8話
「……って感じで死んで、気づいたら七瀬珠璃愛として生まれ変わってたの」
かなり端折りながら話したが、それでも結構時間がかかってしまった。長く息を吐くと喉の乾きを自覚して、氷の溶けた麦茶が入ったコップに手を伸ばす。
乃亜くんは最初は興味津々といった表情で聞いてくれていたが、段々思い詰めたように苦しそうな顔になっていって。
「大変……だったねとか、軽々しく言っていいのか分かんないけど」
「あはは、いいよ。もう過去のことだから」
「過去のことだって割り切れてないから、こんなの作ったんでしょ」
ため息をついた彼がそう言って魔法陣を指す。容赦ない正論に苦笑した。
「……まぁ、そうなんだけど。なんて言ったらいいのかな……未練はね、勿論あるよ? こうしたら良かったとか、もっといいやり方があったんじゃないかとか。でも、悲しいとか辛いとかそういうのは本当にもうないの」
それは強がりなどではなく本心だった。確かに後悔という意味では思うことは沢山ある。けれどヴァレリオ様の番になれなかったことは、前世で悲しみ切った。十九歳で死んでしまったことも、自分で選んだことなので自業自得としか思っていない。
今の人生が結構楽しいからというのもあるかも。そう伝えると、ようやく乃亜くんは安心したように息を吐いた。
「なら、いいけど」
「っていうか、結局信じてくれたの?」
「……今のが全部作り話なら、姉さん詐欺師に向いてるよ。で? なんて言ったっけコレ」
そしてその話に戻るのか。色々と説明した今もう一度言えば私のキモさが伝わってしまうだろうが、内緒と言って納得してくれるような空気でもなさそうだ。諦めて正直に答える。
「……私こそがヴァレリオ様の番に相応しいと運命の女神様に布教する魔法と、番召喚のサーチを妨害して自分を番として召喚させる魔法」
「うわあ」
やば、という声が口から漏れている。私は羞恥心に耐えきれず、一旦冷蔵庫にチューハイを取りに行った。度数は九パーセント。アルコールで全てを誤魔化す作戦だ。
「これ発動するとどうなるの?」
「ヴァレリオ様が番召喚をしたら自動的に発動して私が割り込み召喚される仕様だけど、私の魔力が足りないから無理かなー。それにヴァレリオ様がまだティルナノーグで生きてても、生まれ変わっていたとしても、どのみち番召喚をする理由ってないんだよね。だから、これは本当に自己満足」
そもそも今の私が有しているのが魔力なのか神力なのか、正直ちょっと分からないけれど。……というのも、魔法陣がなければ魔法を使えないのは相変わらずだが、ジュリア・ザハだった頃より圧倒的に使える魔法が強いのだ。転移だって前世なら隣町程度が精いっぱいだったけれど、今なら東京大阪間くらい問題なく転移出来る。
それでも尚、この二つの魔法陣を発動させるだけの力はない。まぁ女神様に訴えかけるのも、高尚な魔法士達が数百年かけて考えた召喚魔法の妨害も、そう易々とできることでは無いから仕方ないが。
「あの頃この魔法を思いついていれば良かったんだけど、やっぱり流石に一日じゃ無理だった。産まれてからずーっと考え続けて最近ようやく完成したしね」
前世に戻ってやり直す漫画や小説を読んで、もしも私が戻れたら今度こそ──そう思って作ったものだ。とはいえ、前世の記憶がある私からしても、逆行転生なんていうのはやっぱりフィクションだと思う。時間を戻すのは、全盛期のエドアルド様が神力をほぼ全て使い切って漸く二、三年戻せるかどうかというレベルだ。それに過去に戻ったり未来に行くためには、時を司る神様の無理難題な試練を乗り越えなければならないと言われていたし。
「会いたい? ヴァレリオに」
不意に乃亜くんからそう問いかけられる。まさか弟の口から前世の元恋人の名を聞く日が来るとは。
「そりゃ会えるもんなら会いたいよ。でも多分まだヴァレリオ様はティルナノーグで生きてると思うんだよね。まぁ時間の流れが一緒とは限らないけど……」
「うーん」
私の答えに納得がいかなかったのか、彼は首を捻った。
「姉さんには酷なこと言うけどさ……俺がヴァレリオなら多分、すぐに後を追ってると思う」
「──!」
「そんなに愛してたんなら生きていけないよ。……番じゃなくても」
その達観した、そして核心をつく発言に押し黙る。この子本当に高校生? なんなら乃亜くんも人生二周目説あるなこれ──なんて現実逃避をした。
「い、痛いとこつくねぇ……」
ティルナノーグの為に、ヴァレリオ様の為に……なんて思ってあんな事をしたけれど、本当はヴァレリオ様の為になんかならない事くらい分かっていた。分かっていたけど、エゴだけど、それでも生きていて欲しかったから。でももし結局それで死んでしまっていたら私のしたことは……。
じゃあどうすれば良かったのか。あの日自分ではない番が召喚される予知夢を見たと言えば、ヴァレリオ様はきっと一緒に逃げようと言ってくれた事だろう。けれどエドアルド様の世界であるティルナノーグで逃げ切るなんて無理だ。ヴァレリオ様が次期竜王候補筆頭でなければ見逃して貰えたかもしれないが、放っておいてはくれなかった筈。ではティルナノーグの外に出る? それはそれで黒竜の危険があるし──私が結局イムレに見つかってしまっただろう。
「まぁ姉さんがそうするしかなかったのは、分からなくもないけどね」
「うぅ……」
「なんっ……ちょっと泣かないでよ。ねぇ飲むペース早いんじゃない?」
向かいに座っていた乃亜くんが隣に来てティッシュを差し出してくれる。それをありがたく受け取って零れてしまった涙を拭くため目尻にあてた。高校一年生の弟に優しい言葉をかけられ気を使われる二十の姉。情けない限りである。
「……それにしても」
一体何事か、急に乃亜くんが難しそうな顔をして唸りだす。どうしたの? と問いかけると、眉間の皺を指で伸ばしながらため息をついた。
「なんか……思い出せそうなんだよなぁ」
「何を?」
「うーん……それは分からない。ただ漠然と何かを忘れてる、って感じがするんだよね」
何かを忘れているとは、何だろう。荷物だろうか? そうだとしても明日は土曜日だから何かあってもまた取りに帰ればいい。実家までは電車で一時間程度だ。そこまでの負担ではないだろう。……因みに乃亜くんの通う高校は実家からよりもここの方が近い。彼の学力ならもっと上のレベルも余裕だった筈なのにどうしてその高校を選んだのかと勿体なく思っていたが……まさか実家から逃げる前提で進路を決めた訳ではあるまいなという疑念が頭を過ぎった。まぁ、ヴァレリオ様一筋で彼氏もいないし、困ることはないけれど。
酔うと眠くなるタイプで、段々瞼が重くなってくる。そろそろ寝ようかと声を掛けようとした時。
「あっ……布団無い! 明日一緒に買いに行こうか」
「いやそういうのじゃないけど……まぁいいや」
彼がいつまで居座る気か分からないが、理由が理由だけに数日では済まないだろう。従って乃亜くん用の生活用品を買い足さないといけない。明日行く店や買うものを話し合って、何時までには家を出ようと決めてから眠りについた。勿論家主の私がベッドで、乃亜くんは今日は床である。
そうしてすっかり酔って熟睡していた私は気がつかなかった。
「……どうして今まで忘れていたんだろう」
深夜にそう言って涙を流した乃亜くんの声に。