STORIES 057: あの声を思い出せますか
STORIES 057
その日、僕は…
ショッピングモールで買い物を済ませ、次の用事へと向かうため、車に戻ろうと急ぎ足で歩いていた。
もう陽が傾いていたし、立体駐車場は少し暗い。
平日の夕方だったが、それなりに混み合っていた。
自分の車を停めた場所を思い出しながら歩く。
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近くのSUVの辺りでは、数人の男女がしゃがんだりしながら話し込んでいる。
柄が悪い感じではないけれど、なんとなく嫌だよね。
それで、サッと横を通り抜けようとしたとき…
驚いて思わず立ち止まりそうになった。
「えー、そんなことある訳ないじゃない」
ありふれた会話の、どこにでもあるセリフ。
ただ、その女性の声が…
むかしよく聞いていた声に、あまりにもそっくりだったから。
振り返って顔を見てみたかったけれど…
思い直して足早に立ち去った。
なんだか、それはやってはいけないことのような気がしたから。
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あの頃、付き合っていた彼女の声。
振り向いたら、そこに本人がいるのではないかと思えるくらいに似ている。
もちろん、そんなわけはない。
遠い記憶の中の、もう30年近く前の声なのだ。
そして、どんな偶然であっても…
彼女はそこにいるはずがない。
どこか、僕の知らない遠いところで暮らしているだろうから。
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誰かの声。
仲の良い友達とか、離れて住む両親とか、好きなアーティストとか…
何人かを思い浮かべて、その声を思い出してみて欲しい。
意外にハッキリと思い出せるんじゃない?
さらに昔の記憶を遡って、子供の頃の学校の先生とか、隣の席だった同級生とか、初恋の人とか…
そういうのはどうだろうか。
声の記憶というのは、かなり記憶に残るようだ。
僕は、驚くほどの人数の声を、頭の中で再生できている。
ただしそれを表現したり、説明したり、真似したりするのは非常に難しい。
頭の中では確かに存在しているけれど、それをアウトプットするとなると術がない。
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明るい声 沈んだ声
怒った声 悲しい声
親しげな声 よそよそしい声
甘えた声 冷めた声
愛らしい声 憎らしい声
凛とした声 面倒臭そうな声
艶かしい声 恐ろしい声
澄んだ声 ハスキーな声
心地よい声 聞き苦しい声
雰囲気は伝えることができる。
けれど、声そのものを言い表すことは、何と難しいことだろう。
優しく、少し舌っ足らずなあの子の声も。
記憶の引き出しから引っ張り出して、僕の脳内でだけは再生できる。
まぁ、そんなことできても…
意味なんてないのだけれど。
僕は、自分の声は全く好きじゃない。
でも、この声と話し方を好きだと言ってくれる、特異な人たちもいるんだよね。
声って不思議。
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いつも見かけるだけのあの人は、いったいどんな声をしているのだろう。
あなたの歌声を、いつか聞いてみたい。




