(32)ダブルスタンダード
「なんでこうなっちゃうかなぁ」
阿藤はマスクも帽子も外れた全くの素顔で遠い目をしながらそうぼやいた。その斜め後ろでは小見原の幼馴染だという不審者女もとい秋葉が、小見原ときゃいきゃい盛り上がりながら景色を楽しんでいる。そして阿藤の隣には、その様子を微笑ましそうに見つめる雨谷がいた。男女に分かれて遊園地を練り歩くなんて陽キャにしかできないことだと思っていたが、果たして自分は陽キャだったかと、阿藤は深々とため息をついた。
雨谷達と園内を巡ることになったのは百歩譲って良いとしよう。だが雨谷よ、立ち位置が違う。そんな娘を見守る父親の顔をするのではなく、秋葉と場所を変わるのだ。何のためのデートだと思っているんだ。そんな文句が阿藤の喉元で燻り続けるが、デートを台無しにした戦犯が己自身である手前、迂闊に空気を悪くするようなことは言えない。この状況を甘んじて受け入れた方がきっと得策だ。
別に雨谷が小見原より自分の隣を選んでくれたのが嬉しいからとかではない。ないったらない。
確かに最初は二人の間に入りたいと一瞬ぐらいは思った。すごく邪な気持ちで小見原の代わりにそこに立って、雨谷とあんなことやそんなことがしたいとか想像しまくった。
だがこれはなんか、違うだろう。二人っきりのデートっていう特別感が一気に失せて、ありがたみがない。そう仕向けてしまったのが自分であるのがもっと許せないし、棚から牡丹餅感覚で妄想を実現してしまったのが、なんというかこう、
「死にてぇ!」
「うわびっくりした。どうしたの大地。辛いことあった?」
「ああ……うん気にしないでくれ」
光の速度で心配してくれる雨谷に泣きそうになりながら阿藤は顔を覆った。雨谷は尾行されていたことも邪魔されたことも全然気にしていない様子だが、それが余計に心にくる。
「本当にごめんな、雨谷の邪魔するつもりなかったんだよ。ちょっと、ちょーっと遠くから二人が上手く行ってるの見たら、一人で遊んで帰るつもりだったんだよ」
「うん。分かってるよ。心配して来てくれたってことだよね」
「へ?」
超絶好意的すぎる解釈の仕方に、阿藤はカラスにパンを取られた子供のような顔になった。しかし雨谷はこちらの気も知らないでニコニコとしている。
「やっぱり大地に相談しておいてよかったよ。親身になって遊園地の巡り方とか有名スポットとか教えてくれて、お陰ですごく助かったからさ」
そのデートプランを俺がぶっ壊したんだけどね。
「それに、わざわざ休みを使って付いて来てくれるって、すごいと思う。そこまで心配してくれたのは純粋に嬉しいよ」
「アア、ハイ。ゴメンナサイ」
「もういいって、謝らないでくれよ」
雨谷にそこまで言われてしまっては阿藤も押し黙るしかない。黙々と後ろの女子が御所望のエリアへ向かうと、遊園地の中央にある城からパパッと小さな花火が上がった。モダンな橋の向こう岸からも小さく大勢の歓声が湧き立っている。
「正直、大地を見つけて安心したんだ」
「……なんで?」
唐突な雨谷のセリフに阿藤は呆けた。雨谷も言ってから恥ずかしくなったのか、鼻先を人差し指の爪で引っ掻きながらオロオロと続けた。
「その、さ。僕って小見原さんの隣にふさわしいのか、僕自身まだ勇気が足りなくて。大地みたいに応援してくれる人が近くにいると、一緒にいてもいいって認められたような気分になるから、熱心に見守ってもらえると、ね?」
「……俺はずっと昔からお前のこと認めてるから」
相変わらずの自己肯定感の低さに阿藤はブスくれたが、雨谷は嬉しそうに顔を綻ばせていた。普段穏やかな顔立ちの雨谷が勝ち気そうに歯を見せてくるのは初めてで、不覚にも心臓が高鳴ってしまった。そして口にはしまいと思っていたことが飛び出してしまう。
「もしお前が小見原に見捨てられたら俺が結婚するわ」
言った後に、あっと口をつぐんで蒼白になる。流石にこれは、気持ち悪がられるかもしれない。
