第三十四話:水路を抜けろ
第四章:響動の証明と共動の輪舞曲
ミネルヴァの町の入口から少し離れた森の中。
アークの案内のもと、ルーシェたちは、道なき道を進んでいた。木漏れ日がまだら模様を描く地面には、湿った落ち葉が幾重にも重なり、足音を吸い込んでいる。
「っと、ここだ」
アークが足を止めた。
森の木々に囲われるようにして、鬱蒼と茂る蔦の奥に、小さな洞窟のような場所が口を開けていた。
その入り口は小さく、大人が一人ずつでギリギリ通り抜けられるくらいの小さな穴だ。注意深く見なければ、単なる岩陰か動物の巣穴と見間違えてしまいそうなほど目立たない。
「温泉郷ミネルヴァは、あちこちに源泉が湧いてる。それをいくつもの水路を使って町へ運んでるんだ」
そう説明しながら、アークは慣れた動作でその小さな穴へと身体を滑り込ませていく。
「いくつもの整備された水路の中で、時代とともに使われなくなったものも存在しててな。そのひとつがここってことだ」
穴の中からアークの声が反響して聞こえ、暗闇から手招きする腕が見えた。
「なるほど。使われなくなった水路か。確かに、ここからなら町の内部に入ることができるな」
ルーシェは納得し頷くと、後ろを振り返り、コルネの手をしっかりと握る。
「足元に気をつけて」
「うん、ありがとうルーシェ」
ルーシェのサポートを受けながら、コルネも穴の中へと降りていく。
その後ろを、リンシェンが続いた。
内部は、外から見るよりも広かった。かつては大量の湯を運んでいたのだろう、人間が立って歩けるほどの高さがある。
比較的整備されている石造りの水路のようだったが、長年放置されていたこともあって、壁面には苔がびっしりと繁殖し、地面には得体の知れない粘液のようなものがこびりついている。
そして何より、空気が淀んでいた。
じめっとした湿気と、埃っぽさ。そこに源泉特有の鼻をつくような匂いと、何かが腐ったような嫌な臭いが混じり合い、独特の悪臭が漂っている。
「かぁっ! 鼻がひん曲がるぜっ! さっさと抜けるぞ」
リンシェンが鼻をつまみ、苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「ここを抜ければ、俺の家の裏手の森へと出る。裏口から入って兄貴に、ミネルヴァの現状を聞こう。兄貴ならこの状況でも俺たちを売ったりはしないはずだ」
「……念のため、俺たちはフードを被っておいた方がいいかもな」
ルーシェは小さく呟くと、着ている外套のフードを目深に被った。コルネもそれに倣い、フードを被って表情を隠す。
「この水路を知ってるのは俺と兄貴くらいだ! 急いで抜けるぞ」
アークはそう言うと、先頭に立ち、仲間たちを先導し始める。
静かな水路の中、四人の駆ける足音だけが、タッタッタッと湿った石床に反響し、やけに大きく響いていた。
暗闇の中、時折差し込む微かな光が、水路の水面を黒く照らし出す。
不気味な静寂が、一行を包み込んでいた。
「……ねぇ。さっきから私たちの足音だけが響いてない?」
走りながら、コルネが不安げに声を上げた。
「ったりめーだろ! 女。俺たち以外誰がいるってんだ」
横を走るリンシェンが、呆れたように疑問を口にした。
「いや、その、小動物とかの泣き声もないんだなぁって。長年放置されてるんだったら、動物たちや洞窟性の鳥とかがいてもおかしくないんじゃないかなって……」
「あん。そういうもんか? いいんじゃねぇか、ピーチクパーチクうるさくなくてよっ!」
リンシェンは楽観的に返すが、前を走っていたアークが、その会話を聞いて急に立ち止まる。
「おおっいっと! 急に止まんじゃねぇ!」
リンシェンがアークの背中にぶつかりそうになり、たたらを踏む。
「……コルネの言う通りだ。昔は、もっと生物のいる気配がしていた気がする」
アークが真剣な顔つきで考え込みながら声を出す。
「ここの生物が姿を消さなきゃいけないほどの何かが……あったのか?」
その横でルーシェも立ち止まり、警戒しながら周囲を見渡した。
「ちょっと待てよ……。動物が急にその場所から姿を消す時っていやぁ……」
リンシェンが、表情を引き締め、そっと呟く。
「……いくつか考えられるが……」
ルーシェが言いかけた、その時だった。
ズズズ……ン!!
