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(3)霞み

 結局、体育の授業が終わって放課後になるまで、小見原から話しかけられることはなかった。ホームルームが終わった瞬間、生徒たちが一斉に教室からはけて、半数以上がいなくなる。数分もすれば雨谷以外の生徒は下校してしまうだろう。


 小見原が話しかけに来るとしたらこの時間しかない。雨谷は彼女が来るまでの間、スマホとイヤホンを取り出して曲を再生しようとした。


「おい、雨谷」


 低い声と共に、マメだらけの厳つい手が机に乗った。

 怯えながら顔を上げれば、山本が四角い顎を見せつけるようにこちらを睥睨していた。


 今日は厄日かもしれない。なんだって山本は自分にばっかり絡んでくるんだろう。


 再び涙目になった雨谷をよそに、山本は何かに耐えいるように歯を食いしばった後、突然クワッと目を見開いた。


「ちょっと駅まで付き合え!」

「ぅえ!? ちょ、まっ」


 腕を引っ張られるが、机を離れるわけにはいかないので全力で抵抗する。すると山本は訝しげに眉を持ち上げた。


「あんだよ、誰かと待ち合わせでもしてんのか?」

「えっと……」


 正直に答えるべきか雨谷は迷ってしまった。そもそも、このタイミングで打ち合わせをすると明確に約束したわけでもないし、自分が勝手にこの時間なら話しやすいだろうと思って待っているだけだ。待ち合わせですらないかもしれない。


 今思っていることを馬鹿正直に言っても、山本はキレるだけだと思う。だからといって、何もないと答えてそのまま連れて行かれたら、来るかもしれない小見原に申し訳ない。


「なんだよ、答えられねぇのか?」


 上から覗き込むように威圧されて、雨谷はぎゅっと背中を丸めた。そもそも彼はなんでこんなにしつこく自分を連れて行こうとするんだ。


 まさか、カツアゲか⁉︎


「お、お金持ってないんです! だから見逃してください!」

「は……はぁ!? でもお前、今日購買のメシ食ってただろ!?」

「あれで全部なんです。本当にお金ないです!」


 実際財布には百円しか入ってないので本気で困るのだ。必死に貧乏人であることを訴えると、山本は引き気味に腕から手を離してくれた。


「じゃあ、しゃあねぇな。おいトラ、行こうぜ」

「あいよー」


 山本は体育の授業で一緒だった男子生徒を呼んで、一人であっさりと教室を出て行った。


 助かった、と胸を撫で下ろすと、“トラ”と呼ばれていた男子生徒が気配もなく隣にいることに遅れて気がついた。


「ひえ!?」

「ああごめん。びっくりした?」

「するよ!」

「ごめんねー気配が薄くて。でも一応言っておかないと山本可哀想だと思ったから」

「な、なに……?」


 彼は狼狽する雨谷に、狐の様な笑顔を浮かべて囁いた。


「山本、実はねぇ」

「トラ! 早く行くぞ」


 廊下の方から山本に呼び止められて、トラという生徒はぴくりと動きを止めた。彼は山本と雨谷とで視線を往復した後、諦めて廊下の方へ声を張った。


「せっかちはモテないぞー山本ー。ごめんね雨谷。また来週な」

「え、あ、うん……?」


 流れで手を振って別れてしまったが、結局何だったんだろう。気づけば教室の中は閑散として、気が利いた誰かによってすでに照明も消されていた。


 すぐ近くのグラウンドからは昨日と同じく陸上部の掛け声がぼんやりとここまで届いて来る。それに対して、教室の壁時計からは普段聞こえないはずの秒針の音がはっきり聞こえた。


 雨谷はスマホに再生されたままの動画を止めることも忘れて、静かに時計を眺めた。


 いつもなら日常的に流れる音から曲が浮かび上がるはずなのに、今日に限って、何もイメージが浮かばない。頭の中では小見原や山本、秋葉、春風と、昨日今日で初めて話したクラスメイトのことばかりが巡っている。


