第33話 ラルフの家と姉妹弟子
『見た目はあの頃からあまり変わってないんだな』
「当然じゃろう? 時属性の魔法で劣化を防いでおるからな、中もわしの部屋とリビングや応接室以外はあの頃のままじゃ」
王都の中心からやや離れ、近くには大きな川とそこそこ広い林が広がる場所に建つのは、石造りの洋館。
魔法研究の拠点としての機能を重視して建てられているため、素材そのままの白い建物が多い王都にあっては珍しく、魔鉱製のやや黒ずんだ怪しげな外観を持っている。
けれど、各属性の気配を効率よく循環させるために風通しや日当たりの良さには拘って作ってあるから、中に入ればかなり過ごしやすい。
ニーミの言葉通り、家の内装も俺の記憶からほぼ変わっていないのを確認するや、少しばかり苦笑を漏らした。
『好きに模様替えなりなんなりすれば良かったのに……研究室とか手付かずじゃないか、ここならお前の魔法研究だって捗っただろ? なんで使ってないんだよ』
吹き抜けで開放感溢れるリビング、魔道具もロクに使わない昔ながらのキッチンを抜けて二階に上がり、雑多な本や魔道具、研究素材なんかが整然と並べられた俺の部屋兼研究室を案内されるに至り、思わずそう問いかける。
それに対して、ニーミは傍にあった机を撫でながら答えた。
「いつか、師匠がひょっこり戻って来るのではないかと、そう信じたかったからじゃな。知り合いには随分と色々言われてしまったが……信じて、良かった」
『ニーミ……』
これまでの百年間に思いを馳せているのか、どこか遠い目をするニーミ。
でも、それならそれで一つ気になってることがあるんだが。
『大事にしてくれてたのは嬉しいけどさ、旦那はそれで納得してんのか?』
「は? 旦那?」
『いやだって、孫がどうこう言ってたじゃねーか。いくら師匠だっつっても、他の男にうつつ抜かしてたら愛想尽かされちまうぞ』
いやまさか、ニーミに旦那が出来るとは思ってなかったよ。
まあ、あれから百年だもんなぁ……旦那くらい出来るか。
寂しいけど、ここは師匠として祝福してやらねば。寂しいけど!!
「そんなもん嘘に決まっておろう! 外を出歩くのに便利な設定だから使っておるだけじゃ!!」
『えっ、そうなの?』
「当然じゃ!! 大体わしはお師匠様以外の男とは……って何を言わせるんじゃこのバカ師匠!!」
『なんか理不尽!?』
俺何も悪くないのに怒られた!? おかしくない!?
でもまあ、ニーミがどこの馬の骨とも知らない男に取られたわけじゃなくて良かったよ。どうせ渡すなら、俺がしっかりそいつを見極めてからにしたいしな!!
そんなことを考えていると、ニーミは少々赤くなった顔で「さて」と手を叩いて空気を切り替えた。
「そんなしょーもないことより、今はティアナの寝泊まりする部屋を決めねばならんな。荷物もあるし、どこがいいかのぉ。物置を整理してもいいが、年頃の女子にはちゃんとした部屋を使わせてやりたいところじゃ」
「あ、あの、私ならどこでも構いませんから」
『この家を建てた時は同居人が増えることなんて想定してなかったからなぁ……それにほら、そこの犬っころが悪さして魔道具に変な誤作動起こされても困るし、部屋はちゃんとしないとダメだ』
ティアナの後ろで、いつになく大人しく所在なさげに歩く犬っころを指して言えば、ティアナも納得したのかこくりと頷く。
こいつ、ランドール家の屋敷でもあっちこっち好き放題歩き回ってたしな。ここにはガチで下手に触ると危ないものもあるし、ちゃんとしないとヤバイ。
『まあ、本当にヤバイもんは物置にしか置いてないみたいだし、今日のところは俺の部屋か、それが嫌ならニーミの部屋にでも』
「いや待て、わしの部屋はダメじゃ」
俺の言葉をぴしゃりと遮り、ニーミがはっきりと拒絶する。
なぜか焦ったその様子にティアナが首を傾げていると、大慌てで補足し始めた。
「ほ、ほれ、一応わし学園長じゃし? 部屋には色々とほれ、見られては困る書類とかあるんじゃよ、うむ」
一応筋は通ってるんだが……なんか怪しい。
『ティアナ、ダッシュ』
「え?」
『俺の向かいの部屋がニーミの部屋だ、突入しろ。師匠命令』
「う、うん、分かった!」
「あっ、これ待つのじゃ、どこへ行く!?」
こっそりとティアナにだけ聞こえるように魂の接続を利用して指示を飛ばし、ニーミの部屋に突入させる。
すると果たして、そこには予想以上の光景が広がっていた。
『……おぉう』
床一面に散乱するゴミと研究素材。作りかけの魔道具に、何かの書類。
試しに近場に落ちていた紙を魔法で手繰り寄せてみると、そこには『今期学園行事予算案』と記されていた。
おい、これかなり大事な書類じゃないか?
