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(21)青写真

 月曜日、小見原は机に突っ伏してうめいていた。水族館での出来事を休日の間に清算できたつもりでいたが、前の席に座る雨谷の存在を意識するだけでだめだった。雨谷と春風のことを考えまいとしても、目に焼き付けてしまった二人の仲睦まじそうな様子がフラッシュバックして、それ以外のことが全く考えられなかった。

 雨谷は小見原の様子がおかしいことに気付いている様子で、授業が終わり休憩に入るたびにこちらの様子をうかがってきた。そしていざ、話しかけようとするといつも邪魔が入った。


「ゆうく、じゃなくて、雨谷くん。さっきの話なんだけどね……」


 教室から先生がいなくなったら、すぐに春風が話しかけてくるのだ。顔を赤くしてもじもじしながら会話を続ける春風は全く小見原のほうを見ない。

 二人の会話の中で「放課後一緒に……」というフレーズが聞こえた時には、いっそ雨谷を一発殴ってやろうかと思った。でも今週は藤咲にスタジオで収録すると言われているから、喧嘩している場合じゃない。なので二人が目の前でイチャイチャしているのを黙って見ていないといけないのだ。


 チャイムがなって昼休みになった瞬間、小見原は教室を出て友達に今日は別で食べると一言添えてから中庭の方へ向かった。いつも昼食を食べている噴水広場は春風がいるので、食事中に彼女に当たり散らしてしまう自分の姿が容易に想像できたので、行かないことにしたのだ。中庭の方にも雨谷と山本達がいるが、さっきの休憩中の二人の会話で、雨谷は山本達と食事を取らないことは確認済みだ。なので、小見原が雨谷にも春風にも絶対に会わなくて済む場所は中庭しかなかった。


 若干蒸し暑さが増した中庭のベンチに勢いよく座って大きくため息をつく。背後にそびえる大きな広葉樹から木漏れ日が差し込み、うっとうしく目元を照らしてきた。生ぬるい風まで前髪をもてあそび始めて、外に出たのは失敗だったかもしれないと後悔しながら、小見原は母が作ってくれたお弁当を開けた。中には好物の厚焼き卵やミニトマト、ミニハンバーグなどが入っていて、荒んでいた心がいくらか落ち着いた。


「あ、やっぱりここにいた」


 不意にベンチの後ろからそんな声が聞こえたかと思うと、隣のスペースに見慣れた赤色の丸い弁当箱が置かれた。小見原は箸を手に持ったまま視線を上げ、こちらに笑いかけてくる秋葉に驚いた。


「ちーちゃん? 春風さんは?」


 噴水広場に行ったはずの秋葉を見上げながら問いかけると、彼女は苦笑しながら腰を下ろした。


「雨谷くんがいるから、二人きりにしておいたの。今頃噴水広場でお話ししてるんじゃない?」

「お話、ねぇ」


 先週よりも明らかに二人の距離が縮まっているのを改めて実感すると、鎮火したはずの胸糞悪さが蘇ってきた。


「やっぱり一発殴っておけばよかった」


 ふんと鼻を鳴らしてから野菜のかけらを口に突っ込んで咀嚼する。秋葉もミートボールをちまちまと食べ始め、好奇心を隠し切れない表情で聞いてきた。


「唯はやっぱり雨谷くんが気になる?」

「……知ってるでしょ? 私がどれだけYUIIが好きなのか」


 幼馴染の秋葉には散々YUIIに対するファン愛を語ってきたし、雨谷と判明した後でもそれは変わらなかった。だから雨谷に対する小見原の感情も知らないはずがなく、秋葉は思い出し笑いをした。


