第十九話:天魔神葬
第二章:混沌の宿命と想動の変奏曲
「グガァァアアアアアアアアアアアッッ!!」
もはや、それは人間の声ではなかった。天を衝き、地を揺るがす、魂そのものからの絶叫。
ひと際激しい咆哮と共に、ルーシェの姿は完全に変貌を遂げた。額から伸びる、ねじれた三本の角。全てを憎むかのように赤く輝く瞳。背中から広がる漆黒と純白の非対称な翼。そして、破壊を司る悪魔の鉤爪と、奇跡の創造を思わせる天使の掌。
その凄まじい魔力の波動に、リンシェンとアークは大地にしっかりと足を着けていなければ吹き飛ばされてしまいそうなほどの衝撃を受ける。
「……後、継者……」
その光景を見て、アークが再び小さく呟いた。
「お、おい、おい! 楽器使い……! どうなってやがるんだ……。アイツは一体何者なんだよ……!」
信じがたい光景を目の当たりにし、リンシェンが混乱する頭でアークに問いかける。
「三本角の悪魔……伝承の、存在……俺たち、悪魔族の……」
「お、おい……まじかよ……。アイツが、ルーシェが……。ど、どうなってやがる……」
リンシェンは息を飲みながら、完全に人ならざるものへと変貌したルーシェの姿を、ただ見据えることしかできなかった。
「うふふ。あははははは!! ほんっとに、どういうからくりなのかしら! そうですわね……あなたの姿はそちらの方がずっとしっくりきますわ! 悪魔に変身できる人間……いや、悪魔に魂ごと呑まれてしまってるのかしらぁああああっ!」
美しい顔を醜く歪ませ、ミアムが高らかに笑う。
「グガァアアアアアアッ!!」
その嘲笑を打ち消すかのように、ルーシェは咆哮を上げながら、一瞬でミアムとの距離を詰めた。
「マズハ、オマエカラダァアアアアアッ!!」
目にも止まらぬスピードで迫り、悪魔の鉤爪を振り抜く。ミアムはそれをひらりと身を躱して避けるが、ルーシェは即座に身体の向きを変えると、今度は天使の掌から凝縮された魔弾を放った。
それは的確にミアムを捉え、凄まじい爆炎と煙を撒き散らす。
だが、ルーシェは足を止めない。すぐさま煙の中へと突っ込むと、その鋭き爪でミアムの心臓を貫かんと右手を振り抜いた。
ガキィィィィィンッ!
しかし、その爪は、硬い金属に阻まれた。
煙の中、別の方向から、巨大な槍の穂先が煌めき、ルーシェの頭上へと斬り落とされる。
ルーシェは翼を広げ、その槍閃の軌道を紙一重で掻い潜ると、今度は正面方向から、さらに別の槍が煌めいた。咄嗟にそれを弾き返し、ルーシェは一旦距離を取る。
やがて煙が風に流され、その向こうから現れたのは、無傷のミアムと彼女を庇うようにして佇む、巨大槍を手にした、二体の禍々しい鎧の騎士だった。
「複数魂魄獣・霊的憑依鎧獣」
「うふっ!」と、ミアムはいやらしい笑みを浮かべた。その手には、開かれたままの鎖の聖典が握られている。
「ちっ、何から何まで、いけ好かねえ女だ!」
リンシェンが吐き捨て、「助太刀すんぞっ!」と叫んで走り出した。
「聖典に封じている獣を、いつでも意のままに使役できる……か。厄介な能力だな!」
アークも悪態をつき、楽器を構えながらリンシェンの後を追った。
「ギルシェギルシェギルシェギルシェギル……コロスコロスコロス! 復讐ダァアアアアアアアアアッ!」
だが、ルーシェは、もはや二人の声など聞こえていないかのように叫び散らかし、リビングアーマーへと再び突っ込んでいく。
「ガァアアアアアアアッ!!!」
しかし、その攻撃は、先ほどまでの精細さを完全に欠いていた。
怒りに任せるかのように、天使の掌から所かまわず魔弾を連射する。それは町の建物を破壊し、既に炎に包まれている町をさらなる廃墟へと変えていく。
無茶苦茶に振り回されるだけの爪。狙いの定まらない魔弾。それは戦いというよりも、まるで町全体を破壊するためだけに、ただただ暴れ狂っている獣のようだった。
「……あらあら。どうやら、期待外れのようですわ」
その様子を見て、ミアムは一気に興が冷めたかのように、つまらなそうに言葉を漏らした。そして、リビングアーマーへと、冷たい命令を下す。
「さっさと殺してしまいなさい」
「ガァアアアアアアアッ! ギルシェェエエエエエエエッ!!」
なおも、ただ暴れ狂うだけのルーシェ。
「おかしい……ラクーメルの時は、あんなんじゃ……」
アークが、異変に気づいて足を止める。
「おい! アイツ、完全に力に呑まれてやがるぞ! あれじゃ、ただの獣と一緒だ!」
リンシェンも足を止め、そのあまりにも無謀な戦い方に、焦りの声を上げた。
やがて、二体のリビングアーマーが、ルーシェの無茶苦茶な攻撃を、いとも簡単に見切り、掻い潜り、その懐へと同時に滑り込んだ。
鋭き槍の穂先が、がら空きのルーシェの腹部へと、正確に突き立てられようとしていた。
「うふふふふ、あははははははっ! 実に、残念な最後ですわねぇ、ルーシェ・バーライド・グリシェン!」
高らかに笑い狂うミアム。
「さあ、やっておしまいなさいぃっ! リビングアー……」
ドクンッ!!
その一瞬。
世界の全てが、何者かに掌握されたかのような奇妙な感覚がした。
この大地が、この星の全てが何者かの手の平で転がされていて、今にも、その手の平が世界全てを握り潰してしまうかのような、強烈な違和感と波動。
そして、声にならない根源的な恐怖が、その場にいる全ての者を縛り付けた。
ミアムも、リンシェンも、アークも、リビングアーマーさえも、その動きをぴたりと止める。まるで、時が全て止まってしまったかのような、不気味な静寂と、身体中を支配する気持ち悪さ。
「な……なん、です、の、これは……」
「あがっ……う、動け、ねぇ……」
「な、にが……起きて、るんだ……」
認識できるのは、ぐにゃりと歪んだ目の前の景色のみ。全てが、見えざる何かによって、抑えつけられているような感覚。
そして。
『――天地創造――万物が流転――終幕が帰結――』
まるで、呪詛か、あるいは太古のお経のように、重く、低い声が、大地そのものから響いてくる。その声は、耳の奥から、精神を直接支配していく。
『――我――理の番人にして――裁きの幻想――』
ーー
その頃、町長の家の地下室では――。
「ね、ねぇ……さっきから、何ぶつぶつ言ってるの? ねぇってば!」
先ほどまで錯乱していた女が、隣にいるコルネの肩を必死に揺すっていた。
「ねぇ! ねぇってば! なに、天地創造って……理の番人って、何のこと!?」
必死に声を掛けるが、コルネからの反応はない。
彼女は、心ここにあらずといった虚ろな瞳で、ただただ、意味の分からぬ言葉を、自動人形のように紡ぎ続けていた。
「――我――悪魔と人間を、等しく喰らい尽くす存在――」
「――我の名は――」
そして、二つの場所で、同じ言葉が同時に紡がれた。
『「――天魔神葬――」』
第二十話:『喰らうもの』に続く。




