第30話 決闘と決別
「ティアナ」
「お父様……」
町にやって来たクルト・ランドールを、ティアナ自ら出迎える。
本当ならまだベッドで横になっていなきゃいけなかったんだが、ティアナ自身が自分で向かうと言って聞かなかったのだ。
「ふん、無様な姿だな。ただ王都に向かうだけでその様か」
レトナの肩を借りながら、ボロボロの体で現れたティアナに対して、馬車を降りたクルトは開口一番にそう言った。
これには流石にカチンと来たのか、レトナが口を挟む。
「ランドール卿、その言い草はあんまりではなくて? ティアナは未知の力を持つ賊の襲撃から商隊を守っただけでなく、捕まっていた民まで助け出したんですのよ?」
「たかが賊の襲撃程度でそこまでボロボロになるのが既に、未熟の証だと言っているのですよ、レトナ嬢。現に貴女は無傷ではないですか」
「それは、ティアナが最も危険な役目を担ったからに過ぎませんわ!! 上級魔法を操る賊相手に一歩も引かずに立ち向かい、打ち倒したんですのよ!?」
「その打ち倒した賊とやらはどこにいるのです? ぜひとも見せていただきたいものですな」
「それは……!! 死体も残らず消滅しましたので……」
「それでは、眉唾と言うほかありませんな」
レトナの擁護はばっさりと切り捨てられ、取りつく島もない。
実際にそうした脅威を前にしてティアナに助けられた人達は、そんな彼の態度に怒りを募らせ、剣呑な空気が辺りを包みこんでいく。
でも、今の会話はなんか違和感があるな。まるで、そんな賊がいる証拠はこの場にないと確信を持っているかのような口ぶりだ。
……俺の考えすぎか?
「それ以前に、この私にも無断で娘を領外へ連れ出したこと、ファミール家には正式に抗議させていただく。これは問題ですぞ」
「それは……」
「お父様!」
レトナの旗色が悪くなるのを見て取ると、ティアナは声を張り上げて前に進み出た。
借りていた肩からも手を離し、震える足でしっかりと大地を踏みしめながら、自らの父親に正面から対峙する。
「レトナは私の我儘に付き合ってくれただけです。責めるなら私一人にしてください」
「その心がけは立派だがな、言いつけを破って無断で屋敷の外に出たんだ、相応の処分は覚悟しているのだろうな?」
「……分かっています」
『おいティアナ、何をする気だ?』
覚悟を決めた様子のティアナに、俺は言い知れぬ不安を覚える。一体何を考えてるんだ?
だけど、返って来たのは「大丈夫」という言葉だけだった。
「私を信じて、師匠」
……そうまで言われたら、俺は黙るしかない。
少なくとも自棄を起こしたような雰囲気はないし、今は見守ろう。
「今後、二度と屋敷から出られると思うな。お前はただ、俺の言う通りに生きればいいんだ」
そして容赦なく告げられる、最悪の宣告。
そのまま、「さあ、屋敷に戻るぞ」と無造作に告げる父親の言葉を……。
「いいえ、戻りません」
今度は、ティアナがばっさりと切り捨てた。
「……何を言っている?」
「私がしたことは、家長であるお父様に対する反逆です。監禁なんかで済ませていいことではないでしょう。ですから」
胸に手を当て、ティアナはクルトを真っ直ぐに見据える。
その身の幼さを感じさせない堂々たる態度で、ティアナは告げた。
「私は、ランドール家を出ます」
その発言に、クルトや俺、レトナを含めたその場の全員が絶句する。
そんな中で、まず最初に辛うじて口を開けたのはクルトだった。
「……お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「はい。これからは貴族としての身分を捨てて、自分の力で生きて行きたいと思います」
「出来ると思っているのか? お前のような世間を知らない子供が。何なら、俺はこの場でお前を断罪することすら出来るのだぞ」
「私はもう、お父様にとって都合の良い人形として生きるつもりなんてありませんから。どんな結果になっても後悔しません。もし認められないというのなら……」
言外に殺すと脅されて尚、ティアナは揺るぎない意志を込めて断言した。
更に、掲げた掌から魔力を解き放ち、地面から緑の魔剣を生成する。
「この手でぶっ倒してでも出て行きます。決闘しましょう、お父様」
魔剣を突き付け、堂々と宣戦布告するティアナの姿に、誰もが言葉を失う。
そんな中で、真っ先に口を開いたのはクルトだった。
