(23)白白明
「あんたは、ほんっっっとにバカじゃないの!? 周り見えてなさすぎだし、こっちの気も知らないでいい雰囲気作って、それで春風さんと何もなかったって言われても信じられないから! 私と一緒に曲作るって言ったの何だったのよ! いくら驚かせたかったからって言ってもやり方ってものがあるでしょ! しかもあれだけアタックされて春風さんのことなんとも思ってないの!? それって失礼じゃない!? 別に私は気にしてないし? あんたが何しようと勝手だってわかってるけど? やっぱり連絡ぐらい事前にしておきなさいよ! 連絡もできないぐらい私たちって軽い関係だったわけ!?」
「ごめんなさい。本当に申し開きもありません」
おそらく人生で一般的に使われるであろう罵倒を詰め込んだ小見原のお説教は小一時間続いた。その間、雨谷は自室のクッションに座ることも許されず、かかとを持ち上げた正座を強制されていた。背中を曲げるだけでも叱責が飛ぶほど厳しい怒りには、本当に返す言葉もない。
お互いの勘違いしていた部分は、小見原がお説教を始める前にすべて解消済みである。小見原は雨谷と春風が付き合っていないことを、そして雨谷は小見原の隣にいた男が大地で小見原の彼氏でも何でもないことを再三の説明で納得した。真実を知った時に雨谷は頭の中で大地を数回サンドバックして怒りを発散させたが、小見原の場合は当然それで済むような話ではないので、こうして不満を吐きまくっているのだろう。
この膨大な不満の量で、雨谷はどれだけ彼女を不安にさせていたのか身に染みた。朝の山本とのけんかでボロボロだったメンタルはもう瀕死である。
一時間も立ったまま怒鳴り続ければさすがに疲れたようで、小見原は最後に雨谷の頭をひっぱたくと、近くに落ちていたクッションに頭から沈んだ。だらしなく寝そべる形になった小見原は、クッションからくぐもった声で言う。
「喉渇いた」
「も、持ってきます!」
陸上選手もかくやというスタートダッシュを決めて一階のキッチンへ直行する。冷蔵庫に小見原が好きなグレープジュースが収められていたので、大きめのグラスに七割ほど入れてから急いで部屋に戻る。
部屋を出ていたのはたった数十秒だったが、小見原は最初にいたテーブルの横からベッドの横に移動して、なぜかクッションに顔を埋めたまま丸まっていた。
「お、小見原さん、ジュース」
「……ありがと」
もぞっと小見原はクッションから顔を上げると、ぼさぼさになった髪を整えてからグラスに口をつけた。ごくごくと音を立ててジュースが消えていく様はお酒のCMに出てもおかしくないものだったが、飲み終えた後の小見原はまだ不機嫌そうな表情をしていた。
「本当、ごめんね。小見原さん」
「もう謝らなくていいわよ。……私も、ちょっと言い過ぎたし」
不覚にも頬をむくれさせた子供っぽい小見原に雨谷はつい微笑んでしまう。その笑った顔が気に入らなかったようで、ぼすっと投げつけられたクッションが顔に当たった。甘んじて受け止めて、事前に差し出していた腕の上にそれが落下すると、小見原は膝を抱えたままじっとこちらを見つめていた。
「ねぇ……いつ私がAkatukiだって気づいたの」
「よいばゆさんから、ゲームのお誘いを貰った時かな」
答えながらクッションを敷きなおすと、小見原は自分のつま先に視線を落として、蚊の鳴くような声で聞いた。
「幻滅した?」
「全然、むしろ、嬉しすぎて何にも手がつかなかったぐらい」
「……何それ」
正直に答えたのに小見原の返事はあまり良いものではなかった。雨谷はしばし口を結んで考え込んだ後、まだまとまらないうちに誠実に話してみることにした。
