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(1)歯車は回りだす

 白雨キユイが一気に知名度を集めたのは、五月の中旬ごろ。

 世界的有名な動画サイト“ウィーチューブに、突然クオリティの高い動画編集と共にオリジナル曲を発表したのが始まりだった。


 曲の題名は『eve』。この曲こそが白雨キユイの初投稿だと各メディアはもてはやした。だが、実際には“白雨”こと“雨谷”にとっては、この曲は初投稿でもなんでもなかった。


 白雨キユイを始める前、雨谷は小学生四年生の時からフリーBGMを制作して『YUII』という名前で活動していた。作ったBGMは、大体フリーゲームや朗読小説でひっそりと流されるものばかり。一曲ぐらいならそれなりに注目を集めたが、一作曲家として名を馳せたかといえば、そうでもなかった。

 ただじわじわと増えていく自分の動画の再生数をかみしめて、漠然と曲を作って公表して満足するだけの日々。有体に言えば、雨谷は凡庸な評価ばかりを貰う凡人だった。


 曲を作るのだって一瞬ではない。家族に隠れて何週間もかけてやっと一曲制作するような調子だ。それでいて、作曲がバレぬように周囲との交流を避けていたから、学校にいる間はずっと一人だった。


 学校にいる間、雨谷はカバンに隠したスマホからイヤホンでずっと音楽を聴き、授業中は勉強のふりをして思いついたフレーズをノートの端に書きなぐっていた。どこにでもいる陰キャな雨谷にわざわざ話しかけてくるようなクラスメイトもおらず、雨谷も友達を作ろうと思っていなかった。さらに、漫画やゲームに自由に手を出せる環境でもなかったから、雨谷も周囲がなんの話をしているのか理解できなかったので、それがまた孤立に拍車をかけた。


 高校に入学してもそれは変わらないはずだった。


 だから、ニ週間ちょっとで、一人のクラスメイトに話しかけられるとは思ってもみなかった。


「ねぇ、雨谷君。ちょっと一緒に来て」

「……へ?」


 話しかけてきたのはクラスの中心人物である女子生徒の小見原だった。


 橙色の夕日に照らされている彼女は、体半分が自分から光っているように見えた。机に両手をついて真正面からこちらを見下ろしてくる小見原の目は勝気そうで、モデルのように綺麗な形をしていた。肩から垂れるセミロングはハーフアップとかいう髪型で、真っ白なリボンでまとめられているため清潔感を感じる。セーラー服越しでも見える胸元の膨らみも、折れてしまいそうな細い腕も、完璧に設計された彫刻か何かのように綺麗だ。


 雨谷は自分の席に座ったまま、呆然と小見原を見上げることしかできなかった。


「え、あの、お友達は?」

「もうみんな部活に行ったわよ。ホームルームなんてとっくに終わったっての」


 そう言われて改めて教室を見渡して、愕然とした。

 スマホの音楽に集中しすぎて気づかなかったが、いつの間にか教室には雨谷と小見原しかいなかった。黒板は日直によって綺麗に消されているし、教卓の上にあったはずのプリントの山もさっぱり消えている。机の上に荷物を置いたままなのは雨谷だけだった。


 クラスで一番の美女と二人きりという状況にどきりとしたが、それ以上に雨谷は自分の不甲斐なさに頭を抱えた。


「うわ、またか」


 集中しすぎるとすぐに周りが見えなくなってしまうのは昔からだった。中学の時も今日のようにホームルームが終わったことに気づかず、すっかり日が暮れてから急いで下校することが多かった。もし小見原に声を掛けてもらえなかったら、またあの時のように真っ暗な帰り道を走っていたかもしれない。


 雨谷は急いで立ち上がって鞄を肩にかけると、小見原に謝罪を述べてそのまま教室を出ようとした。

 しかしその背後から小見原の刺々しい罵倒が飛んできた。


「何勝手に帰ろうとしてんのよ! 私の話聞いてなかったわけ!?」

「……え、ああ。そうだった」


 そういえば、一緒に来てと声を掛けられていたのだった。本当に焦ると大事なことが全部すっ飛んでしまって、ここまで来ると自分でも辟易とする。そこへ追い打ちをかけるように、


