後の祭り
ima様への感想を元に、本文に加筆しました。ima様、ありがとうございました。
夢桜様からの感想が素敵で、『喜劇』か『悲劇』かのフレーズを使わせて頂きました。アンサーになっていたら嬉しいです。
いつもながら、主人公の影が薄いです。
ナズナは幼い時にランダス子爵家に引き取られ、養女として育った。
義母となるラナンキュはナズナに冷たく当たり、義妹ガーベラはいつも見下してきた。
「平民の癖に馴れ馴れしい。私達と同じ立場だと思わないで頂戴」
「お義姉様はいつも変な臭いね。下町のドブ川近くに住んでいたから、臭いが染み着いたのね。一生このままなら、なんて惨めなんでしょう?」
何もせずとも、厳しい言葉が投げつけられる毎日。
辛くて街に戻りたいと、いつも一人で泣いていたナズナ。
ただ一人、義父のフレシアンだけが静かに彼女へ語りかける。
「可愛いナズナ、泣かないでおくれ。大きくなったら、お前は望まれて結婚することになる。そうしたら贅沢して暮らせるからな」
「っ……そうなの? じゃあ、もう泣かないわ」
本当はそんなこと信じてはいないけれど、この家で唯一優しい人に迷惑をかけるのも辛くて、泣かないと約束した。
その後も北の日当たりの悪い部屋で暮らす彼女に、義妹のおさがりのドレスと不要になった玩具、古くなったり欠けた文房具が投げ与えられた。
「こんな物でも平民には手が届かないものばかりよ。這いつくばって感謝なさい」
「私、捨てようと思ったのだけど、お母様が駄目だって言うの。だから恵んであげるわ、お義姉様。うふっ」
「……ありがとうございます。奥様、お嬢様」
「フンッ、可愛げのない」
「あらっ、泣かないのね。面白くないわ」
わざわざナズナの部屋まで足を運び、散々見下して踵を返す母子。義母の蔑みと義妹の嘲笑は、半年経っても彼女を傷つけた。義母達の前で泣けば死んだお母さんの事まで持ち出される為、一人声を殺して泣くことを覚えた。
「うえ~ん。お母さん、寂しいよ。こんなところに居たくないよ」
お母さんと二人、狭い借家で暮らしていた時は幸せだった。貰い物の野菜で料理をし、安い硬パンとスープだけの食事。夜は一つの布団で抱き合って眠っていた。
お母さんは商家で働き、休みの日は私に読み書きを教えてくれた。贅沢をしないのは、私に貯金をしてくれていたからだった。いつか学校へ通えるようにと。
そんなお母さんは、馬車に轢かれて死んでしまった。
私一人なら葬儀も出来なかった。
きっと泣いて泣いて、そのまま私も死んでいたかもしれない。
馬車に乗っていた貴族の男の人が降りてきて、責任を取って私を育ててくれると言ってきた。馭者は平民の私なんかに謝りたくない顔をしていたが、主人が謝罪しているから逆らえなくて、渋々頭を下げていた。
そもそも貴族の馬車が平民を跳ねても、平民が走行の邪魔をしたとして、通り過ぎていくことが常だった。
義父になった人は血塗れのお母さんを抱き上げて、一緒に泣いてくれたから、もしかしたらお母さんの知り合いだったのかもしれない。
「一緒に暮らそう。リンドウが心配しないように」
「……うん」
義父はお母さんの名前を知っていた。お母さんが天国へ行けるように、心配をかけないようにしよう。まずは生きてみようと思い、私は涙を拭いた。
後から聞いたことだが、この時の馭者はクビになり、邸から居なくなったらしい。
◇◇◇
ナズナには新しい物は与えられなかったが、ガーベラと共に家庭教師の授業を受ける機会が与えられた。
平民なのに読み書きと計算が出来たので、始めは苦労したが次第に授業へついていけるようになった。
邸内で顔を合わせるのも義母に嫌がられ、部屋にばかり籠っていたナズナは、学ぶことがとても新鮮だった。
ガーベラがあくびをして余所見をしている間に、課題を一つ二つ解いていくナズナ。
彼女の真摯な言動は、ベテラン教師ユリの好感度を上げていく。
「先生の話はすごく楽しい。私もいつか隣国に住むらしい祖父母の所や、もっと向こうの国を見に行きたいです。だから語学の勉強も頑張ります!」
