第三話 町田良、その過去と現在
夢でも見てるみたいだと思った。
大人の世界の事情は、子どもには分からない。僕は、大人っていうのは父さんも母さんも、誰でもみんな忙しいものだろうって思ってた。出来ることが子どもより多いのが大人で、出来ることが増えた分、やらないといけないことも増える。だからみんな、忙しくなるんだって。
だから小3の頃、父さんが過労で倒れてしばらく自宅療養することになって、日曜日に家で一緒にいることができたとき、それはとても貴重な時間なんだと思ったし、実際そうだった。
父さんは根っからのエンジニアだ。家で静かに寝てるよう、医者や会社から厳命されて、パソコンを母さんに取り上げられてしまっても、僕を呼んで色んな本や資料を持って来させては、このロジックはどうだとか、このアルゴリズムの美しさが堪らないだとか楽しそうに言ってたっけ。その資料の中に、これがあったんだ。
「Burn Drive 開発資料」
そう背表紙に書かれた一冊の太いファイル。他の資料は良く解らなかったけど、これだけは解った。ゲームだったから。それも、難しい三次元の計算もポリゴン描画の理論も必要ない、ドット絵の、1対1で戦うだけの、格闘ゲームだったから。
***
田村君は、名字の作りが僕の名字と似てたから、昔から変に気になる存在だった。苦手な人物としてだけど。
彼はどっちかというと明るくて社交的。僕は暗くて、友達が少ない。それは単に性格の問題だったのか、家庭の影響だったのかは、僕には分からないことだし考えないようにしてる。ただ、近い場所にいても、近い名前を持っていても、同じようにはなれない他者の代表が、彼なんだと勝手に思ってた。あの時までは。
それは小6になって、両親がアメリカに行ってしまい、僕が内心の混乱をどうにか押さえようとやっきになっていた頃だ。僕は偶然、街で田村君を見かけた。彼は小学生だけだと少し気後れしそうな小さいゲーセンに一人で堂々と入っていき、そこであのゲーム、「ストライクスリー」を、大人達に混じって楽しそうに遊んでいたのだ。
夢でも見てるみたいだと思った。
まず、大人だからって忙しくない人もいるんじゃないかと、それまで薄々感じていた疑念が、確信に変わった。だから僕は、両親に仕方なく置いていかれたのではなく、もっと大切な何かのために、これがベストな選択だと判断された上で、お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、美緒姉さん達に信じて託されたのだと、何故だかそんな風に思えてしまった。
いや、そんなのはあんまりどうでも良かった。それより、大人達の中に独り混じって戦う田村君の姿が、僕のコンプレックスの象徴から、ちょっとしたヒーローくらいにランクアップして感じられたのが、何よりも大きな事件だった。
後になって冷静に考えると、全然そんな感動するようなことではなくて、あれはただみんな無為にお金と時間を使ってただけじゃんとも思った。でも何故だろう。僕は確かに、あのゲーセンでの光景を少し遠くから眺めていたときだけは、苦手なはずの田村君がちょっとだけ格好良く見えたし、何故だか僕もあんな風になれるんじゃないかと、勘違いしそうに思えてしまったのだ。
だから僕は調べた。あのゲームはいったい何なのか。家庭用の移植版をハードごと買って、本も中古を探して買った。そして知った。あれがとても、「ど」マイナーなゲームで、一部のマニアにだけ絶賛されていて、僕はそれをとても綺麗だなと思ってしまったという事に。
僕は父さんの、あのファイルを探して引っ張り出した。
理由は今でも良く分からない。制作作業は単調で、別に楽しいとも苦しいとも思わなかった。ただ、熱中した。学校の勉強もおろそかにしながら、ギリギリ平均点のレベルだけを維持させて、後は、ゲームの開発だけを黙々と我流で、続けていた。1年で基本システムが、もう1年で最初のキャラができた。次のキャラと、細々とした作り込みで、もう1年使った。4年経って、3キャラでの対戦が何とか形になったかなという程度の出来。もう高校生だし、そろそろお開きかなと思い始めてた、そんな時だった。
まるで、夢でも見てるみたいだ。
田村君が、僕のゲームを遊んでいた。僕の目の前で、大声ではしゃぎながら。……悪いけど、耳障りな声だなと思った。なのに僕は、その声の求めるままにゲームを起動し、ツールを動かして、ほとんど空っぽな今の僕の中身そのものといってもいい開発途中の「Burn Drive」の全てを晒してしまったのだ。
わけがわからない。
わけがわからないけれど、ひとつ、確かな事実が残った。田村君が横で見ていたとき、喋りながらの非効率な作業をしてたのにも関わらず、制作に長いこと詰まっていたモーションのひとつが、あっさり出来上がったのだ。
何故だろう? だからなんだろうか?
気がついたら、僕は彼と一緒に、まだこのゲームの開発を続けることになってしまったのだった。
***
入学式が終わって、クラス分けを確認する。僕の出席番号から数えて6つ前の場所に「田村映一」と書かれていたのを見つけるのとほぼ同時、2フレーム程度の差で
「同じクラスか。ラッキーだな」
と、その人物本人の声がした。
「そうだね」と、僕はつとめて平静に答えて、それからどちらともなしに、ゲームの話を最初のホームルーム開始直前まで続けたのだった。
「当面の開発方針はどう考えてますか? ボス町田」
「そうだね、新キャラも作りたいけど、何より絵をどうにかしたいね」
「絵か」
「うん。今の描き方じゃ時間がかかりすぎるし、素材に頼った絵だと、どうしてもどこかぎこちないしね。何ていうか、もうちょっとちゃんとした絵にしたいかな。田村君、その辺りは何か、心得ある?」
「いや全然。知り合いに絵を描くやつもいなくはないけど、多分お前の方が上手いよ」
「僕のやってるのは『絵を描く』っていうより、『画像を作成する』ってのに近いから」
「違いが判らん」
「全然違うよ。やってみたら判るよ」
「そうだな、俺もやってみる。とりあえずお前のやり方なら俺にでもできそうだから、当面はそれで続けてみよう。で、別方面からも探ってみるか」
「別方面?」
「ああ、学生の特権ってやつな」
田村君は悪巧みしてるかのような笑みを見せた。
「いいねそれ。試してみよう」
僕もできるだけ近い表情を作って、笑って見せた。