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(13)談笑

 小見原は雨谷たちと一緒にエレベーター前から移動した後、歩道橋と繋がる広場のベンチに座って、事の顛末を山本たちに話した。と言っても、説明できることは少なく、今日会ったばかりの男にしつこく絡まれて壁際に追い詰められたとしか言いようがなかった。


「本当に何もされてねぇのか……すか?」


 山本が納得いかない様子で、道中の自販機で買った缶コーラを握りながら聞いてきた。小見原自身も、あんなことで泣きそうになるとは思いもよらなかったから、これ以上の説明はできなかった。


「触られただけ。本当にそれだけ」

「触っただけ、すか。もしかして俺らとかも小見原さんには怖いすか」

「知り合いだったら、大丈夫」


 眉間に深々と皺を寄せる山本にそう答えつつも、小見原は雨谷の肩に身を寄せた。小見原は雨谷と隣合って座っているのだが、向かいに立っている山本が猫背でガンを付けているように見えるせいで、また周囲のいらぬ注目を集めていた。なんとか寅田が山本の丸まった背中を叩いて直しているので、誤解されにくくはなっているだろうが、いつ警察が来てもおかしくなかった。


「もう山本、眉間の皺どうにかしろよ。身内でも怖いって」

「おお……」


 山本がこちらに背を向けて眉間を揉む間、寅田はニコニコしながら、子供を相手するかのように小見原の前で身をかがめた。


「それにしても間に合ってよかったよ」

「ホントにありがとう。でもなんで雨谷と寅田たちが一緒にいたの?」

「たまたま駅で雨谷と会ったから、途中まで一緒に買い物してたんだ。雨谷がトイレから帰ってくるのが遅くて見に行ったらなんか雨谷と知らない男の人が喧嘩してて、山本が、ね」

「なんだ。そういうことだったんだ」


 あまりに助けに入るタイミングが良すぎたので、実はどこかで見られていたのかと思ったがそうではなかったらしい。今日は特に自意識過剰すぎた、と小見原が深呼吸していると、寅田は憂鬱そうに眉を顰めた。


「もうね、ああいう喧嘩に山本がいるとヒヤッとするよ。こっちでも停学処分食らうんじゃないかってさ」

「ああ……」


 小見原と寅田が中学の時、山本が喧嘩をしたせいで寅田もとばっちりで停学処分を受けたことがあった。寅田の方はすぐに教員たちの誤解が解けて停学処分が取り消しになったが、あの出来事のせいで受験が大変だったと聞いている。

 確かその時の山本の喧嘩の原因も、先輩が自分の彼女を泣かせた挙句それを友人の間で笑い物にしたからだった。山本は偶々それを聞いて、勝手に先輩の彼女に同情して殴りかかったんだったか。

 小見原は遠い目をしながら、寅田に同情的に言った。


「あんなことがあったのに、貴方は普通に山本と仲良くできるのね」

「まぁ腐れ縁って奴。自分の代わりに暴走してくれる時はスカッとするし、そん時はこっちのせいじゃないし」


 なんとも腹黒い本音が飛び出したが、後ろにいた山本には聞こえていなかったようでキョトンとしていた。


「あ? 何が腐ってんの?」

「んー、家の冷蔵庫のプリン」

「はぁ!? 勿体ねぇことすんなよな!」


 誤魔化されていることに気付きもしないで山本が憤慨するが、寅田はどこ吹く風で雨谷に言った。


「そういや雨谷はこれから約束あるんだっけ? こっちはもう退散するから、また明日ね。小見原さんも、心配だったら家族に連絡するんだよ」

「あ゛!? もう二時かよ! じゃあな雨谷! 小見原さん!」

「うん。じゃあね二人とも」

「……また明日」


 駅の方へ戻っていく寅田と山本に手を振りながら、小見原は小さく嘆息した。それからポスっと雨谷の肩へ額を乗せると、やっと尖っていた神経が丸く収まっていくような気がした。鼻で大きく息を吸って見ると、雨谷の家でも嗅いだ不思議な匂いがした。


