「マルドゥック・スクランブル排気」冲方丁
『マルドゥック・スクランブル排気』
冲方丁/ハヤカワ文庫
(内容)
マルドゥック・スクランブルは、全3巻で構成された長編作品で、排気は最終巻です。
シェルのカジノで強敵とも言える様々なディーラー達と戦い、ついにはシェル自身にも打ち勝ったバロット。彼の悪事の証拠も手に入れた彼女を待っていたのは、ウフコックに執念を持つボイルドでした。またしても殺人を犯してしまったシェルを今度はボイルドから助けねばならず、バロットは渾身の力を持って戦います。
(物語に出てきた具体的な色の紹介)
『碧色』
シェルがオクトーバー社の取締役の娘と婚姻する話をしている重要な時、部下に呼び出され「ヒステリックなイラつき」をあらわにしています。その時のサングラスの色が、コマドリの卵の殻のような碧色でした。
これはヨーロッパにある色名で、ロビンズ・エッグ・ブルーと呼ばれています。大切なものを示す色とも言われ、まさにバロット達が彼のカジノでシェルの記憶を保存している100万ドルチップの中身を手に入れようとしていました。
また、ストーリーで繰り返し出てくる卵や殻との繋がりを意識しているのでしょう。
『シャープな赤い色』
第1巻にも出てきた色です。バロット達がいることがわかり、シェルは恐れおののいて「強いストレス」がかかっている状態。
かつてバロットを殺そうとした時と同じ色で、殺人衝動が起こる危険な色です。ボイルドがバロット達を殺すことを請け負うと、シェルはやっと安心します。
『青』
①『沈むような青』
部下達が皆負けてしまい、バロットとシェルの直接対決となるシーンでのサングラスの色です。「怒りと不安」がないまぜとなっています。
②『月光のように青ざめた』
この色はムーンライト・ブルーではないかと思います。薄い青色をしています。多幸剤を飲んだ後のシェルの幻覚、もしくは悪夢を見て、「恐怖」を感じている時のサングラスの色です。
③『薄い青から嵐の夜のような濃い色』
薄い青は、②のムーンライト・ブルー。嵐の夜のような濃い色は、ストーミー・ナイトではないかと思いました。今まで信頼していたボイルドに裏切られ、「絶望」している時のサングラスの色です。
『深いすみれ色』
再び法廷でバロット達と会うことになったシェルは、「自失し恐れ」を抱いています。必ずバロットを消してくれとボイルドに懇願している時のサングラスの色です。
『子鹿色』
殺人を犯したシェルは、ボイルドに後始末を全てまかせ、マルドゥックから別の土地へ逃走しようとしている時のサングラスの色です。多幸剤を飲んでいることもあり、「幸福」を感じています。
鹿は「再生」の象徴であり、「力」の象徴でもあります。シェルはいつでも新しい人間に生まれ変わり、権力を持とうとしています。
(色の特徴)
3巻も色を絞っており、必要最低限の色名が使われています。特に「幸福」を感じているところに子鹿色が使われているのが特徴的です。通常ならピンクや黄色などを使いそうですが、著者が使ったのは茶色。おそらくヨーロッパの鹿の象徴性を意識していたのではないかなと思いましたが、海外で生まれ過ごしたというのは日本から出たことがない私にとってはとても興味深い経験です。
(著者のカラーパレット)
『基本的な色』
赤、青、白、黒、オレンジ色、黄色、紫色の7色が使われています。やはり赤が1番多く、次いで白と青が使われていました。
『更に細かい色名』
ロビンズ・エッグ・ブルー、皇帝緑、ダークブラウン、ムーンライト・ブルー、ストーミー・ナイト、金色、銀色、ブロンド、菫色、緋色、子鹿色、深紅の12色が使われています。1巻に次ぐ色名の多さがあり、印象づけとこだわりを感じます。
『著者の作った色?』
作ったというより、トーンで分類されたものをそのまま使ったのかもしれません。ダークブラウンは事典にありませんでしたが、もしかしたら私が知らないだけかもしれません。
『挿絵のカラー』
この巻で特徴的な、ロビンズ・エッグ・ブルーと子鹿色を使いました。
『全巻通しての感想』
著者の色に対する繊細さと、深い見識に驚きました。もともとから色に詳しかったのかはわかりませんが、たぶん参考にされた色彩事典は『色々な色』ではないかなと思いました。しかも象徴性まで配慮して、色を効果的に使っています。今後も楽しみだと思える本に出会えて、感謝しています。
細かい色名は、拙著『世界の色彩事典』『日本の伝統色』に載っています。よければそちらも参照ください。