「まぁねぇ。でもそれって尊敬的な意味じゃなかったっけ。もしかして性的に?」

「言い方が嫌らしいんだけど!」

「で、どうなの?」

「……好き、だと思う」


 口にしてすぐに恥ずかしさに襲われて、咳払いで誤魔化してから今度はミニハンバーグに箸を入れた。好物ばかりが詰め込まれた弁当なのに味がよくわからなくなってきた。

 秋葉は膝に頬杖をついて小見原をじっと見つめた後、感慨深げに空を見上げた。


「……あの唯がねぇ」

「なによその反応」

「唯、男の子嫌いだったじゃん。一時期は触られるのも嫌だったでしょ? それがここまで成長したって思うと、ねぇ」

「大袈裟じゃない?」

「大袈裟じゃないよ。本当に心配してたんだから」


 むっと眉を釣り上げた秋葉の目は真剣で、小見原は何も言えず水筒のお茶をあおった。今振り返ってみると、自分でもちょっと異常だと思うぐらい男子が苦手な時期があった。髪を触られるだけでも鳥肌が止まらなかったし、直接手に触れられたら真っ青になって震えが止まらなかった。今なら触られても文句を言えるぐらいにはなったが、それも結局は強がりでしばらくするとまた震えに襲われてしまう。


 そういえば、見知らぬ大学生に腕をつかまれた時は全然平気だった。あの時は雨谷と会うことで頭の中がいっぱいだったのもあるかもしれないが、でも、二回目の壁際に追い詰められた時も、雨谷が近くにいたからまだ意識を保っていられたような気がする。

 秋葉が言うように小見原が成長したというのであれば、雨谷のおかげで苦手意識が薄らいだからなのかもしれない。


「唯は春風さん嫌いになった?」


 聞きにくいことをずけずけと言ってくる幼馴染に小見原はあきれて、目をそらしながら答えた。


「……別に。あの状況じゃ二人のデートを止めるわけにもいかないし。でもちーちゃんが春風さんをけしかけるように誘導してたのは不快」

「あ、バレてた?」


 さも悪気はなかったと言い訳するような軽い態度に小見原はギロリと睨みつけた。


「思いっきり春風さんの背中押してたでしょ」

「春風さんが満更でもなかったんだし、良かれと思ってね。……それで、唯はどうしたいの?」


 ふざけた口調から一転して、秋葉は箸を置いて膝ごと顔をこちらに向けて佇まいを正した。

 どうしたいのだなんてよくも言える。原因を作ったのは秋葉なのに、こちらを気遣っているような言葉は神経を逆撫でするだけだった。こちらがどんな思いで二人を見ていたか、秋葉なら分からないはずもないのに。


 胡乱な視線を秋葉に注ぎ続けると、彼女はポニーテールを揺らしながら首を傾けた。


「唯、このまま春風さんに譲っちゃうの?」

「そんなの……雨谷が決めることだし」

「本当にいいの? 後悔しない?」

「…………」


 後悔するに決まってる。でもこれ以上雨谷を困らせるようなことはしたくないし、春風と両想いであればもう小見原が出る幕もない。そもそも、小見原は当初、雨谷の隣に立って一緒に曲を作ることさえできれば十分だったのだ。だから、小見原の勝手な願望でこの関係を壊すこと自体が矛盾している。それなら、作曲と全く関係のなさそうな、それでいて夢を応援してくれる春風が雨谷と付き合うのは妥当だろう。


 それに、春風は小見原と違って、YUIIの曲ではなく、雨谷自身のことを中心に見ている。

 小見原はYUIIの曲に惹かれて、YUIIという偶像と才能だけを愛している時間が長かった。対して春風は雨谷がまだ作曲を続けていることを知って涙するぐらい、彼のことをずっと応援していた。上辺だけを見ていた小見原とは全然違う。

