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其ノ二十一 怒りという名の……

 ハイバは老婆の妖術師を真下に見下ろす位置に立ち、彼女への問い掛けを始めた。


「お前は何者だ。何故俺達を襲った?」


 妖術師は笑い、しかし彼の眼を見ながら答えていく。


「ワシのことはサザベクと呼んでくれ。今は幇陀神ドグスドイの里に身を寄せておる」


 ドグスドイの名が出た事で、ハイバの中で或る程度の納得感が生まれた。


「お前達は昨日、レギを始めとする里の若衆を蹴散らしたじゃろう? ワシはそれを遠見の術で見ておってな」


 ……それでの、あそこの女に興味を覚えたのじゃよ――妖術師サザベクはルサナを差した。


 霊威の獣を使役する者であれば、遠く離れた場所にも目まぐるしい速度で辿り着くことが出来る。このサザベクは、昨夜の内にこのフィリットの町へとやって来たらしい。


「剛毅なことだな」


 ハイバの言葉に、彼女は「お前さん程ではないがのぅ」と軽口を叩く。


「じゃがさっき言った通り、当初はあの女の霊力の高さに関心が有ったでな。町人に紛れ、ギリギリまで気配を消して女を攻撃した訳じゃ。その力でどう切り返してくるかと期待してな」


「試したというのか? 趣味の悪いことをする」


 ハイバは声色鋭く、手にした片刃剣をサザベクの鼻先に突き付ける。


「脅しかの? そのような仕草はお前さんには似合わんのぅ、もっと山のように()()()()としておれ」


 サザベクが返してきた言葉は、微かに親しげな意思を投げ掛けてきたようにも捉えられ、ハイバは露骨に眉根を寄せた。


 彼にとっては今も尚、戦闘の延長上である張り詰めた空気。冗談めかした返答に取り合う気分ではないのだ。


 だが、サザベクの次の言葉は真を突くものとして受け止めざるを得なくなる。


「あの女は、何らかの神から寵愛を受けておるのぅ。ワシの蛇を防いだのは奴ではなく、もっと超常的な意思であったからじゃ」


 確かにあの時のルサナには、自身に何が起きているか分からず困惑している瞬間があった。そこに気付けぬハイバではない。


 ――ルサナの精神に、僅かの間だが黎妙神アズヴィーラが同調したんだ。此奴(こいつ)はアズヴィーラが出した障壁に黒蛇の霊獣を通して触れ、その意思の残滓程度ではあっただろうが、感じることが出来たんだろう――


 このサザベクという者は、ルサナの中に、名は分からぬまでも神の意思が介在している事に気が付いている。


 ハイバは片刃剣を持つ手に力を入れた。


「お前が興味本位でルサナに手出しした事を、俺は赦すことが出来ない。此処でその魂を浄化してやる」


 断じる言葉。だが、当のルサナが彼を制止した。


「待って、その者には私が止めを差すわ。私の手でやらなければ、後味の悪さが残るもの」


「ほぉう。近くで見ると尚の事、常人からは離れた存在感じゃのぅ」


 ハイバとサザベクから、少しだけ距離を離した位置に立つルサナ。今は、幽玄とした佇まいを見せていたが。


 しかしハイバだけは理解している。彼女の内にある黎妙神への怯えを。


 サザベクにも、他の誰にも聞かれぬよう、念に依ってルサナの精神に直接語り掛ける。


 ――此奴に近付くなルサナ。お前が躍起になるというのは、此奴がお前の内面の領域に変化を生じさせた事を、お前自身が認めることに繋がるんだぞ――


 ――ハイバ……。貴方、私が黎妙神の声を聴いていたことを、見ただけで気付いてくれていたの?――


 精神感応故により直接的(ダイレクト)に伝わる、彼女の暖かな感謝の気持ち、その思慕の念……。


 強過ぎる()()は、ハイバの心を動揺させる。まこと、彼にとっては厄介この上ない代物(シロモノ)だ。


 ――今は俺の事はどうでもいい! お前にとっての大事な問題について言っているんだ!――


「あ、あのっ」


 突如差し込まれた幼気(いたいけ)な声。それはあのアディン少年のものだった。()()()()と、ルサナの傍にやって来ていた。


「アディン、だったな。何の用だ」


 ハイバは素っ気無い態度で言い放つが、無論、彼がルサナに黒蛇の襲撃を伝えた事は知っている。


「そ、その……」


 居心地悪そうな仕草のアディン。だがハイバは彼を(いじ)めているのでは無く、寧ろ、一人の人間として過度に甘やかさずに接していたのだ。


 敵との戦いは、まだ終わってはいない。サザベクに対しそうしたように、この少年にも、その見た目で此方(こちら)の対応を緩ませはしない。


「そ、その人、殺しちゃうんですか……?」


 アディンの口から、きっと精一杯に絞り出された言葉が(こぼ)れた。昨日に見せた、あの未熟さ故の激しい義憤は鳴りを潜めた、本当に純粋な問い掛けとして放たれた言葉。


 ハイバは、彼が勇気を以て言葉を発した事を受け止め、内に秘めた心の強さを()()()()()()()