「そうね。諦めなければ夢は叶うと思うわ。私が知る知識なら、全部教えてあげましょう。宿題も作って来たわ」
「ええっ、本当に? 先生ありがとうございます!」
ナズナの満面な笑みを見ると、忘れかけていた教育者魂に火が灯っていくのを感じるユリ。もう毎日課題を作り、ガーベラそっちのけでディスカッションだ。
(子爵の生ませた庶子だと聞いたけれど、優秀な子だわ。きっと読み書きも、亡くなった母親が教えていたのでしょうね)
平民は愚かだろうと侮っていた貴族のユリだったが、ナズナを見て考えを改めていた。
(生まれは関係ないわ。機会を生かすことが出来れば、貴族の子息子女より伸び代はあるかもしれない。少なくとも今のガーベラ様よりかは)
そしてナズナは亜麻色の髪と青い瞳と、人を惹きつける美貌を持っていた。ある意味邸から出ないことで、守られていると言っても過言ではなかった。
平民だった時ならば縁のなかった学びを今、ナズナは楽しそうに吸収していく。当たり前ではないから余計に新鮮だったのかもしれない。
子爵家の使用人は関わりこそ少なかったが、意地悪ではなかった。いつも苛立ちの強い子爵夫人に怯える自分達とナズナを重ね、幼い子に援助も出来ないことを気に病んでいるくらいで。
情が移らぬように、必要な事以外の会話さえ禁止されていた。
◇◇◇
そんなある日。
いつもは廊下に出ている台に、無言で食事を配膳していく使用人から、突然声がかけられた。
「今日は肉厚の良い茄子が手に入ったから、蒸して味噌タレをかけたそうですよ。私もこれが大好きなんです」
驚きで目を瞬かせるナズナに、「あれっ? 茄子お嫌いですか?」と、スイセンと名乗る男性の使用人が尋ねた。
「い、いいえ。好き嫌いはないです。茄子も好きよ」
慌てて答えるナズナに、スイセンは微笑んだ。
その後に少し話をする。
スイセンはナズナの2つ上の15歳で、そしてユリ教師の親戚だそうだ。黒髪で黒目のまだ幼さが残る可愛らしい容姿だった。
(ユリ教師の親戚なら、貴族じゃないのかな? もしかしたら親が貴族で、兄弟が家を継いでから平民になったのかな?)
ナズナは会話に飢えていたので、嫌われないように詮索を避けた。また話をして貰えるようにと願いながら。
◇◇◇
ラナンキュ、ガーベラ、フレシアンが不在の時、スイセンは時々現れてナズナと会話するようになった。
世間の噂やこの家の評判、美味しいお菓子や流行りのドレスのことなど。淀みない饒舌な会話は、ナズナの好奇心をくすぐった。
「舞踏会で婚約を破棄した、馬鹿な貴族がいたらしいですよ。全く笑えないですよね?」
「そうね、そんなの嫌だわ。女の子が可哀想だもの」
そして必ず最後には、美味しいお菓子で締め括り。
「今日はナズナの好きなものですよ。見つかる前に食べて下さいね」
「ええ、ありがとう。これが王室御用達のマカロンなのね。綺麗な色ね。う~ん、美味しい」
「だろっ! 私も好きなんだ」
「うんうん、分かる。きっと嫌いな人はいないわね」
「プハッ、そんなに真剣な顔で言うことかよ?」
「ふふふっ、良いじゃない。私マカロンが、大好きなんだもの」
奇跡の出会いに感謝し「ユリ教師にもお礼を言いたいな」と思うものの、スイセンがサボっていると思われるのも嫌なので内緒にしていた。
そんな些細な幸福の中で、ナズナは成長していった。
◇◇◇
その日スイセンは、日が登る前にナズナの部屋に訪れた。そして真剣な顔で彼女に囁く。
「急いでこの邸から離れるぞ。君は借金の形に、金貸しの因業爺に売られるらしい」
「借金? どうして私が?」
「君は子爵様から、望まれて嫁ぐと言われたのだろう? 望むの意味が花嫁ではなく、慰み者の愛人だと知っていたか?」
「慰み者? そもそも愛人? 義父は人買いだったのね。私売られたくないよ!」
「当たり前だ。でもここに居れば、騙されたまま爺に引き渡される筈だ」
「私、嫌だよ。どうしよう?」
「だから私と逃げるんだ。大事な物を持ったら、すぐ行くぞ」
「でも、ユリ教師に迷惑がかかるのじゃない? 貴方の親戚なのでしょ?」
「え、関係ないぞ、何で?」
「だって最初に会った時に、そう言ってたわよ」
