第八話:悪魔と人間
第一章:絶望の運命と激動の協奏曲
ゴォォォォッ――。
ラクーメル村は、一瞬にして燃え盛る地獄へと姿を変えた。穏やかな祭りの音楽は断末魔の悲鳴に掻き消され、幸福な笑みを浮かべていた村人たちの顔は、今はただ恐怖と絶望に染まっている。
森の奥から現れた、人間たちの集団。
彼らは、怯え逃げ惑う村人たちを、まるで狩りの獲物のように楽しげに眺めていた。
「ふはははは! 悪魔がいっぱいいるじゃねえか。こいつはいい」
集団の先頭に立つ、一際体格のいい男が、下卑た笑みを浮かべる。その後方では、兵士たちが尚も火炎瓶を家々へと投げ込み、炎をさらに大きくしていた。
「銀色の、鎧……なぜ……」
その光景を前に、ルーシェは戦慄した。彼らが纏う、銀色の甲冑には見覚えがある。その胸元に刻まれた紋章、ギルジエンド聖騎士団の証――兄ギルシェに絶対の忠誠を誓う、冷酷無比な実行部隊。
聖騎士団を前に、腰を抜かして後ずさるムニルの震える声が聞こえた。
「に……人間……。でも、何かが違う。コルネや、ルーシェたちとは、違う……。どす黒い……殺意が……あ、あ……」
「いかん! 逃げろ、ムニル!」ジャイムの鋭い一喝が響く。だが、その声がムニルに届くことはなかった。
ザシュッ!
にやりと、虫けらを見るような笑みを浮かべた兵士の一人が、無造作に剣を振り抜いた。刃は、何の抵抗もできないムニルの胴体を深々と引き裂く。
「ぐぼぁあがぁっ!」
噴水のように鮮血が吹き出し、ムニルの身体は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
それが、合図となった。
兵士たちは雄叫びを上げながら一斉に走り出し、逃げ遅れた者、恐怖に足が竦んで動けない者たちを、次々と斬り伏せていく。女も、老人も、容赦はなかった。
「悪魔狩りの時間だぁぁあ!! お前ら、悪魔どもを一人残らず皆殺しにしろ!」
指揮官らしき男が剣を抜き放ち、叫ぶ。彼は目の前で怯え座り込んでいる悪魔の青年を一突きにすると、その血に濡れた視線を、シッポたち子供たちが固まっている方へと向けた。
「いやっ! いやだ! 助け――」
「悪魔に生まれた事を後悔するがいい! 滅びろ!」
無慈悲な刃が、小さな命を奪わんと突き出される。
「や、やめろぉぉおおおおおおおっ!!!」
喉が張り裂けるほどに叫び、ルーシェは地面を蹴っていた。咄嗟に、コルネが舞で使っていた儀礼用の剣を拾い上げ、子供たちに振り下ろされようとしていた刃を、火花を散らしながら弾き返す。
「なぜだ! なぜこんなことをする!」
燃え盛る村を背に、ルーシェは聖騎士団の前に立ちはだかった。
「……ほう? 貴様、人間か? ククッ、こいつは傑作だ。悪魔の集落に人間がいやがるたぁな」
指揮官の男――ゲーズは、面白そうにルーシェを品定めするように見つめた。
「ゲーズ様。あそこの女も、人間のようです」
隣にいた兵士が、ゲーズに耳打ちした。その汚らわしい視線は、ステージの上で立ち尽くす、踊り子衣装のコルネに向けられていた。
「い、いやぁっ!」
その視線に気づいたコルネが悲鳴を上げる。数人の兵士が、獲物を見つけた獣のように、彼女に向かって走り出した。
「悪魔に味方する人間、か。面白い。いいだろう、悪魔は皆殺しだ。だが、こいつら人間は生け捕りにして、ディビラ様へ献上してやる。……いや、その前に、俺たちでじっくり拷問して楽しんでやるのもいいかもなぁ……。特に、あの女の方はな……ククク」
「コルネッ!!」
ルーシェが叫ぶ。彼女を助けようと足を動かした、その瞬間。ゲーズの剣閃が、ルーシェの脇腹を捉えた。
「よそ見してんじゃねえよ、若造がぁっ!」
「ぐわぁっ!」
紙一重で致命傷は避けたものの、鋭い刃はルーシェの身体を深く掠める。塞がりかけていた傷口が再び開き、巻かれていた包帯を鮮血が赤黒く染め上げた。
