第六十五話:ルーシェ vs ギルシェ(前編)
最終章:命動の戦場と信念の狂詩曲
ギルシェの宣言から十分が経とうとしていた。
先ほどまで轟いていた戦の音は、今はすっかりと止んでいる。異様なほどの静寂が雪原地帯を覆い、時折吹き荒れる風が粉雪を舞い踊らせる音だけが、耳に冷たく響く。
その中心で、ギルシェは静かに目を瞑りながら、宙に浮いた漆黒炎の天使の膝の上に座っていた。
一見すると無防備で、不意をつく絶好のチャンスのようにも見えている。だが、彼を抱くリザメリアと呼ばれる漆黒炎の天使が、一瞬の隙も見せないほどに完璧な殺気で周囲を圧しており、誰も近づくことができない。
誰もがその場から動くことができないまま、ただ重苦しい時間だけが過ぎていく。
カトリアも、その横で血を流し倒れるサティも、異様なほどの緊張感を持ちながら、その場に佇むことしかできなかった。
やがて、ギルシェの宣言から十二分が経過した頃。
雪原地帯の空から、風を切る音が聞こえ、漆黒と純白の非対称な翼が、雲を切り裂いて急降下してくる。その影は、ものすごいスピードで、大地を叩きつけるような勢いと共に、ギルシェの目の前に二本足で降り立った。
着地の衝撃で爆風が舞い、粉雪が踊る。
そして、ギルシェが静かに目を開けた。
「……来たか。我が弟、ルーシェ……いや、ダークリアの王よ」
ギルシェを見据えるルーシェ。悪魔の姿に変貌しているが、その瞳は、憎き復讐の相手を目の前にしていても、怒りに飲まれることなく、静かに落ち着いていた。
「ル、ルーシェ……」
カトリアが、降り立ったルーシェの背中に小さく声をかける。
「カトリア……サティを連れて、すぐに城まで戻ってくれ。このままじゃ命に関わる……」
ルーシェは振り返らず、静かに告げた。
「…………」
カトリアは少しの沈黙の後、何かを悟ったように、すぐに魔変刀暗器を背中に背負い直すと、サティの身体を抱え上げた。
「サティ……スピード上げてくぜ。傷が広がらないようにしておきな。舌噛むんじゃないよ」
「がふぁっ! ぐふぁっ! あ、あ……それ、くらい、なんとか……なる」
サティはカトリアの肩に全体重を預けると、その背中に向かって小さく「行ってくれ」と声を掛ける。
カトリアは一瞬だけルーシェを見据え、目だけで「死ぬんじゃないよ」と会話をすると、そのままサティを抱えて城へと全速力で走っていった。
「ククク、久しいな。こうして直接顔を合わせるのは……」
ギルシェがリザメリアの膝からゆっくりと立ち上がり、目の前のルーシェに声をかける。
「ギルシェ……」
ルーシェは拳を強く握り、低く唸るように目の前の男を見据える。
「その姿、随分と馴染んできているじゃないか……どこからどう見ても悪魔の姿だ。父上もさぞあの世で驚いているだろう。ククク、アハハハハハハ!!!!」
「ギルシェ……キサマァアア!!」
まるで他人事のように、父の死さえも嘲笑うギルシェに、ルーシェは怒りを露わにし、構える。
「ハハハ、ハ、ハ……っと。父上というのもおかしいか。何せあの男は我らの父でも何者でもない……。まぁ、家族ごっこも悪くはなかったがな」
笑いをピタリと止め、意味深な言葉を投げかけるギルシェ。その瞳には底知れぬ闇がある。
「……ギルシェ、お前は一体何を知っている? メルスキアに『母』という存在がいなかったこと、それに、俺たちが元から人間じゃなかったとはどういう意味だっ! 俺とお前の真実とは何なんだっ!」
ルーシェは構えながらも、冷静さを保ちつつ、いくつもの疑問を口にした。
「……教えてやるさ」
ギルシェが、懐から闇の刀を抜き放ち、その切っ先をルーシェへと向けた。
「お前がもし、俺に勝つことができたのなら……その真実は自ずと明らかになる」
「……どういうっ」
ルーシェが言いかけたその瞬間。
「はぁああああああ!!!」という声と共に、ギルシェが全身のどす黒き力を解放した。それに呼応するように漆黒炎の天使が、耳をつんざく甲高い絶叫を響かせる。
「全てを知りたければ、俺を殺せ! さぁ、始めようか! 戦争の決着を! 俺とお前の最後の戦いをなぁあああああ!!!!」
声と共に、ギルシェが一瞬にして間合いを詰めると、その闇の刀の切っ先がルーシェの心臓を貫かんと迫る。
「っ!! っそぉおおおおおおお!!!!!」
ルーシェも全身の赤黎きオーラを全開放し、その切っ先を硬質な悪魔の爪で弾き返す。火花が散り、衝撃波が周囲の雪を吹き飛ばした。
尚もギルシェは独楽のように回転しながら、闇の刀を変幻自在に振り抜き、休む間もなく連撃を繰り返す。
「グガァアアアア!!!!」
ルーシェも咆哮を上げ、身体を捻り、連撃を弾き避けながら、隙を見て悪魔の爪を突き立て、天使の掌で魔弾を至近距離から撃ち放つ。
そのあまりにも激しい攻防に、大地が揺れ、空気がうねり、空が啼く。規格外の攻防。いつの間にかルーシェとギルシェ以外の悪魔領軍もギルジエンド軍も、武器を下ろし、その戦いから目を離すことができなくなっていた。
「ギルシェェエエエエエエエ!!!」
ひと際激しい咆哮と共に、空中に飛んだルーシェが高密度に魔弾を練り上げる。球状になった巨大な赤黒い魔弾をギルシェへと撃ち放ち、その後ろから非対称の羽をはためかせ、突風を起こしてその威力をさらに増幅させた。
「クク、リザメリアァ!!」
ギルシェが叫ぶ。
大地が抉り取られるほどの魔弾がギルシェへと超スピードで直撃すると、大爆発が地上を包み、大地が半壊した。
だが、その中心地にいたはずのギルシェは、身体全体を漆黒炎の天使の翼によって守られ、ほとんどダメージを受けていない。
「……おいおいおい、待て待て待てって! なんつーやばいことになってんだよ!」
その攻防の最中、リルヴェニア海域から道を抜け、ようやく雪原地帯へと足を踏み入れていたモッズが、同じく隣を歩いていたミックスと共に、驚愕の声を上げた。
遠くに見える光景は、この世の終わりのようだった。
「あれは……王と、ギルジエンドの、ギルシェか……」
ミックスが遠目に見える二人を見据えて、小さく、震える声で呟く。
「か、勘弁してくれよぉ。あいつらは化け物かぁっ! と、とにかく巻き込まれないように城まで戻るぞ……俺はもうクタクタなんだよ……」
モッズが情けない声を上げながら、ゆっくりと雪原に足を進めていく。
「だ、だぁあぁあああああ!!」
だが、ルーシェとギルシェの激しい攻防の余波で、大地が絶えず激しく揺れ続け、思うように進むことができない。
「同感だ。他の仲間たちも心配だしな……戦闘が止んでる今のうちに城まで帰還しよう」
ミックスもバランスを必死で保ちながら、モッズを追うように、その足を少しずつ動かしていった。二つの強大な力がぶつかり合う中心から離れるように、彼らは雪の中を急いだ。
第六十六話:『ルーシェ vs ギルシェ(後編)』に続く。