「君は知らないだろうけど、僕はAkatukiさんに救われたことがあるんだ。もしあの時、君にコメントをもらわなかったら、もう二度と作曲なんてしなかったと思うし、君に誘われたおかげでもっと前に進めるって思えたし……その、感謝、してます。すごく」
言っていてものすごく恥ずかしくなった。話の内容も全くまとまっていなかったし、無性にムズムズして落ち着かなくなる。雨谷は恐る恐る顔を上げて小見原のほうを見ると、彼女は自分以上に顔を真っ赤にして口をムズムズさせていた。
「……恥ずかしいんだけど」
「僕のほうが恥ずかしいよっ」
つられて雨谷も顔を真っ赤にしながらテーブルに突っ伏した。言わなければまた勘違いを生むと思ってやったはいいが、精神的ダメージが想像以上だった。しかし悪い気がしないのも始末に負えない。
数分の間二人で恥ずかしさに悶えていると、ポン、とメッセージの着信が小見原のスマホの方から聞こえてきた。小見原は雨谷から顔を背けるようにしてスマホを確認した後、ため息をついた。
「藤咲さんから、今週の日曜日に来てって」
「……分かった」
ここ最近色々ありすぎてドラマのことなんてすっかり吹っ飛んでいた。事前にドラマ用に曲を調整しておいて本当に良かったと思う。
「それで、さっきあんたがくれた曲は何のつもり?」
唐突に戻ってきた話題に雨谷は固まる。長々としたお叱りで自分が渡したものなのにすっかり忘れてしまっていた。
「そ、それは感謝の気持ちっていうかその……」
大きくうろたえる雨谷の反応を見て、小見原はまた不安そうに目を伏せた。
「彼氏がいるって勘違いしてるときに、わざわざ感謝するためにこういうの贈る? なんか別の意味があったんじゃないの? ……餞別みたいな」
「いや違う違う! 全然違うよ! そんなことするわけない!」
「じゃあ、何」
「えっと、それは……小見原さんに離れてほしくないから、曲で気を引こうかなぁ、とか、あわよくば彼氏から乗り換えて欲しいなぁ、みたいな感じで」
えへへ、と自分でも気持ち悪いと思う笑いをこぼしてしまい顔をそむける。だがしばらくしても小見原から何の応えがないので、雨谷は恐る恐る彼女のほうを見やった。
「小見原さん?」
「……嘘ついてない?」
思いもよらぬ問いかけに雨谷はだらしない顔をひっこめる。それを見た小見原はなぜが傷ついたような表情になって、ぎゅっと膝を抱く腕に力を込めた。
「ずっと不安だったから。雨谷はずっと私のためって言ってくれたけど、貴方はいっつも人のためにやってて自分を優先してないところがあるから。私のわがままに付き合ってるだけじゃないのって思って」
「そんなことないよ」
「本当? 無理してるんじゃないの? わがままに全然嫌な顔しないし、急に誘っても、文句言わないし、居心地が良すぎて完璧すぎるから……本当は嫌なんじゃないの」
しおらしく上目遣いになる小見原に雨谷はきゅっと胸のあたりを握られたような心地になった。
雨谷は画面の中にいるAkatukiを、自分のように誰かを傷つけたり失ったりしない完璧人間だと思い込んでいる節があった。それは小見原に対してもそうで、自分の曲をこよなく愛してくれる彼女なら、自分の抱いている好意を言わなくとも感じ取ってくれるのではないかと思ってしまっていた。そのせいでこんな風に彼女を不安にさせてしまうなんて本末転倒である。
ぐっと手のひらを握りこんでから雨谷は立ち上がり、小見原の隣へ座った。間には一人分の隙間を空けておいたが、床に手をついて少しだけ顔を近づけた。
「僕は嫌じゃない。君のそういうところが好きだよ」
「…………え」
愕然と目を見開いて固まる小見原を雨谷は不思議そうに見守ってから、自分の発言を振り返ってその場にひっくり返った。それから無様な動きで立ち上がってぶんぶんと小見原にごまかす様に手を振る。
