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(26)火のない所に

 夏の新作ドラマ『ときめきレモンソーダ』が放送を始めてから一か月、視聴率の伸びは目覚ましいものだった。名だたるメディアが注目しているのは今若者に大人気の男優、沖釡空歩と、メインヒロインの宇野アンナだ。二人の演技はどこのサイトや番組でも絶賛され、特にお互いの想いをぶつけ合った後の最後のキスシーンは多くの感動を呼んだ。

 そして、二人の切ないシーンに流れたエンディングテーマも注目を浴びていた。白雨キユイという謎の二人組アーティストを検索しようが、顔の画像や本名、年齢から誕生日まですべて非公開。しかもオープニングとエンディングを両方務めるという前例のなさで、耳の早いものはすでに白雨キユイに今後の活躍に期待を寄せていた。また、恋愛ドラマの視聴者たちの中にも白雨とキユイもドラマの登場人物のように恋仲なんじゃないかと邪推し、真相を知るためにネットサーフィンに明け暮れる者も続出した。もちろん彼らの活動はSNSで話題となり、あっという間に白雨キユイは時の人となった。


 そんな中、沖釜空歩はヒロイン役の宇野アンナと共にゴールデンタイムのトークバラエティーにお呼ばれしていた。番組のお題はもちろん『ときめきレモンソーダ』しかない。


「嫌だ……マッッッジで嫌だ……」


 楽屋から呼ばれ、いざカメラの前に出ようという待機場所で、沖釜は顔を覆って呻いていた。


「大丈夫? 空歩くん」

「大丈夫ですよ。緊張してるだけなんです」

「ホント? 実はわたしも緊張してて。お互い、頑張ろうね」


 ぎゅっと握り拳を作って応援してくれる宇野は、お淑やかな顔をへにゃりと笑顔にした。芸能界に身を置いているとは思えない純粋な彼女の前だと、沖釜でも一瞬毒気を抜かれた。


「はい。きっちり見せつけましょう」


 口ではかっこよく言ったものの、沖釜の内心はまだまだ大荒れだった。それもこれも、数週間前にYUIIに吹っ掛けた喧嘩に負け、さらに橘監督が余計なことを言ったせいで押し付けられた広告塔という役回りのせいだ。奴のために曲の宣伝をするのは死ぬほど嫌だ。


 別にYUIIの曲は嫌いではないが好きでもない。ドラマの挿入歌としても絶妙で雰囲気を崩さず、聴いていて不快なパートが一つもない。だが脳裏にYUIIの顔がちらつくだけで好意的な印象が一瞬で崩れ去ってしまう。キユイならまだしも、あのいけ好かないナヨナヨ男のために、これから口八丁でYUIIを称賛するのは反吐が出そうである。だからどうにか、この番組にいる間だけでも白雨キユイが話題に乗らないことを祈るばかりだ。


『では、本日のゲストはこの方たちです!』


 長々とした前座が終わったようで、垂れ幕の向こうから合図が聞こえた。沖釜と宇野はすぐに外向けの顔を作って、徐々に上がっていく幕の向こうへ笑顔を浮かべた。


 顔があらわになった途端、客席から黄色い悲鳴が上がる。好意的な彼らの反応で多少なりとも暗い気持ちが拭われた。


 指定された座席に宇野と隣り合って座り、進行役の有名芸能人へ向き直る。その後は簡単な自己紹介をして雑談で少し笑いを取ってから、本題のドラマの紹介へ移っていった。


 沖釜はすでにアイドルとして芸能界デビューを果たしているので、こういった番組に出るのは慣れている。宇野の方もウィーチューブでさんざん生放送を経験済みなので、特に滞りもなくトークは進んでいった。内容はやれ撮影背景のNGシーンだの、出演している俳優とのプライベートな話だのという、セオリー通りの話をするだけだが番組は面白いように盛り上がる。しかも話すたびに客席から大げさな感嘆や笑いが湧くので、こんなに楽な仕事はなかった。


 しかも、観客席の中には本気で目を輝かせて前のめりになってる女性もいる。彼女が沖釜の大ファンであることは誰が見ても明らかだ。そいつに向けて、しかし目線はカメラにして囁くように語ってやれば、そう言ったファンは面白いように顔を真っ赤にして悶えた。きっと放送された映像を見る視聴者のファンも彼女と同じ反応をするだろう。