だが幸か不幸か、雨谷は冗談と受け取ったようで照れ臭そうに笑うだけだった。
「そうだね。君に迷惑をかけないように頑張るよ」
「っ迷惑じゃないぞ」
「ありがとう。でもね、僕と一緒にいると不幸になると思う」
再び大勢の人の歓声がして、遠目からでも着ぐるみたちのパレードが見えた。それを尻目に、雨谷たちはどんどん高い建物の方へ歩いて、城の姿も隠れてしまう。
「大地はさ、僕の小学校の頃、周りがどんなのだったか知ってるでしょ。……母親のことも」
「ああ……でも俺は気にしてないよ。最後にまともにお別れも言えなかったのが悔しいぐらいで」
「うん。もしあの時ちゃんとお別れ会とかできたら、もっとちゃんと小学校の頃とか、大地のこと覚えていられたのかもしれないね」
雨谷が寂しそうに空を仰ぐものだから、阿藤は蜃気楼に揺れるアスファルトの地平線を眺めた。今まで色々、バーチャルやゲームや、尾行をして誤魔化してきたが、もう無理だ。やっぱり忘れられているのは辛いし、過去の距離感が決定的に違っているのも苦しい。これなら一生思い出さず、辛かったことを全部忘れてもらいたい。
阿藤は額から落ちた大粒の汗を拭って強がった。
「また会えたからさ、忘れてても気にしないぜ俺は。今度は逃がさないからな!」
「あはは! 告白みたいだよ!」
痛い。だが雨谷が笑っていられるなら幸せなんだ。言い聞かせて、大きな建物の影から日向へ出る。右側を見上げると、少しだけ角度を変えた城の屋根が、日差しを受けて水面のように白く反射していた。
「ねぇ、大地はさ……」
雨谷がが何か言おうとした瞬間、進行方向から黄色い悲鳴がした。驚いて全員がそちらを見ると、カメラとマイクを持った明らかな撮影スタッフと三人の芸能人が、城の方から歩いてきていた。ただ歩いて談笑しているだけなのに、三人の周りにいる人たちがさっと道の脇へ離れていく。中でも女性にキャーキャー言われながらスマホを向けられているのは、以前どこかの番組で白雨キユイのことを嬉々として語っていた沖釜空歩であった。
沖釜空歩がいるだけで、同伴している女優さんの顔がずっと赤い。男なら妬ましいと思ってしまう光景だが、道に退いた男性陣も熱に浮かされたように彼を見つめている。顔の絶対値が最高だと性別の垣根を超えて惚れてしまうらしい。
そいつより絶対雨谷の方が顔が良いのにな、とぼんやり有名人集団を眺めていると、
「うわ」
と小見原が心底嫌そうな顔をして雨谷の後ろに隠れた。秋葉は小見原の反応が信じられないという顔ですかさずこう言った。
「唯、あの人嫌いなの?」
「だって初対面で突っかかってきたんだもん。そりゃあ礼儀知らずなことをしたのはこっちだけど、その後も何かと雨谷に文句言ってくるし、私と歌いたいとか言い出すし」
「ああ……苦手そう」
ボソボソと本人の目の前で悪口を言っていれば、まさか聞こえたわけではないだろうが沖釜の視線とばっちり会ってしまった。途端に沖釜の表情が気色付いて小見原を三秒凝視した。
「ありゃあ恋してる顔だわ」
ボソリと言うと小見原が縮み上がって、秋葉の手首を掴んでもっと身を隠そうとした。一方壁にされている雨谷は、カメラに映っていないのをいいことに呑気に沖釜に手を振っている。沖釜はそれでやっと雨谷の存在に気づいたらしく、ゲッとテレビ向けでない顔になってすぐに顔を背けた。
意外な反応に阿藤はおやっと目を剥く。
「嫌われてんの? テレビであんなにドラマ自慢してたのに」
「曲は褒めてくれてるよ。ただ僕個人が気に入らないみたいで……」
「ははぁん? あんなイケメンでも器が小さいのな」
「え? 沖釜君はかっこいいよ」
「いやいやそう言うことじゃない」
会話しながら撮影陣がマーメイドシティの方へ歩いて行くのを見守っていると「カット」とスタッフの方から声が上がった。どうやらこれから休憩に入るらしく、短い打ち合わせをしてからジュースが配られた。
そして沖釜はジュースを渡してきたスタッフに二、三言伝えると、何故かずかずかこちらへ向かってきた。
