第十話:伝承の王
第一章:絶望の運命と激動の協奏曲
柔らかな朝の光が、重く閉ざされたルーシェの瞼を優しく照らしていた。その温かな光に導かれるように、静かに、ゆっくりと目を開く。
「……ここ、は」
掠れた声で呟くと、頬にぽたりと、小さな水滴が落ちてくる。ぼやけた視界の先には、涙で瞳を潤ませるコルネの顔が映った。
「ルーシェ……! よかった、よかった……目が覚めたのね……!」
嗚咽混じりの声が、ルーシェの鼓膜を震わせる。
「コル……ネ……」
段々と、視界が鮮明になってくると、自分がコルネの膝の上に頭を乗せて横たわっていることに気づいた。
「目ぇ覚ましたかよ」
その横で、アークが木のコップに入った澄んだ水を渡してくれる。
ルーシェはゆっくりと上半身を起こし、その水を一息に飲み干すと、改めて周囲を見渡した。
いつの間にか夜は明け、空は昨夜の惨劇がまるで幻だったかのように、穏やかな陽の光を地上に降り注いでいる。
だが、眼前に広がる光景は、その穏やかな空とはあまりにも対照的だった。焼け落ち、黒い骨組みだけを晒す家屋。炭と化した畑。無惨に破壊され、動きを止めた水車。
そして、その瓦礫の中で、生き残った村人たちが、昨夜の惨劇で命を落とした仲間たちの亡骸を、一つ一つ丁重に土に還している姿が映った。
その悲痛な光景に、ルーシェの胸は締め付けられるような痛みに襲われた。
「すまない……。人間の、あまりにも身勝手な行動が、こんな悲劇を……」
彼は表情を曇らせ、心の底から謝罪の言葉を口にする。
「……ルーシェや、コルネが謝ることじゃないさ」
アークが、静かで、しかしどこか諦観を滲ませた声で呟いた。
「人間にだって、悪魔と分かり合えるやつはいるんだろ」
「それに……ルーシェよ。お主はどうやら、我らが思うよりもずっと、複雑な状況に置かれているようじゃ……」
ふいに、背後からジャイムの声が響いた。彼は生き残った村人に肩を借りながら、ゆっくりとルーシェの隣に腰を下ろした。
「ジャイムさん……。その、俺は……」
「後継者……」
ジャイムが再び紡いだその言葉に、ルーシェの心臓が小さく、しかし確かに跳ねた。
「千二百年前の悪魔族と人間族の争いで、我ら悪魔は人に敗れた。我らが築き上げた国家は滅び、民を先導する統治者さえも失った」
ジャイムは、遠い昔の物語を読み聞かせるかのように、静かに言葉を繋いでいく。
「悪魔族は、滅びを覚悟した。じゃが、一人の悪魔族の男が、滅びた国家、統治者の代理として、人間族に不可侵の提案を持ちかけた。『我らは今後一切、人間には関わらない。だから、せめて生き残った同胞たちの命だけは見逃してはくれまいか』……と」
隣で、コルネが息を呑む音が聞こえた。ジャイムは続ける。
「その頃の人間族の中にも、意見の対立があったと聞く。『悪魔は邪悪なる種族、この機に根絶やしにすべきだ』という強硬派と、『今後一切人間領に関わらぬと誓うのなら、皆殺しにする必要などないだろう』という穏健派の二つが、拮抗しておったそうじゃ。結果、その不可侵の提案は飲まれ、悪魔と人間の住む地は、完全に分断されることになった」
そこまで話すと、ジャイムの声に、深い憎しみの色が混じった。
「じゃが……その不可侵の条約は、我ら悪魔を油断させるためだけの、偽りの約束じゃった。条約が結ばれたわずか数日後、人間どもの大軍勢が海を越えてこの大陸に再び上陸し、火を放ち、生き残っていた僅かな悪魔を殺し、大地を焼き払ったのじゃ」
「ああ……。その話は、悪魔族ならほとんどのやつらが知ってる。親から子へ、語り継がれてきた歴史のひとつだ」
アークが、苦々しげに割って入る。
「なんて……なんて卑劣なことを……」
ルーシェは、同じ人間として、言葉を失った。
「悪魔族は、今度こそ滅びを覚悟した。もはや、我らに抗う術はなかった。……しかし、最後の最後に、奇跡が我らをお救いくださった」
ジャイムの瞳に、わずかな光が宿る。
「どうして、そのようなことが起きたのかは、誰にもわからぬ。じゃが……大戦で命を落としたはずの、我ら悪魔を率いた統治者の王が、冥府より異形の姿で蘇ったのじゃ。そして、その咆哮一つで、この大陸に踏み込んでいた人間どもを一掃すると、地響きと共に、海底から四つの巨大な塔が姿を現した」
コルネも、初めて聞く話なのだろう。呼吸を忘れてしまいそうなほど、真剣な眼差しでジャイムの言葉に耳を傾けていた。
「その塔は南の大陸全土を覆う巨大な結界を形成し、以降千二百年の間、悪魔と人間の関わりは完全に断絶されることとなった……。古い伝承じゃよ」
ジャイムはそこで一度、言葉を切った。
「その……復活したという、悪魔の王は……?」
ルーシェが、絞り出すように尋ねた。
「四つの塔が姿を現したのと同時に、まるで最初からそこにいなかったかのように、再び姿を消したと伝えられておる……」
ジャイムは静かに答える。
「その伝承に残っている悪魔の姿こそが……天を衝く三本の角と、血のように赤い目、そして、漆黒と純白の非対称の翼を持つ、神々しくも、おぞましい姿だったって言われてる。悪魔族なら一度は耳にしたことがある話さ」
アークが、表情を変えないまま、静かに付け加えた。
「それ……それが……俺だっていうのか……? だが俺は人間のはずだ! は、ず……だ……」
(あの時、永久牢獄で手にした赤い宝石のようなあれが……俺を……いや、俺が願ったのか……)
「ルーシェ! そ、そんなことって……」
頭を抱え、混乱するルーシェを心配そうに見つめながら、コルネが助けを求めるようにジャイムとアークに視線を向けた。
「わしらにも、わからぬ……。なぜ、人間の身であるルーシェが、あの姿になったのか。じゃが、再び人間たちの脅威がこの地に迫り、そこに、伝承の王と同じ姿をしたルーシェが現れたことは事実。……我らは、見極めねばならん。これが何を意味するのかを。最悪は……千二百年の時を経て、あの大戦が再び繰り返される兆しなのかもしれぬ、ということじゃ」
ジャイムは、村人の手を借りてゆっくりと立ち上がった。
「準備を急がねばならんだろう……結界塔の一つは既に落ちたと、昨夜のやつらは言っていた。もはや戦いは避けられぬのかもしれん」
「おじいちゃん……」
コルネが、不安そうに呟いた。
ジャイムは、決意を固めた目で、ルーシェを見据えた。
「ルーシェよ。お前自身が、今、どういう立場にいるのか……。知りたければ、かの大戦で滅びた、悪魔領最大国家・ダークリアの城跡へと向かうがよい」
そして、運命を告げるかのように、力強く言った。
「いや……。お前は、向かわねばならんのだろう……。それがルーシェ、お前の宿命なのかもしれん」
第十一話:『決意と新たなる旅立ち』に続く。




