第四話:絶望の残滓
第一章:絶望の運命と激動の協奏曲
「ジャマヲスルナァァァ!!」
大地を揺るがす雄叫びとともに、ルーシェの左――天使の掌に高密度の魔力が渦を巻く。爆発的な光がディビラを飲み込もうとしたその瞬間、ディビラは手甲で受け止めていた悪魔の鉤爪を強引に弾き返した。そして、その勢いのまま回転し、魔力が凝縮された天使の掌に強烈な手刀を叩き込む。
バヂィッ!! 凝縮されていた魔力が霧散する。ルーシェの体勢が崩れた隙を見逃さず、ディビラの強烈な左足が、ルーシェの首を刈り取るべく鋭い弧を描いて迫った。
ルーシェは紙一重で身をよじり、その蹴りを回避すると、すぐさま体勢を低くし、悪魔の鉤爪をディビラの脇腹めがけて、下から上へと抉るように振り抜く。
鉤爪がディビラの強靭な肉体を掠め、かすかな血飛沫が舞う。
「面白れぇじゃねぇか!」
ディビラは獰猛な笑みを浮かべた。一瞬後退したかに見えた身体を、右足を軸に爆発的に踏み込むと、瞬時にルーシェの懐へと潜り込む。そして、黒い仮面で覆われた額を、勢いよくルーシェの顔面に叩きつけた。
「ガハァッ!!」
強烈な頭突きを受け、ルーシェがよろめく。その隙を逃すまいと、ディビラの手甲を纏った拳が、嵐のような連打となって襲い掛かった。
「オラオラオラオラオラァッ!!!」
ドカッ、バキッ、グシャッ。
重い打撃音が連続して響く。だが、ルーシェは倒れない。ダメージを受けながらも、さらに大きな咆哮を上げ、その衝撃波でディビラを吹き飛ばした。
後退したディビラに、ルーシェは回転しながら、床に転がっていた兵士の剣を掴み、全力で投げつける。
「ぐっ!?」
剣は狙い違わずディビラの右足に突き刺さった。その一瞬の硬直を突き、ルーシェはすぐに間合いを詰める。左の掌から、再び凝縮された破壊の光をディビラに向けると、至近距離からそれを叩き込んだ。
直撃。爆煙が巻き起こり、ディビラの姿がかき消える。
しかしルーシェがそのまま奥に座るギルシェに向かおうとした瞬間、爆煙の中から太い腕が伸び、彼の足首を掴んだ。
「グァ!?」
「ふひあぁ……やるじゃねぇか、悪魔ァ!!」
圧倒的な力で投げ飛ばされ、ルーシェは床を転がる。
直撃したはずの破壊魔法を受けて尚、ディビラは身体に浅い火傷を負っている程度だった。顔を隠しているはずの黒い仮面は半分が剥がれ落ち、素顔が垣間見えている。
「グガァアア! キサマァ!」
ルーシェが再び魔力を練り上げる。
「面白れぇ。なあ、悪魔。なんで俺様たちがわざわざ顔にこんな窮屈な仮面をつけてると思う……?」
ディビラは半壊した仮面に手をかけ、歪んだ笑みを浮かべた。
「力を……力を制御してんだよォォォォ!!! 自分たちでも抑えきれねぇほどの、力をなぁぁぁぁ!!」
仮面を完全に引き剥がそうと、指に力を込める。その全身から、先ほどとは比較にならないほどのどす黒いオーラが立ち昇り始めた。
「ディビラ、時間切れだ」
玉座の傍らに立つトーキスの冷徹な声が、ディビラの暴走を止めた。
「あんっ!? これからが……ちっ」
反論しようとしたディビラだが、周囲の状況を見て言葉を飲み込んだ。
ふたりの周りには既に、聖騎士団の精鋭たちが円を描くように囲み、その後ろには白魔導隊の面々が、魔法の陣を描くように立っている。
「グガァアア! ジャマダ、キサマラァ!!」
ルーシェが凝縮していた魔力を周囲の兵士たちに向けて放とうとする。だが、それより早く、白魔導隊の詠唱が完了した。
「白魔導法衣陣:天罰の匣」
