、もにょもにょと動く気配がある。珠子がじっと見守っていると、それは服の端に徐々に移動していき、やがて端から顔を出す。それは一匹の白い蛇だ。


「珠子、よろしく頼むぞ」


 先ほどの神様と同じ声が蛇から発せられる。


「もう、神様ったら」


 やれやれと呆れた口調で返事をして苦笑すると、神様をそっと抱き上げた。

 長くて細い体をくねらせて、神様は珠子の首元へと巻き付く。


「今日はどこに行かれます?」

「任せるよ」


(もう! いつも適当なんだから)


 面倒くさがりの神様は外出の時でさえ、その性分を発揮する。自分の足で歩くのさえ、面倒くさいらしい。


 珠子たちがいつもように神社の周りを散策していると、遊んでいる近所の子供と出会った。


「あ、蛇遣いだ!」

「撫でさせて~!」


 好奇心旺盛の子供たちは、人馴れした白蛇にいつも興味深々だ。


「いいわよ」


 神様にはサービスもたまには大事だと許可をもらっているので、相手が悪さをしない限り、子供の好きにさせている。恐る恐るといった感じで蛇に触る子供たちの表情は、眺めていて楽しいらしい。

 子供好きな神様でなければ、きっと珠子は救われていなかっただろう。

 気持ちよさそうに目を細める神様を珠子は温かい気持ちで見つめていた。


 神社近くに戻ってきた頃には、日が暮れ始めていて、辺りには紅の陽が差すようになっていた。

 古くからある住宅街の一角、そこで祀られている神様の社。珠子が十年前から通い、慣れ親しんでいる神様の住まいだ。その入り口である鳥居が再び珠子の視界に入ってきた。


 同じ場所なのに、季節や時間帯によって、その風景は変わってゆく。珠子たちが歩いている参道は、夏には緑豊かな木々で囲まれていた。しかし現在、春はまだ遠い厳寒では、既に樹木は落葉していて、北風に揺れている剥き出しの枯れ枝が見るからに寒々しい。


 初めて神様に会った時、正直のところ尊敬よりも畏怖が大きかった。ところが、だんだんと神様の気さくで穏やかな人柄に触れるにつれて、すっかり怖さは消えて、その代わりに親しみが増していった。そして、彼の魅力を知る度に、なんだかんだと文句を言いつつもお世話していく度に、珠子の中に芽生えていった新しい気持ち。

 絆されたのか、情が移ったのか。面倒くさがり屋の神様を珠子は憎からず想うようになっていた。


 でも、彼にはずっと昔から想っている人がいるらしい。途方もないほどの長い歳月。既にこの世にはいない一人の女性を。


 以前、神様がお見合いを断る際に、彼自身から語られた事実。

 海のように深く、果てしないほどの想いを前に珠子は為す術もなかった。だから、決して自分のこの想いは叶う事はないだろう。せめて今までのように、ただ傍にいられればと望むだけだったのに。


(それなのに、神様にお見合いなんて――)


「神様が断れない相手ってどんな方なんですか?」


 珠子が神様の見合い相手について質問すると、神様の口からため息が聞こえた。


「相手の親の位が高くて門前払いが出来なかったのだ。それに本人を説得しようにも、なかなか話が通じる相手ではなくてな。困った困った……」


 そう返事をしながら、神様は寒い寒いと口にして、いつものように珠子のコートの中へ入って行く。どうやら外にいて、すっかり身体が冷えてしまったらしい。


「きゃ!」


 蛇姿の神様に下心など無いと思うが、服越しとはいえ身体を這う感覚に珠子はいつもドキドキする。


「神様、くすぐったいです!」

「すまんすまん」


 神様は口では謝りながらも、悪びれもなく身体をコートの中へ収めてしまった。


「もう、神様ったら……」


 珠子は口を尖らせても、最後まで苦情を言うことはない。

 昔から冬になると、寒さに弱い神様に暖代わりとはいえ珠子は頼りにされていた。年頃になって恥ずかしい気持ちが大きくなっていたが、一方で神様との親密な触れ合いは密かに嬉しかった。


 真っ赤になった珠子の頬を夕陽が照らして誤魔化していた。


「神様、私もうすぐ誕生日なんです」


「ほう、幾つになるのだ?」


「十六歳ですよ。神様みたいに結婚だってできる年齢なんですよ!」


 神様と違って、珠子には相手の影すら見えないが。


 今から十年前、珠子が神様にお仕えした時。神様のことを好きになるなんて想像すらしていなかった。だから、もしかしたら。――これから先に新しい出会いが珠子に待っているかもしれない。それを期待した方がいいのかと、傷心気味の珠子はぼんやり思う。