「おうおう、ボロボロの身体じゃねえか。そんなんで、我ら聖騎士団に歯向かえると思ってるのか?」
「ぐっ……!」
ルーシェは膝をつき、荒い息を整える。
「なぜだ! なぜ人は争いを起こす! 悪魔だから? 悪魔だというだけで、なぜ殺されなければならない! 彼らは何も悪いことなどしていない! ただ、ここで静かに、平和に暮らしていただけだ!」
ルーシェは、震える足で立ち上がり、剣を構え直して叫んだ。
「ククク、そんなことは関係ねえよ」
ゲーズは心底おかしいというように笑う。
「悪魔は、この世界に蔓延る害虫みてえなもんだ。千二百年前の大戦で、綺麗さっぱり絶滅しときゃよかったものを。小賢しくも結界なんぞを貼りやがって、この南の大陸でのうのうと生き延びている」
ゲーズの言葉に、横にいた兵士が続けた。
「その結界も、今じゃ時間の問題だがなぁ。大陸を守る四つの結界塔の内、一つはこの通り破壊され、こうして我らの侵入を許している。やがて四つ全てが破壊された時こそが、悪魔の終焉となるだろうよ!」
その言葉が、ルーシェに絶望的な事実を突きつけた。
「きゃぁああああ!」
その時、コルネの悲鳴が響いた。数人の兵士に押さえつけられ、美しい踊り子の衣装が乱暴に引き剥がされようとしていた。
「くそっ! やめろぉぉおおおおお!」
ルーシェが叫ぶが、ゲーズの剣が嵐のように連続で襲い掛かり、一歩も動くことができない。
「調子に乗んじゃねぇぇぇ!!」
絶叫と共に、弦楽器を掻き鳴らすような甲高い音が響いた。コルネに覆いかぶさろうとしていた兵士たちが、不可視の刃に切り裂かれたかのように、一斉に吹き飛ばされる。
「風の旋律・鼬! ……大丈夫か、コルネ!」
コルネの前に立ったのは、リュートのような弦楽器を構えたアークだった。その瞳には、先ほどまでの陽気さはなく、仲間を傷つけられた怒りの炎が燃え盛っていた。
「許さねぇ……! 俺たちの村を! 大切な仲間を! この魔弦奏楽器で、お前ら全員、切り刻んでやる!」
「アーク! その楽器は……まさか!」
ジャイムが、驚愕の声を上げた。だが、その隙が命取りとなった。
「うらぁあああ!」
聖騎士団の一人の剣が、ジャイムの足を深々と斬り裂いた。
「ぐあぁああ! くっ……足を、足をやられたか……!」
這いつくばるジャイムに、無慈悲な剣が振り下ろされる。
「もはや……もはや、これまで……かぁああ!」
ジャイムが、死を覚悟した、その時だった。
「や、やめ……やめろ……。ヤメロォォオオオオオオ!!!!」
ルーシェの絶叫。
「グガァアアアアアアアアアアアッ!!」
刹那、空気が揺れ、大地が振動した。ルーシェの額に、あの血のように赤い単眼が、ギョロリと浮かび上がる。
彼の身体は、一瞬のうちに変貌を遂げた。額から伸びる、三本の歪な角。全てを焼き尽くさんばかりに赤く輝く瞳。背中から広がる、漆黒と純白の非対称な翼。そして、破壊を司る悪魔の鉤爪と、創造の奇跡を思わせる天使の掌。
絶望の悪魔が、再びその姿を現したのだ。
疾風の如き速度で、ジャイムに剣を向けていた兵士の背後に回り込み、その鉤爪で鎧ごと身体を抉り取る。
「なっ……! こ、この姿は……!」
ジャイムが目を見開き、信じがたいものを見るように、悪魔の姿となったルーシェを脳裏に焼き付けた。
ルーシェは、その圧倒的な速さと力で、村人たちを襲っていた兵士たちを次々と屠っていく。斬り裂き、貫き、薙ぎ払い、蹂躙する。そして、天を衝くような咆哮を上げた。
その鋭く燃える赤い瞳は、この惨劇の元凶である指揮官、ゲーズただ一人を、まっすぐに見据えていた。
「あ、あれが……あれが、ルーシェ……なの?」
踊り子の衣装を直しながら、コルネが震える声で小さく呟く。
「三本角の……悪魔……。なんだよ、あの姿は……」
その横で、魔弦奏楽器を構えたアークが、固唾をのんで戦況を見つめていた。
第九話:『後継者』に続く。




