2章 感謝してよね
今回も犬石さん視点ですが、時期が違うので区切らせてもらってます。まあ、読んでいただけたら分かると思います。
ベッドの横に置いてあるアラームを止め、ずるずるとベッドから出る。昨日も体中のあざの痛みのせいで、あまりよく眠れなかった。洗面所で顔を洗い、髪の毛を整える。毎朝そうなのだが、鏡の中の自分を見ていると、無性に腹が立つ。何を考えいるか分からない顔、気力の無い目、整ったスタイルも、全て嫌いだ。妬みの原因であるこの姿を好きになれなんて、無理な話だ。世間の目がどうであれ、私はこんな体望んでいない。
自分の容貌も嫌いだが、中身も嫌いだ。一人を好むくせに孤独を感じる私、普通に会話することもできない私、無いものねだりをする私、全て嫌いだ。だからと言って、生まれ変わりたいとも思わない。あの時から、何も望まないよう心掛けている。そうすれば勝手に期待して、裏切られたと思うこともないからだ。
部屋に戻り、制服に着替える。あざだらけの自分を見て、一番あざの深い腹部を抑える。半年近く続いているいじめで蓄積されてきた痛みは、いつになっても慣れることができず、たびたび声を抑えられないほどの激痛が走る。その都度周りからの視線を集めてしまい、学校で起こるときは良く笑われる。忌まわしい制服を着終え、リビングへと向かう。
「おはよう、六海。」
そこには朝食を用意してくれている母がいた。挨拶をいつものように礼で返し、机の前に置かれている食べ物と、それを用意してくれた母に感謝の意を込めて、両手を合わせて一礼する。
私が毎日食している命あった者たちは、このような姿になるのを望んでいたのだろうか。仮に食されるために育てられた命だとしても、中にはそれを望まなかった者もいるだろう。彼らは私たち人間が生きるために犠牲になっている。偉大な人物の生きる糧となるものは、他と比べて食されるにことに誇りを感じているのかもしれない。であれば逆に、私のような自分の命を粗末に扱うものに食われるものは、どうしてこんな奴のために死なないといけないのか、と思い、さぞかし憤りを感じているだろう。だからと言って食べないと、今度は料理を作ったものを不満にさせることになる。このようなことを考えさせられるので、私は食事と言う行為自体あまり好きではない。正直母が食事を用意していなければ、何も食べずに生活して、そのうち餓死するだろう。それが出来たらどれだけ幸せだっただろうか。
食事をすまし、家を出る。しっかり「行ってらっしゃい」と言ってくれる母に対し、私はただ振り向き、目が合ったことを確認し、そのまま出ていく。起きてから今現在まで私は一言も言葉を発していない。昔は普通に挨拶もして、人並みに会話のできる純粋な女の子だったのだろうが、半年前からそれが出来なくなった。当初は母によく指摘されたが、今となってはこれが普通である。話そうと試みても、まるで魔女に魔法をかけられたように、言葉が全く出てこない。緊張して言葉が出ないとかではなく、病気によるものでもない。私の脳が言葉を発することを許してくれない、そう感じる。そしてそれはそうあるべきなのかもしれない。二度と哀れな願いを口に出さない為に。
人となるべく会いたくない私は、毎朝早めの電車に乗って登校している。駅までの道のりは人と遭遇することはほぼないので落ち着く。特に何も考えずに歩いていたので気が付いたら駅についていた。定期を取り出し改札をくぐり、電車が来るのを列に並んで待つ。人の声や物音が増えてきたので、イヤホンを出し音楽をかける。音楽を聴くことは私の唯一の趣味だ。嫌な現実の音をかき消し、心が落ち着く。音楽だけが、私が今、この世で美しいと思えるものだ。
