(17)結んだ糸
「ど、どどどういうことか、説明してください!」
昼休み、学校の噴水広場の傍で秋葉と一緒に小見原がお弁当を広げていた頃、春風が突然そんな風に声を掛けてきた。全く話が見えないうえに、春風が最初から興奮しているので小見原はつい顔をしかめてしまう。
「……何よいきなり」
「昨日、お二人同時に学校休みましたよね!? あれって二人でどこかに行ってたんじゃないんですか!?」
山本や他のクラスメイトは全く追及してこなかったのに、よりにもよって一番面倒な子に感づかれてしまった。
ズル休みをする前に、雨谷にも二人同時にいきなり休むのは不自然じゃないかと言われていた。教室では雨谷とそれほど親しく話してはいないので、それぐらいで気にする人も少ないだろうと小見原は思っていた。一応、念には念を入れて、じゃんけんで負けた方が風邪を引いたフリで前日から休んでおく偽装工作までした。なのに真実に気づくとは、やはり恋する乙女は侮れない。
しかし、こうなることも想定済みで二人で口裏合わせのセリフも用意してある。ここで慌てる小見原ではない。
「たまたま同じ日に休んじゃっただけよ。私はどうしても外せない用事があっただけ。雨谷は風邪ひいたんじゃないの?」
「そ、そんなの嘘です!」
「じゃあ雨谷に聞いてみればいいじゃない。どうして昨日休んだのって」
「あう、それはその……」
やはり春風には雨谷に直接聞く勇気はなかったらしい。そういうところは春風らしいと思うが、短絡的に小見原と雨谷の休みをくっつけるのもおかしな話だった。
「なんで私と雨谷がわざわざ学校休んでまで一緒にいると思ったのよ」
「だ、だって私見たんです! お二人が、その、カラオケに、仲睦まじく入っていくところを!」
「ぶふぅ! 前世探偵なの春風さんは!」
小見原にとっては決定的に禁忌ともいえる話題が出たのに、秋葉が口を押えながら笑いだしたので彼女の脇腹をつついてやった。いくら決定的な証拠を押さえられたからと言って茶々を入れるのは幼馴染でも許さない。
「やめて、やめてそこ弱いの!」
「大事な話だからお口チャックね、ちーちゃん」
「うん」
お弁当の厚焼き玉子を秋葉の口の中に突っ込んで、小見原はすぐさま春風に向き直った。
「それで、カラオケで私と雨谷が一緒に入っていくの見たのね? いつ?」
「えっと、二週間ほど前です。駅のサウンドエコーで」
二週間前なら『eve』の収録をしていたのでありえなくない。カラオケに二人で行くときは雨谷は帽子を被っており、よほど注目しない限りは雨谷だとバレないだろうと小見原はタカをくくっていた。それが春風に破られるのは悔しい。
小見原は諦め悪く、何かの見間違いの可能性に期待して質問してみた。
「一応聞くけど、私の隣にいた人の格好はどんなだった?」
「黒い帽子を被った雨谷さんです。あの、実は私、雨谷さんと一緒に帰りたくて、でもなかなか声を掛けられなくて追いかけていたんです。だけど雨谷さんが急に人気の無い道に入って立ち止まったので、隠れて見ていたら帽子を被っていて、それで、その……気になっちゃって、カラオケまで……」
なるほど、春風は雨谷が変装する瞬間をばっちり見てしまったらしい。これはもう言い逃れできそうにない。しかし正直に話すにも、なんて説明しようか小見原は良い案が浮かばなかった。相談しようにも今雨谷は山本たちと一緒に中庭にいるだろうし、隣の幼馴染は修羅場に目を輝かせて傍観者気分である。
小見原はため息をついて思考をまとめた後、とりあえず嘘で誤魔化してみることにした。
「確かに雨谷とはカラオケに行ったわ。でも、私あの時、店内で友達と待ち合わせしてたの」
「……え? じゃあ、雨谷さんがあそこに立って小見原さんを待っていたのは?」
……そういえばそうだった。確かあの時の雨谷はカラオケ店の外で待っていて、小見原が来た時にはすごく悲しそうな顔をしていたから、慰めるつもりで、顔を近づけて……。
ぼっと顔が一瞬で熱くなり、小見原は思わず立ち上がった。
「あ、あれは違うの! たまたま、本当にあそこに居合わせただけなの!」
「でも、小見原さん凄い自然な流れで雨谷さんにキスを……」
「違う違う違う! キスじゃない! ちょっと顔近づけたけど、それだけなの!」
「じゃあなんで顔近づけたんです!?」
「は!? あ、あの、そう! 雨谷が泣きそうだったから、ちょっと、驚かせてやろうとして!」
我ながら酷い言い訳だった。だが言ってしまった言葉を今更戻すこともできず、小見原は春風の反応を待つことしかできない。嘘を否定されるならマシだったが、春風は小見原の予想の斜め上をいった。
「泣きそうになって……? その流れでカラオケに一緒に入って……? 慰めたりしたの……ほぁ!? 二人きりで何かしたんですか!? それとも待ち合わせしてた友達と一緒に!? ふ、ふふふ不埒です!!」
「ちょっとアンタ何考えてるの! 絶対違う! その想像はありえないから!」
「い、いくら小見原さんでも許しませんよ! こ、こうなったら力づくにでもわたしが……!」