「えーっと、小見原さん。体調、大丈夫? もしアレだったら、僕だけで藤咲さんに会いに行ってもいいんだけど」

「心配しなくても平気よ。ちょっと疲れただけ」

「そ、そう?」


 雨谷は困惑しながら小見原の顔を覗き込むように背中を丸めたが、小見原がぐりっと肩に顔を押し付けたのを見てすぐに背筋を伸ばした。かつてないほど密着しているのに文句を言ってこないので、小見原はほっとした。


「ねぇ、山本が来なかったら、アンタどうするつもりだったの?」

「え? ああ……うーん……」


 雨谷は顎先に曲げた人差し指を当てて頭を捻り、そのまま答えなかった。


「まさかアンタ、何も考えてなかったの?」

「いや、あはは……一発殴られたら、警察に突き出しちゃえーってぐらい?」

「馬鹿じゃないの」

「はは……ごめん」

「謝るの禁止」


 小見原は雨谷の肩から離れて、空を見上げながら大きく深呼吸をした。辛いことはもう終わった。後は、至福の時間を楽しむだけ。

 友人にはちょっと悪いと思っているが、今日この日、この時間のために、小見原は雨谷と巡る場所を事前に決めていた。友人とどこに行きたいとか、そういうことは実は全く考えていなかったのだ。


 小見原はベンチから立ち上がると、雨谷へ手を差し出した。


「三時の約束までまだ時間があるし、雨谷、買い物付き合ってくれない?」

「え、でも友達ともう行ったんじゃ……」

「まだ買い足りないの! ほら立って」

「う、うん」


 引け腰のまま雨谷は小見原の手を取って立ち上がった。小見原は自分の手では包み込めないぐらい大きな雨谷の手を握って、一番最初に決めていたメンズファッションの店舗へ歩き出した。


 …


 ……


 ………


「あの、小見原さん。これは……?」


 全ての買い物を終えて約束のファミレスへ向かう途中、雨谷は困惑しながら長い服の裾を持ち上げた。

 約三十分かけて服の上下から小物までコーディネートされた雨谷は、いかにもお忍びの俳優のような格好だった。その服の半分は小見原が買い与えたものだし、そこそこのブランドだが高校生が買っても無理のないものばかり。そこへサングラスを掛けて仕舞えば、普段の愚鈍な雨谷とは誰も思わない風格だ。


 小見原は雨谷のサングラスのブリッジを人差し指で持ち上げ、彼の顔をしたから覗き込んでみた。


「うん。完璧ね」

「ごめん、何が?」

「これからYUIIがデビューするんだもの。藤咲って人に舐められるなんて、私が許せないし!」

「あはは……」


 雨谷は気恥ずかしそうに服の襟を正した後、チラリと小見原の服を見た。それから


「そういう話なら、小見原さんはもう大丈夫そう?」

「当然よ」

「そっか……」


 雨谷は微笑みながら目を逸らして、右手を隠すように背中に回した。


「何か持ってる?」

「い、いや別に?」

「目が泳いでるんだけど」

「別になんでも……あ!」


 ドン、と歩いている人と肩がぶつかり、弾みで雨谷が持っていたものが地面に落ちる。それは綺麗に包装されたピンク色の小さな箱だった。端の方に薄い白色のリボンの装飾がされており、明らかに女の子向けのものだった。

 小見原は努めて無表情を装ってそれを拾った。


「誰かにプレゼント?」

「あー……」

「分かった。聞かないでおくわ」


 自分宛のものじゃないからといって相手の名前を聞き出してどうするつもりなのだ。雨谷が好きな相手ならこちらが文句を言う筋合いはないのに。

 内心で落ち込みながらその箱を雨谷に突き返すが、なぜか雨谷は手を振って慌てだした。


「あ、待って。やっぱり言うから」

「何よ」


 雨谷は差し出したままの小見原の手を箱ごと両手で包み込んで、ぐっと押し返してきた。


「開けてみて」

「なんでよ」

「小見原さんのために買ったんだ。だから」

「……本当に私のなの? だったら隠す必要なかったじゃない」


 このタイミングで正直に明かされても、こちらの気を遣って予定変更したようにしか思えない。余計にみじめでつい雨谷の方をにらみつけるが、彼は顔を真っ赤にしてもだもだしながら天井を振り仰いだ。


