其ノ一 ハイバの眼は夢に煌めく
霊峰ガダ、アスリルの里から外れた場所にある丘。
ハイバは精神を研ぎ澄まし、霊感応と呼ばれる業を行っていた。
齢二十一歳、身の丈百七十五。艶めく黒髪、細身ながらもその身に秘めた力強い霊気が、彼に溌剌とした印象を付加させる。
やや広がり感のある、深みを帯びた黒色のズボン。襟元が開けた腰丈の、黒灰色の羽織衣を纏う。
霊感応とは霊気を媒体に己の意識を拡張させ、波長の合った己以外の存在と、互いの精神を交じり合わせる術だ。
今ハイバの精神は霊峰を越え、天空の霊気流の中を飛翔していた。
――やあ、お前達も心が躍っているのか?――
ハイバの波長に感応した、実体を伴わなぬ霊威の獣らが彼の後に続いている。
剛翼を広げ鋭い眼を光らせる鷹、首元から長く美しき毛を靡かせる獅子、我が物顔ですいと大空を翔ける兎……。
色んな姿を象った霊威らが、皆ハイバの弾む心に焦がれるように、軽やかな軌道を描き舞う。
ハイバは霊威らに微笑みの意識を向け、そして同時にこう思う。
――良い、調子なのかもしれないな。これなら今日は、届くか?――
心の内に生じる幻視が微かに大空に反映される。その【龍】の幻視を一瞬で搔き消して、ハイバは己を戒める。
――ダメだ、逸るなよ俺。こういうのは求めれば遠ざかるものさ――
幻視では意味が無い。伝承というだけではない、この世界にきっと実在する筈の【龍】にこの手が届かなければ、余りにも【夢】が無さ過ぎると彼は一人そう思う。
思念は強く貫き通し、されど無我の境地に至り空を舞う。理屈が邪魔になるというなら、解脱してみせればいいだけだ。
霊気を操ることのコツは、己の内面を起点とし世の事象をシンプルに捉えること。
精神は起点となる己の内面、思念がシンプルさを纏う程に純化し練り上げられる。逆に、その内面が常識という雑多な念に塗れると純化からは遠退く。
唸りを上げる風の音、雷渦巻く暗雲にも、ハイバの心は恐れを知ることが無い。
霊感応の最中、当人の精神は剝き出しの状態になる。大いなる自然の圧力が直接的に心を覆い尽くしてくるものなのだ。
今尚霊威の獣達がハイバとの感応を続け、愉しげに暗雲の中で光を放ち舞い踊る。
ハイバが身勝手なまでに空を翔け続けていることを、彼らの嘶きが、まるで人の唄のように彩っていく。
――……ッ!――
霊脈の質そのものに変化が訪れるのを感じる、空全体が震える大いなる共振を。
霊威の獣達の舞いが乱れる。大いなる共振が、彼らの存在そのものを霧散させてしまいそうなのだ。
――有難う、お前達。後は俺一人でいい――
自身も精神を乱されようとしている中、ハイバは彼らの事を心から案じていく。
それでも彼らはハイバに付いていくことを止めない。一体また一体とその姿が散っていっても、止めない。
――お前達も夢を見たいのか。……いや、俺がお前達に夢を見させてしまっているのか――
そう思った時のハイバは、自然と冷静だった。分からない事に不安を抱くのは人の常だが、分かった事に対し、その事実を無いものとするのは愚の骨頂と彼は思う。
空を舞うハイバの意識は、彼本人の姿を象っている。その意識体の彼の眼は哀しみではなく、獣らの精神の頑強さ、心の屈しなさに感じ入り、少年のように迷いなく煌めいている。
今は一体だけ、獅子の獣だけがこの場に残っていた。せめて彼だけは消されないでいて欲しい……そう思うことが傲慢なことだと分かっているから、ハイバはその傲慢さは捨てた。
身勝手な、こんな自分に共感してくれた事への微かな感謝だけを抱いて、進む。
雷の音は聴こえなくなっていた。俗世の感覚を脱ぎ去り、悟りの境地へと至り……。
視界の向こうに何かを感じる。霊視の眼にも映らない、それでも幻覚じゃない、確かに彼方に存在する大いなる【それ】を……。
――見、え……――
――ハイバ!――
――……ッ!?――
突然聴こえた、女の声。とても見知った、迷いなく呼び掛けてくる思慕の声。
「ルサナ!」
ハイバの霊感応は霧散し、彼の意識は現世へと引き戻された。
芯に煌めきを宿す眼は大空を映し続け、その手は【それ】へと向け真っ直ぐ伸びる。名残惜しみながら。
「あと少しだったのに……」
「今キミの邪魔をした姫様だけど、どうやら里で巫女様と戦ってるらしいんだ」
ハイバの後ろに控えていたクラウレが、そっと告げてきた。
翡翠色の長髪を後ろ手に結い、唇にペールオレンジの口紅を引いた彼女は、見た目の色香に反して飾らぬ気質を持つ、ハイバの数年来の親友であった。
この物語の主人公ハイバの登場です。
(だからこその今回が『其ノ一』)
ハイバはこれまでの神代作品の男主人公に比べて、かなり『荒々しさの無い』
清純な気質をしていて、かなり眼が煌めいています。
言い方を変えれば、かなりいい根性をしています。
神代としても新機軸で今後が楽しみな主人公ですので、一つ応援お願いします。
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