(49)重なる歯車
「よかったな、雨谷」
「………………言いたいこと全部春風さんに言われた」
「だろうな」
ベンチから少し離れた植え込みの裏で、雨谷は膝を抱えてあからさまに落ち込んでいた。小見原の本音を知るための手がかりを得るつもりが、自分が何かをするまでもなく春風が丸く収めてしまったのがショックだった。
小見原たちは数分ほど前にハンバーガーを食べ切り、次の展示会を見に行ったのですでにベンチにはいない。なのでもう隠れている必要はないのだが、かれこれ数分ほど雨谷は動けずにいた。
「春風さんに手柄横取りされたのがそんなに悔しいか?」
阿藤が茶化しながら言ってくるが、雨谷は強がることもできずにむっとするしかなかった。
「そうだよ悔しいよ。小見原さんは僕の彼女なのに」
「仕方ないって。けどこれでライブが上手くいくかもしれないし、あんまり深く考えんなよ。小見原だってもう吹っ切れてるって」
「だといいけどな……」
春風の言葉で納得できたからと言って、小見原が自分と和解してくれるかはまた別の問題のような気がする。このまま小見原に謝らないままライブを始めてもいいものかどうか、雨谷は決められずにいた。
いっそ、いまからでも追いかけて小見原に説明した方がいいのかもしれない。そう思ったらいてもたってもいられなくなり、雨谷は勢いよく阿藤の方へ顔を上げた。
「ねぇ、阿藤、僕今からさ……」
と、雨谷が言いかけたところで、突然植え込みの上から影が差した。
「あ、二人ともいた!」
「うわびっくりした!」
雨谷と阿藤は勢いよく飛び退いて、植え込みを覗き込んできた人物を凝視した。
「と、寅田かよ。心臓止まるかと思った」
「なに、変装がバレるとでも思ってた? 大丈夫だよ、誰も阿藤が他校生だなんて気づかないって」
「いや、まぁそれもあったけど」
阿藤は言いにくそうにしながら目を逸らし、いそいそと寅田から距離を取り始めた。雨谷もこれ以上詮索されないよう、内心で冷や汗をかきながら話題を変えることにした。
「それより寅田、山本は? 一緒に巡ってたんじゃないのか?」
「実はそれどころじゃないんだ。ちょうど二人を手分けして探してたんだ。とりあえず一緒に来てくれない?」
と、胡散臭い笑顔を浮かべたまま寅田が手招きをしてくる。こういう顔をするときの寅田はろくな話を持ち込んでこないのだが、断る理由もない。雨谷は阿藤と顔を見合わせてから、素直に寅田についていくことにした。
そうして連れて行かれた先は、体育館裏に繋がる第二校舎の一階だった。そこはダンスバレー部がいつも貸し切っている大部屋で、今は文化祭の出し物のために一時的に倉庫として使われている場所だった。
部屋の各所には演劇部の着ぐるみや、得体の知れない看板、謎の被り物などが壁が見えないほどみっちり積みあがっている。窓際の個別スペースには雨谷たちの楽器と顔を隠すためのお面が置かれているはずなのだが……。
「……ない」
ギターケースの横の紙袋に、アマゾンで取り寄せた面を入れておいたのに、紙袋ごと消えてしまっている。唖然と立ちすくむ雨谷の横で、寅田が深いため息をつきながら首を振った。
「そう。ないんだよ全員分。先生が文化祭なんだから顔を隠さなくていいだろうって没収しちゃったらしいんだよ」
「らしいって、もしかして寅田と山本にも相談なしで!?」
「ああ。うちのテニス部の奴がちょうどいた時に、先生がお面を見つけちゃったみたいで。しかも相手が超怖いって有名な社会科の先生だったから、何も言い返せなかったってさ」
「あちゃー……」
まさかこんなところで先生の横暴が発揮されるとは思わず、雨谷は阿藤とともに頭を抱えた。
「どうしよう。いくらなんでも制服だけで先生全員の目を誤魔化せるわけないし……大地にはマスクつけて貰えばいいかな。でもそれも直前で外せって言われたら、最悪ライブ中止にされちゃうかもしれないし」
「いやいや、いやいやいや、もっと気にするところあるだろ!?」
がしっと阿藤に肩をつかまれたと思えば、ずるずると部屋の隅に引っ張られて耳打ちされる。
「お面がないってことは雨谷も顔を隠せないんだぞ! しかもおまえが歌うんだから、万が一白雨ってバレたら……」
「あ……」
幸田にも言われたことだが、雨谷は匿名活動をそこまで重視していない。しかし一応事務所からはやんわりと引き止められているし、小見原に相談もなしに顔出しをするなんて、それこそ別れ話につながりかねないことだった。
なんとかライブを続けられる理由がないものかと、雨谷は思いつく限りに言葉を尽くした。
「あれ、マイクにボイスチェンジャー入れておけばばれないんじゃないかな? 阿藤そういうのもってそうだし」
「あいにく今日は持ってないな……」
「じゃあ歌なしでやるっていうのは!?」
「それで小見原に思いを伝えられるなら」
「ぐっ……じゃあ、ただの白雨の声真似だと思ってもらえれば……」
「寅田たちもまだ気づいてないから行けるかもな。でも動画で撮影されたら絶対人気出ると思うけど、その時はどうする?」
「ぶ、文化祭の動画ってネットにアップされる?」