「その……小見原さんの好みに合うか分からないし、今日はもう別のやつ、つけてるみたいだったから」

「はぁ?」

「だから、小見原さんの服装に、泥を塗るみたいなこと、しちゃうと思って」

「そ、そういうことなら別に、気にしなくていいのに」


 先ほどプレゼントを不自然に隠したのは、渡そうとしたタイミングで小見原が自分の服装に対して自信満々に当然と答えたからだったらしい。だがたったそれだけで自分の選んだプレゼントに自信を無くすなんて、つくづく分からない人だ。

 内心でそう思いながらも小見原は頬が熱くて湯気が出そうだった。小さな箱で顔を隠すようにしながら開けてみると、中からしゃらっと音を立ててネックレスが流れ出てきた。掌で丸まったそれはシンプルな造りで、桜と星を掛け合わせたようなエンドパーツが付いていた。変にごてごてしすぎていない、合わせやすいデザインに小見原は顔をほころばせた。


「可愛い……」

「本当? よかった」


 小見原は指先でそれを垂らして全体を見た後、雨谷の方へそれを差し出した。


「今つけてくれる?」

「……うん」


 うなじを見せるように髪をかき上げると、首元に雨谷の腕が回された。チャリ、と胸元で微かに音を立てたネックレスを指先で揺らしてみると、シルバーの光に僅かに虹色が見えた。


「……ありがとう」


 煌めく光に目を細めながら言うと、雨谷ははにかんだ。


「こちらこそ。小見原さんが決めてくれた服には及ばないけど」

「そうね。だからお昼の交渉はアンタが頑張るのよ」

「う、善処するよ」


 弱きになる雨谷の背中を軽く叩いて、小見原はスマホで時間を確認した。時刻は二時五十分。二人の数メートル先にはすでに約束のファミレスがあり、昼過ぎなこともあり中は空いているようだった。


「もうすぐ三時ね。藤咲さんも近くまで来てるかも」

「そうだね。連絡してみる?」

「お願い」


 雨谷はレストランの出入り口の横で立ち止まると、数秒ほど時間をかけて緊張を収めてから藤咲へ電話をかけた。するとコール二つ目で女性の声が流れ出した。


『はい、藤咲です』

「もしもし、YUIIです。えっと、もう待ち合わせ場所に着いていますか?」

『はぁ! YUIIさん! ええ、ええ! 先に席を取って待っていますとも! 今からお出迎えしますね! 今どちらに!?』

「ファミレスの前です。入り口のすぐ横にいます」

『ほぁ! 見えました! お二人の姿しかと見ました! すぐに参ります!』


 がん、どん、がしゃん! と至る所に硬いものをぶつける音がひっきりなしに聴こえてくる。小見原と雨谷が彼女の身に何が起きたのかと顔を見合わせていると、レストランのドアベルを鳴らして一人の女の子が飛び出してきた。


「お待たせしました! ささ、中へどうぞ! 特別に奥のテーブルを貸切にしてもらったんですよー!」

「……藤咲さん、ですか?」

「あぁこれは、自己紹介がまだでした! 改めまして、ロム・ロン・ディー株式会社の、藤咲みずほでございます!」

「「…………」」


 どう見積もっても百三十センチしかない女の子だ。スーツ姿なのでぎりぎり中学生かも、と思えるぐらいだが、丸々として幼い顔立ちはどこからどう見ても。


「「小学生?」」

「んなっ!? いくらあなたがたでも聞き捨てならないですよ! 私は、れっきとした成人女性です! 来月で二十五になります!」

「ああ、ごめんなさいつい……」


 すぐに雨谷は平謝りするが、小見原は胡乱な目を彼女に向けながらこそこそと耳打ちした。


「ねぇ、この人信用できる?」

「……先ずは話聞いてみようよ」


 結局それしか方法はないだろう。約束の場所に来てしまった手前、言い訳をしてここから抜け出すにも無理がある。子供のいたずらにしては手が込んでいるし、まだ見切りをつけるには早い、と思いたい。