「ああ、すっかり忘れてたよ。信用して貰えるように、適当に言ったんだった」
「本当に!? もう、良いけどさ」
そんな感じで二人は、ランダス子爵家から姿を消した。
けれど子爵家で居なくなったと騒がれたのはナズナだけで、スイセンと言う使用人のことは誰からも語られなかった。
それもその筈で、スイセンは使用人でも何でもなく、ナズナの母方の祖父から雇われた冒険者ギルドの者だった。ナズナの母リンドウは隣国の大商人の娘で、フレシアンとの結婚を反対されて駆け落ちしていた。
フレシアンは貴族と言えど、没落気味の伯爵子息の三男だったから、伯爵家から追っ手が来ることはなかったらしい。放って置かれたと言う方が正解だろう。
そんなフレシアンは貴族籍を抜くことなく、リンドウと籍を入れずにいた。この国周辺では他国からの簒奪行為を防ぐ為、身元の怪しい平民と高位貴族の結婚が許されていなかったのだ。
もっぱらリンドウだけが懸命に働いて生計を支えるものの、フレシアンはのらりくらりと働かずにいつもフラフラしていた。それでもリンドウは歯を食いしばり、「いつかは彼も現実を受け止めて働き、愛のある人生を歩んでいける」のだと信じていた。
恋人だった時の彼は、楽しいお喋りと微笑みで心を幸せで満たし、いつも小さな花束をくれた。
いつかそんな関係に戻れると信じていた。
だが顔だけは良いフレシアンは、子爵令嬢のラナンキュに迫られて結婚した。
夢ばかり追って駆け落ちしたまでは良かったが、他国での貧しい暮らしが嫌になり逃げ道を探していたのだ。幸い貴族籍は残っており、リンドウと籍も入っていないので婿養子として子息家に転がり込むことになった。
いつまで経っても帰って来ず、心配して近所を探しながら帰りを待つリンドウ。彼女がフレシアンの結婚を知った頃に妊娠が分かったが、既に堕胎できる期間は過ぎていた。悲しみを乗り越えてリンドウは、ナズナを出産。
生まれた子は天使のようで、フレシアンのことなど忘れて生きていた。
駆け落ちしたことで両親にも頼れず、一人で子育てと仕事をして生きていたリンドウだが、いつも幸福で満ちていたのだ。
その幸せを奪ったのが、後にリンドウの存在を知ったラナンキュだった。籍は入っていないが内縁と言われる関係に、生活を脅かされると思い暗殺ギルドに依頼。
馭者に扮した暗殺者が、歩行中のリンドウを引き殺したのだ。確実にフレシアンに分かるよう、彼を乗せている時に事故を起こさせた。
予想外だったのは、フレシアンがナズナを子爵家に連れて来たことだ。黙って孤児院にでも入れれば、見逃すつもりだったのに。
すっかりドアマットに堕ちたナズナに、さすがに殺意までは芽生えなかったラナンキュ。
顔しか取り柄がなく事務能力の低いフレシアンは、子爵家の仕事をすることもなく、愛人を作って外出していく。
彼女が暗殺ギルドを知っていたのは、侯爵である父親サザンの影響だった。最初は愛娘に力を貸していたサザンだが、次期侯爵になるラナンキュの兄シダレに散財のことを知られ、援助が停止されてしまう。
「くだらないことで、侯爵家の資金を減らすな! お前はもう、子爵家の当主なんだぞ」
シダレの言い分は当然のことだった。
暗殺ギルドの依頼料はそのくらい高額なのだから。
この時点で彼女は、生家に頼れなくなってしまう。
それでも悋気に任せ、暗殺ギルドに依頼しまくるラナンキュは、子爵家の資産を減らしていく。
そして滔々破産寸前となり、フレシアンに話すラナンキュ。彼は爵位を失って貧しい生活に堕ちることを恐れ、美しく育ったナズナを嗜虐癖のあるアサガオ伯爵の愛人にすることで、借金を肩代わりしてくれる約束を取り付けた。
ラナンキュは借金もなくなり、憎き女の子がいなくなるこの方法に歓喜した。「フレシアンが愛しているのは、やっぱり私達なのだ」と喜色満面になった。
フレシアン似のガーベラより美しい娘に、いつも苛つきを覚えていたから。
けれど肝心なナズナは逃げて、娘を迎えに来た伯爵は怒りを隠せない。
「庶子の娘がいないなら、この家の娘で良い。庶子の娘より器量は落ちるが我慢してやる。ゲヘヘッ、それで手打ちだ」