「アンタって、マジでキモイ」


 と小見原から言われてしまった。


 自分から話しかけておいて罵倒される筋合いはないと思う。しかし言い返したらどうなるかは想像できたので、雨谷はへらへらと笑うしかできなかった。


「ごめんね。本当にごめん。それで、どこに行くの?」

「だから、ついてきて」


 ふん、と鼻を鳴らしながら小見原は扉の前にいる雨谷を通り過ぎて、苛立った足音を立てながら廊下の向こうへ向かい始めた。その後ろを追いかけてなんとなく隣に並ぶと、小見原はわざわざ足を止めて、ぎろりとこちらを睨んできた。


「ちょっと、隣歩かないでよ。誰かに見られたらどうすんの!?」

「ああ、ごめん」

「後ろ、十メートル以内に入らないで。分かった!?」

「うん」


 物凄くわがままな子だ。こういう人がなんで自分に声を掛けてきたのかますます分からなくなってくる。


 ともかく、彼女が立ち止まったまま動かないので、雨谷は後ろに戻って十メートルの間隔をあけてから、もう一度小見原を見た。

 彼女はそれで納得したらしく、嘲笑うようにこちらを見てからまた歩き出した。


 もうあらかた帰ってしまったのか、校舎の中に人の気配はなかった。隣の棟の三階からは吹奏楽部の演奏がぼやけた音色で微かに聞こえてくる。廊下の外からは定期的にグラウンドを走る陸上部のリズミカルな掛け声が聞こえてきて、たびたび教員の活が飛んでいた。


 それらの音を聞いているうちに、雨谷はまた上の空になった。


 暇な時はいつも曲のことばかり考える。今聞こえる音を曲に置き換えるなら、主旋律は吹奏楽部の方がいいかもしれない。けど音が小さいから、この場合は陸上部にしてもいいだろう。自分たちの足音がベースにするとして、もう一つ、別の大きな音が欲しい。


「どこ行ってんのよ!」


 そう、ちょうどこんな感じの高い声が欲しかった。


 そう思いながら声のする方を見ると、顔を真っ赤にしてプルプル震えている小見原が後ろの曲がり角にいた。


 彼女が向かう先が昇降口と同じ方角だったから、考え事をしている間に靴箱の方へ曲がってしまったらしい。雨谷の手はすでに外靴をつかんでいて、踵も上履きから脱げかけている。呼び止められなければ、本当にそのまま帰っているところだった。


 雨谷が急いで靴を元に戻して小見原の方へ引き返すと、すでに彼女は怒りを通り越して呆れかえっていた。


「アンタ、普段何も考えずに生きてるのね」

「そうかな?」

「自覚ないの? ほんとキモイ」


 小見原は端正な顔を思いっきり歪めながら、指先で鍵の束をじゃらりと回した。うっすら見えた鍵の一つに『図書室』と書いてあるのを見て、雨谷は目を瞬かせる。

 それから視線を上げて小見原の後ろにある扉を見れば、鍵に書かれている通りのプレートが上に貼られていた。


「図書室ってここにあったんだ」

「初日の学校案内で通ったでしょ? それも覚えてないの?」

「うん」

「はぁー……もう疲れてきた」


 全くなんでこいつが、と不明瞭な文句を吐きながら小見原は鍵を差して、建付けの悪い図書室の扉をガラガラと開けた。


 図書室に入るのは初めてだったが、中学校よりも背の高い本棚や広いスペースに雨谷は驚いた。よく見れば窓際の下に置かれた本棚には今人気の漫画が詰め込まれているし、テーブルに近い本棚の一角には異世界系や恋愛系の本が陳列されている。

