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5話


 

 

 なるべく早くこの場を去りたくて、塔の階段を靴を手に持ち裸足で駆け下りた。宮殿からここまではヴァレリオ様の魔法で一緒に転移させてもらったから、ここから早く離れるには人間向けの乗合馬車か竜力車を探すしかない。

 わたくしも転移魔法を使えない訳では無いが、転移先にも対となる魔法陣が必要で、諳んじているのはヴァレリオ様の宮殿内やその近くの街しかない上、転移先としてここからの距離が遠すぎて魔力が足りない。何よりあそこはもう、わたくしの住む資格はなくなってしまった。

 

 北に行こう。北にいけば、街がある筈。そう考えて靴を履きなおしたわたくしの背に声がかけられた。

 

「待ちなさい」

 

 それがヴァレリオ様だったり、他の誰かであったならわたくしは無視を決め込んで駆け出していたことだろう。……けれど、流石に竜王陛下からのお声掛けを無視出来るほど、わたくしの信仰心と忠誠心は低くなかった。

 ゆっくり振り返ると、痛ましそうな顔をしたエドアルド様が立っていた。

 

「君にはすまない事をしたね。まさか番だと思い込むくらい、番以外を愛するとは思わなかった」

「滅相もございません。これは誰のせいでもありませんから、謝られることなど何も……」

 

 エドアルド様に気を遣わせてしまったことが申し訳なく、寧ろこちらこそ誠心誠意謝罪したいくらいである。それでも彼がわたくしに謝罪をするのは、わたくしが次期竜王候補筆頭の番……つまり次の王妃になる可能性有りとして淑女教育やレッスン、身を守る為の訓練等を受けていたからというのもあるだろう。

 エドアルド様はゆっくりわたくしに近づくと、いつの間にか落としていたらしいショールを手渡して下さった。

 

「何とかしてあげたい所だが、ヴァレリオは私の最後の子だ。だからこそあれ程の力があるのだろう」

「最後の? そんな……」

「私の力も大分弱くなってしまったし、もう長くない。だが黒竜達は今にもティルナノーグに侵入して来ようとしている。……だから、次の竜王になるあの子には番が必要なんだ。本当に、すまない」

 

 ああ、エドアルド様が謝るようなことなど何も無いのに。勿論、番だと誰もが思い込むほど愛してくれたヴァレリオ様も。なので改めて謝罪の必要はないと伝えるべく口を開こうとした時。

 

「だからせめてお詫びに願いを叶えさせてくれないだろうか。私に叶えられることならば、何でも遠慮なく言って欲しい」

 

 その申し出に、心が揺れた。

 

 ヴァレリオ様を失った人生をこれからどうやって生きていこうかと悩んでいたのだ。きっと彼は竜王になるだろう。それがわたくしの死んだ後であればまだしも、生きている間にそうなったならば、ヴァレリオ様と番のラウラ様が並んでいる姿を目にすることもあるかもしれない。

 そんなのきっと……耐えられない。

 

「……ヴァレリオ様の、いないところへ。あのお方にもう二度と会わずにいられるところで、一人で静かに暮らしたいです……っ」

 

 本心からそう口にすれば、エドアルド様の御前にも関わらずみっともなく涙が溢れだしてしまう。今朝泣くのはこれで最後にすると決めたはずなのに。なんと軽い決意だったのか。

 

「手配しよう。だから身一つで飛び出すのは辞めなさい。明日の早朝迎えを寄越すから今日はヴァレリオの宮殿に帰すよ、分かったね」

 

 エドアルド様はそう言って苦笑した。あの遠い宮殿まで転移させてくれるという。その申し出は有難かった。

 

「多大なる御配慮、誠にありがとうございます……」

 

 出来ることならもうヴァレリオ様には会いたくない。いつも愛しげにわたくしを見てくれていたあの瞳に、もう情が無いことを直視したくないから。番を愛し、わたくしのことなどどうでも良くなってしまった姿で、今までの彼を上書きされたくなかったから。

 

 ……と思っていたのだけれど。

 

 

 

 

 深夜。明日からは本物の番であるラウラ様が使うことになるであろう部屋の私物を纏めていた。といってもドレスや宝飾品はわたくしではなく"ヴァレリオ様の番"に贈られたり与えられたものであって、わたくし自身のものというのは極めて少ない。

 ヴァレリオ様から貰った花で作った押し花の栞や、プレゼントの包装のリボンなどは持って行ってもいいだろう。小さな鞄にそういった細々したものを全て収める。あと、今着ているこの街歩き用のドレスと靴は許して欲しい。幼い頃からここにいるので、それすらもわたくしの私物はないのだ。

 

 エドアルド様が迎えを寄越すと仰った早朝まではまだ時間がある。眠れる気はせず、部屋に清掃魔法でもかけておこうか……と思い立った時、部屋のドアが乱暴に開けられた。

 