 だから目立つ仕事が辞められないんだよなぁ、と沖釜が浮かれ気味にトークを盛り上げていると、ふと、司会進行役が手元のボードを見ながらこんなことを言い出した。


「ドラマといえば主題歌の『eve』なんですけど、すごい話題になってますよね!」


 ――あのディレクター、主題歌の話題はそんなに出さないって言ったのに、ばっちりメインに入れてるじゃねぇか。


 楽屋で知らされていない予定に沖釜はつい無表情になったが、慌てて笑顔を上塗りした。もうこうなってしまえば、下手にすり替えるよりも無難に話題を掘り下げるほかない。

 意を決して、沖釜は息を吸った。


「そうですね。ドラマとマッチしていて素晴らしい曲だと思います」


 瞼の裏にちらつくYUIIの顔を想像でぶん殴りつつ、一応の本音を口にすると、隣の宇野が話題を引き継いでくれた。


「わたし、あの曲を初めて聞いた時びっくりしたんですよ。ちょっと大げさかもしれないんですけど、まるでドラマの原作を丸ごと再現したみたいな、歌詞を聴いているだけで頭の中に『ときめきレモンソーダ』の世界観が広がるんです。それが本当に大好きで、ドラマの放送が始まる前から毎日聞いちゃうぐらい!」

「分かります分かります、ぼくもドラマで聴いてからずっとウィーチューブで毎日流してますよ!」


 ひな壇のレギュラー芸能人もすぐに食いついてきて、この話題が途切れてくれる気配が全くない。沖釜はそっと胃を押さえ、無機質な撮影カメラを見た。


 この放送で『ときめきレモンソーダ』の宣伝をすることは関係者には周知済みだ。となれば、橘監督も録画でもなんでもしてこの番組を見るだろうから、沖釜自身もこの話題に積極性を見せなければならない。でないと後で何を言われるかわかったもんじゃなかった。


 だから沖釜はあえて、自分から話題の中心へ乗り込んだ。


「実はドラマ撮影を始める前に、出演者全員が作曲者と会ったことあるんですよ」

「「「ええ!?」」」


 白雨キユイは匿名を売りにしているから、当然この場で彼らの姿を知っている人は宇野と沖釜しかいない。ゆえに沖釜の爆弾発言は全員の意識を掻っ攫うには十分な威力で、真っ先に最寄の二番カメラがずいっと沖釜へ続きを促してきた。そこへ目線を合わせながら沖釜は喋り始める。


「ちゃんと二人ともバッチリ顔隠してたんで分かんないんですけど、背格好はおれと同じぐらいでしたね。多分同い年ぐらいじゃないかな?」

「うっそ、空歩くんって確か今年で高校生でしょ? めちゃくちゃ若いじゃん!」


 予想通り沖釜の背後に座っていたミーハー芸能人が食いついた。隣の宇野が「話しちゃって大丈夫?」と視線で訴えてくるが、沖釜は見えなかったふりをしてぺらぺらと白雨キユイのグレーゾーンを語った。

 突然顔合わせの現場に来た時のことや、橘監督に痛く気に入られていること、曲はもともとドラマように作られたものではないということ。憶測はなく、沖釜が知っている限りの真実だけを口にしているので後から問題にはならないラインだ。これを聞いた人間が好き勝手に脚色しようが沖釜には関係のない話である。あとでキユイに文句を言われても宣伝のためだと言って丸め込める自信もある。


 沖釜が白雨キユイについて語った時間は十分程度。その間、出演者もスタッフですら興味津々で、これなら放送でほぼカットされずに採用されることは間違いなしだ。

 だから断言しよう。この番組が放送されれば間違いなく白雨キユイは今以上に注目を浴びる。ついでにドラマの視聴率も上がって沖釜の知名度も確固としたものとなるだろう。ついでにYUIIの間抜け面も拝めれば万々歳である。広告塔役も果たせて意趣返しもできて一石二鳥で、沖釜は流石おれと自分を褒めたたえた。


「おれが知ってるのはこんなところですかねぇー」


 これで役目は終えたと言わんばかりに締めくくれば、司会役がにやにや笑った。


「匿名活動してるのにバラしちゃっていいの? 後が怖いんじゃない?」

「あはは、じゃあ今の話全部カットで!」

「無理に決まってるでしょーが!」


 切れのある司会役のツッコミで笑いを取ったのち、沖釜はカメラ越しににっこりと、橘監督へ勝ち誇った笑顔を向けた。


 これで文句はないだろう。依怙贔屓ジジイめ。


 放送された時のSNSの反応を想像してますます沖釜は笑みを深めるしかない。しかし、このことが発端でYUIIどころかキユイの存続に関わる大事件に発展するとは、この時の彼は思ってもみなかった。

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