第三十三話:温泉郷ミネルヴァの異変
第四章:響動の証明と共動の輪舞曲
「なんだろう、なんか独特な匂いがする……」
先頭を歩いていたコルネが足を止め、くんくん、と鼻を鳴らす。
彼女は不思議そうに小首を傾げながら、道の先を見据えて、匂いを嗅ぐようなジェスチャーをした。
「あぁ。温泉の匂いだ。あんまり馴染みはないかもしれないけどな」
アークがすかさず答え、道の先を指差す。
「……ほら、見えてきたぞ! 温泉郷ミネルヴァだ……俺の故郷へようこ……」
木々の隙間から、湯煙の立ち上る穏やかな町並みが姿を現し始め、アークが歓迎の言葉を口にしようとしたその時だった。
「……待て。楽器使い、女!」
言いかけたアークの言葉を遮るように、リンシェンが真面目な、鋭い声を上げた。
普段の軽口とは明らかに違う声色。
「な、なんだよ……」
戸惑い、振り返るアークは、リンシェンと、その隣で同じように険しい顔をしているルーシェの姿を見る。
「……様子がおかしい」
ルーシェの短く、しかし確信に満ちた一言。
「あぁ……。こっちだ」
リンシェンも同意し、舌打ち交じりに頷いた。
リンシェンは仲間たちを手招きすると、街道を外れ、身を隠せる茂みの方へと誘導する。
アークとコルネも、ただならぬ空気を察し、二人に続いて息を潜めた。
四人は少し離れた森の中から、木陰に身を隠しつつ、眼下に広がるミネルヴァの町の様子を確認する。
「探せ! 人間、そして少しでも人間の肩を持つものは、裏切り者とする! 見つけて拘束し、処刑だ!」
怒号が響き渡る。
町の中は物々しい雰囲気で、町の住人であろう悪魔たちが武装し、血走った目で周囲を警戒しながらあちこちで声を上げていた。
石畳の道にはバリケードが築かれ、広場の中央には、捕らえられた者だろうか、数名の悪魔が縛り上げられ、怯えた表情で膝をついている。
まるで中世の魔女狩りのような、狂気と恐怖が支配する雰囲気。その中心に、一人の女が立っていた。
風に乱れたような野性味ある黒髪に、一本角。鋭い眼差しが印象的で、手には、刃と魔具が融合したような異形の薙刀のようなものが握られている。
刃の根元、魔具の中心に空いている穴には、禍々しい紫色の光を放つ玉のようなものがはめ込まれており、それが脈打つたびに周囲の空間が歪んでいるように見えた。
「あたしらは悪魔だ! 人間と互いに理解し合うことなどはできない! 憎しみをもって襲い来るならば、あたしらも憎しみで答えてやろう!」
女は広場に集まった群衆へ向け、演説するように声を張り上げた。その声はハスキーだがよく通り、聞く者の恐怖心を煽り、同時に高揚させるような奇妙な響きを持っていた。
「同胞よ、聞け! 我らが誇りを汚すな! 下手な情を持てば、それは自身の死を意味する。憎め! 少しでも人間に憎しみを持てないものは戦いで生き残ることはできない。ならば同胞の情けとして、せめてあたしらの手でその命を狩ってやろう」
狂気じみた論理。だが、今のミネルヴァの住人たちには、それが絶対的な真理として響いているようだった。
「おぉおおお!!」
女の演説のような言葉に、町の住人が怒号のような歓声を上げる。
彼らが掲げる武器や拳は、見えない敵への恐怖と、それを上書きするための攻撃性で震えていた。
「……おいおい、無茶苦茶言ってんぞ、あの女!」
森に身を潜め、その様子を見ていたリンシェンが声を上げる。
「まるで狂信者たちだな。町中が人間への憎しみに呑まれているようだ」
ルーシェも冷静に続いた。だがその表情は険しい。
「おい、楽器使い! あの女、何もんだ? てか平和な温泉郷には全く見えねぇが……」
