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裏 もう一つの火種

 夏休み直前の期末テストは午前中だけに絞られていたおかげで、十二時を回る前に下校時刻になった。秋葉はテストの予想結果を話し合う友人たちとの会話を適当に終わらせると、今日だけは小見原と一緒に帰らず、家とは逆方向に向かう電車に乗り込んだ。向かう先は白雨キユイが所属しているというライブライダーズ事務所である。午後がまるまる暇な時間になっているのは学生が自主学習できるようにという先生側の配慮なのだろうが、秋葉にとっては勉強よりも小見原関連のことの方がよっぽど重要な話だった。


 春風を利用して小見原に誤解を招くようなことをしてしまったあの日から、もうそろそろ三ヶ月になる。それでも小見原との関係はぎこちないままなような気がして、秋葉は一人焦っていた。彼女とは毎日メールでやり取りをしているが、以前のように仕事の相談や、今日は何をしたという報告が全くない。それがだんだん不安になっていき、ついに耐えきれなくなった秋葉は自分から彼女の職場を見に行くことにしたのだ。


 通いなれた駅内では今流行りの音楽ランキングに混じって、小見原の高らかな歌声が堂々と響き渡っている。テレビにも出て、いつのまにかアニメの主題歌までこなしていた白雨キユイは、秋葉の知らないところでますます名を上げているようだった。道をすれ違う人も当たり前のように白雨キユイの曲を受け入れて、嘲ることもなく、むやみに足を止めて注目することもしてない。ほかの有名人に対する扱いと何ら変わりがない他人の姿に、秋葉は自分の日常がメディアに吸い取られていくように感じた。いっそ自分も事務所に就職するべく大学進学を諦めてしまった方がいい。そうしたらこの劣等感から解放されるんじゃないかと淡い期待まで抱いてしまう。


 改札を通り過ぎた後、秋葉は毎日乗っているものとは違う色合いの電車に乗った。乗ったことのない電車のアナウンスが無性に不安を掻き立ててくるが、同じ高校の制服を着たグループが近くにいるだけで不思議と安心した。


 見慣れない景色が速度を上げて流れていき、また緩やかに停車した頃、駅のホームから一人の男性が入ってきた。男は平日の真夏なのに黒いフードを着て、手荷物は封筒とポケットの長財布だけ持っていた。そんな格好の人は探せばいくらでもいるだろうが、秋葉はなんとなくその男の丸まった背中を窓の反射越しに眺めていた。


 各ホームへ止まるたびに、見慣れた制服を着た学生たちが見知らぬ他校の生徒と入れ替わる。その間ずっと男と秋葉は一定の距離を保ったままで、何事もなく目的の駅に到着した。男は見た目が怪しいだけで、ただの通行人だっただけらしい。


 拍子抜けした気分でホームに降りると、秋葉の真横を颯爽と件の男が通り抜けていった。秋葉はそれを見ても気に止めず、当初の予定通りスマホのナビゲーションを頼りに事務所へ歩き出した。


 すると今度は、あの男がサングラスとマスクをしながら全く同じ進行方向に出てきたではないか。


「…………」


 変装をしていたことがあるので、断言できる。


 やっぱりあの男は怪しい。


 だが、これから自分は事務所に向かわねばならないし、本当に怪しい人物とは限らない。もしかしたら何か事情があってそんな恰好をしているのかもしれないので、秋葉は出来るだけ男を意識しないようにナビに従ってビル街の足元を進んでいった。


 だが、いくら曲がっても男はずっと秋葉の前方に居座り続けていた。同じ目的地かも? いやいやまさか、と自問自答を繰り返しながら、わざと歩調を落として男との距離を空けておいた。見知らぬ男性と目的地が同じかもと考えるだけで普通に怖かった。

 一方的に気まずい気分でナビマップの半分まで埋めた頃、秋葉はようやく曲がり角で男と別れることができた。やっぱり偶然だったのだとほっとして、秋葉は残りのルートを埋めるべく大股で歩き続けた。