「待って待って待って! 今のは嘘……っじゃないけど、言葉のあや……っでもない、どうしようえっと!」
こんなタイミングで告白するつもりなんてなかったのに。もっとかっこいいシチュエーションで決めたかった。自分の家でしかも彼女を慰めるべきタイミングで言うのは理想とかけ離れすぎて、いっそ穴に埋もれて死んでしまいたい。
「……雨谷」
「……ハイ」
首から上がお湯を浴びてしまったかのように熱い。そろりと視線を上げると、立ち上がってこちらに一歩歩み寄ってきた。その顔は自分と引けを取らないぐらい真っ赤で、心なしか瞳もうるんでいる気がする。窓から差し込む夕焼けに照らされた彼女はやはり綺麗だ。
「ちゃんと言ってほしい。また勘違いしたくないから」
ごくり、と生唾を飲み込んでから、何度も深呼吸をして手汗の酷い手のひらを前で組んで、落ち着きなく揺れる上半身を必死に抑え込む。
「あ……の、ずっと前から好きです。君が、Akatukiと知る前から、ずっと。だから、僕と……つ、付き合ってください!」
目を硬くつむりながら手を差し伸べる。数秒間の沈黙で溺れそうだ。指先が震えてしまっているのもきっと彼女に見られているだろう。
とん、と前から足音がして、手の横を柔らかいものがすり抜ける気配がする。まさか振り払われるのか、と絶望しかけた瞬間、勢いよく温かな感触に抱き着かれた。驚いて目を開けると、ふわりと目の前を小見原の長い髪が舞い落ちていくのが見える。肩に押し付けられた小見原のおでこや、胸のあたりに伝わってくる柔らかいもので雨谷は目を白黒させた。背中に回された細い腕が、服に爪を立てるぐらいに強く自分を引き寄せてきて、やっと彼女に抱きしめられているのだと気づいた。
「好き」
斜め下から耳をかすめた吐息に、頬が上気した。そっと小見原を抱きしめ返すと、彼女は肩を震わせて静かに泣き出した。ぎょっとして彼女の顔を覗き込むべく体を引こうとしたが、余計に抱き着かれてそれはかなわなかった。
「小見原さん、どこか痛いの?」
「ううん。何でもないの……うれしいから……」
小見原はもう一度ぎゅっと腕に力を込めた後、名残惜しそうに離した。
「貴方の前で泣きすぎだよね。私って」
ふふっと笑いながら目じりの涙を掬う小見原に雨谷もつられて笑い、子供にするように親指で涙を拭いた。小見原は手のひらに甘えるようにほんの少し頬ずりをしてから、テーブルの上に置かれた音楽プレーヤーを見つめた。
「曲、聴いていい?」
「もちろん」
肩をくっつけるようにして座り、隣で小見原が音楽プレーヤーのスイッチを押すのを眺める。まもなく再生された曲を、小見原は目を閉じて聴き入っていた。
主旋律は同じ音の繰り返しで、裏に響く低音のリズムが変化するだけのAメロ。Bメロで徐々に音色が増えていくが、大きく変わり映えしないまま、波が引くように弱まっていく。
唐突に、チョークアップから始まるギターソロがサビを奏でる。途切れ途切れに息を吹き返していく音階は、YUIIとAkatukiの始まりの曲そのものだった。
「……白白明だ」
小見原は目を伏せたまま微笑んで、おもむろに雨谷に寄りかかった。雨谷も彼女の頭に頬を乗せて、自分の曲に込められたものを改めて思い返す。
Akatukiとしても一緒にいてくれた小見原は、この曲に何が込められているのか分かっている。これは思い込みでもなんでもなく、YUIIとAkatuki、雨谷と小見原がすでに知っていることだから。
部屋の中を満たしていく音楽とともに、二人きりの穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。




