第三十六話:怨嗟の玉
第四章:響動の証明と共動の輪舞曲
「カトリア……そんな、あいつが、あの女がカトリアだって言うのか?」
アークが驚愕に目を見開き、膝から力が抜けたようにソファーへと座り込む。彼の脳裏にある少女の姿と、広場で憎悪を撒き散らしていた女の姿。その二つがどうしても重ならない。
「……あぁ。間違いなくカトリアだ。アーク、お前がカトリアと最後に会ったのは……」
「十三の時だ。たまたまミネルヴァに来てたアイツと、シルグ兄ィと、森を探検したのを覚えてる。男勝りで、俺よりも喧嘩が強くて……でも、あんな狂気の目をした奴じゃなかった」
アークの声が少しだけ震える。
「あぁ。私も久しぶりに会った時には彼女の変わりように驚いたさ。昔からサバサバしてて姉御肌なところはあったが……っと、話が脱線してしまったね……」
シルグは一度言葉を切り、感情を整えるように目を閉じた。そしてゆっくりと目を開けると、静かな声で語り始める。
「ダークリア国家が崩壊してから、我々の祖先、四栄王の四人は、ダークリアを中心にした四方向に町を作り、統治者のいなくなった悪魔領で、密やかに暮らしていた。ミネルヴァもそのひとつだ」
シルグは遠い過去をなぞるように、淡々と話を紡ぐ。
「だが、時間の流れと共に、四方向に作られた町は廃れていき、今ではたまたま源泉が湧いたここミネルヴァと、西に位置する貴重な薬草の群生地でもある薬草都市・パリボナを残すのみとなっている」
「残り二つの町にいた四栄王の二人は、リンシェンくんの祖先のように、どこかに移り住んだのだろう。……長い年月だ、無理もない」
「千二百年前の人間と悪魔の大戦のその後……ですか」
シルグの話に、ルーシェが静かに呟いた。
「ってぇことはよ、その薬草都市パリボナに住んでいた四栄王の末裔が、そのカトリアって女ってことか? それともどこかに移り住んだもう一人の方かよ?」
リンシェンが会話に割って入る。
「カトリアは……パリボナに住んだ四栄王、知を司るイリスの末裔だ」
アークが俯いたまま、絞り出すように答えた。
「知を司るって……おいおい、まじかよ! 町の入口で見た女は、知とは真逆だったじゃねぇか!」
リンシェンが、その名と真逆の印象の女を思い出して声を出す。
だが、シルグは静かに首を横に振った。
「怨嗟の玉だ」
その言葉が、重く部屋に響いた。
「怨嗟の……玉?」
「彼女の持つ四栄王魔神具、魔変刀暗器は、さっきも言ったが、中心に空いている穴に魔力の玉を埋め込むことで変幻自在の力を発揮する。それは攻撃はもちろん、呪いや病のようなものの解呪から、人々の心を惑わす幻術の類まで様々だ」
その言葉を聞いた時、ルーシェの脳裏に鮮烈な記憶が蘇る。
広場の中央で演説をしていたカトリア。その手で握られていた異形の魔具。その中心にはめ込まれ、脈打つように不気味な光を放っていたもの。
「あ、あのはめ込まれていたのが……怨嗟の玉?」
「あぁ。見たのか。そうだ。あの玉こそがこのミネルヴァの元凶。心を惑わす幻惑の玉。おおかた持つものと周囲の憎しみの感情を増幅させるような幻術の類だろう……」
シルグの表情が苦渋に歪む。
「結界塔が破られ、人間が再び悪魔領へと侵略を始めている。悪魔族の持つ、根本的な人間への負の感情が、彼女の持つ怨嗟の玉によって増幅された結果、狂気的なほどの疑心が生まれてしまった……それが今のミネルヴァの現状だ」
「そんな……」
コルネが悲痛の声を上げた。
人間への憎しみ。それは決して根拠のないものではない。けれど、それが魔具によって無理やり引き出され、増幅され、同胞同士すら傷つけ合う狂気に変わっている。その現実はあまりにも残酷だった。
「でもなんだってそのパリボナの女が、ミネルヴァに来て暴れてやがるんだ? パリボナはどうなってんだ?」
リンシェンが当然の疑問を口にした。
「……彼女は、カトリアはつい最近ミネルヴァの森の奥で発見された古代遺跡の調査の為に、この町に立ち寄ったんだ」
シルグはカップの中の茶を見つめながら答える。
「幻術で隠されていたその場所は、千二百年前の大戦時に悪魔側に協力したとされる人間、紫炎族と言われていた種族の遺跡だとわかった」
「……紫炎族? ルーシェ知ってる?」
聞き慣れない言葉に、コルネがルーシェへと問いかける。
「……聞いた事はある。人間領で忌み嫌われ、差別の対象ともされている種族だ……」
ルーシェの言葉に、アークとリンシェンも神妙な顔つきになる。迫害された者たちの怨念。それがこの地に眠っていたということか。
シルグは頷き、続けた。
「すぐにカトリアを中心とした調査団が派遣され、何人かを連れて遺跡へと潜った。そして、その奥の祭壇に鎮座されていた怨嗟の玉の輝きを見た時、調査団全員の心が何かに魅入られるような感覚におちいったんだ」
シルグの語り口が、その時の恐怖を思い出しているように少し早くなる。
「彼女は、その怨嗟の玉にひどく魅入られ、ついには魔変刀暗器にその玉をはめ込んでしまう……。止める間もなかった」
シルグはそこで言葉をひとつ区切ると、大きく息を吸いこみ、吐き出した。
「その後は……君たちも見た通りだ。戻ってきた調査団も一人を除いては正気を失い、町はおかしくなった。カトリアの言葉は呪いのように広がり、瞬く間にミネルヴァを狂気の色に染め上げた」
その言葉に、アークがおそるおそる声を出す。
「もしかして……その調査団の中で正気を保てた一人って……」
「……私だ」
シルグが静かに、そして自分を責めるような響きを含んで答えた。
「なんであんただけがっ?」
リンシェンが問いかける。
「さあな……私もアークと同じく音を司りし四栄王、オリンの末裔だ。その力が何か働いたのかもしれない……。音も言ってしまえば精神に干渉するもの。精神構造が干渉を受けにくいものだったのか……確かなことはわからない」
シルグは自身の無力さを嘆くように拳を握りしめた。
「それならっ!」
話を静かに聞いていたコルネが、ふいに顔を上げ、強い意志を込めた声を上げた。
「その、魔具にはめ込まれている怨嗟の玉っていうのを壊すことができたら、みんなもとに戻ることができるんじゃ……」
彼女の瞳は希望を捉えていた。
元凶が「玉」であるならば、それを砕けばいい。カトリアも、町の人々も、本来の姿に戻れるはずだ。
コルネの言葉に、「その通りだ」と言わんばかりにシルグが深く頷いた。
「魔具そのものを破壊する必要はない。あのはめ込まれた玉さえ砕ければ、幻術は解けるはず。……いずれ隙を見て私も動こうとしていたが、君たちが協力してくれるのなら、これほど心強いことはない」
「これ以上、ミネルヴァの町を、俺の故郷を無茶苦茶にはさせない」
アークが勢いよく立ち上がり、拳を握りしめた。
「やろう! その怨嗟の玉ってのを打ち砕いて、カトリアも町の人たちも全員正気に戻してやる」
アークの言葉に、シルグが頷き、ルーシェ、コルネ、リンシェンも「あぁ」と真剣な表情で同意した。
第三十七話:『カトリア・イリス・リコネード』に続く。




