第二十五話:【クライシス】脱出
第三章:黎明の反逆と奔走の行進曲
「――バカなっ!」
サティとモッズの戦いを、操縦室のモニターで優雅に見物していたジルガンが、決着の瞬間、初めて動揺の声を上げた。
彼の手から滑り落ちたワイングラスが床に叩きつけられ、甲高い音を立てて粉々に砕け散る。
「そんなはずは……! おい、どういうことだ! アレは、ギルジエンドが誇る最新鋭の生物兵器だぞ! おいっ!!」
先ほどまでの余裕綽々な態度は見る影もなく、ジルガンは狼狽した様子で、周りにいた兵士たちへと罵声を浴びせ始める。
「やつらが来るぞ! おい、僕は、この艦の指揮官だぞ! 僕を守れ! 早くしろ!」
「お、落ち着いてください、ジルガン様!」
「う、うるさいっ! 貴様ら、死んでも僕を守れ! これは、命令だっ!」
その、あまりにも自己中心的な声に、副官を含めた数人の精鋭兵士が、不本意ながらもジルガンの前へと立ちはだかった。
激しい戦闘の音が止んで、間もなく。操縦室の扉は、再び音を立てて開け放たれた。
兵士たちが、緊張した面持ちで武器を構える。
「切り札は、不発だったようだな」
サティが、怯えるジルガンへと冷たい視線を向けながら言った。
その後ろで、モッズが「いや、ハァハァ……。俺は、もう結構、限界なんだがな……」と、息を荒げ、苦笑を浮かべていた。
「くっ……! この先へは、行かせんぞ……!」
ジルガンの前に立つ副官らしき男が、剣を構え、サティを睨みつけた。
「……やめておけ。本気で、私たちに勝てると思っているのか?」
サティが、絶対的な自信を込めて冷静に言い放つ。
「この艦の操縦系統を明け渡せ。進路を、東のスクロニア方面へと変更する」
操縦室内の兵士たちの間に、動揺が走る。
サティの後ろから、その様子をどこか達観したように見ていたモッズの視線が、様子のおかしいジルガンへと向けられた。
「くっ……この僕に、恥をかかせやがって……。この僕に、この僕に、恥を……」
視線の先のジルガンは、自身の爪をガリガリと噛みながら、据わった目でぶつぶつと何かを言い続けている。
「許さない、許さない、許さない……!」
そしてジルガンは、キャプテンズシートの下に隠されていた、赤いスイッチのようなものにその手をかけた。
「おい、しまっ――!」
咄嗟にモッズが声を上げたが、時すでに遅し。
スイッチが押された瞬間、艦内の至るところから連続して爆発音が響き渡った。けたたましい警報音が再び艦内全体に鳴り響き、ついにはこの操縦室の天井からも、火花を散らしながら爆発音が轟いた。
「なっ! 何をしたっ!」
大きく揺れる艦内で、サティがジルガンへと詰め寄ろうと床を蹴る。
だがジルガンは、さらにもう一つのスイッチを押した。
すると、彼が座っていたキャプテンズシートの下の床が、音を立てて開き、シートごとジルガンを乗せたまま、階下へと降下していく。
その下には、あらかじめ用意されていたのであろう専用の小型艇が格納されていた。ジルガンはそれに乗り込むと、特務飛行戦艦第三号【クライシス】から、一人悠々と離脱していく。
「しまった! くそっ!」
サティが叫び声を上げる。
その声を嘲笑うかのように、ジルガンの狂気に満ちた声が、艦内のスピーカーから響き渡った。
「ふははははははははっ! みんな、まとめて死ねぇっ! この僕に、恥をかかせやがってぇ! 許さない、絶対に許すものかぁっ! あーはっはっはっは! その艦は、そのまま自爆する! みんな、みんな、死ねぇっ! 僕以外、全員、死んでしまえぇぇっ!!」
その狂った声が響く中でも、艦内の爆発は、さらに激しさを増していく。
艦は大きく傾き、天井や壁からは、火花を散らしながら瓦礫が落ちてくる。操縦桿の前のモニターは、次々と赤いエラー表示に変わり、完全に制御不能に陥っていた。