 そういったことを色々と考えて、自分が諦めたほうが丸く収まるという結論を一度出したはずだった。だからもう一度その結論で終われるように、自分で納得すればいい。


「また難しく考えてない?」


 こつん、と額に指先をぶつけられ、小見原は瞬きをしながら秋葉を見返した。


「別に、そんなことないけど」

「もー素直じゃないなぁ。じゃあこうしよっか」


 秋葉は小見原の手に握られたままのスマホを取って、あまり使っていないメモ帳を開いて渡してきた。


「ここに雨谷の好きなとこ書いてみて」

「……なにそれ」

「いいから! 私は見ないから自由に書いていいよ! その後にじっくり考えてみな」


 言うだけ言って秋葉は食べ終えた弁当箱を仕舞うと立ち上がった。


「ちょっとどこ行くの?」

「ここにいたら書きにくいでしょ? 先に教室に戻ってるから。ごゆっくりー」


 ひらりと手を振って秋葉は歩き始めて、数メートル先で足を止めた。


「あ、そうそう。雨谷くん、今日の放課後に屋上に行くんだってさ。春風さんと一緒に」


 じゃあね、と手を振って秋葉は本当にいなくなってしまった。最後の言葉の意味を頭の中で巡らせるが、なかなか答えが出て来ずため息をつく。それから、画面に表示された真っ白なメモを凝視した。


「雨谷の好きなところ……」


 言われるまでもなくスラスラ書けるはず、と思っていたが、いざ書いてみようとすると指が止まった。だが、阿藤に言われた一言がふと脳裏で再生された。


 雨谷への好意まで否定しなくていい。自分に言い聞かせて、ひとつ目を書いてみると、今度は川の滞りが消えたようにどんどん想いが溢れてきた。


 音楽を作らなくなっても隣にいたい。趣味も合うし、話していて楽だ。曲だけでなく人として雨谷が好き。


 彼の顔は、と思い至った途端、水族館で見た横顔が鮮明に浮かんだ。それから雨谷の嫌いなところが好意と一緒に頭の中にあふれてくる。


 もしかしたら気に入らないことのほうが多いかもしれない。でもそれだけ雨谷のことを一個人として見れている気がして、小見原は気が楽になった。この想いは春風と比べるものじゃないとさえ思えてきて、諦めかけていた選択肢に手が伸びそうになる。


 雨谷の幸せを他人に任せず、自分でやりたい。ここで後悔するぐらいなら、いっそのこと想いをぶつけるだけでもいいのかもしれない。


 小見原はいっぱいになったメモ帳を保存して閉じると、意を決して秋葉にメッセージを送った。


 …


 ……


 ………


「私こういうつもりで決めたんじゃないんだけど……」

「いいじゃんいいじゃん。二人が屋上で何するのか、気になるでしょ?」

「でもこれは違う気がするんだけど」


 放課後、適当に教室で時間を潰した小見原と秋葉は屋上に続く階段を登っていた。


 メールで雨谷に思いの丈をぶつけると宣言しただけなのに、何故か小見原は二人の密会を覗き見るために秋葉に連れ出された。ちなみに雨谷たちが先に屋上に行ったのは確認済みで、秋葉はわざわざバレー部の練習を休んでまでがっちりと小見原の腕を掴んで先導している。小見原は部活に入っていないので別に困りはしないが、水族館ですでに同じようなことをした手前、あまり乗り気ではなかった。


 夏が近づき日が高くなり始めたおかげで、放課後でも明かりのついてない階段が白く照らされている。踊り場の日向に出ると肌が焼けてしまいそうで、小見原は足早に日陰へ入った。


 いくつもの階段を登り、ようやく屋上のドアが見えてくる。何の変哲もない古いドアのはずなのに、それを前にすると小見原は無意識に体に力が入るような心地がした。


 分厚いドアに阻まれて、本当に雨谷たちが屋上にいるのかは定かではない。秋葉がドアに手をかけたところで、小見原はカラカラに乾いた喉から声を絞り出した。


「外に出るの?」

「ちょっと覗くだけ。おいで」


 手招きをする秋葉にこれみよがしにため息をついて、小見原は慎重にドアに身を寄せた。キィ、と錆びた音を立てて動いたドアに毛が逆立つのを感じながら、差し込んだ光の向こうへ目を眇める。


 まず最初に屋上に柵が目に入る。少し体制を変えてみると、ギリギリ春風と雨谷の黒い影が肩をくっつけているのが見えた。二人の会話は聞こえない。代わりにギターの音色が風に乗って流れて、ポーン、と高い音色が鼓膜を震わせた。