 もちろん、奥には大量の参考書や堅苦しい題材の書物があるが、雨谷が想像していたよりも図書室というものが居心地の良い空間に思えた。


「図書室って結構苦手なイメージあったけど、ここはいいなぁ」

「世間話をしに来たんじゃないんだけど」


 図書室の隅々まで歩き回ろうとした雨谷を、小見原は冷たい声で静止した。彼女は受付のテーブルに寄りかかると、乱暴に鍵の束をテーブルの上へ放った。

 がしゃ、という金属音に雨谷の肩がびくりと跳ねる。それを見た小見原は、なぜかますます不機嫌そうになって腕を組んだ。


「アンタさぁ、なんでそんなびくびくしてるわけ?」


 それは貴方が喧嘩腰だから、とは言えるわけもなく、沈黙で返すしかない。小見原はため息をつくと、受付のテーブルに両手をついて腰掛け、足をぶらぶらさせながらこんなことを言い出した。


「私見ちゃったんだけどさぁ、アンタのノートの楽譜、写メ取って調べてみたらネットの曲そのまんまだったんだよね」

「ネットの、曲?」

「そう、これ」


 小見原はスマホで文字を打ち込んだ後、とある動画を再生しながら雨谷へ見せつけた。そこから流れた音楽と、表示された題名は自分にとって見覚えがありすぎるもので、どっと冷や汗が溢れた。


「このYUIIってさぁ、アンタのことでしょ」

「し、しらない」

「へぇー? じゃあノートに書いてた楽譜って何?」

「そんなの書いてない」

「本当に記憶力悪すぎ。さっき私が写真撮ったって言ってたのもう忘れた?」


 一度小見原のスマホが引っ込められ、画面を変えて再びこちらに向けられる。


 それを見た瞬間、雨谷は卒倒しそうになった。

 画面には、自分が書いた楽譜が半ページ分が、はっきりと写っていたのだ。


「え、い、いつ撮ったの!?」

「ほら、国語の授業で古文の宿題出されてたでしょ。私一番後ろの席だからプリントの回収係だし。アンタ不用心にノート広げたまま寝てたんだもん。隙だらけだったよ」

「あ……」


 まさか自分に興味を持つ人間がいると思わないし、うっかり見えたとしてもただの楽譜をこんな風に写真で撮ったり、調べたりする人間なんていないと思っていた。しかも自分の席は後ろから二番目で、窓際の席だから、見えるとしてもたった一人だけのはずだった。


 しかし、そのたった一人がここまで自分に興味を持つなんて、予想できるわけがないだろう。


 あまりの不運さにガックリと肩を落としていると、小見原は勝ち誇ったように笑った。


「スマホ、広岡先生にばれないようにするの大変だったんだから。ま、その反応だとアンタがYUIIってのは本当みたいだし? リスクを犯した甲斐があったってものね」

「……なんで、わざわざ僕にそんなことを」

「決まってるじゃない」


 小見原の目が妖艶に細められて、こんな状況なのに雨谷はどきどきしてしまった。だが彼女の口元に乗せられた嘲笑はぞっとするほど冷たい。


 ごくり、と雨谷が生唾を飲み込むと、小見原の薄い唇から悪魔の声がした。


「ねぇアンタ、曲作ってること両親にも隠してるんでしょ? 黙っていてあげるから、私の願いを聞いてくれない?」

「それって、脅迫……?」

「変なこと言わないで。交渉したいだけよ」


 それはただ言い換えただけじゃないか、と雨谷はますます顔を青ざめさせた。


 曲を作っているなんて両親にばれてしまったら、間違いなく自分の部屋のパソコンや、こっそり買っていたソフトとキーボードを破壊されかねない。お小遣いも一気に減らされるだろうし、そうなったら毎日の食事も一日一食まで減らさなくてはならない。正しく死活問題だ。


