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プロローグ

 蝉の声が喧しい。ビルの外壁か、それともレストランの裏路地にでも張り付いているのか知らないが、歩道を歩くだけで頭が痛くなってくる。陽炎が滲むほどのアスファルトを歩くだけでも辛いのに、さらに強い日差しが追い打ちをかけてくるものだから、ついに胃から不快感がこみ上げてきた。


「おえぇ……」


 男は吐きそうな声を出しながら長袖で額の汗をぬぐい、襟元をパタパタと揺らして風を送った。元々あまり外に出ることがないせいで、男の白い肌はすっかり日焼けで赤くなってしまっている。視界に入る鬱陶しい前髪も、先日また切り忘れたからべったりと額に張り付いてしまっていた。


 吐き気と闘いながら立ちすくむ男の前で、歩道の信号が青に切り替わった。カッコウの気の抜ける音色が流れ始めると、どん、と男の肩が後ろにいた女子高生にぶつかった。


「邪魔だよおっさん!」


 と心ない言葉を浴びせられ、男は少し泣きそうになった。


 いくら身長が高くて顔がげっそりしていても、この男は彼女たちと同じ高校生だ。おっさん扱いは流石にひどい話だった。


 男が汗か涙かも分からない水を拭っている間にも、横断歩道で待っていた人たちがどんどん追い抜いていく。男は慌てて周りの人間と歩調を合わせた。


 無理に動いたせいで眩暈がひどくなったが、あと五分も歩けばすぐにクーラーがかかったアパートにたどり着ける。それまでこの暑苦しい人込みの中を我慢するしかない。


 ぜぇはぁと息を乱して、やっとのことで横断歩道を渡り切ると、すぐ近くの洋服店からポップな曲が流れだした。女性のハイトーンボイスを追いかけて、男性ボーカルのよく通る声が街中に響き渡る。


 その瞬間、全身に鳥肌が立って男の吐き気がひどくなった。


 流れている曲に気が付いたのか、斜め前を早歩きで先行していた女子高生たちが急にハイテンションになった。


「ねぇ、これってキユイの新曲でしょ!」

「え!? 知らなかったぁ、いつ出したの?」

「昨日ウィーチューブで上がってたよ。十一時ぐらい!」

「うっそ、寝なきゃよかったぁ」


 彼女たちの話題に上がっている人物は“白雨キユイ”という匿名アーティストだ。

 まるで一人の人間の名前のようであるが、実はこれはコンビ名である。白雨が男性、そしてキユイが女性の名前だ。分かりにくい名前に批判をする人たちもいたが、今では番組でネタにされるぐらいには受け入れられている。


 白雨キユイの売りは、女性の信じられないほど美しい高音パートと、作曲から動画制作を手掛ける男性ボーカルの絶妙なハーモニーだ。


 Bメロでしんと静まり返ったところで、一人奏でる女性の神聖な声色。そこへ男性の声が徐々に混ざりだし、曲の緊張が膨らんだ瞬間、気持ちよくサビの盛り上がりが炸裂する。

 ファンからはその爽快感が癖になると話題で、ドラマやアニメのオープニングまで手掛けるほど大人気であった。


「いつか顔出ししてほしいなー。絶対イケメンだって」

「だよねー! この前のライブ、白雨すっごい身長高くて、足も細長いの!」

「分かる! やばいよあのモデル体型! あとキユイも本当に胸がでかいの、マジやばい!」

「それ! ロングスカートだったけど足首めっちゃ細くて白かったからね!」

「足ばっかり見てるじゃん! でも分かる! 顔出さなくても美男美女オーラすごかった!」


 そう、彼女たちのように、白雨キユイの外見にも惹かれているファンはいるのだ。


「……初めて聞いたなぁ、イケメンなんて」


 額の汗をもう一度こすりながら男は一人ごちる。すると、急に視界が真っ白になった気がした。


「あ、れ?」


 曖昧な声を出しながら足を止める。周囲の人が胡乱気に見つめてくるが、正直構っている余裕もなかった。


 なかなか血の気が戻らない視界を彷徨かせていると、横を通りがかったサラリーマンがはっとした顔で駆け寄ってきた。


「あの、大丈夫ですか?」

「だいじょう、ぶ……」


 言った傍からまた眩暈がして、ついに全身から力が抜ける。ぐらりと傾いた身体が、地面に衝突しそうだ。

 衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った途端、意識が暗い方へと引っ張られた。


 無理やり目を開けてみれば、今度は見知った顔がすぐ目の前にあった。しかもよく見ると、最後に立っていた交差点の前ではなく、涼しい木陰で寝かされていた。


 きっとあの時気絶してしまったのだ。しかし、目覚めてすぐに相棒に膝枕をされている意味が分からない。


「ほんっとに貧弱ね。アンタ」


 膝を貸してくれている相棒が、嫌悪感たっぷりの表情でそう言った。モデルのように整った顔立ちだから、その表情でさえ愛らしい。だがよくよく見れば、心配そうに眉が顰められていて、男はつい微笑んでしまった。


「奇遇だねぇ……小見原さん」

「迷惑かけた第一声がそれ?」

「あ、ごめん」


 言葉こそ刺々しいが、額を撫でる小見原の手は優しい。後頭部から伝わる柔らかな感触も心地良く、つい雨谷はそのまま目を瞑った。


「ちょっと! こんなところで寝ない!」

「いったぁ!」


 白雨キユイの男の方こと、白雨。

 本名、雨谷優樹。


 高校一年の夏休み、クラス一番の美人同級生に膝枕をされながら平手打ちをされた。

小見原「救急車呼んだから」

雨谷 「そんな大事にしなくても」

小見原「動いたらもう一発叩くよ」

雨谷 「ハイ」

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