アグニベルソ
突然の雨。季節外れの雪。頭上から降り注ぐ鉄骨。
あの時見た最後の光景が脳内でされると、俺はふいに意識を取り戻した。
その瞬間に目に飛び込んできたものは、最後にいた作業員事務所ではなく、見覚えのない花畑だった。
小さな花は風に揺られ、近くでは水の流れる音が聞こえてくる。
俺は辺りを見渡すと、空を見上げる。
空には僅かな白い雲が浮かんでおり、太陽がまぶしく輝いていた。
俺は煙草でも吸おうかと作業着の胸ポエットに手を伸ばしたが、そこに煙草は入っていなかった。
どうやら、死ぬ直前は入れていなかったようだ。
「……いい天気だなぁ」
「そうですね」
俺の独り言に、背後から返事が返ってきた。
俺は少し驚きながらも、後ろへ振り向く。
するとそこには、水色と黄緑が入り混じったような長髪を風になびかせる、一人の女性が立っていた。
身体には水のように透き通っているが、その奥が見えないという何とも異様な、もはや服とは到底思えないものを纏っている。
女性はガラス玉のようなオレンジ色の瞳で俺を見つめながら、ゆっくりと近づいてくる。
「えっと、どちらさんで?」
「そうですね。色々聞きたいことがあるかとは思いますが、まずは自己紹介から」
立ち止まった彼女は、そう言って小さく笑う。
「初めまして、私はミズガルズと言います。突然ですが、貴方は死にました」
「そうですか。俺は赤波江海人です。えっと、ミズガルズさんでしたっけ、よろしく頼みます」
俺は自己紹介をしながら軽く頭を下げると、ミズガルズさんが少し驚いた表情を浮かべる。
「どうしました?」
「いえ、死んだと聞いて驚かないんですね」
「あぁ……」
そうか。確かに死んだといわれたら、驚くのが普通か。
と言っても、頭上から鉄骨が振ってきていたあの状況で、普通は助かってるとは思わないからな。
あんな状況から、こんな状況になったら死んだと思うのが普通だろう。
「まあ、なんとなくそんな気はしてましたからね」
「そうですか。やはり大人の人は落ち着いてますね。高校生とかだと、少しは驚かれるんですけどね」
「まあ、そこは状況次第ですよね。俺の場合は、確実に死んだと思える状況だったんで。それで、死んだ俺はこれからどうなるんですかね?やっぱり、天国とか地獄に行くんですかね?もしかして、既にここが天国だったりするんですか?」
「いえ、残念ながらここは天国ではないんです」
ミズガルズが首を横に振る。
こんなにも、誰もが想像するような「The・天国!」っていうような場所なのに、どうやら違うようだ。
ミズガルズが続ける。
「ここは万物の園。私が作り出した、死んだ者の魂を迎え入れるための場所です」
「魂を迎え入れるための場所?」
「はい。本来ですと生き物の魂は、前世の行いや信仰していた宗教によって、死後のルートが決められ、天国や地獄といった死後の世界に行くことになっていました。しかし現在、それらのルートは全て塞がっており、全ての魂が虚無の世界に集まる実態に陥っています。虚無の世界に出口はあらず、49日の期間を当てもなく彷徨ったのちに消滅してしまうのです。そこで、私はそんな魂が消えることないようにと、この世界を作り出したのです」
「ほぅ……」
急に来た壮大な話に、俺は言葉を失う。
「えっとつまりは、こういうことですかね?死んだ人の魂は普通であれば天国や地獄に行くはずだが、今はそこに行くための道が全部塞がっていると。そのせいで全部の魂は虚無の世界とかいう場所に集まり、そこに行った魂は49日後には消滅してしまう。そうならないように、ミズガルズさんは魂が消えない世界を作ったと」
「そうです、そうです。凄いですね。他の方だと、一度では理解できずに何回か聞き返してくるんですけど。あの一回でよく理解できましたね」
ミズガルズさんが感心したように、胸の前で小さく拍手をする。
「まあ、普通は聞き直すのが普通だと思いますよ。俺の場合は、言われたことを一回で理解しないと仕事にならなかったので」
「そうなんですね!やはり職人さんは特別ですね!」
「いや、別に職人だからってわけじゃな……ん?」
その時、俺はミズガルズさんの言葉に少しの違和感を覚えた。
俺は先ほどの彼女のセリフを思い返す。
やはり職人さんは特別。
どういうことだ?俺は自分の仕事が職人だといった覚えはないが。
それに、他の人は聞き返す。
このセリフも少し引っかかる。
この世界は、死んだ人の魂が消えないために作られたと言っていた。
だが、俺の他にその「死んだ人の魂」は見当たらない。
ミズガルズさんのセリフ的に、この場所に俺以外が来たのは間違いないだろう。
もしかしたら、見えない程遠くにいるのかもしれないが。
「あの、ミズガルズさん少し聞いてもいいですかね?」
「なんでしょう?」
「えっと、どうして俺が職人って分かったんですかね?それと、俺以外の魂は何処にいるんですか?」
そんな俺の問いに、ミズガルズさんが目を閉じる。
「そうですね。なぜ職人と分かったのか。それは簡単な話で、貴方をここに連れてきてもらう上で、魂の記憶を見たからです。そして他の魂が何処にいるかですが、殆ど消滅しました」
「は?」
俺はミズガルズさんのその最後の言葉に、驚きを隠せなかった。
「え、ここって魂が消滅しないために作られたんじゃないと?!」
あまりの驚きで、俺の口調から敬語が消え去る。
ミズガルズはそんな俺に対し動じる様子もなく、ゆっくりと目をあける。
「そうです。確かに海人さんの言う通り、この世界は魂が消滅しないために作られた世界です。ですが、この世界は魂が暮らすための世界ではないのです」
「どういうことだ?」
「この世界は先ほども言った通り、魂を迎え入れるための世界です。しかし、迎え入れる魂というのは、虚無の世界に来たすべての魂ではなく、私が選んだごく僅かの魂だけ。貴方は選ばれたのです」
「何で俺を?」
「それは、貴方が職人だからです」
もう、訳が分からくなってきた。
話の内容はなんとなく理解できるが、意味が全く分からない。
「それが、選ばれたこととなんの意味があると?」
「ミメーシス」
「ん?」
ミズガルズの口から、またき聞きなれない言葉が飛び出した。