太った腹を揺らしながら、イヤらしい目付きでガーベラを舐めるように値踏みするアサガオは譲らなかった。爵位も上で誓約書もある為、逆らえばラナンキュ達は詐欺罪で捕まってしまう。
「嘘っ、イヤよ。助けてお母様、お父様。私はもうすぐ愛するアガパンサス様に嫁ぐのよ。こんなの駄目よ、離してよ!!!」
貴族として磨かれた美しい髪と肌、フレシアンの面影を持つ美貌を持ったガーベラは、アサガオの欲望の琴線に触れたようだ。
「くくっ、気位の高い傲慢な娘は良いのぉ。嫌がって抵抗するのが今から楽しみだ。もう諦めろ、娘。お前は私に買われたんだ」
「イヤよ、イヤ。私が可愛くないの? お母様、どうして助けてくれないの? 嫌、いやあぁぁぁ!!!」
侯爵を護衛する屈強な男達に引き摺られ、馬車に乗せられるガーベラは泣いて泣いて窓から手を伸ばした。けれどラナンキュもフレシアンも、その手を掴めず地に膝を突けて俯いていた。
「あ、嘘、何でよ……………………」
「っ………ぐすっ」
「………………」
顔を見なくとも、ガーベラが絶望したことは痛いほど分かっていた。
「ガラン、ガラン」と車輪の音だけが虚しく響き渡り、ラナンキュは嗚咽する。
「私の可愛いあの子が、うっ、連れて行かれた、ぐずっ、うわあぁぁ」
狂ったように泣き喚く妻を見て、今さらながら正気に戻ったフレシアン。彼も自分の行いのせいだとやっと自覚したのだ。
「ああぁ、ガーベラ。私の娘が……。ごめん、ごめんよぉ」
二人は泣いて、その場から動けなかった。
自分達の欲望ばかりを追求し、後先を考えず振る舞った結果だった。
フレシアンは仕事もせず、精神が成長しないまま大人になった。愛してくれる女性に依存し、責任を取ることもせずに。
リンドウとは確かに恋愛はしていたが、その後の生活を考えもしない状態で駆け落ちをしてしまった。
挙げ句の果てに籍を入れることもなく妊娠させて、リンドウを捨てた。
ラナンキュとは貴族の暮らしに戻りたくて結婚。そんな彼女の愛情は重く、気軽で楽な愛人を作り商売女にすら手を出していた。惚れられた強みで気ままに暮らし、仕事さえしない日々を過ごして。
ラナンキュは、一目惚れしたフレシアンに執着し過ぎた。一途過ぎてまわりが見えず、全てを失ってしまった。いつも傍にいた、愛する娘さえも。元々は内気な性格で、婚約者さえ作らなかったことが裏目に出た。
ナズナをアサガオに引き渡す方法など取らず、サザンに土下座をしてでも、宝石や美術品などの金目の物を売り払うなどしても、資金を作るべきだった。
平民であるナズナの将来など、どうでも良いと思ったからこその結果だ。
この後にサザンに頼み込んで、アサガオ伯爵の元からガーベラを引き取ったとしても、彼女の心身の傷は治ることはなく、ラナンキュは後悔して生きていくことに。母親の借金の原因が父親にあることを聞かされれば、フレシアンはきっと許されない。
母親を真似てナズナを蔑んだガーベラは、ある時使用人達の間で彼女がこの家の庶子ではないかとの噂話を偶然に聞いた。その時は一笑に付したが。
両親からはナズナが血縁のある異母妹だとは知らされておらず、最初は事故で平民の母親を死なせた責任感で、その娘を引き取っただけだと思っていた。けれど年々美しくなり父親に似てくるナズナを見て、使用人の話が真実だと知り、そして彼女を憎んだ。
「分かってるわ。あの子は悪くないってことくらい。でもあの父に似た容姿は、私と母の心を蝕んでしまった。取り返しがつかないほどに。これは理不尽に貴女を虐げた報いなのかしらね」
男爵家に続く長い道程で、ガーベラはボンヤリとナズナのことを考えていた。
平民を見下して侮って利用しようとした貴族達は、自分達もその権力で逆らえなくされた。
ただ借金がなくなったことで子爵家は存続した。今後傷を負ったガーベラを支える為に、ラナンキュとフレシアンが頑張れるかは彼ら次第だ。たとえ許されなくても。
ガーベラの貴族令嬢としての未来だけは、もう開かれることはない。
その少し後のこと。
「どうにかして、あの子を取り戻さなければ」
