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(45)海

 サンダルに入り込む熱い砂。強い潮風。遠くの潮騒。

 波に触れるための道のりは意外と過酷だ。


 だから、波に触れた瞬間の喜びもまたひとしおである。


 カラフルなバレーボールが高く青空に舞い上がる。その足元では、きゃーきゃー歓声を上げて水飛沫の中で踊る女性陣がいた。バレーボールを真上に打ち上げる小見原と、それを弾丸のような速度で打ち下ろす秋葉。真下から受け止めて反撃する朝桐と、その横で悲鳴を上げる春風。遊びというには少々過激な水中バレーは、遠目から見てもかなり盛り上がっている様子だった。


 しっとりと濡れた水着や髪の毛が皮膚に吸い付いている様は、男からすれば眼福である。


 しかし雨谷は、幸田が用意したパラソルの下で熱中症による吐き気と戦っていた。


「おえぇぇ……」

「なんで今日という日に限って熱中症になるんだお前は!」

「面目ない……」


 山本から冷たいペットボトルを押しつけられながら、雨谷はフラフラと頭を揺らした。バーベキューとパラソルの準備という重労働を少しやっただけなのに、このありさまである。小見原の前でかっこいいところを見せたいと張り切りすぎてしまった。


 ゆっくりと冷たいジュースを飲みながら一息ついていると、後ろからビニールシートを踏む音が二つ聞こえてきた。振り返ると、脱落した雨谷の代わりに準備をしてくれていた阿藤と寅田が、炭酸ジュースを片手に隣に座ってきた。


「やー終わった終わった」


 当たり前のように雨谷の隣をとった阿藤は、なんの警戒もせずにペットボトルの蓋をひねった。とたん、歩いている途中で振り回された炭酸が泡立ってあふれ出した。


「うわ!」

「またやってるよ。もう恒例行事だね」

「今日はいけると思ったんだけどなぁ」


 雨谷がティッシュを差し出しながら笑えば、阿藤は言い訳をしながらそれを受け取った。そして山本を挟んだ反対側のほうで、寅田がひょっこり顔を出しながらこんなことを言ってきた。


「ねぇ雨谷。この前も小見原さんに救急車呼ばれたんでしょ? 貧弱すぎるでしょ。毎年どうやって生き残ってきたんだ?」

「ずっとクーラーの効いた部屋にいたから、夏の外で遊ぶの久々で」

「このもやしっ子め」


 寅田はそう笑いながら、うっすら筋が入った二の腕の筋肉を雨谷に見せびらかしてきた。雨谷だってギターを弾いているおかげでそれなりに筋肉があるのだが、寅田と比べると、やはり自分のほうが弱そうだった。別に嫉妬はしていないが。