 珠子にしてみれば、長く続いた片想い。今回のお見合い話を機に諦めという言葉がちらつくようになっていた。




 それから三日後、珠子は十六歳の誕生日を迎えた。その日はとても冷え込み、外を歩く珠子の肌を冷気が刺すほどである。

 その日はちょうど学校が休みなので、午前中から珠子は神社へ向かう。




 神様はいつものように散らかった部屋の中にいた。しかも、敷きっぱなしの布団の中に。


「お誕生日おめでとう」


 彼は珠子の顔を見るなり、祝いの言葉を口にした。


「ありがとうございます!」


 珠子の誕生日を覚えていてくれた――。そのことが凄く嬉しくて、珠子はエヘへと照れ臭そうに笑う。この時だけ、目の前の惨状は頭から抜けていた。


「来て早々悪いが、お茶を淹れてくれないか。今日は一段と寒くて」


 布団の中で丸くなっている神様は見るからに寒そうである。あと二時間もすればお昼時になるというのに、寝間着姿のままの格好を見れば、どうやら起床すらしていないようである。

 いつもなら神使の二人に起こされて、身支度くらいは整えられているのに。


「そういえば、アソウとウンソウはどうしました? 姿を見ませんけど――」


「ああ、昨日遣いに出したのだ。昼過ぎには戻ると思うのだが」


 いつも珠子を玄関で出迎えてくれる二人が現れなかったので不審に思っていたが、神様の返答を聞いて珠子は納得した。


 本日は寒さが厳しいというのに、この部屋には火鉢が置かれていなかった。冬季、神様の屋敷では暖を取るために炭を入れた火鉢を使用している。それを神使の二人が早朝に用意しているのだが、二人が不在のために神様の自室は未だに冷たいままだ。これでは神様が布団から出るのは困難だろう。


「お茶の前に火鉢を持ってきますね」


 珠子は神様にそう言い残すと、(くりや)へ向かった。ここの(かまど)に火を起こすところから始めなければならない。

 神様の住まいには電気が通っていないらしく、全ての日用品が一昔前の様式になっている。そのため、ここに奉公するようになってから、神使たちから使い方を一から学んでいた。


 竈に火をつけてお湯を沸かしたり、炭を用意したり。珠子は来て早々忙しく動き回る。

 部屋を暖めて、神様の召し物を替え、洗面のお手伝いを。次に朝食すらとっていない神様のために珠子は炊事に取りかかり始めた。お世話係は腰を下ろす暇もない。


 自室にいた神様は珠子に布団を片付けられたので、コタツに避難して丸くなって座っていた。一人きり、遠くから聞こえる珠子の気配に耳を傾けながら。


「お、お茶……まだかな……」


 自室から出てこない神様の声は、猫の手も借りたいほど厨で慌ただしく働いている珠子の耳には届いていなかった。



 現在の言葉で表すならブランチという――昼食を兼ねた遅い朝食を神様に用意した珠子。食事が済んだ後、神様に再びお茶を催促されて、珠子は彼に給仕し忘れていた事に気付く。


「ご、ごめんなさい! すっかり頭から抜けてしまって」


「いやいや、こちらこそ二人がいないせいで、珠子を忙しく働かせてしまってすまない」


「すぐにご用意しますね!」


 そう言って珠子が立ち上がった時である。突然の来客があったのは。



「御機嫌麗しゅう。お久しぶりですわ、佐和羅(さわら)様」


 お付きを従えて神様の屋敷を訪れたのは、若くて美しい女性だ。神様ほどではないが、なかなかの美貌の持ち主である。彼女は髪の毛を染めて整えていて、流行のおしゃれを自分に取り入れている。神様と並ぶと、美男美女で見栄えのよい二人。ただ難があるとすれば、神様のお召し物が和風なのに対して、彼女の装いが現代風なので、そこだけ雰囲気が合わない。


 彼女を応接間へ通した後、珠子は主人とお客のためにお茶を用意していて給仕の真っ最中である。

 珠子はお茶をお盆にのせて、二人がいる部屋まで配膳していると、ちょうど部屋の目の前のところで、障子越しに二人の会話が聞こえてきた。

 盗み聞きする気はなかったのに、珠子はお盆を手にしたまま立ち止まってしまった。彼女が神様を名前で呼んでいることに気付いたからだ。


(私でさえ、呼んだ事ないのに――)