 小学校、中学校も雨谷は誰かにいじめられることもなく、友達らしい友達も作れずにいた。だから今日のように大勢に絡まれるのは初めてのことだった。


 いつも相手にどう思われてもいいと思っていたから、これから一年間、自分が彼らと関わることになると思うと、急に学校が恐ろしくなった。


 一人になりたいとも思う。だが“トラ”に話しかけられて、来週の月曜日が楽しみになっている気もする。こんな風に日常がかき乱されてしまったのは、全部小見原のせいだ。


 雨谷はいっそのこと、小見原に対する恨みつらみを吐いてみようと思った。だが頭の中に浮かんでくる罵倒は何もなく、むしろ、感謝ばかりが募っていた。


 小見原は脅迫してまで自分に作曲させようとする野蛮な人だ。逆に言えば、そんなことをしてでも雨谷の曲が欲しいらしい。授業中になんであんなに怒っていたのかは未だに分からないが、きっと小見原は悪い子ではないと思う。


 もし良ければ、彼女と仲良くしてみたい。


「はぁ……はぁ……」


 教室の後ろの扉から、全力疾走後の激しい呼吸音が近づいてきた。


 雨谷は後ろめたい気持ちでそちらを見ると、珍しく制服を崩した格好の小見原が壁に手を付いて立っていた。


 小見原は一度大きく息を吸うと、無理やり背筋を伸ばして雨谷に強がってみせた。


「ちゃんといるわね。アンタのことだから途中で逃げ出すかと思ったわ」

「……そう、だね」


 いろいろと考えていたせいで、昨日と同じように彼女に振舞えない。小見原は様子がおかしい雨谷に気づいて、すぐに怪訝そうな表情になった。


「なに、なんかあったの?」

「なんでもないよ。それより、曲のことなんだけど、内容は決められた?」

「当たり前でしょ。私が言い出したんだから」


 小見原はきょろきょろと廊下の外を見渡した後、ぴしゃりと扉を閉じてこちらに歩いてくる。そして鞄から、丁寧にファイルに入れられたルーズリーフを取り出した。


 雨谷がそれを手に取って目を通して見ると、ルーズリーフの上半分にびっしりと要求が書き連ねられていた。何度か書き直した跡があったり、具体的に提示された部分があったりと、作り手にとってはかなり分かりやすい書き方だった。


 しかもこの箇条書きの形には見覚えがある気がする。小見原からの曲の注文は初めてなのに、なんとなく文章から親しみが感じられた。


「……すごいね。これを一日で? 前から考えてたとか?」


 雨谷が感心しながら聞いてみると、小見原はむくれながら顔を背けた。


「たまたま、使い損ねたネタがあっただけ!」

「そうなんだ。じゃあ前にも、こんな風に誰かに曲をお願いした事があるの?」

「え?」

「だってすごく分かりやすいし、僕が欲しかった部分が全部あるんだ。もちろん細かい調整は必要だけど、全体のイメージがつかみやすくて助かるよ」


 ルーズリーフの丸っこい文字をなぞりながら目を細めると、小見原はじっと雨谷を見つめてきた。


「アンタ、曲の話になると饒舌ね」

「好きなものなら、みんなそうだと思ったんだけど……」


 嫌だったかな、と口にしそうになって急いで口を閉じる。彼女は自分を脅迫して曲を書かせようとしているのだ。友好関係を築いておくにしても、必要以上に相手に気を遣うのは間違っているかもしれない。


 不自然に言葉を途切れさせた雨谷に、小見原はまた訝しげに眉を顰めた。だが、何事もなかったかのように雨谷の手首を掴んできた。


「じゃあ早速打合せするわよ。ここだと先生に見つかりそうだから駅に行くわよ」

「駅?」

「カラオケ! あそこなら色々音とか試せるでしょ。外に聞こえにくいし誰にも見られないし」

「なるほど。……じゃあ、僕は帽子でも被っておこうか?」

「アンタ帽子なんてあるの?」

「あるよ」


 こんなこともあろうかと、とこっそり笑みを深める。


 昨日の放課後の様子からして、小見原は自分と一緒にいる姿をクラスメイトに見られたくないのだろう。

 それも当然の話だと思う。クラスで人気者の女子が、日陰者の冴えない男子と並んでいるだけで醜聞だ。しかし、そんなリスクを犯してまで自分に曲を作ってほしいだなんて、小見原は一体何を企んでいるのやら。


