第四話 市川直人、興味を抱く
俺はこの仕事が嫌いじゃない。学生の描く絵を見るのも面白いと思うし、時にいい刺激にもなる。日々の業務は忙しい時期もあるが、こなせずに倒れるというレベルでもない。だいたい、絵を仕事にして食っていく事を志していながら叶わなかった多くの連中に比べ、それなりに高い倍率をくぐらせてもらってこの職に就けたわけで、今更口に出せる愚痴なんぞありもしない。
ただ今年は少しだけ、不満がないではなかった。担当している美術部の状況についてだ。今日も、部室である美術室には、顧問である俺を含めて3人しかいない。部員数自体はもっと多いのだが、その大半がいわゆる幽霊部員だからだ。受験を控えた3年生が来なくなるのは、まあ例年の事だし解る。だが元々少なかった2年生の部員の内、まともに出てくるのは部長くらいなもので、他に新入部員は2人しか入らず、その片方は既に草葉の陰のお菊さん。……流石にもの悲しい。
「スイマセン、お先に失礼しますー」
唯一のまともな新入部員である女子生徒が引き上げていった。残ったのは俺と、部長の笹北だけ。
「……ねえ笹北さん」
「何ですか先生」
「新入部員って、どこ行ったら売ってるんだろうね?」
「知らないんですか? 良かったら買ってきますよ。予算をいただけましたなら」
笹北道子はその広い額と視線とをキャンバスへと向け続けたまま、愚痴に愚痴で返答した。黙っていればそこそこの美人さんだが、その小さな口からは嫌味やら苦言以外を聞いたことがない。やれやれ。
募集はいつも通りかけたし、見学者も十数人はやって来てたはずだ。だけど今年はそのまま入部してくれる新入生があまりにも少なかった。理由は何となく分かっている。部室の雰囲気だ。
前述の通り笹北部長さんは口が悪い。口の悪い美人は同性からの受けが悪い。結果、例年よりも女子の入部希望者は激減した。それでも彼女を部長に指名したのは、男子からの受けがよかろうなのだと思っての事だったのだが、そうでもなかったらしい。どうも、この娘は男子と、特に年下の男子とえらく反りが会わないらしい。
「まあ、良いじゃないですか。静かで」
「そうかね」
「私は、好きですよ。今の美術室」
ああ、君は、そうなのかもね。
「ちわーす」
「……こんにちは」
突然、静寂を破って男子生徒が二人、美術室に入ってきた。ウチの部員ではない……はずだ。
「また、あんたたち?」
「また、俺たちでございますよ、笹北パイセン」
「その軽口をまず直してこいって言った記憶があるんだけど」
「いーえ、この際入部できるかどうかはどっちでもいんですよ。今日用事があるのは、そちらの市川センセっスから」
「……俺?」
何だ何だ? 状況が分からんぞ。入部希望者? ……聞いてない。どっかで見たことのある顔だが。……ああ、選択授業の美術でか。確か……。
「1年の田村と、町田だな?」
「そうっス。いやー、すいません。授業の後とかにもお話しようかと思ってたんですが、周りの目とかもあって中々……」
「そんで美術部にか? 入部希望者だったのか?」
「先生、この子達は論外です。入部以前の問題ですよ」
「とまあ、笹北パイセンが取り合ってくれませんので、先生を捕まえるのに今日までかかったと、そういう次第でして」
なるほど、分からん。とりあえず田村と笹北に説明を求めても無駄と判断すべきだな。
「町田君、ちょっとこっち来てくれる?」
「はい……」
俺は町田を呼び寄ると、残る二人の煽り合戦をガン無視して状況を説明するよう促した。それによると、
1.こいつらはゲームを作っているが、絵を俺にディレクションして欲しいらしい。
2.笹北にとっては、ゲーム制作は美術部の活動とは認められない。
3.だから彼らが何度入部を希望しても全て門前払いされており、たまたま今日は俺がこの部屋にいたタイミングと一致した為、話ができた。
ということらしい。
「なるほど分かった。あー笹北さん。一時休戦なさい。田村君もね。そんで二人とも俺の話を聞いてくれるかな」
