1 令嬢失踪事件
よろしくおねがいします。
その少女はとある国の離宮で行われた園遊会に参加するまでは普通の美しい貴族令嬢だった。
陽の光をあつめたような金髪に桃を思わせる柔らかそうな頬。南国のきらめく海のようなグリーンの瞳は艶めいて人目をひく。離宮のバラに合わせた淡黄色を基調としたドレスは同色のドレスを着る少女たちと比べても一番彼女に似合っていた。
凛とした立ち姿は朝露に濡れたバラのつぼみのようにみずみずしく、近い将来咲き誇るであろう美しさを容易にうかがわせる。彼女の隣に立つ婚約者を羨ましそうに見つめる男性たちの視線を受けて彼も誇らしげに胸をはる。
「皆が見てるよ。リリーのこと」
「そんなことないわ。アルが素敵だからよ」
リリーことリリフォリア・アデノフォラ伯爵令嬢は3つ年上の婚約者であるアルフォンスをそっと見上げた。彼の腕を掴む指が震えている。
親同士も仲がよく、家族同然に育ってきた彼が婚約者になったのは2年前。クセのある栗毛をなでつけて、少し大人びた彼は知らない人のようにも見える。
まわりには気づかれていないようだが極度のあがり症であるリリーは幼馴染が正装で迎えに来てくれたこの日が初めての社交の場で、息が止まりそうなほど緊張していた。
その日1つ下の妹のリアは自分も園遊会に行きたいと騒ぎ立て、そんな彼女をなだめつつもリリーは本当は代わってほしいほど怖気づいていた。貴族の成人となる15歳の誕生日を過ぎてしまったから、回れ右をしたくなる足を無理やり留め、自らを叱咤激励鼓舞しつづけてこの場に立っているのだ。
「緊張しすぎだよ。ほんとにリリーはかわいいな」
「離れないでね。一人になったら迷子になるわ」
「おやおや、15歳にもなって迷子なんて、エスコートの役目を果たさなかったとアデノフォラ伯爵にどやされるな」
リリーの強面の父を思い出したのかしかめっ面をしたアルフォンスの顔を見てリリーがやっと微笑んだ。
そしてまさかその直後に本当に迷子になるとはリリーもアルも思っていなかった。アルが飲み物を取るために視線をそらしたその一瞬で、リリーは離宮から姿を消した。
すわ事件かと離宮中を捜索したが見つからず、2日後伯爵家の自室で見つかったリリーはその間の記憶をなくしていた。
何が起きたのか覚えていない彼女はなぜかそれ以来人に会うのを極度に恐れるようになった。屋敷の中ですら人をさける。
おまけに口にする言葉ははい、いいえ。のみ。
貴族令嬢として咲き誇るはずだったバラはしぼみ、失踪事件を面白おかしく話す人々のせいで夜会に出ることもできない。
夜会に出れないリリーの代わりにアルが伯爵家の1つ下の妹のエスコートをするようになり、婚約者の立場まで成り代わったのは迷子になった日から2年後のことだった。