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(5)奏でる

 フリータイムを存分に使ったおかげで、歌の練習に関しては想像以上の成果が出せた。小見原は随分と雨谷の作った曲を気に入ってくれたらしく、飽きもせずに三時間歌い続け、録画しては雨谷から意見を聞いたり要望を出したりを繰り返した。


 小見原のアイデアは全て的確だった。音程を全体的に一つ上げてみたいとか、リズムをこうしてみたいとか、ここの場面の印象が薄いから、厚めに音を重ねて……などと、改良を重ねていくほどに曲の雰囲気が小見原らしいものへと変化していった。


 自分の作った曲を延々と流されるのは、最初のうちは恥ずかしくてまた吐きそうだった。だが次第に小見原が曲の特徴を掴み、自分らしく歌い始めたところで、ようやく聴く側としての余裕が生まれてきた。


 まだまだ改変の余地があり、これから、というタイミングでフリータイム終了の電話がかかってしまった。


 物足りない気持ちのまま荷物をまとめて、二人並んでサウンドエコーを出る。見上げると、空はすっかり夕暮れに染まっていた。


 そのまま解散しようか、と雨谷が口を開きかけたところで、二人のお腹からぐぅっと空腹を知らせる音が鳴った。


 そういえばあれから歌いっぱなしで、昼飯を食べ忘れていた。


「小見原さん。夕飯は何時から?」

「特に決まってないわよ」

「じゃあ、せっかくだし少し食べて行かない?」


 食べ盛りの男子というもの、今すぐにでも何か食べたくて堪らなかった。小見原の方も同じぐらい空腹だったのか、にべもなく頷いてくれた。


「あそこのファミレスでいいよね?」

「うん」


 一応、まだ知り合いが駅内を彷徨いているかもしれないので、雨谷は深く帽子を被っておいた。


 店内に入ると、すぐに店員がテーブル席まで案内してくれる。移動の際にざっと席を見回してみたが、まばらな客が穏やかに食事を楽しんでいるだけだった。


「この時間だと空いてるね」

「うん。人が少ないとなんかほっとするよ」

「そう? 私は寂しい気がするけどね」


 小見原は肩をすくめながら席に座った。雨谷は改めて知り合いがいないのを確認してから帽子を取る。お冷を取りに行こうか迷ったが、カラオケで散々飲んだ後なのでやめておいた。


「ねぇ雨谷、さっきの曲こっちのスマホに移せる?」

「移せるけど、その前に連絡先を交換しないと」

「してなかったっけ?」

「してないよ」


 証拠とばかりに雨谷が真っ新な電話帳を見せると、小見原は拗ねたように目を逸らしながら自分のスマホを取り出した。


 電話番号を交換するついでに、メールアドレスとLINEに彼女の番号を追加しておく。


 いろんな連絡先に表示された『小見原 唯』という名前を見ながら、雨谷は感慨深げにつぶやいた。


「小見原さんって、下の名前はユイなんだね」

「そうよ。アンタのハンドルネームと同じね」

「あはは、すごい偶然だ」


 つい破顔してしまうと、小見原は薄らとはにかみながらテーブルに頬杖をついた。


「ねぇ、早く曲ちょうだい」

「ちょっと待ってね……はい、これでいいはず」


 送ってからあっと雨谷は気づいた。

 曲の中には自分の歌声が入ったままで、オフボーカルじゃない。彼女が再生するたびに自分の声が流れるのは、精神衛生上かなり辛い。


「お、小見原さん。曲が完成したら消してくれない?」

「何でよ」

「その……だって僕の歌声が入ってるし」


 小見原はむっと顔をしかめた後、急にいたずらっぽく笑いながらスマホを振った。


「やーだ。私が歌手になって大ヒットしたら、考えてあげなくもないけど?」

「そんな……!」

「そんな悲壮な顔しないでよ。私が悪いみたいじゃない」


 実際悪いじゃないか、と言いたかったが、機嫌を損ねたら本当に消してくれなそうなので雨谷はぐっとこらえた。


 すると、お待たせしました、と店員が持ってきた料理をテーブルに並べ始めた。


 雨谷の前には定番のハンバーグ、小見原の前にはスープスパゲッティが置かれ、最後に伝票入れに紙が入れられる。


 湯気と一緒に美味しそうなお肉の匂いがして、雨谷の空腹は限界に達した。早速ナイフとフォークを手に取り料理に手を合わせる。


「いただきます」

「……いただきます」


 小見原も遅れて瞑目し、静かに料理を口に運んだ。


 雨谷も火傷しない程度に冷ましたハンバーグの一欠片にかぶりつく。はふっと一呼吸入れてから歯を立てれば、柔らかい食感と一緒に肉汁が溢れてきた。焦げ目のついた表面がカリッとしたアクセントになって、特製ソースがよく絡んで濃厚な味がいっぱいに広がる。