 小見原が聞いたことのないメロディだ。


 しばらく聴き入っていると、歌詞が聞き取れないほどの小さな声で雨谷が歌い出した。少し甘さを感じる雨谷の声を聴いた途端、直感的にこれは春風に向けた歌だと思った。


 雨谷が自由に曲を作るのは当たり前だから驚きはしない。でも春風だけのための曲となると、せっかく絞り出した小見原の勇気はあっという間に萎んでいった。

 秋葉がどうして自分をここまで連れてきたのか知らないが、こんな状況で雨谷に想いを伝えられるわけがない。もともと自分はそこまで図太い性格じゃないのだから。


「ちーちゃん、帰ろう」

「え、でも」

「もういいでしょ」


 ドアから離れて秋葉の裾を引っ張ると、逆に手首を掴まれ引き止められた。


「待って、もっと近くで」

「だからもういいって」

「でも、もう少しだけ……」


 秋葉の声がやけに楽しそうに聴こえて、もう無理だった。


「もう少し、なに? もうやめてよ」

「唯?」

「春風さんを応援したり私を応援したり、ちーちゃんは何がしたいの? こんなの見せつけてどうしたいの?」

「違うよ唯。あれは……」

「私、先に帰る」


 粘る秋葉の腕を振り払って、小見原は一人で階段を降りた。後ろから大きな声で秋葉が呼び止めてくるので、一気に階段を駆け下りる。途中で渡り廊下を抜けて、靴を履き替え、誰もいない噴水広場を抜ければ正門を出るのはあっという間だった。

 正門前の坂道で足を止めてみると、風に乗って屋上の音色が聞こえてきそうだった。小見原は息を止めると、逃げるように坂下の駅へ向かった。


 日差しに焼かれて喉がひりつく。駅の適当な店で飲み物でも買おうかと思ったが、それよりも気怠さが優ってそれもどうでも良くなった。


 秋葉は昔から恋愛系の漫画を良く読んでいて、中学でも色恋沙汰があると率先して首を突っ込んでいた。今回もそう言う彼女の()()の一環でしかなかった。手のひらで踊らされて、抱く必要のなかった嫉妬心まで煽られた気がして気分は最悪だった。


 さっさと帰って寝てしまおう、と小見原が定期券を持って改札へ近づく。だがそこで、パシャリと大きなシャッター音が響き渡った。


 小見原はつい足を止めて、音のした方向へ顔を向けた。そこには明らかにこちらにスマホを向けている見知らぬ女子高生と、困ったように笑いながら手を振る阿藤の姿があった。


「阿藤?」

「やー奇遇だね? うちの友達が悪いね」


 やはり写真を勝手に撮られていたらしい。小見原は眉間の皺を深くしながら、まだカメラをこちらに向け続ける女子高生に詰め寄った。


「ねぇ、やめてくれない?」


 女子高生はキョトンとして小見原を見つめ返すと、化粧で重そうなまつ毛を瞬かせてからにへらと笑った。


「あのさ、あたし朝桐っていうの。ちょっと絵のモデルになって」

「……は?」

「見て、さっきの写真」


 ぐいっと画面を近づけられ、顔を離してみると小見原は一瞬目を見張った。

 雑誌にあるような、モデルが自然体でポージングをしているような一枚だった。小見原の視線は改札へ向けて少し下に、そして定期券を緩く握った手や揺れる制服から生み出される流動的な雰囲気が、ドラマのポスターにでも使われていそうだ。写っているのは自分のはずなのにまるで自分とは思えなかった。


「これって……」

「ね、いい感じでしょ? だって素材がいいんだもんね」


 屈託のない笑顔で写真の出来栄えを自慢してくるものだから、小見原は怒りを忘れてむしろ感心してしまった。朝桐と名乗ったその女子高生は小見原の手を両手でつかんで逃がさないようにしながら、傍らの阿藤へ言い放った。