ラナンキュは泣き崩れて化粧の落ちた姿のまま、形振り構わず、サザンの住む侯爵邸へ馬車で駆け付けた。事情を聞いた後、サザンは深く嘆息した。
いくら夫の愛した女が憎くても、罪のない女の子供まで自分達の犠牲にしようとした行為に対して。これは愛以前の、他人への尊厳が欠如しているとしか思えなかった。
確かに娘可愛さで、高位貴族の伝手を使い暗殺ギルドを雇って幾人かの女を葬った。最初は婿が駆け落ちしたと言う元恋人だった女を。それで終わりだと思った。
けれどラナンキュは満足せず、婿に関わる女達を殺す依頼を次々と頼んでいた。子爵家の予算では払えないとラナンキュが泣き付く為、侯爵家の予備予算から支払っていたが、息子がそれに気付いて止めさせた。正直自分からラナンキュに言い出せなかったので助かった。
殺された女達は、子爵家の資産を狙うハイエナだと理由を付けて自分を納得させていた。
けれどその後も同じことを繰り返して借金をしていたことにも驚いたし、その肩代わりを選りにも選ってアサガオ伯爵に依頼したことにも目を見張った。彼の悪癖と言える性癖は有名だからだ。相手が泣き叫ぶことに愉悦を感じる為、離縁した歴代の妻達は傷だらけで逃げ出したり亡くなっていた。それでも結納金目当てに、何人もの女達が家の命令で彼の餌食になっていた。彼もそれを隠していないのだから。
そんなところに、血の繋がる娘を送ろうとしたその気持ちが恐ろしい。ラナンキュとは他人だが、婿にとっては愛した女の娘の筈なのに。
「ガーベラのことは俺が話を付ける。けれど今回のことは醜聞として社交界にすぐ広まることだろう。お前達には噂が落ち着くまで、領地の端の古い別邸で暮らして貰う。爵位も同様にこちらが預かる」
「そ、そんな。酷いわ、お父様……」
「酷いのは、あんな男に娘を引き渡したお前達だろう? 娘が大事なら、詐欺罪として捕まれば良かったじゃないか。憎まれる覚悟もなく犯罪者になるのも嫌だと言う。俺から言わせれば、アサガオ伯爵の方がずっとマシに見えるぞ」
「そんなこと、うっ、酷いわ、ガーベラのことを愛しているのに……」
「そのガーベラには、きっと憎まれているだろうな。もう顔を会わせることも止めて置け。お互いを傷付けるだけだ」
「そんなぁ……うっ、うっ」
「お前は娘より夫を優先した。それが事実だ」
フレシアンは侯爵家に来なかった。サザンに叱責されるのを避けて子爵邸に残ったのだ。
「私の分もよろしく頼むよ。ここで祈っているから」
「……そう、分かったわ」
だからラナンキュはただ一人で侯爵邸へ来ていた。
判断は遅れたけれど娘の救出を願う為に。本当に遅かったけれど、それでも生きて救い出されることになった。
アサガオ伯爵はサザンの返還要求に応じた。名残惜しそうにはしていたが、ガーベラが美しい生娘であったことで満足したらしい。子爵家の借用書も破棄してくれた。ガーベラなら妻にしても良いと言うが、それは丁重に断った。
頬を殴られたのか、顔が赤くなっているガーベラは、泣き腫らした目をして祖父に対峙した。
「迎えに来た。侯爵邸へ戻ろう」
「私は売られたのでしょう。帰れるのですか?」
「話はついているから問題ない」
「……ありがとう、お祖父様。本当は怖かったの、ずっとこのままで玩具のようにされて暮らすのかと思って、うっ、ありがとう、迎えに来てくれて……っ」
「お前は悪くない。悪いのは親で、お前は被害者なんだ。恨んでも罵っても構わない。俺が許す。殺したいならそうしてやる」
「うっ、うわ~ん、辛いよぉ、お祖父様、私はお母様もお父様も好きだった、好きだったの、でも見捨てられた、わ~ん」
サザンはふらつくガーベラを支え、馬車に乗り込んだ。暫くすると安堵で眠りに就く孫が憐れ過ぎて、声を殺し泣いていた。
(俺が娘を甘やかしたせいだ。けれど子供まで犠牲にするとは、最早鬼畜の所業だろう。この子は俺が責任を持って育てる)
王宮では冷徹と言わる強面で、国王の為なら影から政敵を切り捨て、表からは理詰めで相手を追い詰める黒豹の家紋を背負うサザン。嫡男であるシダレもその血を引き継ぎ、着々と王太子の側近として手腕を振るっていた。