 幸せな瞬間に思わず頬を緩ませながら、雨谷はなんとなく小見原の方へと視線を向けた。


 女性は食べている瞬間が一番美しくない、と誰かが言っていた気がする。だが、小見原の場合はまったく当てはまらないらしい。


 小さな口を精一杯開ける姿は小動物のように可愛らしいし、頬を膨らませて咀嚼するのも見ていて飽きない。彼女は食べている姿も綺麗だった。


「なんか、信じられないな。小見原さんとこんな風に一緒にいるなんて」


 一瞬で半分も無くなってしまったハンバーグを見下ろしながらつぶやくと、視界の端で小見原が訝しげに顔を歪めるのが見えた。


「なんでよ」

「だって僕ら、全然性格も違うし、小見原さんは高校始まってすぐなのにたくさん友達がいるでしょ? わざわざ僕と仲良くするわけがなかっただろうし、たとえ一緒に食べるタイミングがあったとしても、二人っきりってのはあり得なかったと思うんだ」

「ふ、ふた……」


 小見原は激しく咳をした後、お冷を一気に半分まであおって乱暴にグラスを置いた。ふう、と荒く息を吐いて、彼女は上目遣いにこちらを睨む。


「ま、まぁ、アンタが曲を作ってたから仕方なく? 成り行きでこうなっただけだけどね。でも……暇があったら、また一緒に来てもいいのに」

「え、いいの?」

「いいに決まってるでしょ! 私を何だと思ってるのよ!」

「ごめん?」

「謝るの禁止!」


 ビシッと人差し指を突き付けて、すぐに小見原はスパゲッティを掻き込んだ。もしかしたら思っているよりも小見原に嫌われていなかったんじゃないか、と雨谷は考えたがすぐにそれを打ち消した。


 しかしそこへ、小見原が畳みかけるようにこんなことを言い始めた。


「あ、の、私が言うの、今更だし、変だと思われるだろうけど……悪かったわね」

「え、何が?」

「だから! ……木曜日、アンタを脅すようなことしたこと」

「ああ、あれか」


 曲を完成させることに夢中で、雨谷はすっかりあの時の恨みつらみを忘れていた。


 確かに、自分の趣味をダシにされたのは不快だったし、親にバレたらどうしようと不安ばかりで夜も眠れなかったが、今日一日で十分、自分の中ではそんなことなど清算されてしまっていたのだ。


 雨谷はできるだけ言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。


「いいよ。初めて自分の曲が、誰かのものになる瞬間を実際に見れたんだから。それに、小見原さんは本気で歌手になりたかったんでしょ?」

「そ、そうだけど。嫌、だったでしょ?」

「そりゃあ、手段を選ばないところはびっくりしたよ。でも、実際に頑張ってる姿を見ちゃったから、あの脅しは本気じゃなかったことぐらい僕でも分かるよ。だって小見原さん“いい子”だし」

「あぅ、ちょっと」

「僕は将来の夢なんて今までなかったから、小見原さんみたいに夢にひたむきに努力できる人は尊敬するよ。君の歌声はすごく好みだから、僕も真剣に応援したいんだ。もちろん君が嫌じゃなければずっと」

「待って!」


 べしっと口に手を当てられて無理やり言葉をさえぎられる。驚いて小見原を見ると、カラオケ店の時と同じか、それ以上に真っ赤な顔があった。


あふいほ(あついの)? はいほほふ(だいじょうぶ)?」

「熱いに決まってんでしょ!」


 ぐいっと口を左右からぎゅっと抑えつけられてしまい、雨谷の口はタコのように潰れた。物凄く滑稽な顔をしているだろうに、小見原は雨谷の顔を見て笑うでもなく、逆に涙目で弱々しく言った。


