6話
エドアルド様が用意してくださったのは森の中の湖の畔にある一軒家だった。一人で暮らすには少し大きかったけれど、彼らの罪悪感を和らげる為にも好意に甘えることにした。
地図を見る限りヴァレリオ様の宮殿からそう遠くはない。けれど辺り一体に認識阻害と侵入防止の魔法をかけてくださっているらしく、ヴァレリオ様は勿論他の誰かが近づいてきたり迷い込んでくることはなかった。それに何か必要なものがあれば、転送陣の描かれた大きな箱へとリストを入れると数時間後には揃えられている。せめてもの対価──と時間つぶし──として、役に立ちそうな魔法陣を考案して送る。誰にも会う必要がなくて快適だ。
いくら番として扱われていたとはいえ着替えは自分で出来る服だし、掃除や洗濯等は魔法でなんとかなる。料理は……ここに来てから本を読んで勉強した。食べれない程酷くはないから生活に困ることは無かった。
……ただ。ヴァレリオ様とずっと一緒にいたから、彼のいない日々は酷く時間が長かった。
そうして一年ほど過ごしたある日。わたくしは久しぶりに予知夢を見た。
「なんてこと……」
夢の内容はあと二時間後に黒竜がヴァレリオ様の宮殿の──番の部屋を襲撃する様子だった。何故黒竜がティルナノーグに、とか、何故ヴァレリオ様の番を、とか疑問は尽きないがこうしてはいられない。
時折、魔法陣を使わない不思議な力を持って産まれる人間がいる。昔はそれを聖者と呼んでおり、王妃であるフィーネ様も聖者だったそうだ。わたくしの予知夢もそういった聖者の力のひとつ。因みに聖者は竜の番であることが多くそれもわたくしの番説を後押ししていた。
予知夢は近日中の事ならば意識的に見ることもできるし、重大な出来事は自分の意思とは関係なく夢を見る。今回は後者だ。
夢で見た事を大きく変えることは出来ない。但し見ていない範囲はその限りではないから、今回なら黒竜の襲撃自体を防ぐことは出来ないが番のラウラ様が死ぬ瞬間は見ていないからどうとでもなる。
「こうしてはいられないわ……!」
悲劇のヒロインを気取って引き篭っている場合じゃない。番であるラウラ様にもしもの事があれば、ヴァレリオ様の命も危ないのだから。
わたくしは紙に夢の内容を慌てて書きなぐり、転送箱へと入れた。こうしておけばこれを見た誰かがエドアルド様に伝えて下さるだろう。早く見てくれますようにと祈りながら、念の為動きやすい服に着替え、ヒールの低いブーツを履いた。
エドアルド様の善政と高度な魔法によりティルナノーグは平和で犯罪が少ない。とはいえそれでも王子であるヴァレリオ様の王宮への転移陣は、防犯の為数日おきに変更される。だから魔法陣の変わらない、王宮に近い街へ転移することにした。魔法陣は紙等に描くか、一瞬で細部までハッキリ頭の中に描けるほど正確に覚えている必要があるが、その街の転移陣なら今でもまだ忘れていない。そう遠くはないとはいえただの人間であるわたくしでは魔力がゴッソリ減ることが予想されるが、そんな事を気にしている場合ではなかった。魔力が尽きると気絶してしまうけれど、恐らくそこまでではないだろう。
「発動!」
その予想は当たり、頭痛は酷いがなんとか気絶はせずに済んだ。転移陣は街外れの関所の中にあり、はやる気持ちを抑えながら手続きを行う。
「お願い……間に合って……!」
愛してくれなくてもいい。他の誰かを愛してもいい。寄り添う姿だって嫌だけれど頑張って受け入れる。でも、ヴァレリオ様がわたくしより先に死んでしまうことが、何よりも耐えられない。それに彼はわたくしだけじゃない、ティルナノーグの希望だから。
だから──わたくしが必ず、ラウラ様をお守りする。
「なっ、ジュリア様!?」
ヘトヘトになりながらも走り続けて門まで辿り着くと、わたくしも見慣れた門番がそこに居た。何故ここにとでも言いたげな顔をしているが、申し訳ないけれど構っている場合ではない。走りながらでヨレヨレの線ながらも紙に描いておいた跳躍の魔法陣を発動して高いフェンスを超えるように空を舞う。
本来敷地全体を覆うように結界で守られているが、竜の姿のヴァレリオ様の背に乗って移動していた時はスルーしていたのだ。思った通り……というか祈った通り、わたくしは未だ結界が弾く対象から除外されていたらしく、素通り出来た。
「お待ち下さいジュリア様! 何処へ……!?」
「ごめんなさい! 後で説明しますからっ!!」