周囲の空間が歪み、ルーシェは四角い光の匣のような結界に閉じ込められる。
「ナ、ナニヲシタァァァ!! ダセ! ダセェェェェ!!」
匣の中でルーシェが暴れるが、光の壁はびくともしない。それどころか、匣の内部に無数の天罰の茨が出現し、彼の身体を締め上げ、蝕み始めた。
「ウガァァア! ガアァァァアアア!! ヤメロ! ヤメロォォオオ!!」
聖なる力による責め苦に、悪魔の肉体が悲鳴を上げる。
「ちっ、あっけなかったな……」
興を削がれたディビラは舌打ちし、仮面を付け直して玉座の前へと戻っていく。
「このまま最大出力で無力化しろ。ギリギリ生きていられる程度まで苦しみを与え続ける」
ギルシェが、表情一つ変えずに非情な命令を下す。
「あら、いいんですの? ギルシェ様。曲がりなりにも実の弟君なんでしょう?」
ミアムがくすくすと笑う。その瞳は、苦しむルーシェを見て喜悦に輝いていた。
「まぁ、私は苦しむ顔が大好きですので、とーっても楽しいのですけれど。あぁ、なんて甘美な叫び声……うふふっ」
「ヤメ……ヤメ、ロォォオオ! コロス、ギルシェェェェ! グオォォオオ!!」
匣の中でルーシェがのた打ち回る。
「白魔導法衣陣:天罰の匣、最大出りょ……」
白魔導隊長が号令をかけようとした、その時。
「グガァアア!!!!」
刹那。ひと際激しい、魂を揺さぶるような咆哮が響き渡った。同時に、匣の中の魔力が爆発的に膨れ上がり、異常な数値を叩き出す。
「な、うぐっ!! あぁああああぁ!!」
白魔導隊の一人が、結界の維持に耐え切れず、泡を吹いて倒れた。
「な、なんだこの出力は!? 我々の想定を遥かに上回る……うがぁっ!」
さらにもう一人が、血を噴き出して崩れ落ちる。
「ば、ばかな……奴の、悪魔のエネルギーがぁぁぁ……!」
次々と倒れていく魔導師たちに、トーキスが目を見開く。
「なんだ? 何が起きている?」
匣の中でルーシェの額に赤き単眼がギョロリと光った。赤く、妖しく輝く、ビー玉ほどの大きさの丸い宝石のようなそれは、ギョロギョロと目玉を動かしながら蠱惑的に空間を惑わす。
そして、ルーシェの口から、別の何者かの声が響いた。
『ワレ、ワレハ……悪魔ノ王。ワガ半身ハ、朽チ果テサセヌ……』
重く、深く、全てを圧するような声。
『人間ヨ、恐怖ニ怯エ、待ツガヨイ。ウラミ、ゾウオ、フクシュウ……必ズヤオマエタチヲ、ゼツボウヘト誘オウ』
単眼が強烈な閃光を放ったその瞬間、空間を揺るがす振動が波紋のように広がり、城全体が大きく軋んだ。
そして、その場所から、悪魔――ルーシェの姿は跡形もなく消え去った。残ったのは、匣の形を保てなくなっていた結界陣と、深淵のような静寂。
「き、消えやがった……」
ディビラが呆然と宙を見上げる。
「……我々の想定を上回る力……か」
トーキスが険しい表情で呟く。
「あら、残念。もう少し、あの苦しむ顔と、甘美な悲鳴を聞いていたかったのですけど」
ミアムだけが、心底残念そうにため息をついた。
「……転移、か」
玉座のギルシェが、静かに結論を口にする。その声には、動揺の色は一切ない。
「どうしますか、ギルシェ様?」
トーキスが次の指示を仰ぐ。
ギルシェは、弟が消えた虚空を見つめ、薄く笑った。
「……まぁいい。捨て置け。いずれまた、相まみえることになるだろう」
彼は玉座の肘掛けを指で軽く叩き、楽しげに呟いた。
「それまで、絶望の果てで足掻き続けるがよい。我が弟よ」
第五話:『山間の村・ラクーメル』に続く。




