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「きゃっ!」
腕をぐいっと引っ張られ、ひふみのベッドに放り投げられたわたしは仰向けで倒れ込んだ。今朝わたしが掛け替えてやったシーツは嗅ぎなれた大崎家の洗剤の匂いと、ひふみの体臭の混ざった香りがわたしの鼻腔をくすぐる。部屋の掃除までしてやっている幼馴染みになんという扱いをするのだこいつは。
「一体なんなのよ?」
せっかく初めての彼氏が出来た感動的な場面だというのに。乱暴なあつかいにイラつきながら起き上がろうとすると、ひふみが後ろから覆いかぶさってきた。いくら幼馴染みとはいえ、成長してからこんなにも密着したことがなかったせいで、なんだか動揺してしまう。
「ゆう、ゆう、ゆう」
ひふみはわたしの名前を呼びながらその顔をわたしのうなじに寄せてくる。
「な、なにしてんの!」
わたしの問いかけに答えることもなく、ひふみはずっとわたしの名前を呼び続ける。なんなの、そんな辛そうな声、今まで出したこともないくせに。
「ゆう」
ひふみがわたしの名前を呼ぶたびに、熱い吐息がうなじにかかり、なんだかぞくぞくしたものが背筋を駆け抜けていく。その居心地の悪い感覚を振り払うように、わたしは必死に身体をじたばたと動かしたが、ひふみは意にも介さぬように、じっと黙ったまま動かない。
「ねえ……! そこでしゃべるの、やめて……」
「なんで?」
「なんか……くすぐったいから」
「それだけ?」
「それ以外何があるの……ふあっ!?」
ぞわぞわした感じをごまかすようにぼそぼそ言い訳をしていると、ひふみが直接うなじに息を吹きかけてくる。背筋をさらに大きいぞくっとした感覚が通り抜けていき、思わず身体がびくびくとはねてしまう。わたし、そんなにくすぐったがりじゃなかったはずなのに。
「夕、かわいい」
「もうやめてってば! こんなことするために沢木くんから引き剥がしたの?」
なんだか今日のひふみはおかしい。今まで何年も一緒にいて、わたしのことを可愛いなんて言ったの初めて聞いた。そう言うとわたしに覆いかぶさっていたひふみの身体がびくりと反応する。
「あいつと付き合うって本気か?
お前、あいつのことなにも言ってなかったじゃないか」
「告白されて気が変わったの!
それに付き合うならわたしのこと好きだって言ってくれる人の方がいいじゃない」
「そんな理由でいいならオレだって……!」
ぐいっとひふみがわたしの顔を強引に振り向かせたかと思ったその瞬間、ひふみの顔が近づいてきてわたしの唇になんだかガサガサしててふにっとした感触のものがあたる。え、なんなんだこれは。今、ゼロ距離にあるこの顔はひふみの顔に違いないけれど。それならば今わたしの唇に当たっているものは、もしかしてひふみの唇? もしかしてわたし、ひふみにキスされてる!?
「んっんんーーーーーっ!?」
意味がわからない、なんでひふみがわたしにキスしているんだ!? 混乱しながらも、ひふみから少しでも身体を離そうとジタバタもがくわたしを、まるで逃がさないとでも言うようにひふみが押さえつける。閉じていたひふみの目蓋が開くと、その瞳は潤んでわたしをじっと見つめる。
「は、はにゃふぃ!?」
わたしが唇を開く瞬間を狙っていたのか、言葉の途中でひふみの舌がわたしの口の中に侵入してきた。
「もっろくちひらいて」
「ん……っ、ふ」
今まで喋っていたひふみの舌がわたしの口の中をべろべろと舐め回す。歯の裏、わたしの舌の表面、歯茎、舐められて、しゃぶられて、わたしは初めての体験に戸惑ってひふみを拒むことを忘れて、ひふみから与えられる舌の感覚に集中してしまっていた。
「ゆう、きもちいい?」
「んん」
答えたくてもひふみがわたしの舌をちゅうちゅうべろべろ吸うせいでなにも答えられない。さっきまで普通に言葉を発していたひふみの舌が、今わたしの中にいる。そう思うとなんだか身体が熱くなって頭がぼうっとしてくる。
「夕、セックスしよう」
「んあ……い、いま、なんて?」
「だからセックス。耳遠いの?」
セックス、わたしがひふみとセックス? 途端に今まで頭を覆っていた熱がぱっと霧散する。キスはなし崩しに許してしまったけれど、ひふみとセックスなんてとてもじゃないが出来るはずがない。だって普通の幼馴染みはセックスなんてするか? いやもしかしたら世界にはそんな幼馴染みもいるかもしれないが、わたしたちは断じて違う。そんなことしたら今までの幼馴染みの関係が壊れてしまう。
「ば、バカ! ひふみのバカ! 急に盛ってんじゃない!」
なんだか急に怖くなってひふみの腕の中で身体をくるりと回転させて、股間部分を思いっきり膝で蹴り上げてやった。なんだか思っていたよりも硬い感触だった。こいつ、勃起してやがる!
「っぐ!?」
ひふみは情けない嗚咽をあげてベッドの上でもんどりうっている。逃げるなら今のうちしかない。股間を抑えてうずくまるひふみを残して、わたしは急いでひふみの部屋を後にしたのだった。