「ジ、ジルガン様! 我々はっ!?」
「我々は、どうすればいいのですかっ!?」
副官を含めた兵士、そして操縦士たちが、口々に悲痛な声を上げる。
「あぁん? 知らないよ、そんなこと。僕を守れないような、無能な君たちに、生きている価値なんてないでしょ? あははははははっ!」
その、あまりにも冷徹な声に、「くそっ……!」と、副官は、やり場のない怒りを床に叩きつけた。
「……外道が」
サティが、静かに、しかし心の底からの怒りを込めて呟き、拳を固く握りしめた。
「おいおい、やべえぞ! まじで、このままじゃ墜落しちまう!」
大きく揺れる足場で、必死にバランスを取りながら、モッズが叫んだ。
「くっ……! お前たち! この艦に、他に脱出用の小型艇は用意されていないのか!?」
サティが、未だ戸惑い、冷静さを失っている兵士たちに大声で問いかけた。
誰もが答える余裕もなく、ただ狼狽えている中、副官らしき男だけが、サティの問いに答えた。
「あ、あるには、あるが……! ここから、三区画も先だ! 間に合うかどうか……!」
その言葉を聞いた瞬間、サティは再び大声を上げた。
「ならば、案内しろ! お前たちも死にたくなければ、小型艇の格納庫まで全力で走れ!」
そう言って、彼女は、すぐさま出口へと走り出す。
「ちっくしょう! 限界ギリギリのおっさんにはハードすぎるぜ、こりゃ!」
モッズと副官、そして残された全員も、必死にその後を追った。
艦内に轟く爆発音。数人の必死な足音。鳴りやまない警報音。床は、今や一部が崩れ落ち、大きく傾いた足場で、全員が小型艇の格納庫を目指して走り続けた。
「おい、嬢ちゃん! こんな時に言うのもなんだが……! 俺らがのした兵隊や、まだ捕まってる他の捕虜たちは、どうするんだ!?」
走りながら、モッズがサティに声をかける。
「……自力で脱出してもらうしかない」
サティが、少しの沈黙の後に、苦々しく呟いた。
「……だよなぁ。ちっ、後味が悪いぜ」
モッズも、諦めの言葉を漏らすしかなかった。
「――ならば、我々が、彼らを導こう」
声を上げたのは、隣を走る副官だった。
「導くって、どうするつもりだ?」
モッズが問いかける。
「小型艇の格納庫までは、ここをただひたすら真っすぐに行けば着く」そう言うと、副官はくるりと反対の方向に向き直った。「聖騎士団兵士たちに命令する! いや、協力を仰ぐ! ……俺と共に、各自、艦内に散らばった兵士たち、そして捕虜たちの救出を最優先し、格納庫を目指してほしい!」
その言葉に、一瞬の戸惑いが生まれた。だが、副官の下についていた兵士たちは、すぐに「はっ!!」と力強く声を揃え、各方面へと散らばっていく。
「お前……」
モッズの呟きに、副官は、再びこちらに向き直る。
「安心しろ。我々は見ての通り、上官に見捨てられた身だ。捕虜たちも、必ず連れて脱出し、安全な場所に逃がすことを、ここに約束しよう」
「ならば、私たちもっ!」
サティが言いかけた言葉を遮るように、副官は続けた。
「お前たち二人は、先に行け!」
「だがよぉっ!」
モッズも食い下がろうとするが、副官は、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「……お前たちのような、強い意志を持った奴らがこの国を、いや、この人間領を変えてくれると信じている。……ギルジエンドを、止めてくれ」
そう言うと、副官は二人を力強く突き飛ばした。その先は、小型艇の格納庫へと続く荷物搬入用の長いコンベアー。
コンベアーは、走るよりも遥かに速いスピードで二人を乗せ、格納庫へと運んでいく。
流れていく二人の目に最後に映ったのは。力強く、敬礼をする副官の姿と、コンベアーへと続く道が、轟音と共に瓦礫に埋もれていく、その光景だった。
第二十六話:『決死の空中離脱戦』に続く。




