第8話 魔法練習と攻撃魔法
屋敷を脱出した俺達は、ランドール伯爵領の町……領都ラフールへとやって来た。
近くの森から切り出した木々で作り上げた木造の家屋が立ち並ぶこの町は、近くを流れる大きな川から引っ張って来た水が水路となって張り巡らされ、清涼感と清潔感ある緑の街並みを形成している。
王都からかなり離れた田舎町と言える場所のはずだが、俺の記憶にある王都の街並みと比べてもより一層の活気に満ち溢れ、道を歩く人の波と客引きの声が絶えない光景が広がっていた。
つまりはそれだけ王国全体がこの百年間で発展してきた証だろうな。いち王国民としては喜ばしい限りだ。
「うわぁ~、すごい!!」
そして、そんな俺以上に興奮した様子のティアナは、辺り一帯をキラキラとした瞳で見渡しては、歳相応の子供らしくはしゃいでいる。
右へフラフラ、左へフラフラと、とりあえず目に付いたものを追って駆け回る姿は、落ち着きのない子犬みたいだ。
今この場においては、本物の犬であるアッシュの方がむしろ落ち着きをもってティアナに付き添っていて、これじゃあどっちがご主人様か分からないな。
『ティアナ、気持ちは分かるが、今日は魔法の鍛錬に来たんだからな? あんまり遊んでると時間がなくなるぞ』
「あっ、そ、そうだった。どこかいい場所を探さないとね」
ようやく当初の目的を思い出したのか、慌てた様子で取り繕うように拳を握り締めるティアナ。
そんな様子にほっこりしながら、ティアナの胸に抱かれて歩いていくと、やがて街外れに大きめの空き地が広がっているのを見つけた。
何かの建築予定地なのか、はたまた予定はあったが何かの理由で頓挫したのか……どちらにせよ、さほど人通りもないここなら訓練には十分だろう。
空き地の真ん中に陣取った俺達は、近くを飛んでいた虫を追いかけ勝手に遊び始めたアッシュを横目に、早速鍛錬をするべく向かい合う。
「師匠! 今日は何するの?」
『今日やるのは、初級魔法の鍛練だ』
「初級魔法? でも、昨日基本属性の適性は何もなかったような……」
『まあ高くはない。俺としても、ティアナには何かしらの特殊魔法を新しく作らないといけないとは思ってるけど……そんなもん、一朝一夕で作れる代物じゃないからな。出来るまでは、他の魔法で練習だ。たとえ初級魔法だけでも、使えることに越したことはないしな』
「はーい!」
素直な返事に頷き返し、俺は早速初級魔法の魔法陣を《念話》で伝える。まず選んだのは、昨日試した中でも適性が一番マシだった光属性。
「行くよ……! 《眩き光よ、全てを貫く槍となりて、邪悪を滅する正義を為せ! シャイニングジャベリン》!」
ティアナの突き出した掌から魔力が溢れ、空中に魔法陣を形成。詠唱に合わせて魔力が注ぎ込まれ、光が瞬くが……
「きゃっ!?」
魔法が完成する前に、魔力が霧散。失敗に終わった。
「う、うー……もう一度……!」
『待て、ティアナ。そう闇雲に繰り返したって上達しないぞ、まずは落ち着いて失敗の理由を検証するところからだ』
ティアナのそうそう簡単に心が折れないところは美徳だけど、これに関してはマイナスだ。反復練習っていうのは、上手くいったことを定着させるために行うもんだしな。
失敗してるのにただ繰り返してたら、悪い癖がついて直らなくなっちまう。
「うう、そっか……でも、何が悪いんだろう? 詠唱も魔法陣もたくさん練習したのに……やっぱり、適性がないから?」
『もちろんそれもあるが……むしろそこに拘るのが原因かもしれないな』
「え?」
