(12)同担拒否
その後の電話で細かく内容や日取りを確認した結果、藤咲という人には日曜日の午後に指定のファミレスで顔合わせをすることになった。その日の昼休みは丸々電話でつぶしてしまい、二人してお弁当とメロンパンを急いで掻き込んで教室に戻らねばならなかった。
口の中をまだもぐもぐさせたまま教室に戻ると、すでにクラスメイト達は着席して授業の準備を始めていた。当然、遅れて教室に戻ってきた二人はがらりと音を立ててスライドドアを開けたので注目を浴びてしまう。小見原と雨谷が並んで入ってくる瞬間を見た秋葉は口に手を当てて片手でガッツポーズしているわ、春風は顔を真っ青にして何やら慌てているわ、山本に至ってはモアイのような顔になっていた。
「え、雨谷と小見原さん……? 二人で戻ってきたってことは……」
スライドドア付近の席にいる寅田がいらないことを口にしたせいで、山本ががたりと席から立ち上がり、地獄の底から響くような声を上げた。
「あーまーがーいぃー! 話が違うじゃねぇかよぉ! 何ちゃっかり抜け駆けしてんだぁ!」
「ち、違う! 誤解だよ!」
雨谷が両手を振って否定するが、山本はお構いなしにずんずんと近づいてくる。これは大乱闘がまた始まる、と小見原は苦虫を嚙みつぶしたような顔になって言った。
「たまたま戻るタイミングがかぶっただけよ。勝手に勘違いしないでくれない?」
「……小見原さんがそういうなら」
山本は雨谷と小見原を交互に見やり、最後に小見原の顔をまじまじと見て顔を赤らめて、逃げるように自分の席へ戻っていった。小見原はふんと鼻を鳴らすと、雨谷と共に自分の席へ戻って机の中から歴史の教科書を取り出す。
歴史の先生がいつも五分遅れで来るお陰で遅刻にならなかった。そのことにほっとするが、まだ小見原の胸のドキドキは収まりそうにない。
今週の日曜日に、午後三時の駅前のファミレスで。
そんな短い合言葉みたいなものをずっと頭の中で再生する。藤咲という人がどんな人なのか会ってみないとまだまだ分からないところばかりだが、少なくとも小見原には悪意を感じられない声だった。話の内容も、ただただ熱心なファンのようであったし、きっと信用に足る人物だろう。そうでなかったら、どうしてくれようか。
雨谷は頼りないから、こういう時こそ自分がしっかりしなければ。と一人で拳を握りしめていると、机の端に置いていたスマホにメッセージが浮かんだ。
まだ歴史の先生が来る様子はないのでなんとなく開いて読んでみると、そこには衝撃の文章が書かれていた。
『日曜日皆で駅に遊びに行くんだけど、小見原さんも一緒に来ない?』
小見原は一瞬静止した後に返信した。
『何時に集合するの?』
『十二時! みんなでお昼を食べてから買い物するよ!』
『何時まで遊ぶの?』
『五時までかな。途中でカラオケにも寄るから』
『じゃあごめんね。無理かも。大事な用事があるから行けない』
『えー!? 途中まででいいから一緒に行こうよー』
スマホを握る手がぷるぷると震えた。大事な用事を優先して彼女の誘いを断っても、雨谷と駅近くにいるところを目撃されたら不審がられてしまう。その結果、雨谷のこととか、藤咲のこととかが友人にバレてしまったら、また雨谷に迷惑を掛けてしまう事になる。これだけは絶対に避けたい。
ならば友人の言うように、途中まで一緒にいて後で別行動にすれば、駅にいることに関しては不審がられる可能性も低くなるかもしれない。だからこれは、やむを得ない。
『分かった。本当に途中までだからね』
『ありがとー! ちなみに何時に用事あるの』
小見原は少し迷った後、予定より少し早い時間を教えることにした。
『二時からだよ』
『そっか。じゃあお昼食べたらちょっとしか遊べないねー』
『ごめんね。また別の日に一緒に行こうよ』
『うん! こっちも用事があるのに無理に誘ってごめんねー』
『いいよー、誘ってくれてありがとね』