「ってことで大地。帰っていいよ」

「え?」

「ここからは乙女の時間。野郎はいらないから」

「えちょ、まだおれ小見原に話したいことあるんだけど」

「どうせまたアレでしょ? ともかく後にして。でないと大地のお仕事中にコメントで黒歴史暴露するから」

「うっわマジでやめて! 帰るから、帰るから! じゃあ小見原また今度ね!」


 阿藤は慌てて二人から距離を取って先に改札を通り抜けると、何もないところで何度もつまづきながら階段を降りていった。


「そんでー、お姉さんの名前、小見原ちゃんね。モデルオッケー?」


 謎の阿藤への脅しもさることながら、朝桐の切り替えの早さに小見原は目を白黒させた。いろいろと混乱していたが、ともかく彼女は悪意を持って写真を撮ったわけではないようなので質問をしてみることにした。


「モデルって写真のことでいいのよね? その写真は何に使うの?」

「写真はあくまで見本に使うの。実はこう言うのが趣味で……」


 そう言って朝桐は画面いっぱいに極彩色で彩られたイラストを見せてくれた。水の中にいる着物を着た少女が、鬼灯の形をした提灯を抱えている姿だった。水の透明感や着物の重みや立体感で、小見原の目はすぐにくぎ付けになった。


「……綺麗」

「えーありがとう。小見原ちゃんは見る目あるね。まぁプロに比べたら全然なんだけどさ」

「朝桐ってイラストレーターになりたいの?」

「そそ。でもイラストで食べていくって難しいのよね」

「このレベルで?」


 小見原は画面に表示されたイラストをもう一度見て何度も目を疑った。朝桐はもっと見ろと言わんばかりにスマホを押し付けながら笑う。


「そりゃあたしより上手い人沢山いるからね。ほら、平凡なうちはイラストレーターって全然稼げないって言われてるじゃん? でも絵を描くのが好きだからさ、やめられないじゃん? だったら写真撮るしかないじゃん?」


 怒涛の理由を早口で語る朝桐に圧倒されながらも、小見原は些細な疑問を口にした。


「絵を好きなことと写真を撮ることって関係ある?」

「大アリよ。見本がないと上達しないもん。小見原ちゃんみたいな綺麗な見本だって滅多にないし?」

「そう言って、誰彼構わず撮ってるんじゃない?」

「もしかしてジェラシー? 誰彼なわけないよ! 本当に気になった子とか特徴が掴みやすい子とかで、超厳選してるから!」


 言いながら朝桐はまたスマホの画面をいじって写真フォルダを見せつけてくる。彼女の言う通り、そこに並んだ写真は、どれも特徴がはっきりとした同年代ぐらいの子たちを中心にしており、時々厳めしいおじさまや鼻水を垂らした子供などが写っていた。そしてその間には、彼女がそれを見本にして描いたであろうイラストが写真に匹敵するほどの数で並べられていた。


「イラストが本当に好きなんだね」

「もちろん! 何度もやめようと思ったけど、やっぱり好きだからいつのまにか考えちゃうし、やめる方が辛いじゃん?だったらトコトンやったほうがいいでしょ」


 身につまされるような内容で思わず小見原は口をつぐんだ。朝桐は好きなことに真正面から向き合って言い訳をしていない。自分とは全く違う。歌うのが好きで、雨谷の曲が好きで、雨谷のことも好き。小見原にとってやめようと思ってもやめられないものは、雨谷のことばかりだった。だが今日小見原は逃げ出してしまった。


「趣味を仕事にしちゃいけないってよく言うけど、他にやりたい仕事ないよねぇ。小見原ちゃんはどう? そう言うのあるでしょ?」

「……ある。でもあんまりアナタみたいに前向きじゃないかな」

「どうして?」


 出会ったばかりの人に何を話しているんだろう、と躊躇いが生じたが、朝桐は昔からの友人のような態度で、当たり前のように小見原の弱音を受け止めてくれた。それで流れるように言葉が紡がれていく。