俺の言った意味が分からなかったのか、ティアナは首を傾げる。
んー、どう説明したものか……。
『そうだな……ティアナ、魔法を発動するのに必要なものは何だと思う?』
「魔力と、魔法陣と、詠唱だよね?」
『正解。魔力は、魔法を発動するのに必要なエネルギー。魔法陣には、それを各種属性に変換する効果がある。じゃあ、詠唱は? なんで必要か分かるか?』
「うーん? なんでって……」
俺の問いかけに、ティアナはむむむ、と唸り始める。
予想通りの反応に、俺は一つ頷いた。
『一言で言うなら、イメージを固めるためだな』
「イメージ?」
『そう。魔力は人の意志に反応して魔法っていう現象を起こすわけだが、この時、人の方からどんな魔法を使って欲しいのかイメージを伝える必要がある。でも、これが曖昧なままだと上手く発動しないんだ。ティアナだって、何をすればいいのかはっきりしないお願いされても、応えられないだろ?』
「んー、言いたいことは分かるけど……」
曖昧なイメージと言われても、いまいちパッとしないらしい。
まあ、この辺りは意識して考えないとよく分からない部分だからな。適性が高いと、イメージがあやふやだろうが関係なしに発動出来るし。
でも、ティアナの場合はどの属性も適性が軒並み低いから、イメージの明確化は絶対に避けては通れない道だ。
『たとえば、そうだな……ティアナ、“普通の人間”ってイメージできるか?』
「そりゃあ、私も人間だし」
『じゃあ、その“普通の人間”ってどんな服着てる? 性別は? 顔は?』
「え? え、えーっとぉ……」
俺が立て続けに質問すると、ティアナは困ったようにあたふたと視線を彷徨わせ始めた。
まあ、難しいよな。これで即答されたら逆に困ってたところだよ。
『じゃあ、“さっき会ったメイド長”をイメージしろって言われたら、どうだ?』
「あ、それなら大体答えられる」
『だろ? 魔法を使う時には、そうやって出来るだけ明確なイメージを持った方が安定した魔法になるんだ。そういう“イメージの想起”を補助するために、言霊による詠唱が存在する』
一部例外を除いて、詠唱文は『生成する属性』、『作り出す形状や概念』、『引き起こす現象』の三つに加えて、その魔法の固有名称の四つで構成されている。今使った《シャイニングジャベリン》なら、『眩い光』を『槍』にして『邪悪を滅する』と言った具合に。
そうやって印象的なワードを盛り込むことで、これから発動する魔法の効果が発動者自身にとって分かりやすくなるように作られているんだ。
『逆に言えば、イメージさえしっかり固まるなら、詠唱は必要ないし……イメージするのに足りないなら、他の物をくっつけたって問題ないわけだ』
「他の物?」
『分かりやすいところで言うと、動作だな。ほら、お前も魔法を使う時、掌を前に掲げたりしてるだろ? そういうのだよ』
「あ……」
言われてようやく気が付いたとばかりに、ティアナは自身の掌を見つめる。
人間、無意識にやっている行動の意味ってあまり考えないものだからな。そういうところにまで気を配ってこそ、“力”は“技術”に昇華出来る。
『教科書に載ってる基本的な“型”も大事だけどな、それだけが正解ってわけじゃない。きちんとその意味を理解して、自分なりに使いこなすのが大事だぞ。試しにお前もやってみな、“光の槍を作って飛ばす”イメージがしやすい動作みたいなもの』
「うーん……光の槍……槍を飛ばす……」
ぶつぶつとしばしの間一人で呟きを漏らしたティアナは、やがて何かを思いついたのか、小さく構えを取る。
おっ、やるか……?