彼がラナンキュに弱いのは、亡き妻に彼女が似ているせいだった。時々切なさから思い出に浸る時、幼き時の妻の面影を彼女に重ねていたのかもしれない。
結局、ラナンキュとフレシアンはガーベラに会わせて貰えず、侯爵家の古い別邸に送られることになった。
「ねえ、ラナンキュ。どうしても行かないと駄目なの? 私は王都に居たいよ」
「仕方ないですわ。ガーベラを助けて貰う時の約束ですもの。でも私は貴方さえいれば良いの。諦めて下さいな」
フレシアンは案の定、すぐにガーベラへの罪悪感や今までの過ちを忘れて呑気に過ごしていた。子爵邸とは違い、貴族としては最低限の貧しい暮らしにウンザリしても、サザンの監視の目がある為、街までは馬車が出せないようにされていた。
ただラナンキュはガーベラのことを案じてはいても、フレシアンを独占できて心満たされた日々を送っていた。
「やっと私だけの物になったわ。嬉しい♡」
結局のところ、自己中心的なのは変わらないままだった。
◇◇◇
サザンは噂が落ち着くまで子爵位を預かると言ったが、ラナンキュには返して貰えないことくらい分かっていた。その後に会ったサザンの目は、既に娘を見る目ではなかったから。
ラナンキュはガーベラが成人になった際に子爵位を譲る書類を、自分達が別邸に移動する前にサインし、全ての権利を放棄した上で代理人をサザンへと頼んでいた。
ガーベラは既に純潔を失っている。侯爵家に戻ってからは暫く引きこもり、悩みに悩んで平民として生きることを決意した。その後自ら望んで離籍届けを国に提出し、子爵位はサザンへ戻ることになった。
学問を学びたいと希望したガーベラはサザンの伝手を頼り、教師ユリの家に滞在して集中講義を受けることに決まる。これは娘がやらかしたことへの、祖父としての償いだった。
人気教師であるユリへ頭を下げて頼み込み承諾されたが、独占契約の為に費用は莫大にかかった。しかしサザンはそれでも構わず、自分の物を節制してまで援助を続けた。ガーベラもその愛に報いるように、サザンが亡くなる日まで献身的に恩返しをしていく。
「俺のことは心配せんで良い。お前が幸せになってくれれば」
「私は十分幸せよ。いつもありがとう」
「俺の方が救われているよ。可愛い孫が笑ってくれて……うっ」
「泣かないで、お祖父様。お祖父様がいてくれたから、私は救われたのですから」
「っ、くうっ、そう思ってくれるのか。お前のことは絶対に幸せにするからな、っ、くっ」
サザンは倫理面では厳しいものの、それ以外はガーベラに劇甘だった。今日みたいにホロリと涙を流し、彼女だけには感情を豊かに見せていた。
離れて暮らしていても、ユリの邸へ訪問し感謝を述べて贈り物をしていた。時々3人で外食をしたり記念日にはお祝いをし、彼女にとって2人は両親よりもずっと大事な存在だった。
片やフレシアンから届く手紙は「別邸は貧しくて最悪だから、サザン様に許すように頼んで欲しい」と、自分の不幸の訴えばかり。ラナンキュからの憐憫だけの手紙は、次第に数を減らしていった。月日と共に誕生日のお祝いの便りさえなくなるくらい。
その甲斐もあってガーベラは貪欲に知識を習得し、数年後には大商会への試験を受けられるまでに成長するのだ。
「よく頑張っていますね、ガーベラ。昔とは正反対です。教えごたえがありますわ!」
「お手柔らかに、お願いします。でもユリ先生、そろそろ休憩しよう。もうお昼ご飯も食べないまま、14時になったよ」
「あらっ。つい熱が入ってたわ。ご飯にしましょう」
「良かったぁ。お腹がペコペコだもの」
「ふふっ。お腹が空くのは健康な印よ」
「もう~、いつもそれで誤魔化すんだから。くふっ」
彼女は市井で浮かぬように、状況に合わせて口調を合わせることを習得した。ユリとサザンの前では、距離が近付く気がするからいつもこの調子だ。それが出来るのは、心から信頼している証だった。
ガーベラは母のようなユリと父のようなサザンに愛されて、真っ直ぐに生きている。
◇◇◇
その頃のナズナは。
無事に母国に戻り、リンドウの両親である祖父母に会うことができた。
祖父シクラメンと祖母ボタンは、ナズナを抱きしめて泣いた。