「こんなところで、堂々と言わないでよ……恥ずかしい」

「ほ、ほへん」

「だから、謝るの禁止」


 ゆっくりと小見原の手が離れると、少しだけ石鹸の様な香りが鼻先を掠めていった。後になって女の子に顔を触られてしまった衝撃が来て、こっちまで熱くなってきた。


 モジモジしながら雨谷は顔を俯けた。小見原も同じように視線を下げて黙り込んでいたが、やがて深刻そうな声音で言った。


「ねぇ、アンタは普通に人と喋れるし、気遣いもできるじゃない。どうしてクラスで友達作らないの?」

「作らないというか、作れないというか?」

「嘘。アンタが作ろうとしてないだけよ。そんなに周りに曲を作ってることバレたくないの?」

「そういうわけじゃ……いや、そうかも」


 雨谷は頤に手を当てて、自分の記憶を探ってみた。


 小学生のころ、教室に置かれたピアノで自作の曲を披露してみたら、クラスメイトに褒められたのに、なぜか両親に怒られた記憶がある。怒られた理由は今では全く覚えていないが、それをきっかけに曲を作っていることを隠すようになった。


 あとは、そうだ。


 ちょうどそれと同じ時期に、雨谷は母親に部屋に閉じ込められたり、殴られたりするようになった覚えがある。父は母と喧嘩するようになり、雨谷にも曲を作るなと何度も言い聞かせてきた。