「……本気で言っているのか?」
「本気です。冗談でこんなこと言いません」
「そんな体で俺を相手に勝ち目があるとでも? 少しばかり魔法を覚えたくらいでいい気になるなよバカ娘が……!」
怒気と共に、クルトの体から魔力が滲み出る。
大気が揺らぐようなその威圧感を前に、集まった人々は皆恐れおののくが、ティアナだけは一歩も引かずに対峙する。
「やってみなければ分かりませんよ」
「いいだろう、ならばその骨身に刻み込んでやる。俺に逆らったらどうなるかをな!!」
その叫びと同時に魔力が弾け、クルトの周囲に無数の魔法陣が展開された。
炎、氷、雷、風――バラバラの属性を持つ魔法が一斉に放たれ、それぞれ異なる軌道を描きながらティアナへと襲い掛かる。
開始の合図すらない、完全な奇襲。誰もが地を舐める幼い少女の姿を幻視して顔を覆う中、当のティアナは俺に目を向け、小さく微笑む。
「手出しはいらないよ、師匠」
『……分かった、頑張れよ。無理そうなら代わってやるから』
「うん。でも、大丈夫」
こくりと頷き、魔法に向かって手に持った魔剣を一振り。たったそれだけで、迫る魔法の全てが打ち払われた。
「なっ……バカな!?」
「師匠が倒したリリスに比べれば、お父様なんて怖くない」
目の前で起きた出来事が未だ信じられないのか、あり得ないと首を振るクルトに対し、ティアナは容赦なくそう言った。
たった一度の攻防であまりにもハッキリと示された実力差を、しかしクルトは認められない。
「そんなはずは……くっ、この!!」
次々と放たれる、魔法の雨霰。
眩い魔力の燐光が辺りを満たし、複数の属性を使い分けながらあらゆる手を尽くしてティアナへと攻撃を仕掛けて来る。
一発一発の威力はさほどでもないものの、高く洗練された制御能力は称賛して然るべき物。決してこいつが口先だけでない実力を備えていると分かる。
それでも、ティアナには通じない。届かない。
「すみません、お父様」
やがて、あまりにも短時間で魔法を連発し過ぎたことで、一瞬だけ空白の時間が訪れる。
その隙にティアナはゆっくりと魔剣を振り上げ、全身を命属性の魔力で包み込んだ。
「私は、王都に行きます」
一歩、ティアナが大きく前に踏み出すと同時に魔剣を振り下ろす。
命属性の輝きが刃となって空を裂き、両者の間にあった距離を飛び越えてクルトの体を袈裟掛けに斬り裂く。
「……バカ、な……!?」
茫然と呟き、クルトが力なく膝を突く。
決着の瞬間に、集まった人々は歓声を上げた。
「っ……はあ……」
「ティアナ! 大丈夫ですの?」
「レトナ……うん、何とかね」
「全く、そんな体で無茶をするからですわ。でも……よくやりましたわね」
緊張が解けて倒れそうになったティアナを、慌てて駆け寄って来たレトナが受け止める。
労いの言葉にティアナがふわりと笑みを浮かべ、レトナもまた笑い返した。
「俺が……負けた……? ティアナに……あいつの娘に、また……?」
そんな温かな空気を切り裂くように、クルトの声が響く。
茫然と、幽鬼のように生気のない瞳がぎょろりとティアナの方へ向けられ、背筋がぞっと震え上がった。
「認めんぞ……こんなこと、認められるわけがない……そうだ、俺はまだ生きている、まだ負けたわけではない……!!」
ふらりと立ち上がったクルトの頭上に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
この形……! こいつ、まさか中級魔法をこんな町中でぶっ放す気か!?
「お父様、それは……くっ……!」
「ティアナ! ああもう、ランドール卿は何を考えているんですの!? ここは私が迎撃を……」
『よせレトナ、中級魔法で相殺しても、余波だけで町の一角が吹き飛んじまう!』
「でも先生、だったらどうすれば!?」
高まっていく魔力の気配に、人々もあれがやばい魔法だと気付いたんだろう。大慌てで逃げ惑う。
仕方ない、ここは俺がどうにか相殺を――
「やれやれ、世話のかかる坊主じゃ。仕方ないのぉ」
その瞬間、音も気配も何もなく、俺達とクルトの前に一人の老婆が立っていた。
ここまでの馬車旅を共にしてきた、ニミィ婆さんだ。
「お婆さん!? 何を……!!」
「まあ、見ておれ」
慌てるティアナにそう言って、杖を一振り。
その瞬間、婆さんの目の前に展開された魔法陣を見て、俺は目を見開いた。
ちょっと待て、その魔法は……!!