「ちょ、なんでこっちくるのよ!」
小見原が黒いカサカサ虫を見つけたような声を上げるが、沖釜は構わず手を上げて挨拶してきた。
「よぉ、こんなところで会えるとはなぁ」
「僕もびっくりしたよ。今日撮影だったんだね。お疲れ様」
雨谷が親しげに労うと「先輩には敬語!」と頭を強めに叩かれていた。こいつ雨谷になんてことをと阿藤は顔を真っ青にしたが、当の本人は「今日は優しいね」という爆弾発言を残していった。今日は、ということは普段一体どんな暴力を振るわれているんだ。まさか芸能界特有の陰湿ないじめにあわされているのか。それならいっそここで沖釜を殴り返しても良いが、他の客の視線が集中しているので下手なことはできない。何せ雨谷は匿名活動中の白雨なのだから。白雨の正体を知っているのは自分だけで充分である。
すまない雨谷。次このイケメンと会うことがあったら倍返しでお前の雪辱を晴らそう。
そう言う意味を込めて阿藤は雨谷にサムズアップしたが、彼は首を傾げて困惑していた。そして隣に居た沖釜までこちらのサインに気づきやがった。
「お前の友達?」
「うん。彼は阿藤大地って言うんだ。小学校からの友達」
「えっ……」
にこやかに沖釜に紹介してくれる雨谷に、阿藤は思わず口を押さえながら感激した。しかし沖釜は究極のファンサを前にして嫉妬するどころか、
「へぇー」
と心底どうでも良さそうな沖釜の反応に、あ、こいつ性格悪いなと阿藤はこめかみを引くつかせた。推しが話してんだぞ、もっと喜べよ!
そんな阿藤の殺意は伝わることなく、沖釜はつい、と視線を小見原へと戻した。
「それよりキユ……お前、休日までこんな男とベッタリしてんの?」
「アンタには関係ないでしょ」
小見原はバッサリと切り捨てながら秋葉にくっつくようにして距離を取った。拒絶反応丸出しの光景に沖釜はあからさまに捨てられた犬の顔をしたが、すぐに取り繕ってスタッフに渡されていたオレンジジュースを煽った。阿藤はざまあみろイケメンと罵って、奴のペットボトルの底をアッパーしてやりたかったがギリギリで堪えた。それぐらいこいつの態度が生理的に無理だ。
しかし普段から邪険にされているはずの雨谷だけは、沖釜に慰めるような言葉を口にして世間話に興じた。
「ねぇ、今日の撮影っていつ放送なんだ?」
「朝のニュース番組で使うんだとよ。明日の朝六時から」
「レギュラーなの? チャンネル何番?」
「四」
「ああ、朝ジットだっけ? いつもその時間はメザメテレビだから知らなかった」
「よりにもよってそこかよ。本当腹立つな!」
朝の番組の二大巨頭の“朝ジット”と“メザメテレビ”を受け持つ放送局は犬猿の仲で有名だ。それを引き合いに出すのはテレビ関係者の地雷を踏んでいる。特に朝ジットのレギュラーの沖釜からすれば、地雷原でタップダンスを踊られてる感じだろう。流石雨谷、ここぞというタイミングで沖釜に一矢報いた。阿藤は内心で拍手喝采を送りファンファーレまで奏でた。
すると、今度は小見原の方からも新たなバッシングが繰り出された。
「ねぇ、あんまりこっちに話しかけないでくれない? こっちはアンタと違って目立ちたくないんだけど」
「匿名だからって警戒しすぎだろ。何をカッコつけてんのかしらねぇが、広告塔になれって言ったのそっちだし、思わせぶりな同い年がこうやって屯してるだけでも話題になりそうじゃん?」
「アンタのユルユル危機感に巻き込まないでくれる? さっさと仕事に戻りなさいよ!」
小見原と沖釜の関係は、薄々気づいていたがかなり険悪らしい。知り合い同士のジャブにしては少々過激すぎる気もした。それは沖釜も思っていたことだったらしく、さっきまでの強気の姿勢はどこへやら、一転して彼は片手で顔を覆いながら悲痛な声を上げた。
「はー……あのさぁ、前から思ってたんだけど俺一応先輩。敬語使えよマジ」
「なに。言うに事欠いて先輩面? そんなに一緒にいたいわけ? 気持ち悪い」