 複雑な心境のまま藤咲と一緒にファミレスの中に入ると、冷房が効きすぎな店内に肩が震えた。そして藤咲は寒さなんて微塵も感じていない風で、通路の真ん中で手招きをしていた。


「さぁ! 一番奥の窓際の席ですよ! 特別に仕切りまでつけてもらったんですよ!」


 と言いながら彼女が指さす先には、明らかに隔離されてます、と言わんばかりにびっちりと仕切りが置かれており、外からでは全く中が見えないようになっていた。窓際の席だというのにカーテンまで閉めている。

 さしもの雨谷もドン引きしていた。


「なんか、逆に目立ってません?」

「えぇ!? そ、そうですかね。ううん、そうかもです……外しましょうか」

「いえいいですよこのままで。きっと誰も気にしていませんから」


 こんな調子ではますます心配になってくる。小見原は内心で頭を抱えながら、藤咲の案内するテーブルへしぶしぶ座った。周囲にある仕切りのせいでかなり圧迫感があり、お冷を持ってきた店員からの視線もかなり痛かった。部外者から見れば子供が店内で秘密基地を作っているように見えるだろう。小見原だって何も知らずに入店していたらそう思う。


 辟易とする小見原の向かいでは、藤咲が苦労しながらソファによじ登って、ついでに見た目に不釣り合いな黒いハンドバックからいくつかのファイルを取り出してきた。


「さて、では一応確認なんですけど、男性の方がYUIIさんで、女性の方がキユイさんで間違いないです? ですね。では次に、お二人の関係性とか聞いてもいいです?」

「その前に、貴女が本当に信用できる人なのか教えて欲しいんだけど」

「ちょ、いきなりなんてことを」


 隣で雨谷が狼狽しながら袖を引っ張ってくる。意外な仕草にきゅんとしたが今はそれどころではないので、心を鬼にして雨谷に言った。


「アンタは初対面から信用しすぎなのよ。もっと警戒しなさいっての」

「う、でも初対面であれは言いすぎなんじゃ」


 不安そうに雨谷は藤咲の方をちらちら見ているが、当の本人は全く気にした風ではなくあっけらかんとしていた。


「あぁ、私としたことがまた失礼を。すみませんね、実はこう言ったスカウトは初めてでして」

「初めてなら仕方ないですよね」

「だぁから、疑いなさいよ!」


 純粋な雨谷の頭をひっぱたいてから小見原は藤咲を視線で射抜いた。

 スカウトが初めての人間なら経験のある上司が一緒にいなければおかしい。これはいよいよ信用できない相手だ。雨谷は頼りにならないので、自分がこの女の企みを暴かなくては。


「まず、どういう経緯で私たちの曲を使いたいって話になったのか、それとちゃんと会社で決めたっていう証拠も見せて。じゃないとこっちのことは絶対に話さないんだから」


 小見原はあえて威圧するように腕を組みながら藤咲を見下ろしたが、彼女はやはり動じずににこにこしながらファイルを開いた。


「そうですね。ごもっともなお意見です。私も簡単に行くと思うなと先輩に言われてきたものですから、勿論、証明できるものを持ってきておりますよ」


 ファイルの中から二枚の紙を引き抜き、雨谷と小見原の手元へ配る。


「まずはこちらの計画書をご覧ください」

「計画書って……?」

「今回あなた方の曲を使うドラマ『ときめきレモンソーダ』の概要です。監督からキャストさんのお名前、配役まで決まってます」


 小見原はスマホでブックマークしていたロム・ロン・ディーのHPを開いて、乗っているデータと照らし合わせてみる。監督に違いはない。メインキャストもまたこの紙のとおりだ。それ以外のキャストはまだ未発表のようで記載されていないが、どれも名のある俳優で今流行りの芸人も組み込まれたよくある組み合わせのように思えた。

 これだけでは本物かどうか分からない。だがなんとなく本物のような気がする。でも偽物でもこんな風に作れそうだ、と小見原が真偽について葛藤していると、雨谷が無邪気に藤咲に質問した。