 自分が作曲をすると、両親が不幸になる。


 そうと分かっていても、雨谷は隠れて作曲するのをやめられなかった。


 もし両親に作曲していることがバレたら、今度こそ自分の自由は失われる。二度と外に出してもらえなくなるかも知れない。ギターもソフトも、楽譜も、何もかも捨てられる。


 そうして自分に残るものは、きっと何もない。


「だから、なのかな」


 雨谷はそう呟いて苦笑した。気づけば、自分が友達を作らない理由らしきものを、小見原に話してしまっていた。


 かなり重い話題になってしまった。せっかく小見原と仲良くなれた気がしたのに、引かれてしまっただろうか。


 安易に悩みを話してしまった後悔に蝕まれながら、雨谷は顔を上げて──息を飲んだ。


 小見原はハンカチを顔に当てて泣いていた。

 ハンカチから洩れた涙が、白い頬を伝い落ちてテーブルの下に落ちていく。


 嘘泣きではない。

 本気で彼女は泣いていた。


「……本当に、ごめんなさい」

「お、小見原さん」

「私、最低だ。あなたのこと少しも考えてなかった。あんなに……」


 覚束なく言葉を紡いで、ついに彼女は何も言わなくなってしまった。


 自分が、何かしてしまったか。

 いや、こちらはただ、友達を作らなくなった理由を話してみただけだ。特に相手の感情を揺さぶろうと大げさに話したつもりもないし、淡々と、他人事のように語ったはずだ。


 なのに小見原の頭の中ではどう繋がってしまったのか、雨谷に友達ができないのは自分のせいだ、という思考回路になっているらしい。


 雨谷は困惑しながら小見原に手を伸ばしかけ、途中でやめた。代わりに明るい声と笑顔を作ってみた。


「どうして、小見原さんが泣くのさ。僕の事情なんて他人事じゃないの?」

「そんな言い方、しなくていいじゃない……」


 ぐずぐずと泣き出してしまった小見原に、もう掛ける言葉が見つけられない。


 雨谷は数秒ほど必死に頭を働かせたが、出てくるのは陳腐な言葉しかなかった。


「泣かないで……小見原さん」

「…………」

「小見原さんに僕のことで泣いてほしくないよ。えっと、ほら、笑ってる顔が見たいなぁ、なんて」


 自分でも酷い慰め方だと思う。

 しかし、意外にも小見原は無言で頷いてくれて、荒くハンカチで目元を拭った。大きく息を吸い込んだときには、もう小見原の目から涙は消えていた。


「取り乱したわ。悪かったわね」

「いや、ちょっと驚いたけど……」

「これっきりだから」

「……え」


 きっぱりと言われた言葉の意味を、理解したくなかった。


 本能的に脳裏で警鐘が鳴り響き、次の言葉を言わせてはいけないような気がした。


 だが彼女の言葉を遮ることだけは、どうしてもやりたくなかった。音楽以外でもこんなに真剣になってくれる小見原の気持ちを、簡単に跳ね除けるなんてできるわけもなかった。


「あなたに迷惑を掛けるのも、これで最後にする。もう脅したりしないし、放課後に呼び出したりもしない。だからこの一曲だけ付き合って。お願い」


 深く頭を下げる小見原に、雨谷は沈黙した。


 小見原の様子からして、きっと雨谷に友達ができないこととか、脅してしまったこととかを気にしてくれているのだろう。

 しかしいくら振り返っても、雨谷には脅したこと以外に彼女の落ち度が見つからなかった。あれぐらい本当にどうってことはないし、ここまで深く謝罪される謂れもない。


 口をつぐんだまま動かない雨谷の反応を、小見原はどう受け取ったか。

 彼女は悲しそうに笑って、ゆっくりと儚い指先でフォークを握った。


「早く食べちゃおう。もったいないから」

「うん」


 緩慢な動作で雨谷もハンバーグを咥えたが、料理にはもう味がしなかった。


 …


 ……


 ………


 食事が終わって外に出ると、すっかり空はオレンジを通り越して、夜の気配を忍ばせていた。


 涼しい風が吹き抜ける駅内をぶらぶらと、何事もなかったように小見原と世間話をしながら歩く。会話の内容はあまり覚えていない。曲の改善案だったような気がするし、授業の話だった気もする。


 ぼんやりと地面に足がつかないような気持ちだった。

 ふと気づいたら改札の前まで来てしまっている。小見原の目はまだ腫れたままで、涙を拭いたハンカチもきっとまだ乾いていないだろう。

 左右を通りすぎる人の往来が、別れを急かしてくる気がした。


 このまま別れてしまうのは間違っている。


 常識的に考えれば、小見原が自分にやったことは正しいことではない。どんな理由があっても、人の弱みに付け入るのはダメだと思う。


 だが、それでも、彼女が自分のためにここまで思い悩んで、涙を流した事実は覆らない。小見原唯は、ただの悪者じゃない。


 どうして大事な歌手デビューの曲を雨谷に頼んだのか、まだ話してもらえていない。なぜ彼女が自分のために泣いたのかも、理解できない。

 利用し利用されるだけの関係なのだから、大切にしようという感情は必要ないはずだった。


 雨谷の耳の奥で「これっきり」という小見原の言葉がこだましている。


 曲を作り終わったら約束は終わり。踏み入ったことを聞けるほど深い関係にはならない。それ以上を望むのは我儘だ。


 それでもまだ一緒にいたいと思ってしまうから、本当にどうしようもない。


 今も必至に小見原を引き留める言葉を考えている。だが、友達を作ろうともしなかった雨谷には、当然何も思い浮かばなかった。


 やがて電車のアナウンスが流れた。

 先に気まずい沈黙に幕を引いたのは小見原だった。


「じゃあね」

「うん……気を付けて」


 彼女が身をひるがえして改札へ歩いていく。その後ろ姿が夕暮れに照らされているのを見て、ふと思い出した。


「題名、まだ決めてないな」


 ぽつりと呟くと、小見原が振り返った。かなり距離は離れていたのに聞こえたらしい。彼女はそのままツカツカと雨谷の前まで戻ってきて、少し影のある不敵な笑みを見せた。


「あるわ。もう決めてあるの」

「そうなの? どんな題名?」


 つい食い気味に問いかけるが、小見原は答えることなくまた背を向けてしまった。


「完成したら教えてあげる」


 遠ざかって行く小見原の背中に手を伸ばしそうになる。だが雨谷は、その手を口の横に持っていって声を張った。


「小見原さん! また明日!」


 果たして、改札の向こう側で、小見原は振り返りながら手を振ってくれた。


「調整! ちゃんと進めておきなさいよ!」


 その答えを聞いて雨谷は苦笑し、その裏でこっそり胸を撫で下ろした。無視されなかった。ちゃんと彼女との距離を詰められている。


 手応えを感じながらも、雨谷は内心で首を傾げていた。


 自分は、彼女に何を求めているのだろう。

 曲を作って納品したら終わる関係なんて、ネットの注文で散々やってきた。なのに小見原に限ってそれが納得できない。


 小見原が、クラスで一番の美人だから?

 歌声が素晴らしかったから?


 どれも合っていて、違う気がする。少なくとも恋愛じゃない。かと言って友達だからという理由も物足りない。


 説明できない感情を持て余しながらも、雨谷はひとまず帰路に着くことにした。

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