これには傍観していた秋葉も雨谷も苦言を呈した。
「お、小見原さん言い過ぎだよ」
「そうだよ。いくら嫌いだからってそこまでは」
小見原はむすっとして顔をそむけると、かなり小さな声でごめんと謝った。沖釜はそれはそれで傷ついたような顔をして、肩をすくめながら端的に尋ねた。
「お前俺嫌いなの?」
「当然でしょ。今までの言動振り返ってみなさいよ」
「……いや。でも俺は悪くない。常識のない後輩を諌めたかっこいい先輩だろ。むしろ惚れるだろ」
「は?」
小見原が腹の底から出した容赦ない声に阿藤は噴き出しかけた。テレビであんなに二人のことを褒め称えていた沖釜がキユイには全く見向きもされてないのは見ていて気分がいい。話を聞く限りあれもドラマ関連のプロモーションでしかなかったのかもしれないが、沖釜の目には確かに小見原への恋の炎がともっていた。
やめておけばいいのに、と阿藤は笑うが、だんだんと笑えなくなってきた。雨谷と付き合っている小見原が別れてくれれば、自分にも雨谷と一緒に居られるチャンスが回ってくるかもしれない。もちろん雨谷がそれで悲しまないはずがないので本気で望みはしないが、その悲しみをもし自分が癒せるのなら、と女々しい考えが頭の中をよぎってしまった。阿藤が抱く雨谷への感情は崇拝であって恋愛ではないのに、やはり独占欲は切り離せないのだろうか。
ファン失格かもな、と阿藤が人知れず自嘲していると、カシャ、とほんの微かなシャッター音を拾った。
阿藤は反射的に音のした方へ振り返ったが、不審な人物が人混みを駆けていくのを見つけた。あのシャッター音がこちらに向けられたものと決まったわけではないのに、阿藤は喉の奥が一瞬で干上がっていくのを感じた。まるで、雨谷が小学校に来なくなったあの日のように。
捕まえてはっきりさせた方がいいかもしれない。ただ写真を撮られただけで白雨キユイだとバレるわけではないと頭の中で結論を出せているが、放っておけば絶対に後悔する。だが、今から追いかけても捕まえられる保証はないし、ここでみんなの側を離れるのも不味いかもしれない。
そうして迷っているうちに、取り返しがつかないほど不審人物が遠ざかって行って、やがて見えなくなってしまった。
「大地、何かあった?」
急に後ろを振り返った阿藤を不審に思ったか、雨谷がキョトンとした顔で見つめてきた。相変わらず顔が良い、と頭の片隅で思いはしたが平和ボケできる余裕はなくて、阿藤は必死に笑顔を取り繕った。
「い、いや、多分気のせいだよ。それより沖釜さん、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないですかね」
ここから一刻も早く雨谷を離れさせたい一心でそう言うと、沖釜は腕を組みながら鷹揚に肩をすくめた。
「いいじゃん。まだ時間余ってんのに」
「空歩君! あと五分だから戻ってきて!」
スタッフの声が響き渡って、沖釜の表情が一瞬で抜け落ちた。
「……おいYUII。覚えてろよ」
「あ、うん。ちゃんと放送見るよ」
「そっちじゃない! ったく、じゃあなお前ら!」
沖釜は心底悔しそうな顔をしながら人差し指を小見原へ突きつけると、駆け足で撮影陣のもとへと戻っていった。それを見送らないうちに、秋葉が空気を切り替えるように手を叩いて言った。
「じゃあ私たちも行こう。次はどこにするの?」
「深海探索したい!」
阿藤が咄嗟に手を上げながら叫ぶと、小見原も賛成して雨谷の手元からマップをひったくった。エスコートする気満々だった雨谷が慌てて小見原と一緒に地図を覗き込みながら、必死に道案内をしようとし始めるのを、阿藤は黙って見つめていた。
もし雨谷がまた自分の目の前から消えるようなことがあったら、果たして自分はどうするだろう。問いかけてみても、頭の中では上手い答えが一つも思いつかなかった。
大変大遅刻してしまい申し訳ありませんでした。
環境が変わってしまったので今までよりさらに更新が遅れるかと思います。