水路全体を揺らすような振動が走った直後、鼓膜をつんざくような、耳障りな音が反響する。
『キシャァアアアアアアアアッ!!!!』
それは、錆びた鉄を擦り合わせたような、金切り声のような咆哮。
「きゃああっ!」
足元の揺れにコルネがバランスを崩しよろめいたのを、ルーシェが咄嗟に手を伸ばして彼女の身体を支えた。
「大丈夫か!?」
問いかける間もなく、暗闇の奥から「それ」は現れた。
ズルリ、と巨体をくねらせ、四人の目の前に姿を現したのは、見たこともないほどの巨大なアナコンダ。
その鱗は濡れたようなドス黒い光を放ち、眼球は白濁し、異常なまでの殺気を放っている。水路の幅いっぱいに広がる胴体は、丸太など比較にならないほどの太さだ。
アナコンダは二股に分かれた舌をチロチロと出しながら、ルーシェ達を丸呑みにしようと、牙の並ぶ巨大な顎を開いた。
『キシャァアアッ!』
風切り音と共に、鎌首が弾丸のように突き出される。
「散るんだっ!!」
ルーシェの叫びと共に、四人は左右へ身を捩り、回転しながらそれを避けた。
アナコンダの頭部が石床に激突し、破片が飛び散る。
「おいっ! 楽器使い、とんでもねーもんがいやがるじゃねぇか!!」
リンシェンが着地と同時に、両手に魔氷四双剣を構える。その切っ先からは冷気が立ち上り、臨戦態勢を取った。
「く、やるしかないか!」
ルーシェもまた、背中の黒魔石の剣を引き抜き、切っ先を大蛇に向けた。
だが、アークは「いや、このまま突っ切って逃げるぞ! ここで戦えば町のやつらに感づかれるかもしれない」と叫びながら、背中の魔弦奏楽器を取り出す。
アークは弦を鳴らし、音を奏でた。
「幻惑の旋律・不協和音!!」
耳障りだが、どこか魔力を含んだ重層的な音が水路に満ちる。
アナコンダはビクリと身を震わせると、苦しげに頭を振り回し、焦点の合わない目で空中を威嚇し始める。
「今だ! 走るぞ! 出口はもうすぐだ!」
アークの叫びに、ルーシェ、リンシェン、コルネが一斉に反応した。
混乱している大蛇の脇をすり抜けるように走り出す。
その後を追って、アークも楽器を背負い直し、全速力で駆け出した。
背後では、正気を取り戻しかけたアナコンダが、怒り狂って壁に体当たりをする音が聞こえるが、振り返っている余裕はない。
四人は全速力で、湿った回廊を疾走する。
しばらく一本道を走り続けると、前方の天井付近に、微かだが確かな、外の光のようなものが入り込んでいるのが見えた。
「その穴が出口だ! 足場を使って脱出するぞ」
アークが指差した先、壁面に錆びたステップが埋め込まれ、それが天井の穴へと続いている。
「おうよっ!」
アークの一声に、先頭を走っていたリンシェンが加速した。
壁を蹴り、軽やかに跳躍すると、一番高い足場へと手をかけ、一気に身体を引き上げると、そのまま素早く出口の穴へと這い出た。 続いてルーシェが足場を駆け上がり、穴の縁に手をかける。腕力で身体を持ち上げ、外の空気を吸い込むと同時に、すぐに反転して下へ手を伸ばす。
「コルネ! 掴まれ!」
「うんっ!」
コルネがジャンプして伸ばした手を、ルーシェがガシッと掴む。そのまま力任せに引き上げ、外へと連れ出した。
最後にアークが滑り込むようにして足場を登り、這い出ると、足元の穴の奥深くから、悔しげに呻く声が遠く聞こえたような気がした。
森の中の開けた場所。柔らかな芝生と、新鮮な空気。あの淀んだ臭いはもうない。
四人は無事に脱出すると、力が抜けたように森の芝生へと寝転ぶ。木々の隙間から見える青空が、やけに眩しい。
荒い息を整えながら、四人は、しばし空を見上げていた。
第三十五話:『魔変刀暗器』に続く。