リンシェンに問われ、アークは蒼白な顔で首を横に振った。
「……知らない。誰だ、あの女……あんなやつ、俺が住んでた頃には……」
アークはおそるおそる声を出す。
「ねぇ、人間に憎しみを向けるのは仕方ないのかも知れないけど……人間に憎しみを持てない同じ悪魔にまで、処刑だなんて……そんなのおかしいよ」
コルネが俯きながら、悲痛な声を上げた。
「どうする? 俺らがこのまま町に行きゃあ確実に的だぜ」
リンシェンが低い声で、仲間たちへと声をかける。
「あぁ。リンシェンの言う通りだ。俺とコルネはもちろん、俺たちと行動を共にしているふたりにも刃が向くだろう」
ルーシェの言葉に、その場に重苦しい沈黙が流れる。
数秒の後、アークが「くそっ! ミネルヴァで何が起きてるんだ……」と悔しげに呟いて、立ち上がった。 その瞳には、悲壮な決意が宿っている。
「すまねぇ。ルーシェ達はこのまま先にダークリアへ向かってくれ、迂回できる道がある」
「テメーはどうするつもりだよっ! 楽器使い!」
リンシェンが食って掛かる。アークは視線を町の方角へ向けたまま、絞り出すように言った。
「俺は、町に入るよ……隠し通路があるんだ。俺が小さい頃、よく使ってた……」
そう言って、アークは仲間たちへと振り返る。
「そこなら知ってるやつはほぼいない。そこから町に入って、兄貴に……シルグに事情を聞く。町の人達の様子もあきらかにおかしい……」
言い終えるが早いか、アークは町の入口とは反対方向の森の中に、ゆっくりと足を進めていく。
その肩を、ガシッ、と強い力でルーシェが掴んだ。
「俺達にも、協力させてくれないか」
振り返ったアークの視界には、真剣な眼差しのルーシェと、その後ろに立つコルネ、そして不機嫌そうに腕を組むリンシェンの姿があった。
「……これは俺の町の問題だ。お前たちを巻き込むわけには」
「わ、私たちがいることで……人間と共に行動してるってことでリスクになるなら、その……うまく言えないけど……」
コルネが必死に言葉を探す。それを補うように、ルーシェが「いざとなれば、アークとリンシェンは、俺たちに脅されて仕方なく一緒に行動していた。と言えばいい」と割り込んだ。
「へ、やばくなったら銀髪と女を差し出して、俺達は仕方なくっ……てか? ごめんだね」
リンシェンは悪態をつきながらも、アークの前まで歩くと、その胸倉を軽く小突くようにして言った。
「言ってんだろが、お前ら全員考えすぎなんだよっ! 人間だ悪魔だ、迷惑かけたくない、自分を差し出せばっ……とかよ」
「協力したいからする。助けたいから助ける。ムカつくからぶっ飛ばしたい。それで良いんだよ。理屈こねくり回してねぇで、ほら、さっさとその隠し通路に行くぞ!」
その言葉は、単純明快でありながら、この場の誰の言葉よりも力強く響いた。ルーシェも、ハッとしたように瞬きをし、次いで小さく苦笑する。
コルネも、嬉しそうに深く頷いていた。
アークは、呆気にとられたような顔で三人の顔を順に見つめ――やがて、ゆっくりと声を上げる。
「……ちっ。今回はお前の言ってることに賛同してやるよ! そっちじゃねぇぞ!」
アークは、先ほどまでの暗い顔から表情を取り戻し、先へと勝手に進んでいくリンシェンの背中に声をかけた。
リンシェンは「あ? こっちじゃねぇのかよ」と悪びれもせずに方向転換する。
そしてアークは、改めてルーシェとコルネへと向き直ると、深々と頭を下げた。
「すまねぇな。……手伝って、くれるか?」
「あぁ。アーク、もちろんだ!」
「精一杯頑張るからね!」
ルーシェとコルネは力強く、そして信頼を込めて、アークへと返事をした。
第三十四話:『水路を抜けろ』に続く。