「これって、外部に持ち込んでも大丈夫なんですか?」

「許可は頂きましたからね。これはお持ち帰りしてくださっても大丈夫ですよ。三日後にメディアに伝える情報ですから」

「そう、じゃあいただくわ。でもまだ疑いは晴れてないわよ」


 計画書にはドラマのあらすじから小道具班の名前まで書いてあったが、所詮は紙に書かれた文字でしかない。これが事実だと証明するには、藤咲が単独でここにいることはあまりにも不自然だ。まだ許しはしない。

 そんな小見原の反目に対抗するように藤咲も不敵な笑みを浮かべる。


「ふふふ、そう言うと思ってまだあるんです! こちら! 制作現場の写真と監督の写真!」


 シャッとトランプのように広げられた写真の束に雨谷は歓声を上げる。そこには計画書に乗っていたキャストと集合写真を撮ったものや、小道具の制作模様、藤咲と監督のツーショットなどが写っていた。


「全部、貴女が写ってるのね」

「そうです! 偽造でもなんでもなく、先輩に撮ってもらった写真です! これで信じていただけましたか!?」


 これこそ、決定的な証明になる。小見原はもう信じていいんじゃないかと思い始めていただ。だが隣にいるのほほんとした雨谷の横顔を見てすぐに思い直した。まだ彼女が関係者の子供という説が残ったままだ。子供の遊びに付き合わされているかもしれないのだ。ここで馬鹿を見るわけにはいかない。


「まだよ、そう簡単に許さないんだから」

「粘りますねぇ」

「粘るに決まってるでしょ! これで最後よ、貴女のアドレス帳見せて!」

「あ、アドレス帳ですか。そ、それならどうぞ?」


 不動の大木と思えた藤咲がついに動揺した。小見原は手ごたえを感じながら彼女に手渡されたスマホの画面を見て、そして驚愕した。


「何よこれ、あだ名で登録してるの?」


 載っているのはあっきーとかはなぴーとか、ふざけた名前のものばかりだ。登録されている人数は凄まじいものだが、上から下までざっと見てもまともな名前の人が数人しかいない。

 じろっと小見原が鬼の形相で顔をあげると、藤咲は丸い顔に大量の汗をかきながらお冷を飲み干していた。


「あははー、えっと、言い訳にしか聞こえないかもしれないんですけど、私なりの打ち解け方と言いますか、本人には言わないけど、陰で呼んでるあだ名、みたいな?」

「……本当でしょうね?」

「これは本当ですって! ほら、あの、写真で証明できたじゃないですか。私と言う下っ端なんてプロジェクトにはあまり差し障りないんですから、私のことなんて別にいいじゃないですかー。逆に俳優さんたちと連絡先を交換してる私なら安心できるといいますか」

「へぇ、下っ端? そんな人が大事なドラマのオープニングを飾る私たちに会いにくる? 大事な交渉なら、貴女の上司が来るべきじゃないの?」

「それは、えーっと……」


 肝心の部分で言いよどんだ彼女に、小見原は怒りと同時に虚しさがこみ上げてきた。こんなに早くオファーが来るなんてありえない。理性では最初からそう結論を出していたが、感情では期待せずにはいいられなかった。自分では会心の出来だと思っていたし、雨谷の知名度がどんどん上がっていく感触もあったから、もしかしたら、と。