「ジュリア!」

 

 ああ、何故来てしまったの。普段はノックもせずにドアを開けるような不躾な事をする方ではないから、余程緊急なのだろうが。こんな夜更けに大きな声を出してはいけませんよ……なんて、気安く声をかけられる間柄ではもうなくなった。ヴァレリオ様は紛う事なき王子様で、わたくしはただの人間。ヴァレリオ様の乳母に母が選ばれたのも、母と仲の良い従姉妹がヴァレリオ様の一つ上のお兄様の番だったという縁で、本来平民であるわたくしと彼では住む世界が違うのだから。

 

「……その、荷物は」

 

 小さな鞄だったのに、目についてしまったらしい。ヴァレリオ様は恐る恐る尋ねてきた。わたくしは心変わりしたであろう彼の方を見るのが怖くて、不敬ながらも俯いたまま答える。

 

「この部屋にはラウラ様がお住みになられるでしょう? 早々に退出致しますので、御安心下さいませ」

 

 彼からどんな言葉をかけられるのか何も想像出来ず、けれども何を言われたとて辛いだろうことは想像がついて。もう今すぐにでもこの場を立ち去ろうと鞄に手をのばしたが──。

 

「……私を殺してくれ」

 

 まさかそんな事を言われるとは露ほども思わず、驚きのあまりヴァレリオ様に視線をやってしまう。そこには想像とは裏腹に苦しそうに顔を歪めた彼が、いて。

 

「……まぁ、物騒な。御冗談が過ぎますわ」

「冗談なんかじゃない! 君を捨てて別の誰かと婚姻を結ぶくらいなら死んだ方がマシだ……! でも……死ねない……っ」

 

 番とは、出逢えば愛さずにはいられぬ存在ではなかったのか。けれどもそう吐露するヴァレリオ様の目には、未だわたくしへの愛情が残っているようにしか見えない。

 わたくしが番ではなかったくせに、浅ましくも愛されなくなることが辛いなどと嘆いたせいなのだろうか。結果それが彼を死を望むほどに追い込むことになると分かっていれば、悲しむことすら耐えられたのに。

 

「……今は辛くとも。きっと大丈夫です。女神様がお選びになった番ですもの」

「何が番だ。こんなのっ……ただの呪いだ……」

「そう仰らないで。もしかしたらわたくしもどなたかの番かもしれませんし」

「っ嫌だ、許してくれ……! それだけは……そんなの認められない!」

 

 彼はあれからずっと泣いていたのだろうか。目元が赤くなって綺麗な顔が台無しだ。けれどここまでの事を言ってくれるのに、やはりある程度の距離から近づいてこようとはしない。……出来ないのだろう。

 それに元婚約者など、本物の番様からすれば目障りでしかない筈だ。ラウラ様はまだ子どもといって差し支えない歳のようだったが、それでも番として呼び出しておいて他に女がいるなど酷い侮辱だ。だからわたくし達がこれからもそばにいるという選択は存在しない。

 

 ならばちゃんと、未練を残さぬようお別れをするべきだ。

 

「……次期竜王候補筆頭の殿下が何を我儘仰いますの。それにわたくしは、番と言われたから自分も殿下を愛していると思い込んでいただけで、本当は、心からは愛してなどいなかったのだと思います。現にこれっぽっちも気持ちは残っていませんもの」

 

 努めて冷たい声で、無表情を心がけて、愛想を尽かされるつもりでそう言った。

 けれど、ヴァレリオ様はパチパチと瞬きしたあと、エドアルド様によく似た苦笑を浮かべて。

 

「……そんな泣きそうな顔で言われても信じられないよ、ジュリア」

「泣きそうな顔など、していませんわ」

「私には分かるよ。産まれた時からずっと、君だけを愛しているのだから」

 

 愛しげにそう言われそっと頬に手を伸ばされた。……しかしそれがわたくしの肌に触れることはない。

 

「……でも今は、涙を拭ってあげられないから泣いていなくてよかった」

 

 悔しそうに拳を固く握り、すっと腕をおろしたヴァレリオ様。その目にはもう涙は浮かんでいなくて、代わりに決意が宿っていた。

 

「絶対になんとかするから、待ってて」

 

 なんとかって、どうなさるつもりなのだろうか。番は絶対だ。ヴァレリオ様の命に、そしてティルナノーグの平和に関わる話だ。

 

 ……だというのに、わたくしを未だ愛し、諦めないでいてくれたそのことを喜んではいけないと分かっていても嬉しくて、歓喜が心の大部分を閉めてしまう。口約束が果たされる日を望んでしまう。我ながら自己中心的極まりない。……だからだろうか。

 


 

 

 この一年後再び会うことが出来た──その日がわたくしの人生最期の日になったのは、ある意味罰だったのかもしれない。

 

 

 

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