静止の声も振り切って、迷うことなく一直線に番の部屋へと駆ける。途中顔見知りの使用人達と何人もすれ違ったが、皆わたくしを認識すると驚愕の声を上げていた。それはそうだろう。番だと思ったら番じゃなかった哀れな女が、一年越しに一体今更何をしに来たというのだ。なんならラウラ様を逆恨みで殺しに来たと思われてもおかしくないが、一応当時慎ましく過ごしていたのが良かったのか、それともヴァレリオ様が何か言っていたのか誰も全力で捕らえようとはしてこなかった。
番専用の……ラウラ様の部屋にたどり着く頃にはもう息も切れ切れで、気を抜くと膝から崩れ落ちてしまいそうになる。けれどなんとか踏ん張って、部屋の前に立つ兵士の一人に声をかけた。
「なっ、ジュリア様ではありませんか……! ヴァレリオ様がずっと探しておいでですよ!?何故このような場所へ……」
「ごめんなさい、事情を説明してる時間がないのです。お願い、ラウラ様に危害を加えようとしたらすぐ殺していいですから、今は通して下さい……悪い予知夢を見たの……!」
そう言うと、サッと顔を青ざめさせた兵士は一瞬悩んだようだが、そのまま扉を開けてくれた。
「ありがとうございます!」
部屋の中はわたくしが住んでいた頃とは大分雰囲気が変わっていた。出ていく前は白を基調としたシンプルな部屋だったが、今はラウラ様の好みなのだろうピンクや花柄を中心とした華やかなインテリアで纏まっている。
そんな部屋のソファーで、ラウラ様は寛いでいらっしゃった。控えていた侍女の二人もやはり顔見知りで、わたくしを見てハッとしていたが、ラウラ様は部屋主である彼女の許可なく入室した見知らぬ人間に対して驚いたように肩を震わせた。
「な、何よ急に! 貴女誰よ!」
「突然の訪問お許し下さい。わたくしはジュリア・ザハと申します。今は、」
長々と説明している時間はない、そう断ろうとしたその途端。
──ドゴオッッ!!
という、死を予感するような爆音と共に天井が崩れ落ちて来た。ラウラ様や侍女達の悲鳴を聞きながら、咄嗟に結界の魔法陣を発動する。万が一の際ヴァレリオ様の番として自らの身を守る為、瞬時に自分の名前よりもクッキリと脳裏に浮かべることが出来るようになっていたそれが、婚約者でなくなった後で役に立つ時がこようとは。
「もう何!? 本当に何なのよ!!」
散らばる瓦礫を前に、ラウラ様が声を荒らげる。
「あれ? 防がれた? ソッコーで壊滅させるつもりだったのに。ま、それよりなんて名前だったか。ここの王子の番は誰だ?」
壊れた天井から見える曇り空の元、空中で足を組む黒髪の少年がそう問いかけてきた。その姿を視認したのか侍女が悲鳴をあげる。
「こ、黒竜……!」
黒髪の人間など、ティルナノーグには存在しない。白竜である竜族は皆雪のように白い髪をしており、人間は多少の色味の差はあれど大体茶から金の間だ。だから、ティルナノーグに黒竜がいるなど有り得ないと思っていても、一目瞭然だった。
「……で? 番は誰かって聞いてんだけど?」
こんな状況で、守られるべき番がはい私ですと名乗り出るわけが無い。震えていらっしゃるラウラ様を庇うように前に立つ。魔力の残量的に結界魔法を使えるのは、精々あと二回だろう。それまでに何とかしなければ。
「早く出てこないと皆殺しにするぜ。こっちとしてはそれでもいいけどな」
「っわたくしですわ! ですから、他の方はどうぞお見逃し下さい」
このタイミングだ、と声を張り上げる。すると人の姿をとった黒竜がストンとわたくしの目の前に降り立った。白竜と同じ金色の瞳がジッと本心を探るように見据えてくる。まだ歳若いようでわたくしよりも随分と背が低い。こんな少年とも呼べる竜がエドアルド様の結界を破れるとは思えないが……。
「ホントかぁ? 番にしては地味な格好してんな」
「……先程まで馬に乗っていましたので」
内心ドキリとするが表情には出なかったはず。こんなことならそれなりに上等な服を一着くらいは持っておくべきだったと思うが、誰がこの事態を予測出来ただろうか。
「まぁ、嘘でも本当でも殺せば一緒だ」
「ジュリア様!!」
尖った爪がわたくしの首に伸びてくる。先程部屋の前で言葉を交わした兵士が武器を手に駆け寄って来ようとするが、すぐに黒竜の魔法で吹き飛ばされた。
「近寄るな、汚らわしい」
その凍てつくような瞳に身体が凍り付くような感覚に襲われる。ああ、鱗の色が違うだけで、ここまで違うのか。こんな竜がティルナノーグに溢れれば人間はすぐに皆虐殺されてしまうだろう。やはりヴァレリオ様にはラウラ様と結ばれてもらわなければと改めて思った。
その為にはわたくしの命など、なんと安いことか。
──ツプリ、と爪が肌に食込んだ痛みに顔を顰めたその時。
「ジュリア!!」
離れていた一年間、一日たりとも考えなかった日は無い最愛の人の声が聞こえた。