「ここが小見原たちのいる……」


 到着しました、と小さくアナウンスするスマホからナビアプリを消して、秋葉は反対側の歩道からライブライダーズ事務所を見上げた。想像していたよりも意外と小さな事務所だが、自動ドアから見えるエントランスは小洒落た色合いで統一され、まだ設立されて間もない雰囲気があった。ネットのホームページを覗く限り、少なくとも悪い事務所ではないのだろう。こういう場所なら小見原に相応しい。


「……いいなぁ」


 有名な監督から推薦をもらって、事務所に受け入れられて、いろんなメディアに引っ張りだこで。一瞬で人気者になってしまった小見原と自分との格差を目の当たりにして、秋葉は急に自分が情けなくなった。些細な嫉妬で小見原の足を引っ張ってしまった償いとして控えめに彼らを応援してきたが、もう自分の応援なんてなくても一人で進めるのだろう。そう思うと、やっぱり来るんじゃなかったと気持ちが萎んでいってしまった。


「……帰ろ」


 重たい教科書入りの鞄を握り直して秋葉は来た道を引き返した。するとその途中で、路地の間にあの怪しい男の姿を見つけた。あいも変わらずサングラスとマスクを着けた不審な格好だったので秋葉はつい呆れてしまったが、その男の視線が事務所に向いていると気づいて眉を顰めた。


 まさかあの男、小見原の事務所に何かするつもりなのだろうか。被害妄想も甚だしい発想だと自分でも思うが、もしここで男を見逃したせいで小見原に何かあったら、絶対に後悔するに決まっている。だったらデートの様子を見に行った時と同じように過保護に立ち回ったって問題ないだろう。


 秋葉はパチッと両頬を軽く叩いて気合いを入れると、不自然にならない程度に道の脇に移動し、スマホをいじるふりをしながら男の様子を観察した。

 男はサングラス越しにじっとライブライダーズ事務所の出入り口を睨んで、誰かが出てくるのを待っているように見えた。だが数分経っても動きはなく、やがて男は無表情のまま路地の向こうへと歩き出した。秋葉も数秒間を置いて、見失わないようにそのあとをゆっくりとついて行った。


 万が一尾行がバレたら、制服姿なので一発で身元がバレてしまうだろう。もし危ない人間だったら、後々報復されるかもしれない。男が曲がり角へ消えるたびにそんな恐怖がじわじわと広がってくるが、バレなければいいのだと強引に自分を丸め込む。それに、ニュースではよく過激なファンがアイドルに刃物を向ける事件が流れているし、小見原がそれと似たような事件の被害者になる方がよほど怖かった。


 十分程度、おそらく気付かれることなく後を追いかけていると、男は人気のない道から表通りへと出てきて、周りを警戒しながらとあるビルの中へと入っていった。


「別の事務所……?」


 小見原と関係のなさそうな芸能事務所の名前に困惑しながら、スマホのメモ帳に一応記録しておく。それから自動ドアの向こう側の景色を覗うと、ちょうど例の男が受付の女性に謎の茶色い封筒を渡しているところだった。いかにもな光景に思わず秋葉はカメラをむけ、バクバクと音を立てる心臓を諌めながら録画を始めた。身内ではなく赤の他人をカメラに収めるのはかなり罪悪感があったが、あとで消してしまえばいいと動画を止めそうになる親指を抑え込んだ。


 いきなり封筒を渡された受付嬢は困惑している様子だったが、男に何か言われた瞬間、血相を変えて封筒の中身を確認し、さらにもっと顔色を悪くしてどこかに電話をかけ始めた。

 その間に男は小走りで外に出て人混みに紛れると、何事もなかったかのようにどこかへ歩いていく。秋葉は一旦動画を止めて、同じ方向へ歩くサラリーマンの背中に隠れるように移動した。


「どうしよう。どうしよう」


 動画を確認するのは後にした方がいい。これが本当に犯罪の証拠になるとしたら、自分はこれをどうしたらいいのだろう。さっきの受付嬢に渡せばいい? でも、なぜ動画を取っていたのかと聞かれたら、うまくこたえられる自信がない。それにサングラスをかけた男の姿なんて、事務所の前の監視カメラにいくらでも写っている。だから素顔を撮れなければ確実な証拠にはならない。


