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わたしは総じてボランティアというものが好きだ。
困っている人を助けたときにわたしに見せてくれる心からの笑顔が好き。ありがとうという言葉が好き。無償で純粋に行われる善の行為が好き。そんなわたしは今日も街の清掃活動ボランティアに参加している。週に一度、決められた日付に決められた時間、ボランティアメンバーが集まって駅から公園までをぐるっとまわり、ポイ捨てされた空き缶やらタバコの吸殻などを拾っていく。
そんなに大きな街でもないから、どれだけ丁寧にゴミを拾ったとしても4時間ほどでこの清掃活動は終わってしまう。さみしい。このボランティアメンバーはほとんどが主婦の皆さんだ。この活動をしているときの皆さんは額に汗をかきながらもどこか眩しい笑顔を浮かべている。
うんうん、わかるよ。街のためになる清掃活動は清々しい気持ちになるよね。
「おい、そのゴミ袋よこせ」
こんな活動には豆粒ほどの興味もないくせに、毎度毎度わたしについてくる幼馴染みが不遜に言う。全く精気を感じない白い肌に、目の下にできた大きな隈、一度も染めたことのない長く伸びた黒い前髪。こんな明らかに不健康そうな彼が、日曜朝10時からゴミ拾いというボランティア活動に参加しているなんて何度見てもミスマッチ過ぎて笑いがこみ上げてくる。わたしがこみ上げてくる笑いをこらえているのがわかったのか、彼はムッとした顔をしながらわたしのゴミ袋をひったくった。
「おせえよ。お前がこの公園のゴミ拾い終わる頃には日が暮れる」
「そんなとろくないよ、だってわたし50m6秒で走れるんだよ?」
「それはいま関係ねえ」
不機嫌そうに言い放ち、空き缶が落ちている茂みへと向かう彼の背中を見ながら、わたしはついにこらえきれなくなった笑いをククッと落とす。つい先日もこのネタでからかってやったばかりなのだ。
見た目どおり頭の良い彼は、見た目どおり運動神経が悪い。その点わたしは見た目どおり頭が悪くて、見た目を裏切って運動神経がとても良い。彼が悪態を吐いてきたときは、運動神経ネタで追い払うに限る。ただでさえうっとおしいのだから。
彼、大崎ひふみはわたしの幼馴染みだ。生まれてすぐに入れられた幼児室のベッドが隣なら家まで隣。わたしの苗字が御坂だから出席番号順にならべと言われようものなら、あのげっそりとした精気のない顔でわたしの後ろにまるで幽鬼のように立つのだ。
こんなにいつも近くにいる存在と仲良くならない方が無理だというもので、物心ついた頃にはひふみと常に一緒にいた気がする。わたしは彼をもはや異性の幼馴染みとしてより、家族のような弟のような存在だと思っているから彼の前で平気で着替えたりも出来るけれど、そんなときひふみは絶対苦い顔をする。俺以外の前でも平気で脱ぐのか、このビッチと罵られるのにももう慣れてしまった。こちとら弟みたいな存在にいちいち気を遣っていられるか。
大体そんなに嫌なら顔をそらすなり目を背けるかなんなりすればいいものを、どんなに苦い顔をしていても、シャツを着替えているときのわたしの胸元からひふみの視線が離れることはない。なんだかんだ言って奴も男だなと感慨深く思ってしまったこともある。
出不精なひふみが何故こんな爽やか活動に精を出しているのかというと、わたしが参加しているからだ。ひふみはわたしがすることなすこと全部に文句をつけるくせに、わたしが参加するボランティアには絶対に着いてくる。ひふみが言うにはわたしみたいにぼやぼやしている女が単独で参加しようものなら、女に飢えた男にすぐヤられてしまうらしい。幼馴染みとしての情けで守ってやってるんだと恩着せがましく言われた日にはあまりの苛立ちに思わずその腹に一発こぶしをぶち込んでやったものだ。
ぶつぶつ言いながらも毎回わたしのボランティア活動に同伴しているせいか同じボランティアメンバーにはひふみが彼氏だと思われているふしがあるが、否定するのも面倒くさいので放っておいている。いまのところ恋愛には興味がないので、言い寄られなくて済むのならこのままひふみを防波堤にしておいてやろう。
「あ、あのっ! 御坂さん……っ!」
緊張したような裏返った声がわたしを呼ぶ。振り返るといつからいたのやら、つい先日ボランティアメンバーに仲間入りした沢木くんが立っていた。
「どうしたの? ヤンキーにでも絡まれた?」
「ち、違います!」
真っ赤な顔でまるでハエでも叩き落とすかのように手をぶんぶんと振って否定する沢木くん。そんな様子がなんだか昔飼っていたハムスターにでも見えて微笑ましく思えてしまう。沢木くんは結構体格が良いからそんな小動物に見えるなんてない筈なのだけれど、彼は女の子に慣れていないのか、わたしと会話するときはいつも顔を赤らめている。それが可愛くていつもこうやってからかってしまう。
「あの、こっちのゴミ拾い、終わったので、御坂さんたちに声掛けてくるようにって……」
沢木くんの後ろを見ると、今日の戦果とでもいうように、主婦の皆さんがホクホク顔で大量のゴミ袋をまとめていた。今までメンバーといえば高校生のわたしに主婦の皆さんだけだったので、イマドキの男子高校生(しかも結構なイケメン)が加入したことは、彼女たちにとって大いにやる気を増大させてくれるスイッチになったらしい。
「ん、分かった! いま行く」
「……あの! 御坂さん! 今日このあと時間ありますか!?」
ひふみにボランティアの終わりを知らせようと沢木くんに背中を向けた途端、右腕を彼に取られた。驚いてわたしの腕を掴む沢木くんを見ると、いつの間にこんなに距離を詰めたのかというくらい、沢木くんが近くにいる。思わず近づいた距離になんだかドキッとしてしまう。こんなに近づいたことがなかったからわからなかったけれど、意外と沢木くんの背が高かったことに気付いてしまった。
「だ、だいじょうぶ、だけど、ひふみがうるさいから、今ここで聞くのはダメ?」
沢木くんはおそらくわたしの後ろでまだ茂みのゴミを拾っているだろうひふみをチラっと見て、何かの覚悟を決めたように深い息を吐きだした。
「御坂さん……」
沢木くんがまるで内緒話をするようにわたしの耳元へと顔を寄せる。
「な、なに?」
「俺、御坂さんのことが、すき、です」
……すき? 沢木くんが、わたしを?
