第十六話:焔と鮮血の夜
第二章:混沌の宿命と想動の変奏曲
先ほどまで扉の向こう側から聞こえてきていた見張りの話し声が、いつの間にか聞こえなくなっていた。
両手を縛られ、町長の家の地下室に連れてこられてから、既に数時間が経過している。時間で言えば、おそらく真夜中を過ぎた頃だろう。
窓の一つもない地下の一室は、固く閉ざされた鉄の扉が一つあるだけの簡素な造りだった。部屋の隅には、大量の麻袋や木箱、埃をかぶった掃除道具などが無造作に散乱していて、長年使われていない倉庫のような黴臭い空気を漂わせている。
その部屋で、ルーシェ、アーク、コルネの三人は、両手と両足を縄で固く縛られ、監禁されている。
先ほど武器屋で購入した武器はもちろん、アークの魔弦奏楽器さえ取り上げられ、今は聞こえないが、数分前までは扉の前に数人の見張りがいる気配を三人は感じていた。
「……で、どうするんだよ、この状況」
沈黙を破ったのは、アークだった。
「手足を縛られ、武器もない……おまけに、窓もなけりゃ、やけに頑丈そうな扉が一つあるだけの埃っぽい部屋で三人仲良く監禁、か」
「私が……私が、食事だけでもしていこう、なんて我儘を言ったから……ごめんなさい」
コルネが、申し訳なさそうに俯いた。
「いや、コルネのせいじゃないさ」
ルーシェは、冷静な声で彼女を慰めた。
「どちらにしろ、あの食事処に入った時点で、俺たちは注目を浴びていた。……なんなら武器屋の時から既に怪しまれていたんだろう。時間の問題だったはずだ」
ルーシェは、視線を扉の方へと向ける。
「深夜になり、見張りも最小限になった頃合いだ。動くなら、今しかない」
「ああ。さっきまで聞こえていた話し声や気配が、ぴたりと消えてるしな。何かあったのか、あるいはただ持ち場を離れただけか……いずれにせよ、今が好機だ」
アークも同意した。
「でも、どうやって……? それに、なんだか……微かに、本当に微かにだけど、何かが爆発してるみたいな音が、遠くから聞こえる気がするの」
コルネが、不安げに耳を澄ませる。彼女の言葉に、ルーシェとアークも神経を集中させた。
「……言われてみれば、確かに。地面が、ほんの少しだけ揺れてるような……? 外で何かやってんのか?」
アークが疑問を口にする。
「……いずれにせよ、急いだ方が良さそうだな」
そう言うと、ルーシェは縛られたままの身体を器用に動かし、壁の角張った部分に手首の縄を擦り付け始めた。そして、驚くほどの手際の良さで、いとも簡単にその縄を断ち切ってしまった。
すぐに足の縄も解くと、ルーシェはアークとコルネの手足を縛っていた縄も外し、三人は晴れて自由の身となる。
「へえ、手慣れたもんだな」
アークが、感心したようにルーシェに声をかける。
「人間領は争いが絶えなかったからな……。こういうのは、城で何度も教え込まれたんだ」
ルーシェは、苦々しい表情で答えた。
「さて……。問題は、どうやってここから出るか、だな」
アークが、目の前の頑丈そうな鉄の扉を見据えて言った。
ーー
炎、悲鳴、爆音、そして、肉の焼ける異臭。逃げ惑う町の住民たちの声。
空が暗く染まっている真夜中であるにもかかわらず、町だけが、まるで血の色のように、赤く、赤く燃え上がっていた。
「おい、なんだよ……なんだよ、何が起きて……がぶぼげばぁっ!」
目の前に広がる光景が信じられないとばかりに叫んでいた悪魔の青年が、無慈悲な剣閃によって裂かれ鮮血が夜空に舞い散る。
暗闇と炎の光を反射する白銀の鎧が、町の住人たちの血を浴びて、禍々しい赤色へと染まっていく。