これで良し。少し早めにグループから抜け出して、後をつけられないように適当に時間をつぶしてからファミレスに行けば完璧だ。この友人とは知り合い以上親友未満ぐらいの関係なので、ここまで入念にしなくても関わってこないかもしれないが、念には念を入れて。
絶対に、雨谷の秘密は守ってみせる。
じっと熱い視線で前に座る雨谷の背中を見つめると、なぜか彼の背中が細かく震えた気がした。
…
……
………
日曜日、小見原は事前に雨谷に事情を話して、二時に改札前に集合してもらうことにした。一人で時間をつぶしてもよかったのだが、また変な人に声を掛けられたら面倒だったからだ。
そして十二時の友人たちの待ち合わせ場所で、小見原はまたもや絶句することになる。
「やっほー小見原さん! 来てくれてありがとねー!」
「……女の子だけのグループじゃなかったの?」
「ごめーん言い忘れてたー」
誘ってくれた友人が引き連れてきたのは、他校の男子生徒三人とうちの高校の女子一人人だった。女子の方は同じクラスメイトで、授業中でも昼休みの間でもあまり話したことのないような子だった。
「わー本当に小見原さん来てくれたんだ!」
友人も、そして関わりの薄いツインテールの女子も、かなり露出が高い格好だ。この中ではまだ厚着ぎみな小見原が浮いている。そして後ろの男子三人組は明らかにちゃらちゃらとした雰囲気で、小見原が苦手な山本のような部類の人たちだった。
これは数合わせのためだけに呼ばれたのだと気づいて、小見原は深々とため息をついてしまう。まさかこの大人しそうな友人が、こんなだまし討ちみたいなことをするとは思っていなかったため、かなりがっかりした。
「ちょっとそんな落ち込まないで? ほら、お詫びにお昼奢るから」
「どうせ男子の奢りにするんでしょ?」
「正解! なんだ小見原さんも分かってんじゃん」
手を繋いでくる友人の手を鬱陶しく感じながらも、小見原は外向け用の笑顔を張り付けた。今はいかにことを荒立てず、この場を切り抜けるかが大切なのだ。下手に友人の反感を買って学校の立場も悪くしたくない。
「二時までには抜けるけど、それまではよろしくね」
この後には雨谷と合流できる。それだけを糧に笑顔を見せると、男性陣から大きなどよめきが起きた。
そこから予定通り駅の中にある洒落たレストランで、各々が好きなものを注文して食事をした。そこで改めてお互いに自己紹介をしたのだが、あまり内容は頭に入ってこなかった。
友人ともう一人の女子の関係は、中学校からの仲良しグループの延長であったらしい。確かに入学式初日でもやけに仲がよさそうに会話をしていた気がする。しかも、男子たちとの会話も手慣れている様子なので、もしかしたら、中学校の時からこんな風に他校の男子と仲良くしていたのかもしれない。
ちなみに男子の方は先週の日曜日に駅で遊んでいた友人たちに声を掛けて、その時に仲良くなっただけの仲らしい。つまりどちらともまだ出会ってそれほど時間が立っていないようだ。
ナンパされるのが苦手な小見原にとって、ナンパ紛いの出会いで仲良くできる彼らにはあまり共感できなかった。巻き込まないで欲しいとも思うが、一日だけの我慢だ。幸い男子二人は友人たちと親睦を深めたがって普通であるし、ただの知り合いで終われるかもしれない。
問題は、
「それで小見原さんはさぁ、次の日曜日は空いてないの?」
「予定があるから」
「そうなの? その予定ずらせない? 俺のためを思ってさぁ」
若干一名、かなりしつこい男がいた。食事の間もしきりに話しかけてきて味に集中できない。前々から行ってみたかったレストランなだけあって、食べることに集中できないのは結構ストレスだった。
ここに秋葉がいたらもっとマシな空気だったのに。この男が雨谷だったら全然文句ないのに。
ないものねだりが胸の中で膨れ上がって食欲がなくなってきた。中学の時にいじめのきっかけになった男子まで思い出して気分が悪くなる。