「そんでお前、小見原さんとはどうなんだよ」


 唐突に山本から尋ねられて、雨谷は少し反応が遅れた。


「どうって?」

「もう三ヶ月過ぎたんだぜ? もうやることやったんじゃねぇか?」

「いや、キスもしてない」

「「してないの!?」」


 寅田と阿藤から異口同音の叫びが放たれるが、雨谷はあまり意味がよくわからなかった。それが顔に出ていたようで、山本から両肩をつかまれてぐらぐら揺さぶられてしまった。


「あーまーがーいー! いつまで初々しいままなんだよ! 結婚するの十年後になっちまうよ!」

「十年後でもいいんじゃない? ていうか、結婚って……」


 すると今度は阿藤からもがっちり腕をつかまれる。驚いて振り返ると、なぜか涙で両目を揺らした阿藤の顔がすぐ近くにあった。


「雨谷! 結婚を前提に付き合ってるんだろ! それ以外は許さないからな!」

「大地は僕のお父さんか!?」

「おれはぁ! お前の結婚式に呼ばれんのが夢なのぉ! ついでに最初の子も友達の中で一番最初に抱っこするんだよ!」


 おんおんと号泣し始めた阿藤に、片側二人がうわっとドン引きした声を上げた。そして、肩をつかんだままだった山本がソフトタッチで叩いてきた。


「おい雨谷。友達は選んだほうがいいぞ」

「どういう意味だよ!」


 すかさず吠える阿藤から全員が目をそらし、何事もなかったように寅田が話を続けてきた。


「キスはしてなくても、さすがに文化祭ではサプライズとかするんでしょ?」

「サプライズ? ステージの上で愛を叫ぶみたいな?」

「大体そんな感じの。……まさかやらない?」

「考えてなかった」

「文化祭舐めてるのか?」


 突然いきり立った寅田が、立ち上がってわざわざ雨谷の正面で仁王立ちした。


「文化祭って言ったら学生の思い出の代表格だよ。それを何も考えてなかったってどうかしてるのかい? 彼女もいて勝ち組のくせにもっと全力で楽しんだらどうなんだよ」


 長々と高説を垂れる寅田の横で、ひそひそと阿藤が山本に耳打ちした。


「なんであいつ気合い入ってんの?」

「去年文化祭と受験が被ってて遊べなかったんだよ」

「あー……」


 ごほん、と寅田が咳ばらいをすると、山本と阿藤はびくっと飛び跳ねながら佇まいを戻した。それから、寅田は困ったような表情で雨谷を見下ろした。


「せめて何するか決めた方がいいんじゃない? せっかくの文化祭だし思い出作った方がいいって」

「思い出かぁ」


 もう十分すぎるぐらいに小見原からもらったから、きっと未来で今を思い返しても満足できるだろう。だが、自分はまだ彼女に恩返しができていないような気もする。だから、彼女に楽しんでもらうという名目だったら、確かに思い出作りをしたほうがいいかもしれない。


 雨谷はそう思いながら、そっと砂浜にいる小見原を見つめた。ビーチバレーを打ち上げて笑っている小見原は、水しぶきの反射を受けて眩く光っていた。あんなに綺麗で、優しい子が自分の彼女で、一緒に音楽人生を歩んでくれている。


 そんな彼女に、自分があげられるものは何だろうか。


 あれこれとプレゼントの内容を考えてみるが、小見原を見ているうちに思考が鈍っていく。数秒もすれば、ただ無意味に彼女を眺めている時間が数分と過ぎていった。


 水族館から聞いたよりも、より鮮明に響く波の音が鼓膜を揺らす。海の波や満潮は、月の引力によって動きが生まれているらしい。あれだけ遠くにある月が地球の膨大な水に影響を及ぼしているとは、科学的に証明されていても雨谷にはにわかに信じられないことだった。


 でも、もしそうであるならば、波の音は実質、月が奏でる音となるのだろうか。


 夢現のような心地でそんなことを考えていると、初めて小見原に声をかけられたときのように、頭の中で勝手にリズムが出来上がり始めた。波や風、水をはじく小見原の足踏みと、笑い声。細かな歯車が組み合わさるようにして、雨谷の頭の中で音楽が完成していく。


 やはり、自分が彼女に上げられるものはこれしかない。


 雨谷はスマホを取り出して素早くメロディをメモしながら、寅田のほうへ浮かれた質問をした。


「うちの高校ってステージパフォーマンスってある?」

「あるよ。一人からでも応募できるってさ! ただし早めにやらないと満員で切られるかもよ」

「ふーん。じゃあさ、ここにいるみんなでバンドを組んでみるのはどう?」

「「「バンド?」」」


 三人ぴったりと声をそろえて聞いてくるものだから、雨谷は思わず吹き出してしまった。そして山本と寅田はすぐに意味を理解して興奮気味に食いついてきた。


「俺ちょっとだけならベースできるぜ!」

「こっちも人並みにドラムできるよ。阿藤は?」


 話題を振られた阿藤は、少しバツが悪そうな顔で頬を搔いていた。


「いやぁ、おれそもそも他校の生徒だし」

「制服着ればばれないって。君と背格好が似てる友達いるから、名前とクラスぐらいごまかせるよ?」

「手際がいいな。さては抜け道探す常習犯だな?」

「さぁどうだろうね。で、やる?」


 パラソルの陰で寅田があくどく笑っている。阿藤はじっとそれを見上げた後、不敵な笑みで答えて見せた。


「絶対ばれないって保証があるなら、やる」

「いいね。そう来なくちゃ」


 二人はお互いに熱い握手を交わして、流れるように肩を組んだ。まるで長年連れ添ってきた相棒同士のやり取りで、雨谷は山本と一緒に何とも言えない笑みを浮かべた。別に嫉妬はしていない。

 

「それはそうと、そろそろ泳ぎに行っていいかな?」


 ふいに、意外とあっさり肩を組むのをやめた寅田がそんなことを言い出す。放置された阿藤が何やらすごい顔をしていたが、丸っと無視した山本がガッツポーズをしながら海へ走り出した。


「俺はもう先に行くぜ!」


 うおおおお、と雄たけびを上げてビーチバレー中の女性陣の群れへ山本が飛び込んでいく。筋肉質で少々顔が更け気味の山本だから、知らない人からすると変態が突っ込んでいくように見えたかもしれない。そんな山本の後ろを、寅田がいつものように仕方なさそうな笑顔で追いかけていった。


「雨谷はどうする?」


 まだパラソルの中に留まっていた阿藤が、空のペットボトルを置きながら振り返ってくる。雨谷は勢いよく立ち上がると、サンダルを履きなおしながらにやりと笑った。


「もちろん行くよ」

「遅かったほうがジュース奢りで」

「いいよ」

「よーい、どん!」


 ストレッチもそこそこに、雨谷は阿藤とともに勢いよく砂を蹴り上げた。

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