「ちく、ちくしょうっ! あいつらの……あの人間たちの、仲間かよぉおおっ!!」
ルーシェたちを監禁しろと息巻いていたゴロツキの男たちが、今や恐怖に顔を引きつらせ、絶叫していた。
「がぼぁがぁあ!」
「うぎゅあがぐがぁっ!」
恐怖に震え、逃げ惑う町の住人たちが、次々と無残に切り刻まれていく。その白銀の鎧を纏う人間たちの後方には、黒キ仮面で顔を覆ったミアムの姿があった。
「うふ、うふふふふっ! あはははははは! 美しいわぁ! 燃え盛る町、逃げ惑う悪魔、絶望の悲鳴! なんて甘美な響きなのかしら!」
非道な殺戮が繰り広げられる中、ただ一人、恍惚の表情で愉悦に浸るミアム。その視界の先に、一人の男の姿が映った。
「おらぁあああっ! 氷蛇凍陣!」
「ぐおぉおおおっ!!」
リンシェンが放った氷の蛇が、迫りくる白銀の騎士たちに牙を剥き、その動きを凍てつかせる。
「行け! ここは俺が抑える! 町の連中は、早く避難しろ!」
「お、おい! リンシェン! あんたは、どうするんだ!?」
「いいから、行けってんだ! ったく……とんだ一日だぜ、今日は!」
「悪魔の分際で、我ら聖騎士団に歯向かうとは! 愚か者め! その首、跳ね飛ばしてくれるわ!」
剣を構えた聖騎士団の兵士が、その勢いのままリンシェンに斬りかかる。
リンシェンは、その持ち前の驚異的なスピードで、振り下ろされた剣を紙一重で躱すと、両手に持った短剣で、鎧の隙間である関節部分に刃を深くねじ込んだ。肉が裂け、血が舞うよりも早く、兵士の全身が内部から凍り付いていく。
続けて斬りかかってきた別の兵士の剣を、右手の短剣を逆手に持って弾き返すと、回転し、左手の短剣で兵士の足を突き刺した。
「ぐわぁあああっ!」
兵士が呻いた、その瞬間。背中に差していた残る二本の短剣を地面に突き立てると、無数の氷の刃が蛇のようにうねりながら周囲の兵士たちを巻き込み、その命を次々と奪っていった。
「まだまだ、こんなもんじゃねえぜ!」
リンシェンはひと際大きく叫ぶと、町の女たちを切り刻んでいる別の兵士の集団へと、躊躇なく突っ込んでいく。
「なんだ、コイツはっ!?」
突っ込んでくるリンシェンに、兵士が剣を振り抜く。だが、リンシェンはその剣閃を見事な跳躍で躱すと、空中で回転しながら兵士の背後を取り、その首筋に二本の短剣を深々と突き刺した。
「あらあら……。面白いのが、一人いるじゃないの……。うふ、うふふふ」
炎に燃える町の中心で、ミアムがリンシェンの戦いぶりに、初めて興味を示したように不敵に笑った。
「あ、ありがとう、リンシェン……!」
リンシェンに助けられた二人組の女の一人が、安堵の声を上げる。しかし、その瞬間。別の方向から飛んできた剣閃が、女の背中を無慈悲に掻き切った。
「きゃあああああああっ!!」
鮮血が、リンシェンの頬を濡らす。
「くそがぁあああああっ!!」
リンシェンは、兵士に飛びつき、その喉を短剣で一閃した。
「あ……あああ……」
もう一人の女が、恐怖に震え、その場に腰を抜かす。
「おい、頼みがある」
リンシェンは、その女に声を掛けた。
「今すぐ、町長の家へ行け。そして、地下に監禁されている三人を解放しに行ってくれ」
「で、でも……その三人は、こいつらの仲間なんじゃ……」
「いや、違うさ。……とにかく、急いでくれ。俺一人じゃ、ちっとばかし、分が悪そうなんでなぁああああっ!!」
そう叫ぶと、リンシェンはさらに迫ってくる白銀の兵士たちの群れに再び突っ込んでいく。
残された女は、しばし呆然としていたが、やがて意を決すると、必死の形相で町長の家へと向かって走り出した。
第十七話:『死霊の舞台』に続く。