「ごめんなぁ、ナズナ。すぐに迎えに行けば、お前の母も死なせずに済んだのに」
「お母さんは下町のみんなと仲良しで、いつも幸せそうでしたよ。たぶん迎えに来ても帰らなかったと思います」
「それでも……。あの子が事故にあった後、お前だけは引き取りたかった。あんな男に引き取られる前に…」
そう言葉を発した時、スイセンが「ゴホン」と咳をした。それが合図のように、シクラメンは言葉を切り上げた。
「まずは休みなさい。部屋に案内しよう」
「じゃあ、案内は私がしますわ。良いかしら、ナズナちゃん」
「はい、お婆ちゃん。よろしくお願いします」
孫の笑顔に更に涙腺が緩む。
「お婆ちゃんね、ずっと会いに行きたかったの。でも遠くて、仕事もあって無理だったわ。でも会えなくなるなんて思ってなかった。手紙だけはやり取りしていたから、生きていればいつか会えるとくらいしかね。馬鹿なお婆ちゃんでしょ? 今頃になって後悔ばかりよ」
手紙が突然途絶えた為に、冒険者ギルドに調査依頼して、リンドウが亡くなったことを知るボタン達。暗殺者が絡んでいることは、知るよしもなかった。
その後は子爵家の使用人の中にギルド職員を潜り込ませて情報収集を行い、さらに年齢の合うスイセンの指導が完了し、ナズナとの接触が結構されたのだ。
「私は嬉しいことばかりです。お母さんしかいないと思っていたのに、家族が増えて」
「まあ、ありがとう。嬉しいのは私の方よ。これからはずっと一緒よ」
「はい、一緒です。うっ、うえ~ん」
「本当よ、うっ、もう離さない、ぐすっ」
危機から逃れたナズナは、漸く心安らぐ場所に辿り着いたのだった。
◇◇◇
「余計なことを言っちゃ駄目ですよ、シクラメン様。ナズナはフレシアンのことを人買いだと思ってるんですから」
「そうなのか? まあ、リンドウを拐った憎い奴ではあるが、気付いてないならその方が良い」
「そうそう。父親は病気で死んだことにしときましょ。どうせ、会うこともないんですから」
「そうだな。あんな者はナズナの人生にはいらん。ただ今後は隠れて護衛を付けんとな。窮屈じゃないようにコッソリと」
「あ、そのことだけど、俺が婚約者候補として守るのはどうかな? 腕は立つし、頭も良い方だぞ。絶対にナズナを守る自信もあるし」
「う~ん、そうだな。仮なら良いか。あの子はリンドウとクソ男の美しさを継いで、女神みたいだからな。給金を出すから絶対に裏切るなよ」
「了解です。絶対好きになって貰いたいから、今後も紳士な態度で関わるよ」
「なるほどな。だからあの子の前では私なんて気色悪く言ってたのか? まあそれなら頑張ると良い。それでも振られたら諦めろよ」
「冷たいなぁ、シクラメン様は。まあでも、苦労したナズナが幸せになれれば良いよ。酷い6年だったからな」
「もう、17歳か。あっと言う間だな。フレシアンには何度もナズナを引き取ると手紙を出したが、却下されていたんだ。それでも調べて見れば戸籍は元の平民のままで、リンドウだけの子になっていた。取り戻しに来ても、今度こそ法で訴えてやるわい」
「本当に酷いな。あいつは何の為にナズナを引き取ったんだか? 子爵家で声をかけることなんて、殆どなかったし。政略結婚でもさせる気だったのかな?」
「籍も入れておらんのにか? たぶん、リンドウを捨てた罪悪感か、やっすい偽善くらいだろ? 本当の父親とも教えてないのだろうし。いつも、行き当たりばったりで」
「子爵家のことは、俺の仲間に今後も探らせよう。料金は弾んでくれよ」
「任せておけ。金ならいくらでもあるんだ。フレシアンが平民になれば、リンドウと裕福に暮らせたものを。あの馬鹿が!」
「仕方ないよ。あいつは貴族を捨てられなかったんだ。それにしても、リンドウはあいつの何処を好いたんだろうな?」
「顔だろ、まずは。後は優しいとかくだらない理由だけだ。アホだし、優柔不断の女好きだし」
二人は大きく溜め息を吐いた。
「ナズナはアホに似ないと良いな」
「孫のことはワシらが守る。リンドウの二の舞にはさせん」
二人は心配するも、苦難の中で生きたナズナは堅実に育った。甘えることなど許されなかったからだ。