 だが問い掛けには、ルサナが先に答えた。


「その通りよ。この者は私という存在を狙って此処に来た。故に必ず始末を付けなくてはならないの」


 答えそのものは苛烈かもしれない。しかし、叶う限りの、優しい言い方を彼女は心掛けているようだった。


 幽玄とした佇まいでは無く、人の、年上のお姉さん然とした言い方を、だ。


 ……ルサナは、黒蛇を通じてサザベクの意思の片鱗を見たのだろう。その霊力の高さなら当然、相手の霊気の波長や敵意にも鋭く反応してみせれるものだ。


 だからこそ、ハイバには何故彼女が黒蛇を感知出来なかったかが分からない。


 不意に、嫌な予感が生じる。


「アディン少年、お前はきっと、もう勝負は着いたのに何故これ以上の事をするのだろうと、俺達に疑念を抱いているんだろう。だがこれは俺達の、触れられてはいけない領分の問題だ」


『勝手だ』と(そし)ってくれていい――アディンにそう、固く結んだ言葉を与えた。今の状況を、急ぎ変えたかったのだ。


「そ、そんな風には思ってない、ですっ!」


 彼は精一杯に首を横に振った。そこに――自分の思いをどうか分かって欲しい――という懇願の念があることをハイバは悟る。


「分かっている。分かっているから、今は引け少年」


「ねえハイバ、彼にはもう昨日の様な心の歪みは感じないわ。もう少し情を向けてあげても――」


 ルサナが一歩足を踏み締め、二人の仲立ちをしようとした時、に。


「うっ!?」


 その、本当に僅かの間に生じた隙を突いて。サザベクが、アディンに黒蛇の霊威を絡ませたのだ。


「貴様!」ハイバが激昂する。


「ふっ、(から)()はワシの様な妖術師の得意とする所でなッ」


 いつの間にか、ハイバにも気が付かぬ程の、霊気を絞った小さき黒蛇を地面の中に潜ませていたらしい。


「この幼気な坊やの命と引き換えにしても、ワシを殺すかのぅ?」


 サザベクの言葉に嘘は無いと判断出来た。術者と繋がった霊威は、主の感情と強く同調する故に、例え細かな命令を下さずとも彼女の()()()()()()()()()()()反応して、アディンの命を奪っていくことだろう。


 小さき黒蛇、ハイバ達であれば霊気を放出しただけで浄化が可能だが、しかしこのアディンでは為すがままにされるだけ。


「姑息な真似をするッ――!」ルサナが激しく憤ったが、彼女をしても強引に引き剝がすのは不可能。霊気の衝突(スパーク)に晒された時点で、アディンの身体は大きな苦痛に見舞われる。


 それ程に、元来ハイバらとアディン少年は、住むべき世界が異なるのだ。


「くっ」ハイバは片刃剣を収め、サザベクから離れる。


「良い判断じゃ。慌てる事無く、泰然と。その巨山の心意気をこれからも忘れぬようにのぅ?」


 サザベクは立ち上がり、黒蛇に人差し指で命令を下す。黒蛇は黒い影として膨張し、アディンの姿を隠していく。


「ル、ルサナさんっ!」


 アディンの叫びが木霊したが、次の瞬間にはその存在が掻き消える。


「安心せい、殺しはせぬわ。だがあの少年には、お前達を誘う餌になって貰おうかのっ」


 サザベクは不敵に笑い、自身の姿をも闇に溶け込ませた。


 ――ドグスドイの里に来い。それまで少年は、ワシが丁重に持て成しておくでなぁッ――


 最後に言い放たれた言葉。彼女が黒蛇に下した命令は『帰還』であったのだろう。


 ……ハイバは、ルサナに向き直った。


「何故、アディンに迫る黒蛇に気付けなかった? お前の霊感なら、無理な事では無かった筈だ」


 責め立てているのでは無い。ただハイバには、自分のルサナの能力への見立ては確かな筈だという自負が有ったのだ。


「ご、ごめんなさい。私、あの子がハイバを怖がるのが嫌で……貴方の良さを、きちんとあの子に知って貰いたいって、そう思って……」


 真実、申し分け無さそうな表情で、ルサナが謝罪していた。


「そんな理由で……? その一心で居たから、周囲への警戒を怠ったっていうの、か?」


「本当にごめんなさい……」


 俯く彼女。ただただ、それしか出来ないでいる彼女の姿に。


 突如、ハイバの胸に或る言葉が去来したのだ。


 ――俺は人々から畏怖ではなく、敬愛の心で迎え入れられるお前の方が素敵だと思えるんだがな――


 ――ま、まあ、人々の心を掬い上げてみせる程度のこと、出来ないような私では無いけれど、ね?――


 これが今朝、二人で食事をした時に交わした会話であったと、ハイバは確かに記憶している。


 ――あのやり取りから、此奴は俺の言ったことを実践しようとしてみせていたのか!――


「私も、人で在りたい気持ちは勿論持っているから……あのアディンって子には、特に寄り添わないといけないって、努力、したつもりだったのよ……」


 ルサナの、縋るような、柔らかな微笑み。それは彼女が自分に見せてきた、これまでのまだ気丈だと思えた甘えとは異なる表情だった。


 ハイバは、悲痛な顔で怒る。己に、だ。


 ――俺が此奴に、無理をさせてしまっていた……!――


 これは彼の、彼だけの、男としての領分から生じた怒りだった。

今回は一言だけ。


読者の皆さんは、ハイバのことをどう思いました?


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