 神様の名前を下の者が直接呼ぶのは失礼にあたると、神使たちから教えられていた。だから、神様の名前を気軽に口にする彼女は、珠子とは明らかに立ち位置が違っていた。


 震えそうになる手を堪えようとした時、さらに珠子の耳に女性の声が入って来る。


「先日はお見合いの釣り書を受け取って頂き、感謝いたします。前向きに検討して頂けて嬉しかったですわ」


 珠子は驚きの余り、ガタンと音を立てて持っていたお盆を落としてしまった。


 珠子を気遣う神様の声が部屋の中から聞こえてきて、「申し訳ございません」と珠子は慌てて謝罪する。主の来客対応を邪魔してしまうのは、下働きとしては無作法だからだ。


(あの女性が神様のお見合い相手なんだ――)


 そう思うと、珠子は胸の中に重りを感じる。黙々と後片付けをしている中、さらに二人の会話が珠子の耳に入って来る。


「いえ、実は、受け取る気はなかったというか――。差し出し人が貴女様の父君からだったので封書を受け取っただけなのだ。ですので、釣り書は昨日使者を立ててお返しに上がった。残念ながら貴女様とは行き違いになったようで」


「まあ、見合いを介さずとも、私と佐和羅様は旧知の間柄。改めて場を設ける必要はございませんでしたね。お気遣い感謝いたしますわ」


「いえ、そういうわけではなく、失礼ながら私は――」


「心配ご無用ですわ! 一人娘の私の婿になって、この地を離れる事になっても、貴方様の後釜に相応しい人材を既に探しておりますの。私と並んで遜色ない貴方様ほど、私の婿として相応しい方はいらっしゃいませんわ」


「いえ、そういうことではなくて……、そもそも私は貴女様と結婚する気はないのだが……」


「縁結びの神である私に全てお任せください! ときめきをお忘れになった佐和羅様のために、この私が尽力しますわ」


 神様のため息が廊下にいる珠子にまで聞こえてきた。

 神様の言った通りだった。相手の女性に恐ろしいほど会話が通じていない。自分の都合の良い方に全て解釈してしまっている。これでは神様が困るのも当然である。

 傍で会話を聞いている珠子が腹立たしく感じるほどだ。


 そもそも神様にはずっと想っている方がいるのに。それを知りもしないで、自分の都合ばかり押しつける女性が嫌だった。


 珠子の中で湧き起こった憤り。その強い想いは、珠子を大胆な行動に移させていた。


「神様のこと何も知らないくせに、顔だけで結婚相手を選ばないでください!」


 気がつけば、珠子は障子を開けて二人の前に現れて、女性を非難していた。


 応接間は和室で、最低限の調度品が置かれた落ち着いた部屋だ。いつも珠子の手が入っているので、目立った塵や埃もない。

 そこで神様と女性は卓子(たくし)を挟み、向かい合って正座していた。

 珠子の突然の出現に二人は驚いて唖然として見つめていたが、すぐに女性は顔色を変えて、不満を露わにして珠子を睨みつける。


「いきなり下女が無礼な。それに私が何も存じないと? 佐和羅様とは百年来の付き合いなのに?」


 相手の鋭い視線と気迫に珠子は怖気づきそうになるが、なんとか気合で耐え抜く。


「――ひゃ、百年来って、神様にしてみたら歴史が若い方じゃないですか?」


「なっ! 人間のくせに生意気な!」


 精一杯な珠子の嫌味は、見事に女性の逆鱗に触れたらしい。女性は珠子に掴みかかりそうな勢いで立ち上がる。その時、「まあまあ、二人とも」と宥めようとする神様の声が二人に掛かった。


「争い事は良くない。そうだ、珠子。お茶でも淹れてくれないか。二人とも落ち着いて――」


「そう、飲み物ですわ! そこまで大口を叩くなら、私と勝負なさい! 彼の好みをどちらが存じ上げているか勝負ですわ!」


「「え!?」」


 神様と珠子の異論の声はもちろん女性に無視される。なんと、神様の好みを巡って競い合うことになった。


 飲み物を用意するため、厨に移動した珠子と女性。


 土間に下りて珠子が竈でお湯を沸かしている間、女性は何もせずに立って珠子を観察しているだけだ。

 勝負早々、女性はお付きの者に何かを持ってくるように指示していた。


 無言で気まずさが漂い始めた時、「佐和羅様は――」と女性が語り始めた。


「最近はご無沙汰していますが、毎年夏になると私の家へ訪れて下さったんです。だから、彼の好みは良く分かっていますわ。それに貴女ご存じ? あの方は、今じゃ地味に土地神をされているけど、昔は災禍を招く荒神だったんですよ?」