 だが結局そんな簡単に、事がうまく運ぶわけがなかった。


「もういいわ。言い訳なら聞いてあげる」


 小見原はまだ期待を捨てきれないまま突き放すようなことを言った。ここでしっかりとした理由が聞ければ、まだ救いはある。


「……ごめんなさい!」


 小見原は息を止めて、ため息をついた。雨谷が悲しそうに苦笑している。

 何も言わない小見原を雨谷は一瞥した後、テーブルの上で両手を組みながら穏やかに言った。


「何に対して謝ってるのか、教えてもらっていいかな」

「はい……実は私の独断なんです。貴女たちの曲をオープニングに使いたいって言うのは」


 それを聞いた瞬間、小見原は眉を吊り上げて詰め寄ってしまった。


「なに、じゃあ先輩以外には内緒で勝手に交渉してたの? それでオーケーもらったら監督に直談判でもするつもりだったの?」

「……その通りです。監督にどうしても貴女たちの曲を使いたいとお願いしたんですが、自分で許可をもらってこい、そうしたら考えてやると言われまして」


 あんまりな言い分に小見原と雨谷は口々に言った。


「それ、どう考えても遠回しに諦めろって言われてない?」

「考えてやるってさ、考えるだけで答えは出さないっていう意味じゃないの?」


 刺々しくない言い方だったのに、藤咲にはダイレクトヒットしたようで小さな肩がしゅんと落ちてしまった。そこからわなわなと震えだして、涙を一杯に溜めた瞳をこちらに向けてきた。


「うう……それでも、諦められないんです! 私はときめきレモンソーダの愛読者ですし、貴女たちの曲も一目惚れです! 私の宝物のような物語に貴女たちの曲を添えたい! あんな腐れ監督の趣味満載なキラッキラな曲なんて、ただの知名度で集客するだけ! 作品の透明感のある雰囲気とか、酸っぱくて苦い恋愛模様とかなんて何も考えてない! ただの一人のファンとしてドラマを見るなら、勝手に考察して勝手に物語とマッチしてると思えるんですよ! でも現場にいる私はもっといい曲を知ってるし、監督のドロドロ事情も知ってるのでぇ! あんな欲だけで作品を汚されたくないんですぅ!」

「お、落ち着いてください。あんまり大声で言うのは……」

「お二人とも! お願いします!」


 ガバッと藤咲が顔を上げたと思いきや、ガンッ! と額をテーブルに叩きつけて土下座のような体制になった。


「私絶対監督に認めてもらいますから! そうでなくても認めさせますよ! ええ! 首を握って無理にでも頷かせます! だからどうか私に委ねて貰えないでしょうか!」


 小さな体から飛び出した本気の叫びはびりびりと空気が震えるほどで、小見原と雨谷はしばらく言葉を失った。

 当たり前のことだが、小見原は藤咲のことを少しも知らない。だが、彼女の感情をぶちまけるようなあの言葉には少なからず共感するところがあった。


 小見原は中学の頃にいじめを受けていた。それは女子から人気だった先輩からの告白を断ったことが始まりだった。そして中学二年の秋、友人だった同級生の女子に、自分が昔作ったゲームをいじめグループにバラされたことがある。いじめグループは小見原が一生懸命考えたゲームのストーリーをことあるごとに馬鹿にして、セリフをふざけて読み上げながら、教室のど真ん中で小見原を敵役と称して毎日のように殴ってきた。

 作品を嗜虐的な欲求のために利用されたのが、小見原には何よりも許せないことだった。


 藤咲の感じている『ときめきレモンソーダ』への思いは、小見原とは全く違うものだろう。それでもなにか、共感できる部分があるにはあるのだ。


「……私はいいと思うわ」


 つぶやくと、雨谷が心配するように小見原に首を傾げた。


「……いいの? 藤咲さんを信用して」

「ええ。実物を見たわけじゃないけど、ここにあるものは偽物じゃないみたいだし、この人も本気みたいだし」

「……そうだね。僕らにはまだ早いんじゃないかって思うけど、でも、せっかくの機会だもんね」


 雨谷は朗らかに笑うと、膝をそろえて、頭を下げたままの藤咲へお辞儀をした。


「藤咲さん。お願いしますね。僕たちの曲、監督に届けてください」


 藤咲はゆっくりと顔を上げて、信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。涙と鼻水で酷い顔をしていたが、その後に彼女は最高の笑顔を見せてくれた。


「あぁ、あああぁぁぁりがとうございますぅ! ではでは! 詳しいお話をここでしちゃいましょう! 百戦錬磨の先輩から必要事項をバッチリ聞いてきたんですよ! 貴女たちは質問に答えるだけ! 後のことは全部、私にお任せを!」


 すっかり勢いを取り戻した藤咲に小見原はあっけにとられたが、次いで微笑みながら彼女に手を差し出した。


「よろしくお願いしますね。藤咲さん」

「はい、はい! よろしくお願いします! キユイさん!」

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