1−5
「私自身を固定って…。例えば、どんな風に?」
「んー…?そうだな。ベッドに縛り付けておくとか?」
思わず浮かんだことをそのまま口にすると、紅葉がとても嫌そうな顔をした。
「やだ。圭ちゃん、コワイ…」
「ぷっ…」
その顔に思わず吹き出した。
「嫌だな、冗談に決まってるじゃない」
「もうっ。圭ちゃんっ」
少し拗ねたように口を尖らす、そんな仕草さえも可愛い。
「ごめん、ごめん。でもさ、毎日のように外を歩き回ってる訳でもないみたいだし対策しようがないんじゃないかな。それこそ縛り付けたり出口を塞いだりなんかしたら何かあった時に怖いよ」
火事や地震など思わぬ災害に見舞われた時、逃げることが出来なくなる。
「そうか…。そうだよね…」
紅葉はシュン…としたように下を向いてしまった。
「………」
確かに紅葉の気持ちを考えると。きっと、気が気じゃないんだろうな…とは思う。
自分の意思とは別のところで行動してしまう『自分』。
(外へ出て何をする訳でもないのだろうに…。敢えて出て行く、そこに何か意味はあるんだろうか?)
紅葉の心の問題や心境の変化でもあるのか。
(でも、追い掛けると逃げるっていうのは、ある意味スゴイよな…。そんな夢遊病患者、聞いたことない)
実際、意識が眠っているとはいえ、身体は起きている時のように周囲を見て行動しているのだから反応することは可能なのかもしれないが。
(それを撒いちゃうっていうんだから、驚きだよな…)
運動神経は元々悪くない紅葉だが、普段はおっとりしているので素早い動きで上手く逃げおおせるというのは、本人のイメージとは少し違う気もする。
それでも自分が夢遊病で出歩いているという事実を人に知られたくないという紅葉の本心には、ある意味沿っていると言っても良いのかも知れないけれど。
「ま、噂なんか気にする必要ないよ。パトロールしている人たちだって毎回当番制で違うんだし。それが紅葉だって分かる人はそうそういないんじゃないかな?」
それよりも、正体がバレるバレない以前に、何故ここに来て外を出歩いてしまう程症状が酷くなったのか。紅葉自身の心のケアの方が大切な気がした。
けれど紅葉は、噂のことがどうしても気になって浮上出来ないでいる様子だった。
(要は見た目で紅葉だとすぐに気付かれなければ良いんだよな…)
紅葉を見つめながら考える。
目の前の紅葉は高い位置で髪を纏めている、いわゆるポニーテールという髪型をしていて、こちらを見ながら首を傾げるその仕草に合わせて後ろ髪がゆらゆらと揺れていた。
紅葉は当時、この髪型でいることが多かった。
頭の端で可愛いな…なんて、ぼんやり見ていたが、不意にあることに気付いた。
(そう言えば…眠る時は流石に髪を結わいてなかったよな)
人は髪型で随分と雰囲気が変わる。
紅葉も例外ではなく、長くなってきた髪をいつも纏めている姿に見慣れた頃。夜、彼女の家に届け物をした際に髪を下ろしているのを見た時、普段との違いにドキッとしたものだ。
「そうかっ。普段と夜とのギャップがあれば良いんだ」
「…ギャップ?」
突然声を上げた僕を紅葉が不思議そうな顔で見つめて来る。
「ね、紅葉。僕は紅葉のことを良く知ってるし、この前は丁度家から出て行くところを見たからあれが紅葉本人だと直ぐに分かったけど、普段はそうやって髪を結んでいるし、その姿しか知らない人はパッと見ただけでは判らないかも知れないよ」
「えっ?そう、かな…?髪型だけで、そんなに違うもの?」
「うん。雰囲気は随分と違うよ。だからね、そんな風に普段と眠っている時とに違いを出せばいいんだよ」
「違いを…?」
そうは言っても、夜眠っていて勝手に起き出す時に自分の身なりをどうこうすることは不可能だろうから、普段の方を変えていけば尚更バレにくくなる。と、僕と紅葉の中では結論付けたのだった。
その頃からだ。紅葉が眼鏡を掛けるようになったのは。
ある意味、単純な…稚拙な案ではある。
でも当時、僕らはまだ小学生で。出来ることといったらその位のことしか思い浮かばなかったのだ。
それが丁度、卒業を控えた冬の終わり頃の話だ。
でも、自分的には紅葉が素顔を隠すように眼鏡を掛けるようになったことは内心嬉しい出来事でもあった。
当時、同級生の男子の中で紅葉のことを「可愛い」と気に掛けているマセた奴等が数人いたのだ。
眼鏡を掛けることで紅葉自身が何ら変わることはないけれど、周囲の見る目や印象は随分と変わったようだった。
先程のように外見だけで『真面目そうなコ』と敬遠されてしまうことも多々あったようで。
(それこそ、好都合…ってやつだけどね)
紅葉の魅力は自分だけが知っていれば良いのだ。
余計なお邪魔虫は、いないに越したことはない。
(紅葉は僕がこんな気持ちでいることなんて、きっと知りもしないんだろうけど…)
彼女は彼女なりに、今の『演出』を楽しんでいるみたいなので、これはこれで良しだろう。
ひとり考えに耽っている間にHRは終わったらしく、教師が廊下へと出て行くと途端に教室内はざわざわと賑やかになった。
「そういやぁ聞いたか?昨日の…」
「聞いた聞いた。ファントムが全滅したって話だろ?」
「ああ。何でも全員病院送りらしいぜ」
「すげーな。ある意味、地獄絵図だったんじゃね?」
「昨日は救急車やパトカーなんかのサイレンがやたら煩くってさ。後から知ったんだけど、現場が俺んちの近くだったらしい」
「マジかっ」
近くでクラスメイトたちが話しているのが圭の耳にも届いて来た。
『Phantom』とは、最近この辺りを陣取っていた不良集団のグループ名だ。
彼らは正確な人数や顔は公には知られていないものの、圧倒的な力でこの辺りのトップに君臨していた有名なグループであった。
関わりは勿論その集団さえ目にしたことはないが、圭もその存在と名前だけは知っていた程だ。
噂話の域を出ないが、様々な悪評が流れていたことは確かだった。