 ”神様のこと何も知らないくせに”と侮辱した珠子に対する当てつけなのだろう。珠子が知らない神様の情報を女性は語り、初耳だった珠子の動揺を目ざとく察知して、女性は勝ち誇った顔をする。そんな女性に珠子は負けじと口を開く。


「貴女はご存じないかもしれませんが、神様はずっと想っている方がいらっしゃいます。だから、神様にご自分の気持ちを押しつけるのは止めてください」


 珠子が言うと、女性は不愉快そうに顔を歪めた。


「そんな有名なこと、知っていますわ。でも、いない人を思い続けるなんて不毛なこと、お止めになった方が佐和羅様のためだと。だから私、今回行動に移したんですわ! これは佐和羅様のためでもあるんです!」


「それは……」


 珠子は女性の言葉に反論できなかった。決して自分を見てくれない神様を想い続けてきたのは珠子自身。それを虚しく感じるところは、共感できたからだ。

 でも、どういう訳か、女性の言葉にすんなりと納得できない。その違和感の正体をうまく言葉にできず、珠子は結局言い返せずに口を閉ざしたままだった。


 そんな珠子を見て、フンと見下したように鼻で笑う女性。勝負の前だというのに、珠子は怪しい雲行きの中にいた。


 実は、神様が一番好きな飲み物が何なのか、珠子は知らなかった。彼が望む物は何だろうと推考した時、寒がりな神様が最近愛飲している熱い緑茶しか思い浮かばなかった。そのため、珠子はそれを用意している最中である。


(一体この女性は何を用意するんだろう?)