「《眩き光よ、全てを貫く槍となりて、邪悪を滅する正義を為せ》」
さっきまでは正面に掲げていた掌を握り込み、魔法陣もろとも振りかぶる。
その構えはまるで……槍投げ兵のそれだった。
「《シャイニングジャベリン》!!」
ブオンッ!! と勢いよく腕が降りぬかれると同時に、凝縮した光が槍となって空を裂く。
先ほどのように魔力が拡散することもなく、しっかりとその形状を保ったまま突き進んだ光の槍は、遠く離れた地面に着弾し小さな土煙を上げる。
わお……まさか一発で成功させるとは。ちょっと予想外だ。ていうか、確かに槍を飛ばすのをイメージする動作とは言ったけど、そこまでダイナミックな動きを取り入れるとは思わなかったよ。
この子、見た目は華奢なのに頭の中は結構肉体派だよな……。
「っ……やったぁ!! やったよ師匠、私にも初級魔法が使えた!!」
『ははは、やったな、ティアナ』
「師匠のお陰だよ! ありがとう師匠!!」
よっぽど嬉しかったのか、ティアナは割と失礼なことを考えていた俺を思い切り抱き締め、ぴょんぴょんと跳ねまわる。
昨日も適性検査でちょっとした魔法を使ったけど、あれは固有名称すらないお遊びみたいなもんだからな。ちゃんと戦闘に使える魔法が使えて、喜びもひとしおなんだろう。
『じゃあ、後は今の感覚を忘れないうちに、もう何度かやってみな。悪いところがあれば都度直していこう』
「うんっ!」
元気よく返事をしたティアナが、再び《シャイニングジャベリン》を発動する。
最初のうちは出来るだけ全身の動作を統一してイメージを固めること、消費する魔力量を出来るだけ一定に保つこと、詠唱の速度とリズムを合わせることなどを指摘しつつ、幾度となく繰り返してティアナの体と頭に一つの魔法を染み込ませていく。
そうしていると、最初のうちは二回に一回は失敗していた《シャイニングジャベリン》が徐々に安定を見せ始め、成功率が着実に上がっていった。
『よしよし、その調子だ』
元々、俺がいなくとも毎日コツコツと努力していた子だ。こうした反復練習もお手の物なようで、飽きもせず延々と言われた通り続けてくれる。
ニーミの時はすぐに「飽きた」だの「もう完璧だから次の魔法」だのと我儘ばっかりだったからな。あれはあれで可愛げもあったけど、やっぱり素直に鍛錬して伸びてくれると俺まで嬉しくなってくる。
「……《シャイニングジャベリン》!!」
そうやって温かく見守る中発動した、数十発目の《シャイニングジャベリン》。
ティアナくらいの歳の子なら、とっくに魔力が底を突いていてもおかしくないくらい撃ち込んで尚、元気いっぱいに放たれたその一撃は、空き地の中央に少し大きめのクレーターを穿ちながら、盛大な土煙を巻き上げた。
「師匠!! 今の、今の見た? どう? どう?」
『そんなに詰め寄らなくてもちゃんと見てたよ。今のはいい感じだった、実戦でも使えなくはないと思うぞ』
「えへへ、やったぁ!!」
最初に比べて随分と威力の上がった魔法を見て嬉しくなったのか、ティアナは俺を抱き締めてぴょんぴょんと跳ねまわる。
まあ、実戦で使えるとは言っても、あくまで生身の浮浪者相手なら護身用に使えるかな、ってレベルではあるけど……そんなことをわざわざ言うのは野暮ってもんだろう。今はただ、弟子の成長を素直に褒めてやろう。うりうり。
「えへへへ……!!」
風魔法で撫でまわしてやると、お返しとばかりに益々強く抱きしめられる。
ぬいぐるみの体だから潰されても平気といえば平気なんだけど、そこまでされると少し苦しいぞ。全く、しょうがないやつめ。
「――まだまだ、ですわね」
と、そうして二人で喜んでいると、不意に後ろから声をかけられた。
慌ててティアナが振り返ると、そこに立っていたのは一人の少女。
年齢は、ティアナと同じくらいだろうか? 腰の辺りまで伸びた金色の髪は太陽にも負けないほどに光り輝き、頭には高級そうな髪飾りを着けている。
身に纏う衣服もまた、間違いなく一級品。
海のように深い青に染められたドレスは人通りのない空き地にあって場違いなほどの品格を漂わせ、歳不相応なまでの胸元の膨らみと共に、彼女がそこらの一平民でないことをこれでもかというほど主張していた。
「威力は底辺、魔力効率も未熟そのもの。貴族としては及第点にすら及びませんわ」
俺が敢えて口にしなかった評価をずけずけと口にしながら、少女は薄く微笑む。
そんな彼女を見て、ティアナは目を丸くした。
「しかし、一切の魔法適性を持たないと言われた貴女にしては、随分と頑張ったのではなくて?」
「あなたは……レトナ!?」
「ふふっ、ちゃんと私のことを覚えていたようで何よりですわ、ティアナ・ランドール」
曲がりなりにも平民に見えるような服装にしていたというのに、そんなものは関係ないとばかりにティアナの正体を言い当てた少女――レトナは、腰に下げられた杖を抜き放ち、真っ直ぐに構える。
それは、明らかな戦闘行動だった。
「さあ、決闘のお時間ですの。この私、レトナ・ファミールが過去にあなたから受けた雪辱の全て……ここで晴らさせていただきますわ!!」