だから心配無用なのだが、みんなはいつも見守っている。これからの人生を幸せに暮らして貰う為に。
貴族家で学びを得たナズナは、他国で育つ作物や名産品、輸送経路も頭に入っている。真剣に授業を聞いていたナズナはユリの教師魂に火をつけて、様々な雑学も教えられていたからだ。
近い未来。
その知識がシクラメンに伝わり、情報を活用しまくって一時的に無双状態になり、国一番の大金持ちになっていく。
ナズナが商会長補佐に就いた際、教師だったユリが参謀として協力し、ますます商会が発展していくことになる。その傍らでは商会の試験にトップ合格し、貴族籍を捨てたガーベラが加入してくるのだった。勿論確執なんて捨てて。
スイセンとどうなるかはまだ分からないけれど、ナズナは彼が嫌いではない。寧ろあの生活では希望の光だったことで、かなり好感を持っている。
「行くぞ、ナズナ。今日は隣国だぜ」
「待ってよ、スイセン。フフッ。もう、子供みたいね」
猫かぶりを捨てたスイセンは、いつも彼女の隣で守り続けている。
◇◇◇
十数年後。
女性関係が派手だったフレシアンは、年を経たことで免疫力が下がり潜伏していた性病が発症した。気付いた時は手遅れで、体が少しずつ炎症を拗らせ腐敗していった。最期には美しい顔も無惨な姿に変わり果てて。
彼の美しさに執着していたラナンキュは、変化する姿に堪えきれず心を壊した。
フレシアンは苦しみと孤独な入院生活を送り、ラナンキュもまた錯乱して精神科に投げ込まれた。その後二人は、1年も経たずに日を同じくして亡くなってしまう。
ガーベラにはサザンの指示で彼らのことは知らされなかった為、別邸で喧嘩をしながら暮らしていると思いながら過ごしていく。
結局サザンからは「ラナンキュとフレシアンは流行り病で亡くなり、感染する病気だから領地で焼かれた」と、老衰で去る前にガーベラに伝えられた。
「そうですか」と、ほんの一言呟くだけで、サザンの看病の方が大事だったので、すぐに気持ちを切り替えていた。両親の存在は、そのくらい希薄だった。
同日に亡くなったラナンキュとフレシアンは、共に天へ昇る。
「フレシアン、私達はいつまでも一緒ですわ」
「ええっ、もう許してよ。私を自由にしてくれ!」
逃げ回るフレシアンと追いかけるラナンキュは、くるくると回って見えたと言う。
そんなやり取りがあったことを、ガーベラの隣で働く霊感のあるおばちゃんが囁いた。勿論フレシアン達のことは知らないおばちゃんだから、「珍しいこともあったもんだ」と笑っていた。
ガーベラもそれが両親だと知らないから、「仲が良かったのでしょうね」と微笑んだ。
どうやら来世でも、ラナンキュはフレシアンについて行きそうだ。
「もう追いかけて来ないで、いい加減にして!!!」
「僕達は運命なんだよ。絶対逃がさない!」
「何で私なのよ~」
「だって、すごく好みの顔なんだ。それに僕はお金持ちだし東大出だし官僚だし。優良物件だよ!」
「(トクンッ♡と胸が弾む)えっ、嘘っ。じ、じゃあ、一応話だけ聞かせて」
「勿論だよ。嬉しいなぁ」
今度の性別は男女逆転だ。
フレシアンは、またまたお金目当てで失敗しそうな予感。ちなみにラナンキュは前世の記憶持ちだから、きっと浮気対策で……とかしそう。逃げ切れフレシアン! ん、彼は捕まった方が、みんなにとって幸せなのかも?
死んでも奔放さが治らないフレシアンなので、被害を出さない為にもラナンキュに頑張って貰った方が良いだろう。
フレシアンは隙あらば毒舌系ラッパーにヨロメキ、韓流イケメンに目を奪われ、インテリ眼鏡を追っかけてしまう。タレ目で瞳が大きい可愛い系だが、今回も天然のアホなのでラナンキュは目が離せない。
浮気を常に気にしながら、今度は束縛して嫌われないように限界まで我慢するものの、リミッターが振り切れればどうなるか分からない。
ラナンキュが執着を手放さなければ、また一生を愛で苦しむはめになる。
彼らの試練は続くのだった………………
当事者には悲劇なのだが、周囲からはまるで喜劇のように見える二人。来世にも尾を引きそうな予感。