「あ、はい」と田村。
「でも先生!」と笹北。
「でも、じゃないよ笹北。俺の話、聞けないの?」
「……いえ」
そうそう、いい子だ。逆らっていい時と悪い時の区別くらいは、どんなに逆上しててもつくもんね君は。
「田村君は、まず先輩に対する態度を改めて、謝りなさいな。そしたら、話は俺が直接聞いたげるから」
「ありがとうございます!」
「俺に礼じゃなくて、まず笹北さんに謝んなさい」
「あ……スミマセンでした」
俺が声を少し低くすると、田村君も素直に言うことを聞いた。まあ、この子も馬鹿じゃなさそうだしね。
「今、謝ってもらったからって……」笹北が再度の反論を試みようとする。
「でもさ、ゲーム制作が君の考える美術部の活動と合わないからって、それがわざわざこっちを見込んで来てくれた入部希望者を門前払いしていい理由にはならないよね?」
声のトーンを下げたままで、俺は笹北にこっちの言いたい要点を伝えた。
「だけど、ゲームですよ? 子どもの遊ぶような。それを高校の美術部で……」
「アートに貴賤なし。そう言ってくれたのは、君だよ」
まあ俺が昔、雑誌にエロイラスト描いてたってのを皆があーだこーだ言ってた時に、君が擁護してくれた際の言葉だから、こっちも悪いと思わなくもないけどね。
結局、笹北さんは黙ってくれたので、俺は残る二人を引き連れて準備室に待避した。
「とりあえずさ、見せてもらえるか? そのゲームっての。ここのパソコンでも動く?」
***
ふむふむふむ。
「どうですか?」
「面白いね」
素直にそう思った。俺はこの手のゲームには疎いが、まったく見たこともないというわけでもない。そして、こいつらが俺に何をさせたいのかも、一見してだいたい分かったつもりだ。
「……これがラフで、これが線画ね。なるほど。俺にこれらへ、赤で直しを入れてくれと、そう言うことだな」
渡してもらった紙の資料と、実際のゲーム画面とを見比べながら、俺は自分への依頼内容を要約した。
「お願いできますか?」
「条件があるけどね」
「え?」
それまで自信満々といった感じだった田村が、やや驚いて怯んだ。町田は怯まない。察しがついてるのかな?
「ひとつ。このゲームさ、あの、何て言ったっけ……市販の格闘ゲームツールだかツクールだか? そういうの使ってないって証明。それを提出しなさい」
「え、どうやって?」と田村。
「あ……はい。じゃあプログラムの、ソースコードを渡します」と、町田。
「うん。USBメモリーとかSDカードか何かで提出してくれればいいからね。次、ふたつめ。この企画書だか仕様書だか、デザイン案だとか。これらの使用許可を、町田君の親父さんから貰って来なさい」
「え……?」
今度は町田が怯んだ。これは想定外だったか。
「親は今、海外にいるので……」
「なら文書の体裁は任せるから、サイン入りの使用許可をね、郵送でも電子メールででもいいから送ってもらいなさい。これは絶対だよ。いくらお蔵入りしてたものだからって、他人のデザインを勝手に使っちゃいけない」
「は、はい……」
「それだけ提出してくれれば、美術部の制作活動として正式に認めてやれると思うから、俺も助言や協力を惜しまないよ。じゃ、そういうことで」
俺としては、言いたい事は言えたので、帰っていいという態度をとったが、田村はともかく、町田が急にトーンダウンして考え込んでしまった。ああ、一つ、いい忘れてたわ。
「……君の描いた絵と動きな、基礎も何もできてないが、何をやりたいのかは、俺にはちゃんと伝わってきてるよ。それをもっと、多くの人にも伝わる形にしたいと思うかどうかは君ら次第だから。必要ならちゃんと話し合いなさいね」
そう言って、俺は町田の背中を軽く押してやった。
さーて、どうなりますやら。
***
一ヶ月後、田村と町田は再びやって来た。手にはSDカードと書類とが1枚ずつ。それに、ファイルされた何枚もの絵。
俺はそれを受けとると、
「じゃ、君らはそれぞれの作業を進めてなさい」
とだけ言って、受け取った絵に赤いペンを走らせた。