「はいはい二人とも落ち着いて。春風さんはすぐ暴走するねぇ」
謎の喧嘩が勃発する寸前になってようやく秋葉が二人の間に入った。物理的に距離を広げられて小見原はパニックから抜け出したが、まだ春風はエンジン全開だ。
「止めないでください秋葉さん! 女にも負けられない戦いがあるんですぅ!」
「まぁまぁ、言っておくけど、誰も春風さんが想像するようなこと言ってないでしょ。唯はただ一緒にカラオケに入っただけって言ってるじゃない。妄想激しすぎだって」
「あ、あうぅ……」
秋葉がからかうように指摘すると春風もやっと理解が追い付いたらしく、頭から湯気を出しながらその場に崩れ落ちた。ひとまず雨谷との誤解は解けたようだが、一緒にカラオケに入ったという事はもう覆せそうにない。このまま雨谷との作曲活動を隠し続けるのは無理そうだった。
だが雨谷に黙って春風に話すのは嫌だった。脅しをかけた時の負い目がまだ残っているのもあるし、秘密を共有する相手が増える、というか、春風に知られるのが嫌なのだ。
「唯ちゃん、もう正直に白状したほうがいいと思うよ」
口を堅く引き結んでいると、秋葉から諭すようにそう言われてしまった。
「でも……雨谷が……」
「春風さんは無暗に言いふらす子じゃないでしょ。それに雨谷のことが好きなら、嫌がること絶対にしないと思うし」
「……そう、だね」
秘密にしておきたい、というのも春風に対してはただの我がままになってしまう。雨谷のための秘密厳守だって、父親からすでに許可をもらった今ならそこまで重要視するものでもないと本人が言っていた。バレたくないのはただ一人、母親だけなのだから、春風に話したところできっと何かが変わるわけでもない。
そうと分かっていても、小見原が声を発するには相当な勇気が必要だった。
「……ごめん、春風さん。さっきの嘘。カラオケで友達と待ち合わせなんてしてない。雨谷と……待ち合わせしてたの」
小見原の真剣な様子を見て春風も気を取り直したらしく、その場から立ち上がって目を鋭くした。
「……やっぱりそうなんですね。理由を聞いてもいいですか?」
「実は、私と雨谷は……曲を作ってるの」
「……へ? きょ、曲ですか?」
「そう。二週間前にカラオケに行ったのは私の声を録音するため。完成した動画はウィーチューブにあるわ」
スマホをタップして再生履歴に残っている動画を表示し、春風に見せる。彼女は食い入るように画面に顔を近づけて、動画欄に書かれた文字を小さく読み上げた。
「動画再生回数……ご、五万……」
「他の人に比べたらまだまだ少ないでしょ。MVと作曲は雨谷、歌は私。昨日学校を休んだのも、ドラマのオープニングに使いたいって言ってくれた人と一緒に、監督に会いに行ってたから」
「は、はわ、ちょっと……待ってもらえますか……」
春風は小見原にスマホを返すと、後ろを向いてポケットから乱暴にティッシュを取り出した。その時少しだけ強い風が広場に吹いて、明らかに噴水の水ではない、小さな水滴が彼女の頬を濡らすのが斜め後ろから見えた。小見原は見間違いかと思って立ち上がり前に回り込んでみるが、彼女は誰がどう見ても滂沱していた。
「は、春風さん泣いてるの!?」
「だって、ゆうくんが……ゆうくんの夢がかなってて、わたし……わたじぃうれしくてぇ……!」
何を言っているかよくわからず、小見原はハンカチを春風に差し出しながら唯一聞き取れた単語を口にした。
「ゆう君って、もしかして雨谷のこと……?」
「ずび……はい。実は私、雨谷さんと同じ小学校に通っていたんです……」
衝撃の事実に小見原は呼吸も忘れて固まった。雨谷のゆう君呼びや、こうして嬉しそうに涙を流す春風を見ているだけで心臓がバクバクと嫌な音を立てる。春風が自分より雨谷に近い場所に立っている気がして、軽く眩暈までしてきた。
小見原の横に立って興味津々に話している秋葉の声も、どこか遠い。
「そうなの? それにしては春風さんに初対面みたいな反応してたけど」
「覚えているわけないですよ。話したのは一回だけですし、その後すぐに彼は転校しちゃいましたから」
「転校……」
雨谷の小学校時代の出来事を、小見原は簡単にしか聞いたことがない。雨谷の曲を巡って母親が暴走したという事ぐらいしか知らないのだ。
きっと雨谷にとって小学校時代はトラウマになるようなことばかりが多いのだろう。当時の同級生のことをよく覚えていないのも、つらい出来事を思い出さないようにした結果なのかもしれない。だから、そういう繊細な話を本人からではなく、第三者から聞くのは間違っている。
でも、この先雨谷がYUIIとして活動するのなら、彼の母親に見つかってしまう確率だって必然的に高くなるだろう。そうなったときに、何も知りませんでした、と言って、何もできないまま終わる方がもっと怖い。
そう思った時には小見原の手は動いていて、春風を逃がさないと言わんばかりに、強く彼女の両手を取っていた。
「春風さん。詳しく聞かせてもらえる?」
「は、はい。私が知っているのは本当に僅かですけれど」
春風は小見原の顔を見て少し狼狽えながらも、ゆっくりと話し始めてくれた。