 雨谷は鞄から日差し避け用の黒い帽子を引っ張り出しながら、遠慮がちに聞いてみることにした。


「ねぇ、どう考えても僕と一緒にいることと、曲を作るメリットが釣り合ってる気がしないんだけど、どうしてか聞いていいかな」

「言わなかったっけ?」

「聞いてないよ」


 即答すると小見原はちょっと拗ねたように頬をむくれさせて教室を出ようとした。そのまま置いて行かれそうだったので、雨谷は帽子をかぶりながらついていく。


 そしてやっと、彼女は教室の扉を一歩出たあたりで答えてくれた。


「歌手になりたかったから。それだけよ」

「……それだったら、僕よりもっといい人がいくらでもいるじゃないか」


 思ったことをそのまま口にすると、小見原は今まで見た事がない鋭い目つきで雨谷を振り返った。少し八重歯が尖った彼女の口はまるで手負いの狼であったが、雨谷に噛み付くことなく徐々に肩を落としていった。


「そういうアンタは、何になりたいの」

「え?」

「曲を作って人気になりたいの? 誰かに認めてほしいんじゃないの?」


 考えてもみなかった。自分のこれからなんて、あまり価値のないものだと思っていたから。普通に高校を卒業して、就職して、使い潰されて終わるだけ。雨谷にとって人生はそれだけだった。ただ一つ、自分の曲を作れたらという欲求はあったが、まさかその曲で人気になりたいとか、食っていきたいとか、不思議と今まで考えたことがなかった。


 なぜ曲を作り始めたのかなんて、いつのまにか忘れてしまっていた。幼稚園のころ、ピアノの演奏が上手だと褒められたからかもしれない。たったそれだけの動機なら、別にアーティストになりたいと考えないのも当然かもしれない。


 だが、それ以上にもっと大きな理由があった気がする。思い出したいのに、考えれば考えるほど、なぜか胸が苦しくなった。


「早く行くわよ。遅くなったらお互い親に怒られるでしょ」


 声を掛けられて、雨谷の狭まっていた視界が一気に開けた。気づいたら背中には汗が伝っていて、首元が寒く感じられた。小見原はすでにこちらに背を向けて、さっさと昇降口の方へ行っている。


 雨谷は何も言えずに、彼女の背中を義務的に追いかけるしかなかった。


 帽子をかぶっているおかげか、昇降口に行く間も、駅に向かう間も小見原は隣を歩く雨谷に文句を言わなかった。代わりに、二人の間にはすれ違った人間がギョッとするほどの重い沈黙がまとわりついていた。


 全く、会話ができない。何か話すべきか、黙っているのが正解なのか。悩んでいるうちに思考が泥沼化しているが、コミュ障の雨谷は始終押し黙るしかなかった。


 が、駅の一階にあるカラオケ店にたどり着いた途端、雨谷は目を輝かせた。


「ここにサウンドエコーあったんだ!」


 よくあるカラオケ店の名前だけではしゃぐ雨谷に、小見原は変なものでも見たような顔になった。


「たかがカラオケ店でしょ」

「それはそうだけど、すっごく得した気分なんだ。いつも別のところに自転車で行ってたから、まさかこんな近くにあったなんて」

「アンタの家、駅に近いの?」

「歩いて十五分ぐらいだよ」

「ふぅん」


 小見原は何か考え込むように視線を上向かせたが、前触れもなく店の中に入ってしまったので雨谷はたたらを踏んだ。


 急いで追いかけると、店内では小見原が勝手に店員とコースを決めていた。雨谷としてはドリンクバーとマイクがあれば十分なので口出しをしなかったが、小見原は時々こちらをうかがうように視線を向けてきた。


「どうしたの小見原さん」

「べ、別に、文句あれば、素直に言いなさいよ?」


 意外だ。唯我独尊で自分の要求を押し付けてくる子だと思っていたが、こういうところではちゃんと人を気遣えるらしい。雨谷は新たな彼女の一面に目をぱちくりさせたが、素直にこう答えた。