「アナタと動機が違うから。そもそも趣味じゃなかったのかも」

「趣味じゃないの? 好きなことなんでしょ?」

「どうだろう。私、小学生の頃から歌手になりたくて歌の練習をしてたの。でも今になって、私はそれほど歌うことは好きじゃなかったみたい」

「じゃあなんで歌手になりたいってなったの?」

「憧れの人がいたから。でもその人は私を求めてない気がして、そう思ったらもう、頑張っても仕方ないじゃない?」


 歌の練習は趣味を磨くためではなく、雨谷のためにやってきていたことだ。目標が好きなのであって、手段の歌は義務感で続けているだけに過ぎなかった。目標が消えれば、続ける意味もなくなってしまう。


 小見原は、春風のことが怖かったのだ。雨谷に恋人ができてしまったら、雨谷は恋人を優先するだろうし、彼の特別は自分じゃなくなってしまう。そうなった時、彼はもう作曲を続けてくれなくなるかもしれない。自分が歌を続けてきたこともすべて、無駄に終わってしまうかもしれない。


 そもそも、雨谷が作曲を続けたいのかどうかすら、小見原には疑わしかった。雨谷は小見原のために曲を作り続けたいと言ってくれたが、SNSでのYUIIは高校入学以前と同じぐらい活動的ではなかった。小見原が脅しをかけるまで雨谷は音楽活動にも消極的だったのだから、彼が見切りをつければ、どちらにしろ小見原の夢は潰えてしまうのだ。雨谷の作った曲を歌い続けたいという小見原の夢を叶えるには、ずっと雨谷のご機嫌を取らないといけない。そして彼が作曲を続けてくれるように祈るしかない。


 今回のきっかけは春風だっただけ。もし雨谷が春風とうまくいかず、小見原とは今まで通りの関係を続けられるとしても、この先またこういった不安が付きまとってくるだろう。


 雨谷は小見原に特別を求めていないのは、なんとなく察してしまっていた。だからこの不安は、恋心と一緒にずっと大きくなるばかりだった。


「相手が求めてないから諦めるの?」


 朝桐が腕を組んで眉をひそめている。小見原はいじめっ子を前にしたように委縮しながら作り笑いを浮かべた。


「求められてない好意を向けられるのって、気持ち悪いでしょ?」

「……知り合いにストーカー気質のやつがいるから、そういう気持ちもわかるけどさ、でも小見原ちゃんのは違うんじゃない? 相手には伝えたの? 自分が頑張ってるよっていうの」

「伝えた、というか、一緒に、頑張ってきたつもりだけど」

「だったら違うじゃん。気持ち悪いって思う要素なくない?」


 ふいに朝桐が高速で画面をいじったかと思うと、もう一度、小見原の写真を見せてきた。


「この顔見て! 小見原ちゃんの憂い顔も絵になるけど、あたしは笑ってる小見原の絵が描きたいし! こんな顔しちゃうぐらい大事な人ならもうガツンと言っちゃいなよ!」


 写真に写る自分自身の顔ははっきりと暗い感情を浮かべていた。ついさっきまではいい写真だと思ったのに、指摘された後だととてつもない不細工に見えて、小見原は目をそらした。


「でも、もう迷惑かけたくない、かなぁ」

「じゃあ向こうの迷惑は黙ってみてるの? 絶対違うってそういうの! いっそ全部ぶちまけてぶち壊しちゃいなよ!」

「そんな簡単に……」

「できる!」


 朝桐は騒々しく鞄を漁って派手にゴテゴテした筆箱を取り出すと、ペンと付箋を取って何かを書きなぐり始めた。そしてすぐに付箋の一番上をはぎ取って小見荒に押し付けてくる。


「うちの連絡先! もう言い訳は聞かないから、結果絶対教えてよ!」

「あ、ちょっと!」


 小見原が呼び止めるより早く朝桐は身をひるがえし、あっという間に駅の南口のほうへ走り去ってしまった。手元には連絡先が書かれた小さな付箋だけが残されていて、黒くにじんだ力強い文字で裏側が膨らんでいた。

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