「《空滅》」
たった一言。それだけで、クルトの高まった魔力も、今まさに魔法を放とうと明滅していた魔法陣も、全てが消し飛んだ。
まるで、最初からそこになかったかのように。
「なん……だと……その魔法、まさかお前は……!?」
「ひひっ、流石にバレたかの? なら、もうこの変装もいらんの」
その一言と共に、老婆の足元に眩く輝く魔法陣が現れる。
複雑怪奇なその模様は、かつて百年前の俺が作った特殊属性。
時属性魔法のものだった。
「《時の旅人》」
魔法陣から立ち上った光が、老婆を包みこむ。
やがて、それが弾け飛んだ中から現れたのは、緑色の髪を後ろで束ねた妙齢の美女。
まるで絵画のように美しい抜群のプロポーションに目が奪われそうになるが、それ以上に目を引いたのは普通の人間にはあり得ない長い耳。
森の奥に棲む長寿の一族、エルフの特徴だ。
「く……“空滅の魔女”、ニーミ・アストレア!? 貴様がなぜこんなところにいる!!」
百年前に再会を約束した、俺の一番弟子。
かつての記憶よりずっと大きく成長した彼女が、悠然とそこに立っていた。
「何故と聞かれれば、どこぞの領地が魔物の駆除をほっぽり出して荒れておると聞いたのでな、少し様子を見に来ただけじゃ。耳くらいなら《偽装》の魔法で誤魔化せるし、後は肉体年齢をまるっと弄ってしまえばそうそう気付かれんからの。で、実際に来てみれば予想以上のものを見てしまってのぉ、年甲斐もなくしゃしゃり出てしまったわ」
ひひひっと笑いながら、ニーミがティアナの頭へポンと掌を置く。
突然の事態に頭の処理が追い付かないのか、ティアナはそれまでの凛々しい表情をどこかへ置き去りにして頭上に大量の疑問符を浮かべていた。
「経緯はどうあれ、貴族が立会人の下決闘を行い、負けたのじゃ。その結果を覆そうというのなら、相応の覚悟をして貰わんとならんの?」
くるくると手にした杖を弄びながら警告するニーミを前に、クルトは悔しげに歯を食い縛る。
ファミール家のレトナに、現魔法学園長のニーミ。立会人としては十分な格が備わった二人の顔を見やり、ようやく自らの不利を悟ったのだろう。魔力を引っ込め、拳を降ろした。
「分かってくれたようで何よりじゃ。ああそうそう、ティアナのことなら心配するな、試験は受けて貰う必要があるが、わしが後見人になってしっかり魔法学園には入れてやるからの。本人次第じゃが……どうする?」
「あ……よろしくお願いします!!」
ニーミの言葉に、ティアナはほとんどノータイムで頭を下げた。
その様子を見て満足気に頷いたニーミは、改めてクルトは視線を投げる。
「そういうことじゃ。元より表舞台に出すつもりもない忌み子じゃというなら、文句などあるまい?」
「何を勝手に……」
「それとも、わしがこの子を育てたら困ることでもあるのかの?」
「っ」
スッとニーミの目が細められ、クルトを射抜く。
言葉を詰まらせたクルトは、そのまま沈黙に耐え兼ねたかのように舌打ちを漏らし、踵を返す。
そして顔も見せないまま、ティアナへ向けて口を開いた。
「俺の下を離れたこと、後悔するぞ。必ずな」
それだけを捨てセリフに、クルトは馬車に乗って去っていく。
ここに来て趨勢が決したのを察したのか、これまで遠巻きに眺めていた人達が、日頃の不満を込めて離れていく馬車に罵声を浴びせかけていた。
『ティアナ……良かったのか?』
「うん、いいの」
そんな光景をどこか悲しそうに見つめるティアナに問いかけると、ぎゅっと俺の体を抱き締められる。
顔ごと擦り付けるように甘えてくるその頭をそっと撫でると、顔を上げた彼女はどこか吹っ切れたように笑っていた。
「私には、師匠がいるから」
『俺が?』
「うん。私のことを信じて、見守ってくれて……背中を押してくれる師匠がいる。だから、大丈夫」
たくさん傷付いて身も心もボロボロのはずなのに、それでもティアナは変わらない。
ただ真っ直ぐ前を見つめるその瞳には、太陽にも負けない強い輝きを放っていた。
「私、もっと頑張れるよ。頑張って強くなって、もっとたくさんの人を守りたい。師匠、応援してくれる?」
『当たり前だろ。これから先もずっと、俺はお前の師匠だ。お前の夢は必ず叶えさせてみせる、約束するよ』
こうしてティアナは、ランドールの名を失い――
代わりに、魔法学園へと進む道を掴み取るのだった。