 実はドッキリでした、なんて言ってくれないだろうか。淡い期待を抱きながらじっと小見原の様子を伺う。


 しかし無慈悲にも、小見原はいっそ清々しい笑顔でこう付け加えた。


「私、本気だから」


 望みは絶たれてしまった。


 もし金銭を要求されたらどうしよう。退学に追い込まれるか、いじめの標的にされるか。もしかしたら事件とか大変なことに巻き込まれるんじゃないか。

 後半はかなり突飛な発想だったが、それだけ雨谷にとって、音楽という存在は人生で欠かせないものだった。


 青ざめるどころか、血が通っていないほど真っ白になった雨谷へ向けて、小見原はついに人差し指を突き付けて宣言した。



「アンタ、私のために曲を作りなさい」



「………………は?」


 たっぷり十秒を要して絞り出した雨谷の声は、何とも間抜けなものだった。自分の人生を守る対価が、たったそれだけの事かと拍子抜けした。


 片目を焼くほど眩しかった夕日が建物の陰に隠れ、遅れて四月初めの図書室の中に冷たい風が吹き込んでくる。


 しばらく待っても追加の要求はない。


 さらに数秒間も続いた沈黙に耐え切れなくなったのか、小見原は子犬のように吠え出した。


「何よその反応!」

「だって、え、お金巻き上げるとかそういうのじゃないの?」

「アンタねぇ、そんなことするわけないでしょ!」

「えぇ……」


 小見原は本気で怒って胸倉までつかんできた。本当に嘘じゃないらしい。


 あまりに予想外の出来事であっけにとられていると、小見原は雨谷を突き飛ばして、もう一度人差し指を突きつけてきた。


「ともかく、一曲でもいいから私のために作って! 夏休みに入る前に!」

「そんな無茶な」

「じゃないと家族にバラすわよ!」


 子供のように喚き散らしているだけに見えるのに、暗い部屋の中だと凄まじい剣幕だ。これ以上拒否したら一発殴られそうで、雨谷は降参とばかりに両手を上げるしかなかった。


「……分かったよ。でも、君にも最低限の協力はしてもらうからね」

「協力?」

「ほら、君がどんな曲にしたいとか、何をイメージしてるとか……」


 曲の要望はいくつか受けた事があるから、ネットで注文者と受け答えをするように、小見原にも曲の要望を聞いておきたかった。しかし雨谷が具体例を挙げていくにつれて、小見原の表情がだんだんと引き攣ったものになっていった。


「…………」

「……まさか何も考えてなかった?」

「い、いいじゃないの別に! こっちだって必死だったんだから!」


 喚きながら両手を振り回す彼女は駄々をこねる子供にしか見えない。雨谷は当初の恐怖も忘れて肩をすくめるしかなかった。


 先ほどまで彼女が大きく見えたのに、こうしてみるとただの女の子だ。


「みっ……そんな目で見下ろすな!」

「ごめん」


 謝ると小見原は肩を震わせながら顔を真っ赤にして、テーブルの上に置いていた自分のカバンを引っ掴んだ。かと思えば勢いよく出入り口の方へ走って、扉の後ろに隠れながら雨谷に怒鳴ってきた。


「明日までにちゃんと考えておくから! 逃げないでよ!」


 ぱっと彼女は頭を引っ込めたが、すぐに戻ってきてまた指差してきた。


「戸締り! やっときなさい!」


 また白いリボンが翻って、すぐ近くの昇降口からガタゴトと靴を脱ぐ騒がしい音が響き渡った。


 雨谷は口を開けたまま小見原の一連の動作を見届けた後、受付の上に放置されたままの図書室の鍵を手に取った。意外と小さなそれを指でもてあそびながら、雨谷は小首をかしげた。


「職員室ってどこだっけ」


 雨谷は昇降口に走って、まだ靴を履き替えている小見原へ聞いた。


「ねぇー、職員室ってどこー?」

「はぁああああ!?」


 小見原は律儀に履きかけの外靴を脱ぎ捨てて、上履きを足先につっかけながら雨谷にボディブローを決めた。それでも職員室まで付き合ってくれるのだから、本当に変わった子だった。

鍵返却後。


小見原「ここが職員室! こっちが理科室! 次隣行くわよ!」

雨谷 (早く帰りたいなぁ)

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