柔らかな言葉としてカウンセリングを布教したい
オラ、アミーゴ!
三屋城です☆
皆さんは、病院って行かれますか?
わしゃ医者が嫌いじゃ!
俺は薬なんて飲まねぇ。
持病があるから通院してるよ。
ふむ。
色々ですよね。
今回は、言葉とそこに付随してしまう心象。
そして垣根や倫理について書きたいなと思います。
読者の心にカチコミじゃぁー!(某ゲームにかぶれてごめんなさい)
「カウンセリング」
憤怒を沸かせた一連の騒動の中で出てきた単語です。
前後にくっつけた文章によっても、染まってしまう言葉ではありますが。
「カウンセリング」「心療内科」自体について皆様はどんな情報や心象をお持ちでしょうか?
そも、心の病についてどういうふうに捉えてらっしゃるでしょうか?
私はあなたでは無いので、そこのところを把握はできていません。
私は私を思索していますので、この言葉について経験と、某公共放送や民放深夜放送ドキュメンタリー等から情報収集し、おおよそ心象を把握しています。
……とはいえ、狭い世界のことです。
今あるあなたの隣や、あなたの住まう世界ではどうだろう?
そう思って今、これを書いています。
世間一般からは、心の病は未だタブーにされがちなのは私も知っています。
ですが、私の周りではここ十年くらいで浸透していき、疲れ過ぎてちょっとおかしい(周りや本人の印象)なら、ちょっとエナドリ飲んどく? くらいの気軽さで出てくる言葉にはなりました。
けれど何だか、まだ世間様では、アンタッチャブルなご様子。
何故だろう?
何故かについては、私は専門家では無いので庭先に一時おきしておきます。
どうやったらもうちょっと、捉え方を変えてもらえるだろう?
そう、私は布教したいのです!
何を?
気軽に早期発見してもらうため、心療内科系の言葉へのハードルを砲丸投げしたい!!
何故か?
人を人たらしめているその心は、壊れたら元には戻りにくい、下手をしたら戻ってこない。
その命さえも消す。
その事を、その恐怖や、悲しみと共に歩んできたからです。
しんどい思いを伝播させたくは無いので、そこは割愛いたします。
けれども言いたい。
言葉の持つ意味は少しずつですが、変えられます。
爆笑が、変容しつつも近年元の意味を内包して辞書に載ったように。
悪い病気の予兆かもしれない。→専門医を訪ねてみたら
心の病気の予兆かもしれない。→心療内科を訪ねてみたら
それこそ、「癌だったらいけないから受診を」レベルで、「うつ病だったらいけないから受診を」という当たり前を醸成していけたら、そう願っています。
確かに見ず知らずの人に、今現在かける言葉としては、不適切な単語でしょう。
いずれ未来。
見ず知らずの人にでも、優しさや心配から「カウンセリング行くのはどーよ?」と言える社会になるといいのに。
なって欲しい。
一人一人の中のボーダー、垣根を、少し「早期治療で良くなるものでもあるし、誰にでも可能性のある病気なのだ。ならば早期発見が良い!」寄りに書き換えて行けたら。
そう願う人のうちがわに、私がいます。
アプローチはできますが、意識や考えを柔らかく形作っていくのは、その人、一人一人です。
変えよう、というより、考えてゆくきっかけづくりができれば。
そう考えている私です。