「される。おまえほどになれば、すぐに話題になるんじゃないか? 白雨に歌声が似てるならなおさらだ」
「そ、そんな……」
出した意見がことごとく玉砕して、雨谷は膝から崩れ落ちそうになった。まだほかにないかとあきらめ悪く思考を巡らせるが、これ以上良い案が浮かばない。しかし素顔のままステージに立つのは絶対に小見原に迷惑をかけてしまう。
一体どうすれば、と雨谷が絶望しかけたころ。
「あ! いたいた! おーい雨谷くーん!」
どこかで聞き覚えのある女性の声がした。雨谷が視線を向けた先には、手をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる若い女性の姿があった。それは雨谷たちが白雨キユイとしてデビューするきっかけを作ってくれた、音響担当の藤咲だった。『ときめきレモンソーダ』の放送以降も彼女とは連絡を取っており、白雨キユイのアニメオープニングデビューの仕事も彼女がもぎ取ってきた仕事だった。
事務所が離れてもずっと贔屓にしてくれている藤咲が、まさか学校にまで足を運んでくれるとは思わなかった。雨谷は少し涙ぐんでしまいながら彼女を笑顔で出迎えた。
「藤咲さん!? お久しぶりですね! 今日はドラマの撮影じゃなかったんですか!?」
「雨谷君の学校が文化祭と聞いて、無理言って抜け出してきちゃいました! 橘監督からもお土産よろしくって言われてますから!」
藤咲はにこやかに敬礼をすると、阿藤の方へ向き直った。
「雨谷くんのご学友ですか? 初めましてー」
「は、はじめまして……」
阿藤は目をせわしなく動かしながら不器用にお辞儀をした。珍しく人見知りを発揮する阿藤をいぶかしそうに見上げていると、個人スペースの方から寅田がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「なに雨谷、知り合い?」
「あー、うん……」
まさか仕事の知り合いとは口が裂けても言えない。寅田にも山本にも、まだ黙っていておかなければいいけないのに。
するとそのタイミングで、大部屋の出入り口から騒々しく山本が駆け込んできた。
「あ、いたー! 寅田てめぇ、合流したんなら連絡しろよ!」
「ごめん忘れてた」
「この野郎」
山本は軽く寅田の頭をひっぱたいてから、真剣な面持ちで雨谷たちへと振り返った。
「どうするよ。お面がないと阿藤がつるし上げられちまうよ」
「そこまではいかないだろうけど、全員で一時間お説教コースだろうね」
「やばいなぁ。どうしよう……」
ますます暗くなっていく四人の雰囲気に、おいて行かれた藤咲がきょとんと首を傾げた。
「なにか問題でもあったんですか?」
「実は……」
雨谷はざっくりと、今日の午後にライブをするのだが、阿藤が顔を隠さなければいけない事情を話した。ただ、寅田たちの前なので雨谷も顔を隠す必要があることはぼかして伝えた。
白雨キユイの内部事情を知っている藤咲は、察したように雨谷に深くうなずいた。これなら彼女から迂闊なことも言われないだろうと、雨谷がホッと胸をなでおろした矢先、
「なるほど。そういうことでしたら逆にこう考えてしまえばいいんです。隠さなくてもいいって!」
予想外のアドバイスをぶつけられてしまい、雨谷はあんぐりと口を開けて固まってしまった。すかさず阿藤がイラついたように眉をしかめながら食って掛かった。
「簡単に言いますけど、もしバレたら……」
「そうなったら私が口添えしてあげる! 責任は私が持つから!」
そこまで言ってようやく雨谷は言われた言葉を理解して、ぶんぶんと手を振りながら慌てた。
「悪いですって! 藤咲さんにそこまでさせるのは……!」
「何言ってるの」
藤咲は一歩雨谷の方へ近づくと、こちらを見上げながら目じりを細めた。
「もう隠す必要はないんでしょ。だったら、もう我慢しなくていいんじゃないかな」
「でも……」
「事務所のことも任せてください。大丈夫、最初に君たちにメールを送った時とおんなじなので。ドラマの推薦が、全国の推薦になっただけだから、何も心配しなくていいんですよ」
彼女の言葉にはちゃんと説得力があった。『ときめきレモンソーダ』に白雨キユイを起用したことで藤咲もまた仕事で頼られるようになり、橘監督の後ろ楯もあってみるみる頭角を現している。そんな彼女からの口添えがあれば、またドラマの採用の時のように道を整えてくれるだろう。
藤咲の善意には一点の曇りがない。それでも、雨谷はなかなか頷くことができなかった。
「あの、どうして、そこまでしてくれるんですか?」
声を潜めながら問いかけると、大部屋の外で女子グループが楽し気な笑い声を上げながら廊下を走っていった。そこでハッとして、もう間もなく体育館へ集まらないといけない時間が近づいていることに気づいた。どちらにしろ、頼れるのはもう藤咲しかいないだろう。
雨谷が肩を縮めながらそっと藤咲の表情をうかがうと、彼女は真っすぐとこちらを見つめ返して花のような笑顔を見せてくれた。
「だって私、白雨キユイの大ファンだから! 全部私に任せてください!」