 珠子には全く想像がつかず、不安になる。女性は珠子より長生きで、珠子より神様と付き合いが長い。珠子の知らない神様を知っていても、全然おかしくは無い。


 そして、女性の自信満々な女性が用意したものは、珠子の予想を遥かに超えた飲み物だった。


 透明な硝子のコップに入った褐色の炭酸飲料。氷も入っていて、よく冷えているようである。


「コ、コーラ……?」


 驚いた珠子が呆然として呟くと、女性は得意げに口を開く。


「そうですわ。佐和羅様はコーラが大好物! 我が家をご訪問された折には、いつもコーラをご希望されるんです」


 熱い緑茶と冷たいコーラ。

 この二つの飲み物を神様へ給仕して、彼はどちらを選ぶのか――。


 応接間に戻った珠子と女性が固唾を呑んで見守る中、神様は迷わず手を伸ばした。


「ど、どうして……?」


 勝負の結果に納得できず、混乱した様子で女性は神様を食い入るように見つめている。

 それに対して、神様は珠子の淹れたお茶を冷ましながら、のんびりと口をつけていた。


「冬にコーラはないかな……」


 素気無い神様の一言に女性は「そんな!」と見るからに衝撃を受けて、崩れるように床に顔を伏せた。


「確かに私はコーラが好きだが、それは熱い夏に限ってのこと。今回、温まりたかった私は熱いお茶が欲しかったのだ。正解がいつも最善とは限らない」


 神様の最後の言葉に、珠子はハッとする。先ほど女性とのやり取りで掴めなかった答えが急に見えたからだ。

 珠子と神様が見守る中、女性はゆるりと頭を上げていた。その表情はとても悔しそうだが、完敗とはほど遠い。


「そうだったんですね。……確かに私は勝負には負けました。でも、佐和羅様を想う気持ちは負けませんわ!」


「いや、そう言われても……」


 面倒くさがり屋の神様は、諦めを知らない女性に対して、心底困り切った表情を浮かべる。


「必ず佐和羅様をお幸せにしますわ!」


 なおも神様に喰い下がって情に訴える女性に対して、珠子は「お話の途中、失礼ですが――」と話しかけた。


「なんですの!?」


 邪魔をされたことが不満だったのか、女性は珠子に対して邪険な態度だ。珠子はそれに苦笑して、言葉を続ける。


「神様のことは諦めなさいって誰かに言われたら、貴女様は素直に従われますか?」


「何を申すの? そんなこと、余計なお世話ですわ!」


「そうですよね、余計なお世話ですよね。でも、貴女様は同じことを神様に申し上げているんですよ? 神様もお困りだと思わないのですか?」


「えっ……」


 珠子の苦言に対して、初めて女性は反論できず口ごもる。そして、次に困惑した表情を浮かべて目を泳がせた。どうやら珠子の言わんとしている事を察してくれたようだ。


「でも、そんな、私――、佐和羅様のために」


「私も貴女様のためと申せば、お聞き入れ下さるのでしょうか?」


「それは――、だって、そんなこと、貴女に言われる筋合いのないことですわ」


「そうですね。でも、それは、神様も同じお気持ちだと思いますよ」


 珠子が得た答えは、先ほど神様が言ったことと同じだ。


『正解がいつも最善とは限らない』


 報われない片想いは、もう止めた方がいい――。珠子と女性はその答えが正しいと思っているけれど、それは誰しもに当てはまることではない。

 ましてや、その考えは他人が押し付けるものではないのだ。自分自身が答えを決めて、気持ちの折り合いをつけることだから。


 女性は顔を歪めると珠子から視線を逸らし、神様へ向き直る。その目は切に願っていた。珠子の言葉を否定して欲しいと。

 ところが、神様は厳しい顔つきをして「珠子の言う通りだ」と伝える。


 逃げ道を塞がれた女性。悲痛な表情をして、ようやく自分の分の悪さを感じたようだ。そのまま過ちを認めて引き下がるかと思われたが、女性が取った行動は珠子の想像をまたもや超えていた。


「ふええええぇぇぇん!!」


 なんと、子供のように大声で号泣しだしたのである。


 そんな困った状況の時、タイミング良く再び訪問者が現れる。まるで助け船のように珠子は感じた。


「主様、ただいま戻りました!」


 屋敷に戻って来たアソウとウンソウ。その彼らの傍らには、珠子の知らぬ中年の男性がいた。その人は現代の紳士的な格好をしていて、どこかで勤めている社会人のようだ。

 女性は玄関に立つ男性を見つけると、勢いよく男性に近づく。


「お父様!」

花都里(かとり)!」


 名前を呼ばれた女性は、ポンっと子供に姿を変えて男性に抱きついた。やり取りから察すると、どうやら二人は親子のようだ。

 父親に抱かれる子供は、まだ十歳にも満たない。先程の大人がそのまま若返って身体が縮んだ具合になっている。

 女性の正体が、ただの子供だったとは――。珠子は事の結末に拍子抜けしてしまい、苦笑してしまった。話が通じにくかったのは、ただ単に道理をまだ理解しづらい年齢だったから。


「花都里、駄目じゃないか。私の知らぬところで、勝手に色々と悪いことをして。それに言っただろう、佐和羅様は諦めなさいと」


 父親の小言に花都里はばつが悪い顔をする。


「ご、ごめんなさ~い! 私がお願いすれば、佐和羅様は聞いて下さると思ったんです……」


「全く、縁結びの神ともあろう者が、よりによって馬に蹴られるような真似をしちゃ駄目だろう? ようやく生まれ変わった相手が大きくなって、もうすぐ佐和羅様の長年の想いが叶うというのに」


火士真(かしま)様! それは――!」


 男性の台詞に対して、慌てる神様。珠子は二人の会話に驚いて交互に視線を送ると、神様は珠子に対して気まずそうな顔を向けている。一方で火士真と呼ばれた男性は、珠子と目が合うと笑顔でウインクをしてきた。


「えっ……?」


 動揺する珠子をよそに、火士真は子供の非礼を神様に丁寧に詫びた後、早々に子供とお付きを連れて去って行った。

 親子を見送った珠子は、玄関で立ち尽くしたままである。そして、珠子の傍に神様も残っていた。真剣で固い顔つきのままで。


「生まれ変わった相手……? もうすぐ叶う……?」


 珠子は目の前が揺らぐ中、先ほどの言葉を反芻していた。それに台詞以外にも気になるのは、あの男性の意味深なウインクだ。


 そもそも神様と出会うきっかけとなった、首の後ろにあった鱗のような存在。それを思い出して、珠子は無意識に手を首に当てていた。


 神様はその異変を同じ眷族の仕業だと言っていた。あの時、あの言葉を聞いて、神様以外の蛇が原因だと珠子たちは解釈していた。目の前にいる恭しい存在を疑うなんて、そんな恐れ多いことは微塵も思わなかったからだ。しかし、今のこの状況から、それ以外の可能性があることに珠子は気付く。あの言い方だと、犯人は神様自身にも該当することができる。神様のもともとのお姿は蛇だからだ。