 じゃあ、ともかく男の素顔を撮って仕舞えばいい。それ以上深追いするのは危険だろうし、その後のことは後で考える。そうしよう。


 半ばパニックになりながら歪に考えをまとめ上げると、秋葉はどんどん人混みを抜けていく男の後ろを追いかけた。硬いローファーでこんなに長い間歩き続けるのは初めてで、足の小指や踵のあたりが擦り切れて鈍い痛みを発している。足を止めて休みたい欲求を飲み込んで、秋葉は男がサングラスを外す瞬間を執念深く待ち続けた。


そうして数分追いかけた先、男は忙しなく時計を確認しながらどこにでもあるファミリーレストランへ入っていった。秋葉も数分置いてから中に入り、店員に無理を言って男の位置が分かるテーブル席へ移動する。そしてその席でカメラをズームしてみると、男はサングラスを外していた。


 かしゃり、と店内BGMが大きくなった瞬間に合わせて撮影する。男と視線が合う前にすぐにカメラを下げて、メニューに視線を落とすように顔を背ける。大きなメニュー表は顔を隠すのに最適だったが、それをやってしまう方が怪しい気がして秋葉は顔をうつむけたままじっとしていた。バクバクと心臓が暴れて冷や汗で制服のシャツが肌に張り付く。


 バレていないはず。うまく行った。大丈夫。自分に何度も言い聞かせてから、恐る恐る男の方を確認する。男は先程となんら変わりなく、難しい顔をしてスマホをいじっていた。


 これで帰れる。でもなんでこんなに執着していたんだろう、と秋葉は我に帰った。小見原とあの男に何か関係があるかも何て、それこそこちらの思い込みだ。間違っているかもしれない憶測のためにここまでついてきてしまうなんて、本当にどうかしていた。


 秋葉はつらつらと自分の行動を指摘しながら、ふと思い出して財布の中身を確認した。元々ライブライダーズ事務所を遠目に見たらすぐに帰るつもりだったので、手持ちにあまりお金を入れていなかった記憶がある。案の定、財布には昼食を普通に注文するには心もとない一千円しか入っていなかった。


 ぎゅるる、と午前中のテストで既に空腹だった腹が不満を訴えてくる。秋葉は渋々一番安いハンバーグ単品を注文して、お冷やを貰うためにドリンクバーへ立った。炎天下の中ずっと歩いていたから、氷をたくさん入れたただの水が見ているだけでおいしそうだ。


 自分の座席に戻って一息ついて、また何気なく男の方をみると、いつの間にか向かいの席に見知らぬ女性が座っていることに気づいた。


「……あれ?」


 気のせいかもしれないが、その女性の鼻や口の形が誰かに似ている気がした。化粧が濃くてきつい印象が強いが、果たして誰だったろうか。見たところ男と知り合いのようで、高圧的に何かを話しているようだが、先ほどの封筒騒ぎと何か関係があるかもしれない。


 秋葉は少しだけ悩んだ後、これで最後だと言い訳をしながら、再び男の方へとカメラを向けた。頬杖をついて、高い位置でスマホをいじっているように見せかけて二、三枚写真に収める。二人は会話に熱中しているようでこちらに気づいておらず、お冷すら取らずに言い争っていた。


「何のために高い金払ったと思ってるのよ」

「そんなこと言われたって、これ以上は割に合わないんですって。まだ任せるっていうんなら、追加料金をもらいますよ」

「なんてがめつい男なの! 何でもするっていうから頼んだのに」

「金さえあればの話ですって。奥さんちゃんと契約書読みました?」


 諫めるどころか煽るようなことを言う男に、女の方がだんだんヒートアップしていく。いよいよ怪しい二人の様子に秋葉は罪悪感や躊躇いが抜けていって、こうなったらとことんやってしまおうと、二人の会話の内容を聞こえる範囲でメモに書き記すことにした。

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