「あー、まあそのなんじゃ? わしこう見えて忙しい身の上じゃし? 片付ける暇がないと言うかの?」
『それにしたって散らかり過ぎだろ!! この辺にあるのとか食い物の残骸じゃねーか!! やけにキッチンが綺麗だと思ったら、さてはお前使ってすらないな!?』
「うぐぐっ」
俺の指摘に、ニーミは言葉を詰まらせる。どうやら図星だったらしい。
いやまあ、俺が居た頃はまだ子供だったから、普通に俺が世話してやってたんだけど……まさか百年経っても自活出来てないとは……。
「べ、別に掃除片付け料理が出来なくても生きていけるからの? 実際にほれ、わしは百年経ってもぴんぴんしておるぞ?」
『そういう問題じゃねえ!! 全く、お前曲がりなりにも国内中に名を轟かせる大魔法使いってことになってるんだろ? 少しはしっかりしろよ』
「わしが好きで有名になったわけでもないしのー」
『お、ま、え、なぁ~……』
話しながら、そういえばそういう奴だったと俺は溜息を溢す。
我儘で、好きなことには真っ直ぐだが、興味がないことにはとことん興味を示さない。
ティアナは純粋に世間知らずなだけだが、ニーミは知った上でこんな調子だからなぁ。
「ぷっ、あはは……!」
そんな風に師弟で会話していると、俺を抱いたティアナが急に笑い出す。
どうしたのかと目を丸くする俺達に、ティアナは目元を擦りながら口を開いた。
「ごめんなさい、ちょっと意外って言うか……アストレア様もダメなところあるんだなぁって、ちょっと安心しちゃって」
ティアナは元々、空滅の魔女に憧れを持っていた。今アルメリア王国にいる魔法使いの中では最強って言われてるらしいからな、無理もない。
で、不幸にもそんなニーミのダメな部分を垣間見てしまったわけだが……それが却って、お伽噺に出て来る伝説の英雄なんかじゃなく、等身大の一人の人間(エルフだけど)だと実感出来て、何だか親近感が湧いたそうだ。
「これからよろしくお願いします! ニーミ……ええと……」
そこでしばし、考えるように視線を彷徨わせ……やがて何かしっくり来たのか、にぱっと笑いながらそう呼んだ。
「ニーミお姉ちゃん!」
その瞬間、ぴしゃーん!! と雷魔法に撃たれたかのようにニーミの体が痙攣した。
いやうん、その気持ちは非常によく分かるぞ。何と言いうかもう、
『「この子可愛い……!!」』
「ふえ?」
俺とニーミの声が重なり、ティアナはきょとんと首を傾げる。
そんなティアナを、ニーミは思い切り抱き締めた。
「わぷっ」
「お師匠様、妹弟子というのはいいものじゃな……!! 決めたぞ、わしこの子養う。後見人とか言ってないでいっそ養子にしてガッツリ支援するのじゃ。そうすれば特待生から落ちても問題なく学園に通えるからの」
「え、えぇ!?」
『あー、それは非常に助かるな。正直、ティアナが特待生枠に入れるかどうかよくわからなかったし』
「師匠!? 信じてくれてるんじゃないの!?」
『いやだって、俺学園の入学試験内容とか知らんからさ』
実力でぶん殴るだけで合格できるんなら、同年代にティアナと勝負になる子なんてそうそういないだろうって断言できるんだが……レトナ曰く、座学も重要らしいからなぁ。実は結構不安だったのだ。
「何、不安ならわしが試験に出るテストの内容を一から十まで全部リークしてやるのじゃ」
「お姉ちゃん、それ不正!! 良くないよ!!」
「可愛い妹弟子のためじゃ、それくらい構わんじゃろ。勉強させようにも、試験は明日じゃしのぉ」
そういえば、トラブルのせいで遅れに遅れて、もう時間がないんだった。
「絶対、実力で合格してみせるから!! お姉ちゃんは余計なことしないで!!」
「むぅ、ティアナがそう言うなら仕方ないのじゃ。まあ、合格するだけならさほど心配してないから、頑張るんじゃぞ」
「うん!」
もうすっかりニーミに懐いたようで、抱き締められながら嬉しそうに頷くティアナの姿に、俺としてもほっと一安心だ。
ただ、それはそれとして……俺の体、今ティアナ諸共にニーミに抱かれてるせいで、思いっきりこう、埋もれてるんだが。そろそろ言った方がいいんだろうか?
「よし、では面倒な掃除は後回しにして、今日はティアナの歓迎会と洒落こもうではないか! ちょうどな、美味い酒が手に入ったばかりなんじゃよ」
「お酒? でも私、まだ成人してないよ?」
「そう堅いことを言うでない。ティアナも魔法使いなら、酒くらいは平然と窘めるようにならんといかんのじゃ」
「そ、そうなんだ……私、頑張る!!」
『頑張らんでいい!! ニーミも適当なことティアナに吹き込むな!! あと宴会の前に片付けと掃除が先だバカ弟子共!!』
絶壁と巨大な丘に挟まれて悶々とした気持ちを抱えながら、俺はひたすら二人のやり取りにツッコミを入れ続けるのだった。