 それに――、珠子が前世で蛇の因縁があると断言した神様。当時は神様の不思議なお力のお陰で全てお見通しになったのだと思っていた。でも、今となってはそれ以外の理由も考えられた。


 当の本人ならば、全ての状況を把握していてもおかしくはないと。


「もしかして――、神様の相手って」


 珠子が恐る恐る尋ねようとして神様を見遣った時、すぐに彼は神妙な面持ちで頷く。それを見て、珠子の動きは止まった。


「珠子に昔あった、あの皮膚の異変は(まじな)いだ。昔、自分は願ったのだ。珠子が生まれ変わったら、再び巡り合いたいと――。私の強い想いは呪術となり、あのような形となって現れたのだ」


「で、でも、神様は一度だって、そんな素振りは――」


「初めて会ったとき、珠子はまだ幼子だった。さすがに、待つくらいの分別はある」


「か、神様――」


「しかし、その結果、騙すような形になって申し訳ない――。どうか、その点は許してほしい」


 神様は手を揃えて珠子に深々と頭を下げる。もともと憤りの気持ちなど無かったので、こんなに丁寧に謝られて、かえって恐縮してしまう。


「あの、頭を上げてください、神様。私は怒ってはおりません――」


 それよりも、神様の想い人が自分だったという衝撃の事実の方に思考の大半は奪われていた。


「珠子」


 神様はゆるりと体勢を戻して、珠子に視線を向ける。その眼差しの一途さは、彼の気持ちを隠さず表していた。


 神様の深い想いを知っている珠子。現在、その感情の全てが自分に向けられていると理解して、突然の重圧に珠子は大混乱を起こしてしまう。


 その結果、珠子が咄嗟に取った行動は、その原因となった人物からの逃避――。

 無意識のうちに珠子が後退(あとずさ)ると、間合いを詰めるように神様は珠子に近づく。ところが、狭い廊下でのやり取り。すぐに珠子の背中は壁に当たる。そして、珠子の逃げ道を失くすように、神様は珠子の身体を挟むように壁に手をついた。


 珠子を間近から見下ろす神様。多くの神々を魅了した端正な顔立ちが、珠子だけを射抜くように真っ直ぐ見つめている。


 長い睫毛が目元に影を落としていて、美しい瞳は不安で揺れていた。


「珠子、好きだ――」


 切羽詰まった神様の声が、珠子の耳元で囁かれて――。


 目を見開く珠子。その顔は真っ赤である。

 そして、早鐘のように鼓動する自分の心臓を否応にも感じていた。


「どうか、少しでも私のことを好きでいてくれるなら、応えてくれないだろうか――」


 神様の震えた声が、緊張を隠さず伝えていた。僅かに動く喉仏を見れば、神様が固唾を呑んで珠子の返事を待っていることが分かる。


 神様でさえ、告白する時は、自信のない只の一人の男であった。

 それに気付いて、珠子は取り乱して挙動不審になっている自分を心の中で叱咤する。


(な、何か応えないと――!)


 そんな焦る気持ちを押さえて、珠子は緊張で震えそうになる唇を必死に開いた。





 それから数日後――。


 神使たちはやっと自分たちの(あるじ)にやってきた春を察して、二人を穏やかに見守っていた。

 珠子が現れてから自分では何もしなくなった神様。その本当の理由を神使の二人は薄々気付いていた。


 ただ単に彼女に世話されるのが嬉しいからだ。


「面倒くさがり屋というより、甘えん坊ですよね――」

「ええ、全く」


 その視線の先には、神様の世話を甲斐甲斐しく行う珠子の姿。彼女に文句を言われていても、締まりのない主人の顔はとても幸せそうである。

 

 神使の二人は互いに見つめ合い、その顔を綻ばせた。




 ―了―


お読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 藤谷 要さん 毎度お世話になっております。大沢朔夜です。感想を差し上げに参りました。 全一巻完結の少女漫画のような、読み応えのある作品でした。短い中でも、キャラの立て方や、伏線や起承…
[良い点] はじめまして。 とてもほのぼの、出てくる人がみんな可愛いお話でした。 ちょっと難ありな性格かと思われたお見合い相手の女性すら、正体がわかってみれば微笑ましい。 また会えて、また互いに恋し合…
[良い点]  非常に短いながら、しっかりとまとまった作品です。  面倒くさがりの神様に、しっかり者の珠子。二人の日常のやり取りが目に浮かび、読んでいてほのぼのとしました。  さらに、主人公の珠子は元気…
感想一覧
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