「俺と、付き合ってくれませんか」
突然のことに頭がそっくり機能停止してしまう。だって告白なんて今まで一度だってされたことがないから。
「わ、わたし……その、沢木くんのこと、そういう目で見たことない、んだけど……」
考えられなくなった脳みそがわたしの唇を勝手に動かしてしまう。
「分かってます。御坂さんにその気がないのは。
でも、今付き合っている方がいないなら、俺のこと、考えてみてくれませんか?」
なんという率直で強引なアタック。こんな風にまっすぐ告白されて嬉しくない女子なんていないだろう。例に漏れず、もちろんわたしもキュンとしてしまった。そう、少女漫画を読んでよく感じるあのキュンだ。さきほどまで恋愛なんて興味ないとほざいていたのが恥ずかしくなるほど、わたしは沢木くんにドキドキしてしまっていた。こんなにわたしを想ってくれる人、この先の人生いるかわからない。それなら付き合ってみるのもいいだろうか。それに沢木くんなら、なんだか好きになれそうだ。
「その、沢木くんのこと、好きになれるかわからないけど……。
それでもいいなら、その、オトモダチ成分強めのカノジョから……」
まっすぐわたしを見つめてくれる沢木くんを見ているのがなんだか無性に恥ずかしくなって、俯いて沢木くんの制服のネクタイのさきっちょを見つめながら、そうぼそぼそと呟いた。
「ほ、ほんとですか? 俺の彼女になってくれるんですか?」
改めて彼女という言葉を聞くとなんだか照れてしまうけれど。
「う、うん。オトモダチ兼カノジョだけど……」
「……やったーーーー!」
その叫びとともに、沢木くんがぎゅうっとわたしを抱きしめてきた。沢木くんと頭半分くらい差があるわたしは、彼の肩口に顔を埋めてしまうことになる。沢木くんが使っている整髪料の匂いだろうか、香りがふわっと舞ってわたしの鼻腔をくすぐる。家族の匂いともひふみの匂いとも違う、初めての香り。そういえばわたし男の人に抱きしめられるのってこれが初めてだ。
「おいアンタ何してんだ」
なんだか夢心地でぼうっとしてしまっていたわたしをひふみの声が現実に引き戻す。そうだ、まだボランティア活動中でひふみも奥様方もいるんだった。ハッとして沢木くんから急いで離れる。
「ひ、ひふみ! これは、その」
じっとりとした目線でわたしを見つめてくるひふみになんと言っていいか分からず、しどろもどろになりながらどもってしまう。
「俺、御坂さんに告白したんです。
彼女もOKしてくれて、あんまり嬉しくて抱きついちゃいました」
えへへと、恥ずかしそうに頬を掻く沢木くんにまたまた胸がキュンと高鳴る。考えたことがなかったけれど、わたしはこういうタイプが好みだったんだろうか。
「……このビッチが」
そう吐き捨てるようにひふみは言うとわたしの手をがっしり掴んで歩き出す。こいつは頭が良いくせに、罵る言葉がビッチしか出てこないのは問題だと思う、とちょっとずれたことを考えている間にひふみはぐんぐん進んでいって、公園を出ようとしている。
「ちょ、ちょっと待ってひふみ! まだ片づけ終わってな……」
「もう喋んな」
わたしの言葉を遮るひふみは、その歩みを止める気配はない。半分ひふみに引きづられるようにしながら公園を出ていこうとするわたしたちに、後ろから沢木くんが呼びかける。
「あとでLINEしますねー!」
それを聞いてひふみがぴくりと反応する。
「お前、あいつの連絡先知ってるの」
「そりゃあ、ボランティアの日程決めたりとかで連絡することあるし……」
「俺はあいつの連絡先知らねえけど」
「だってひふみは正式なメンバーじゃないじゃん!」
わたしの言葉にぐうのねも出ないのか、ひふみはふんと鼻を鳴らすとそれきり黙ってしまった。本当に扱いづらい面倒くさいやつだ。大崎ひふみ取扱説明書なんてものが存在するとしたら、今だけでもいいから読んでみたいものだ。