第十一話 町田良、気付きを得る
病院のベッドで目を覚ましたとき、僕は、夢から覚めたんだなと思った。
それは正確には間違ってたけど、事実はそう遠いものでもなかった。
一週間後。美術準備室で、僕は田村君に「Burn Drive」がどう考えても完成しないという見通しを伝えた。
残る作業量と、残った時間。田村君は、僕が転校しても作業はできると言ってくれた。多分、そうなんだろう。今はネットもかなり便利だし。
でもそれは、もう今みたいな顔を突き合わせての、笑いながらの、楽しい作業とは違う。効率は極端に下がるだろう。それに、田村君は受験の事を度外視してたけど、僕はそうも行かない。
何より、僕は父さんから聞かされていた。タイミングを逃したら、ものは作れないと。転校前に完成しなかったなら、このゲームはもう完成しないだろう。ダラダラと続けることは、逆に意味が無いんだ。
僕は田村君に、そういう内容のことを思いつくまま伝えた。それは本当は、彼にその言葉を否定して欲しかった想いからだ。
だけどやっぱり、夢はもう覚めていたんだろう。
田村君は「……悪い。今日は帰る」と言って、出て行ってしまった。
***
さあ、どうしようか。誰もいない美術準備室で、僕は考え込んだ。美術室では笹北先輩が筆を走らせている音が聞こえてくるけど、その分、静けさが強調されてる気がした。
このまま、完成しないものを作り続けるかどうか。考えようとするのだけど、頭に考える内容が乗って来ない。考えようとする事柄が、全て、風みたいに脳をすり抜けていく気がした。
やっぱりもう帰ろう。僕は準備室のパソコンを落として、荷物をまとめた。……あれ?
……音楽が、聴こえる。ピアノの音だった。聴いた事のない曲だった。でも、聴いた事があるように感じた。誰の曲なのか、判る気がした。
「……失礼します」
演奏を邪魔しないよう小さな声で言って、音楽室に入る。今日は、吹奏楽部の練習は無かったのだろうか? がらんとした部屋の中で、国枝先生がピアノを弾いていた。
「今日は、もう作業は終わりですか?」
先生が言う。僕は何故だか答えられない。
「ああ、退院明けでしたっけ。無理はしないで、また明日から頑張るといいですよ」ピアノを弾く手を止めて、先生がこっちに悪戯っぽく笑いながら言った。
「先生……」
「体に気をつけてくださいって言ったのに。仕方ない子ですね。私は気をつけてますよ。自分の力量とか、体力とか、年齢とかもわきまえてますからね」
先生は、ピアノの譜面立てに立ててある五線紙にペンを走らせながら、言葉を続けた。
「もうすぐ出来ますよ。次の曲。良かったら使ってやってくださいね」
「先生が……佐伯さん?」
「……ふふっ……あはは」急に先生が笑い出した。
「ご、ごめんなさい。こういうの、すっごく照れるわ。もう限界。はい……そうです。私が佐伯谷人ですよ」
先生は真っ赤になって笑いながら、おなかを押さえて、涙さえ浮かべてそう言った。
先生があんまり笑うので、僕は何だか自分が馬鹿にされてるような気がした。
「知ってて、黙ってたんですね?」
「ごめんねー。ていうか、バレたら困るのこっちだもん。……あー恥ずかしい!」口調さえころりと変えて、先生が笑う。ああ確かに、学校の先生が元インディーズのコンポーザっていうのは、ちょっとマズイのかも。
「……そうですね、ごめんなさい」
「謝んなくていーよ。君には、バラしてでも言いたい事があったの。これは、私の都合ってだけ」
「言いたいこと?」
「うん。簡単なことだよ」そう言うと、先生は僕の方を真っ直ぐ向いて、
「私の曲、気に入ってくれてありがとう。君達のゲームも、私は、好きだよ」と言いながら僕の手を優しく握った。
僕はまた、言葉が出せなくなった。先生の手は、柔らかくて暖かい。その熱が僕の胸に伝う。何だろう……胸に火が点ったみたいだ。
「だから、最後まで一緒にやろう。きっとできるよ。君達と、私と、みんなとで。……ね」
夕日が差し込む音楽室で、先生はそういうと、僕の背中をそっと押してくれた。
***
「田村君……」
「よっ」
校門の前で、田村君が待っていてくれた。
「何つーか……何て言ったらいいのか分からんのだけどな」そんな風に困りながら、田村君は何かを言おうとしてくれる。僕には、その言葉がもう分かっていた。
「うん。もう一度、最後まで、一緒にやろう」
僕は彼に、すごく謝りたかったのだけど、その言葉をぐっと飲み込んで、そう言った。
田村君は僕の言葉を聞くと、驚いて、笑って、それから、僕の肩を掴んで
「おうよ!」と言った。