「僕はなんでもいいよ」

「遠慮してないでしょうね」

「してないよ」

「ならいいわ」


 ほっとしたように小見原はとんがっていた眉を元の位置に戻すと、店員に話をつけてマイクとドリンクバー用のグラスを受け取った。

 雨谷は重そうなグラスが傾いたのを見て、咄嗟に小見原の手からトレーを奪い取った。ついでに彼女の手に握られている部屋番号を確認しておく。


「えっと、あっちだね」


 部屋の方へ歩こうとしたが、なかなか小見原が歩いてこないので雨谷は振り返った。


「小見原?」

「……生意気」

「なんで?」


 突然の罵倒に困惑しながら二人で部屋に入る。意外と広い部屋のスペースが目に入って、ちょっとだけわくわくした。明かりが付いていない真っ新な部屋は小さな映画館のような雰囲気だ。一人カラオケの時もこういった大部屋に案内されることはあったが、誰かと一緒というのはこれが初めてである。


 雨谷はテーブルにトレーを置きながら小見原に振り返った。


「小見原は何飲みたい? 持ってくるよ」

「いいわよ。自分で取ってくる」

「そう?」


 一応防犯のために交互に部屋を出て、それぞれの手元にジュースが渡ったところで、雨谷は本題に入ることにした。


「小見原の要望だと、アップテンポ調でかっこいい感じ、ピアノとかが多めのものがいいんだよね。そして、その曲を君が歌うんだね?」


 ごく自然に聞いたつもりだったのだが、L字ソファの斜め隣に座った小見原はなぜかガッチガチに緊張していた。まるでこちらが圧迫面接をしているみたいである。


 小見原は数秒間静止した後、くるくると口を動かした。


「そ、そそそうよ。私のデビュー曲にしたいの!」

「なるほどね。じゃあ、いままで自分の歌を動画でアップしたことある?」

「あ、あるけど二年前に撮ったの。しかも友達と」

「できれば聞かせてほしい」

「え!? でも、その……」


 小見原はもごもごとつぶやきながら俯いた後、かぁっと耳まで真っ赤にして思いっきり首を左右に振った。


「ダメ! これだけはダメ! 絶対にダメ! 親にも内緒だし、アナタにだけは聞かれたくない!」

「えぇ……」


 お前の両親に音楽活動バラしてやる、と脅した人とは思えない発言だ。ヘビメタのごとく頭を振り回す小見原を白い目で眺めていると、それに気づいた彼女が真っ赤な顔のまま掴みかかってきた。


「なによ文句あるの!?」

「いやない。ないよ、ないから振り回さないで脳みそ溶ける」


 容赦なく頭を揺らしてくる小見原をどぅどぅと宥めつつ、雨谷は放置されたままのマイクを手に取って彼女に渡した。


「ん」

「え、何よ」

「せめてここで一曲歌ってみてよ。君の歌声が分からないと僕も曲作りに困るんだ」

「あ……うん、それぐらいなら、いいわよ」


 小見原はマイクを受け取ると、メロンソーダをがぶ飲みしてから曲名を打ち込んで、早速歌い始めた。


 画面に流れているのはランキングに入っていた女性歌手、エルウナの『革新犯』だ。男性はともかく、女性には歌いやすそうな曲だ。


 半音ずつ上がったり、サビでオクターブを入れ替える場面が二、三度ある難しめの曲なのだが、小見原は見事に音程を合わせて自分なりのアレンジを加えていた。一般的な歌唱力がどんなものか雨谷は知らないが、少なくともウィーチューブにあげられている歌ってみたの類と比べたら、一万越えのフォロワーがいてもおかしくない上手さだった。


 しかし、実際に歌う分には躊躇いが無いのに、昔の曲がダメというのは、雨谷にはよくわからない心理だった。

 友達と歌ったことが嫌なのか、それとも曲の題名が恥ずかしかったのか、それぐらいよくあることだろうに。


 雨谷も昔作った自分の稚拙な曲を聴くたびに胸が痒くなるが、仮にも音楽を志す者として消すことはしないようにしている。多分そういう点で小見原は志が違うのだ、と雨谷は適当に納得しておいた。


 考えている間に曲は佳境に差し掛かり、最後のサビ前特有の静かなメロディが始まった。


『Ah 素直じゃない仮面はいらないの 罪で汚れた素顔が見たいの』


 人によっては、良くあるありきたりな歌詞で印象に残らないかもしれない。だが雨谷はこのパートが一番好きで、だからこそすんなりと耳に入ってくる小見原の歌声に胸打たれた。伸びやかで、艶やかな声はダイレクトに感性を刺激してくる。