やっぱり秋葉が一緒じゃないと、気軽に異性と長時間も話すのは難しいようだ。雨谷のような穏やかな相手なら一対一でも、一日中でも大丈夫なのに。
いつになったら秋葉に甘えなくて済むのか、と一人で落ち込んでいると、不意に手の甲に男の指が触れてきた。生暖かい、虫が這うような感触にびくっと肩を跳ねさせて手を引っ込めると、男は嬉しそうに笑った。
「あは、初心な反応でかわいいなぁ。めっちゃ好みなんだけど」
「おい陽岡、やめとけって。嫌がってるだろ」
「えー?」
げらげらと男子たちが笑うと女子たちも合わせるように笑い、陽岡という男をみんなでいじり始めた。小見原は作り笑いをしながらそのいじりに混ざる。
窮屈だった。でも反感を買って、またいじめられると思うと、もう一度我慢しようと思えた。
その後は友人がキモイという単語を連発したおかげか、男からの接触は全くないまま食事を終えられた。
しかし二時まであと一時間弱残っている。残りの時間はウィンドウショッピングやゲーセンで時間を潰すらしいが、小見原はできるだけ陽岡に話しかけられないよう、友人の隣を位置取り続けた。
その間も構わず陽岡から話しかけられ続けたが、曖昧な返事ばかり返すと、向こうもやっと諦めがついたのか話しかけてこなくなった。
陽岡の興味がなくなった後は、途端に小見原でも楽しい空間になってきた。男子たちの突拍子のない会話は傍から聞いていれば面白いものばかりで、友人たちと一緒にツッコミを入れれば笑う事も出来た。
このまま早く時間が過ぎるように、腕時計を確認しながら駅内の店舗を冷やかしていると、残り四十分ぐらいになったところでゲーセンに行こうという提案が男子の方から出てきた。
特に拒否する理由もないため、全会一致でぞろぞろとゲームセンターの方へ歩き出すと、途中で楽器店の前を通りがかった。棚の上に整然と並べられたピアノのキーボードや、壁に立てかけられたギターについ小見原の視線が吸い寄せられる。店頭のパソコンからは今流行りのドラマのオープニングが流れており、駅内の賑やかさに華を与えていた。
そして棚の奥のキーボードの前には、見慣れた黒い帽子と高身長があって、小見原は無意識に足を止めてしまった。
あの後ろ姿は、雨谷だ。
小見原は何も考えずに友人の方へ声を掛けた。
「ごめん、ちょっと抜けるね」
「え、小見原さん!?」
一直線に雨谷に声を掛けるなんて愚行はしない。一度駅を出てからコンビニのトイレに入り、上着を脱いで帽子を被る。雨谷に絶対に迷惑を掛けないために準備してきたものが、まさか本当に役に立つなんて思わなかった。
やりすぎなぐらいに変装をした後に、小見原はできるだけ周りの人と同じ歩調を意識してあの楽器店へ戻った。
あのキーボードの前まで行ってみたが、すでに雨谷の姿はなかった。急いで店の外に出て広々とした駅内の廊下を探してみると、彼の背が高いおかげで、すぐに見つけられた。
大声を出したら、まだ近くにいるかもしれない友人に見つかってしまうかもしれない。だからどんなに急いでいても、歩調は普通に見える程度で、じわじわと雨谷に近づいていく。
もう少し、というところで、雨谷は急に軌道を変えてトイレの方へ行ってしまった。
「あぁ……」
まさか、男子トイレの前で出待ちするわけにもいかない。小見原は渋々トイレに繋がる通路から離れて、手前にあるエレベーターの向かいの壁に寄りかかった。
雨谷を見かけて飛び出してきてしまったことに、ようやく後悔が追いついてきた。もはや友人になんて思われるかは眼中になくて、雨谷の声を聞きたくて堪らなかったのだ。
まだ友人と合流はできるが、やっぱり雨谷と一緒にいたい。今電話をすれば、出てきてくれるかも。外で待っていると言えば、驚いて喜んでくれるかも。
熱に浮かされた気分で、小見原はスマホを取り出そうとする。
そこへ、
