「マルドゥック・スクランブル圧縮」冲方丁
『マルドゥック・スクランブル圧縮』
冲方丁/ハヤカワ文庫
(内容)
マルドゥック・スクランブルは、全3巻で構成された長編作品で、圧縮は第1巻です。
少女娼婦バロットの成長と、サイドでは彼女を守るネズミ型万能兵器ウフコックの因縁の相手ボイルドとの対決が描かれています。また、ウフコックの使い手としてバロットとボイルドとの差、同じ過ちを犯したバロットの苦悩の中する姿も。
彼女の壁として立ちはだかるのは、賭博師シェルです。彼は少女を利用して悪事の限りを尽くし、最後は彼女たちを殺してブルーダイヤの指輪にして飾る趣味を持っています。彼に対して、バロットは怯えるだけですが、物語を通して変化が出てきます。
(物語に出てきた具体的な色の紹介)
『シャープな赤色』
この巻で1番多く出てきたのは、赤でした。
その中でもこの「シャープな赤色」は特に印象に残ります。
賭博師シェルが常に身につけている変光サングラスがあり、それは時間とともに表面の色が変わるとあるのですが、感情に結びついていると思いました。
この時シェルはバロットとドライブしており、穏やかな態度です。ですがこの後バロットを殺す計画が決定しているため、態度には出さずサングラスの色で「強いストレス」をあらわしています。
なぜ強いストレスかというと、自分の記憶を消さなければならないことによるストレスのためです。
シェルが幼い頃に受けた脳への手術が影響しており、そのため定期的に記憶を消しています。
ただそれが殺人した記憶を消すなど悪事を働くために利用しているので、同情はわきません。
『皇帝緑』
シェルの瞳はこの色に加工されています。
これはフランスの緑色で、皇帝はナポレオンのこと。彼が好んだ色で、シェルもまさしく皇帝のようにマルドゥック市を牛耳ろうと考えています。野心の色ですね。ただエンペラーズ・グリーンにはヒ素が含まれているため、ナポレオンの身体を蝕んでいました。皇帝は最後には亡くなってしまいますが、シェルはどうなるでしょうか。
『鉛色にも似た深い青』
バロットを殺した後の、シェルのサングラスの色です。
ボイルドの前で、ぐったりしながら多幸剤を酒で流し込んでいる時に出た青色。
鉛色は青みを帯びた鈍い灰色のことで、一般的に憂鬱な気持ちの時などに使われています。また鉛は医薬品としても使われます。
青が鉛色に近くなるほど、「ストレス」を感じている様子が描かれています。
このストレスはバロットを殺したことではなく、自分の脳に重度の記憶障害が出てしまうトラウマです。それを薬を飲むことでごまかしています。
『鉛色』
①バロットを殺した記憶を消して来たときの、シェルのサングラスの色。
「記憶を消したストレス」で鉛色ですが、殺人の証拠の記憶がないことに安心感を覚えています。
ボイルドに向かって、薄く笑っています。
②バロット殺人未遂について法廷で争った後の、シェルのサングラスの色。
「自分が負けるかもしれないストレス」で鉛色に変化していますが、ボイルドに完璧な殺人計画を提示され安心します。
『濃い紫』
バロットが実は生きていて、シェルを脅かしている時のサングラスの色です。
「強い苦痛」を感じています。
この時にシェルにはバロットが誰かもわからないけれど、ダイヤの素材の認識です。
『ポピーレッド』
バロットはたまたま目に付いたポピーレッドの口紅を買ったと書かれています。
しかしポピーレッドは彼女そのものの色。ヨーロッパには殺された者の流した血からポピー(ヒナゲシ)が生えるという伝説があります。バロットは殺され、かろうじて生き残りました。このポピーレッドは、彼女の流した血の色です。
口紅はリップに塗るより、殴り書きすることに使われます。
本人は口紅と自分の垢で黒くなったポピーレッドが自分だと言っています。しかしウフコックは肯定的な事を真面目に言い、バロットを脱力させます。
『鈍い亜鉛色』
亜鉛色は、おそらく作者の作った色です。
亜鉛華という色名はありますが、それはやや透明感のある白のことで、たぶんこの色のことではないと思います。
亜鉛は青みを帯びた銀白色なので、その色をさすのではないかと。しかも鈍いので、輝きのない灰色がかった色なのでしょう。
この時は法廷でバロットたちが正式な裁判を勝ち取った時のサングラスの色です。
明らかにシェルは怖がっていました。そして、バロットの死をボイルドに願うのです。
(色の特徴)
著者が幼い頃、海外の文化に触れる経験があったからか、色の選び方が独特です。ただの赤でも、「シャープな赤色」などとても細かく書かれています。また色を意識的に使っており、作者の色への敏感なところが印象に残りました。
(著者のカラーパレット)
『基本的な色』
黒、白(純白)、赤、緑、紫、灰色、黄色、ブルー、ピンク、オレンジ、赤紫色の11色が使われており、色が偏ることなく幅広く使われています。最も使われていたのは赤、次に白、3番目は黒です。
『更に細かい色名』
漆黒、ミルク色、皇帝緑、鳶色、鉛色、赤茶色、黄金色(金色)、銀色、ポピーレッド、瑪瑙色、茜色、緋色、褐色、純白の14色が使われており、かなり色数が多いことがわかります。
『著者の作った色』
亜鉛色の1色ですが、そこまで色にこだわり、表現しています。きっとぴったりの色名がなかったのでしょう。
『挿絵のカラー』
皇帝緑と、ポピーレッドです。対立するシェルとバロットの特徴的な色を抜き出しました。また緑と赤は補色関係でもあります。
細かい色名、亜鉛華は、拙著『世界の色彩事典』『日本の伝統色』に載っています。よければそちらも参照ください。※瑪瑙色、『世界の色彩事典』でアップしてます。