 最小限に絞った部屋の明かりの中、彼女はほの暗い影に沈んでいた。画面を見つめる彼女の横顔だけは、安っぽい映像に照らされてもなお美しく輝いて見える。


 初めて声を掛けられたときも、小見原は夕暮れに輝いていた。


 一見すると儚そうな子なのに、雨谷がノートに書き殴った楽譜を見ただけで、話した事も無い相手に要求を突き付けてくる大胆さもある。喜怒哀楽がはっきりしていると思えば、変なところで怒り出すのも不思議だった。


 体育の授業の時に見せたあの顔は、どういう意味だったのだろう。自分以外にも曲を作れる奴はいるのにと言った時の、彼女のあの切迫した目はなんだったのか。


 大胆で、繊細な小見原に雨谷は振り回されてばっかりだった。


 だが、こうして彼女の歌声を聴いてやっと分かった気がする。腹の底から発せられる力強い声は淡雪みたいに柔らかく、弱々しさを秘めている。一分前に抱いていた彼女への安っぽい評価がどれだけ愚かだったか、自分をぶっ飛ばしてやりたくなる。


 歌っている彼女はすごく綺麗だった。


 脅されているからとか、彼女がクラスで一番綺麗だからとかは関係なく、雨谷はただ、小見原だけの曲を作りたくなった。彼女がもっと大きな舞台で、それこそ、この曲を作ったエルウナのように一万人を収容できるライブ会場に立って歌ってもらいたい。


 心臓を中心に様々な感情が沸き上がってきて、自分の視界が極彩色に輝いて見える。かつてないほどの原動力が満ち溢れて、今すぐにでもやりたいことがたくさん溢れてパンクしそうだ。今なら空だって飛べるかもしれない。


 『革新犯』は転調を越え、さらなる盛り上がりを見せてフィナーレまで一気に駆け抜ける。もはや曲を自分のものにした小見原は大きな目をキラキラさせて、楽しそうに体を揺らしてリズムを取っていた。心の底から歌う事を楽しんでいる彼女は、この上なく眩しかった。


 曲が、終わった。


 一つの曲を聴いただけとは思えない余韻に浸りながら、雨谷はそっと目を閉じた。今見た映像を忘れないよう、一つ一つ分析しながら意識の箱にしまう。


 それから瞼を持ち上げると、マイクを握ったままこちらをそわそわと伺う小見原が見えた。


「あのさ」

「は、はい!」


 裏返った声を上げる小見原に雨谷は真剣な顔を向け、ゆっくりと立ち上がった。言いたいことはたくさんあったが、どれを選んでも陳腐で彼女に響かないような気がした。だから開き直って、自分の素直な気持ちで口を開いた。


「凄く感動した。初めて本気で曲を作りたくなった。だから、君のお願い以上に僕からお願いしたいんだ」


 雨谷は真摯な気持ちで、深々と頭を下げた。


「君のために曲を作らせてほしい。絶対に後悔させないから。お願いします」


 こんな風に自分の意思を明確にするのは初めてで、今にも心臓が張り裂けそうだった。


 だがしばらく待ってみても、小見原から返答がない。怖くなってチラリと表情を伺ってみると、彼女は目を大きく見開いたまま固まっていた。その目がゆるゆると弧を描いて、勝気な顔立ちが、愛らしく緩んで、口角がぎゅうっとえくぼを作りながら持ち上げられた。


 あ、笑った。


 思わず雨谷がバッと身体を起こすと、小見原は素早く後ろを向いて顔を隠してしまった。


 この反応はまずい。

 一世一代の告白が振られたかもしれない。


 不安のあまり雨谷に目尻に涙が滲み出した頃、ようやく小見原の方から小さな声が聞こえてきた。


「……だから」

「え?」

「途中で投げ出したら、許さないから」


 物凄く遠回しだが、これは、了承と受け取っていいだろうか。そうに違いない。


 雨谷はじっくり言葉を噛み締めた後、見られてないことを良いことに大きなガッツポーズをした。


「ありがとう! 僕が君を絶対に歌手デビューさせるから! 絶対!」


 ありったけの声で宣言すると、小見原はようやくこちらを振り返ってくれた。


「そこまで言うなら、任せてあげる!」


 涙を堪えながら強気に笑う彼女は、やはり綺麗だった。

小見原「次の曲行くわよ!」

雨谷 「いえーい!」

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