「よ! 小見原さん!」
聞こえるはずのない声が聞こえた。驚いて顔を上げると、目の前には陽岡がいた。
「水臭いなぁ変装までしちゃって。探すの大変だったんだよ?」
「な、なんで? 他の子はどうしたの?」
「俺も用事あるーっつって抜け出しちゃった。小見原さんと二人きりになりたかったし」
陽岡はそのまま歩み寄ってくると、小見原を閉じ込めるように壁に手をついた。一気に距離が縮まり脈拍が上がるが、小見原の顔からは血の気が引いていた。
「ビビってるの? やっぱ清楚っぽい子って押しに弱いよねー。今超ドキドキしてるでしょ」
中学の、小見原をいじめの世界に叩き込んだ男の顔が蘇ってくる。あの先輩もしたり顔で、こんな風に壁際に追い込んで言ってきた。
「『なぁ、俺と付き合ってよ』」
先輩と陽岡の声がだぶり、一気に吐き気が込み上げてきた。恐怖で体が動かない。見上げる先で、みるみる陽岡の顔が覆い被さってくる。
誰か。
「離れろ」
ぐいっと凄まじい力で陽岡の腕が壁から払いのけられ、割り込むように大きな背中が立ちはだかった。
見慣れた黒い帽子と背格好、ずっと聴きたかった声がする。
「あ……」
満足に名前を呼べなかったが、雨谷は安心させるように小見原の手を握りしめてくれた。
「彼女に何してる」
「は、はぁ? お前には関係ないだろうがよ」
「僕にとってはお前の方が関係ない。彼女の顔を見て何も分からないぐらいの他人が、彼女に何の用?」
「はっ、顔だぁ? どう見ても喜んでただろ。どう見たって恋人同士のやりとりだったろうが。そいつが泣いてんのも俺が慰めてやろうと」
「嘘をつくのもいい加減にしろよ」
ドスの効いた声に、陽岡だけでなく小見原もびくりと肩を震わせた。肩越しには雨谷の顔を見ることはできないが、彼の父親のような冷酷で無機質な気配が、肌が引き攣るほどに周囲に溢れていた。陽岡は雨谷の怒気に当てられて冷や汗をかいていたが、まだニヤニヤしながら口を開いた。
「あんだよ。部外者が割り込んでくるんじゃねぇよ。やるか? お?」
肩を回し、これ見よがしなステップを見せながら拳を構える陽岡を見て、小見原は震えながら雨谷の服の裾を掴んだ。
「ま、待って。ダメ……」
雨谷は微かにこちらを振り返ると、大丈夫、と小声で囁いた。
「おーい雨谷ー……って、どういう状況?」
空気を読まずに手を振って乱入してきたのは、私服姿の寅田だった。そしてその後ろから、強面かつガタイの良い山本がのしのしとボクサー選手の如く歩いてきた。
「おいぃ……どう言うことだよ。なんで小見原さんが泣いてんだ? あ゛ぁ!?」
「ひ、ひぃ!」
山本はズカズカと陽岡に近づくや、至近距離から睥睨した。遠目からでもブチ切れた山本の四角い顔は大迫力で、いつのまにか遠巻きに様子を見ていてギャラリーがそそくさと撤退していく。
陽岡はさっきの威勢はすっかり萎んでしまったようで、足をがくがくと震わせながら逃げ出した。
「す、すんませんしたぁ!」
「待てやてめぇ!」
悲鳴を上げ何度もコケながら去っていく陽岡を山本が追いかけようとし、すぐに寅田はまぁまぁと押さえ込んでいた。そして雨谷はと言うと、緊張が解けたようにその場にへたり込んだ。
「はぁ……怖かった。小見原さんは大丈夫?」
咄嗟に声が出せそうになかったのでコクコクと小刻みに頷くと、雨谷は深々と安堵のため息をついて天井を仰いだ。
「もう、誰か絡まれてると思ったら小見原さんだったんだもん。心臓止まるかと思った」
「おい雨谷! どういうことか説明しろよ!」
「こらこら山本、そんな大声出さないの」
肩を怒らせる山本を寅田が宥め、それから小見原の方を見た。
「とりあえず、場所移そっか。めっちゃ注目浴びてるし」
寅田の言う通り、チラチラとこちらを伺う買い物客が増えてきている。これ以上注目を浴びるのはごめんなので、小見原はまた無言で頷いて、両手でしっかりと雨谷の腕を掴んだ。