そんな時間を満喫しているとき、不意に腹部に激痛が走り、思わず膝をつき、声が漏れてしまった。周囲の視線は私に集まり、中には心配そうな顔で見る人もいる。数々の目に耐え切れなかった私はお腹を押さえながら、人目を避けるべく足早に便所へと逃げ込んだ。さっきまでの安らぐ気持ちはこれっぽっちも残っていない。仕事として人々に見られるのは耐えていたが、こうして公共の場で注目の的になるのは仕事と同じぐらい苦手だ。全く、何でこういう時はしっかりと声が出るのだろうか。
痛みが治まるまで数分かかり、その間便所で待機する羽目になり、おかげでいつもの電車を逃した。必要なことだったと割り切ろう、次の電車でも十分間に合うし、うちの生徒もそれほど多くないだろう。
ちょうど手を洗っているところで、ホームから電車が間もなく到着するというアナウンスが聞こえてきた。東ノ方市の駅のアナウンスは他の地域と比べ少し遅く、アナウンスが鳴った時には電車が到着している。焦ってハンカチで手を拭き、電車に乗る。結構ギリギリになってしまったが、間に合ったからいいだろう。再びイヤホンを取り出し、安らぎの時間を再開しようとした時、目の前に同じ制服を着た女性がいることに気づいた。
しっとりとした黒髪のポニーテールに透き通った紫色の瞳、身長は普通の女子よりやや高めと言ったところ。その婉麗な女性と目が合ってしまい、慌てて目を逸らす。乗るときに同じ制服の人がいると気づいていたら車両を変えていただろうが、あいにくそのような余裕はなかった。下を向きイヤホンを耳にはめ、携帯を取り出し、自作のプレイリストを再生し、気を紛らわせた。
普通の人にとって、通学時に同じ学校の人と電車で一緒になるなんて日常茶飯事だろうが、慣れていない私からしたら少し気まずい。まあ、同期の人ではなかったのが不幸中の幸いか。当然のことなのだろうが、話しかけられることもなかったので、着々と落ち着きを取り戻していき、寝不足のせいで少しうとうとしてきた。
覚醒状態と睡眠状態の狭間でさまよっていたら、不意に頭部が何かにぶつかる。その反動で目が覚め、反射的に謝ろうとするが、声は出てこない。見上げると先ほどの女性がいて、頭部にちょっとした跡が出来ていた。彼女の目も半開きで、どうやら寝ていたようだ。謝るために声を出そうとし、口元が震えている私を見て、目を覚ました彼女はこういった。
「ご、ごめんなさい。」
たった数文字だけの謝罪も、私はできない。一応頭を下げ、謝罪の意を示すが、見方によっては“お気になさらず”と言っているようにも受け取れる。やはり声が出ないということは、何かと不便だ。まあ、全部自業自得なのだが。
電車を降り、学校へと向かう。走って彼女を振り切ろうか迷っているときに、彼女から話しかけられた。
「あの、犬石六海さんですよね?」
私は彼女のことを知らないが、逆は違うらしい。私がこの学校でまともに話したことのある人なんて片手で数えられる程度だし、以前会っていて忘れているという訳ではないだろう。“はい”の意味を込め頷く。
「やっぱり!私の二個下の後輩がよくあなたの話をしているの。こうして面と向かって見ると、本当に美人さんだね。」
彼女が嬉しそうに手をたたき、こんな私をほめてくれる。そのリアクションに嘘はないのだろうが、彼女の笑顔は何かを隠すためにしている表情に見えた。
「さっきはごめんね、頭大丈夫?」
返事をしない私にお構いなく話を進め、彼女の手で私の前髪を上げ、頭部を確認する。顔が大分近くなり、慌てて後ろに引き下がる。おなじ生徒に顔をこんなに近くでじっと見つめられるのは久しぶりで、正直恥ずかしかった。顔を赤らめる私を見て、一定の距離を取ってくれた。
「ごめんごめん、急にびっくりしたよね。私は兎川如月、高校二年生。よろしくね。」
一歩下がり、“よろしくお願いします”の意を込めて礼をする。ちゃんとメッセージを受け取ってくれたのか、彼女は満足そうな笑顔を浮かべている。しかしまた、その裏に隠そうとしている何かを感じた。私へ対しての何かではなく、何か嘆きのような感情。
結局学校まで彼女と一緒で、いろいろ話しかけられた。その話どれもが言葉なしで答えられるもので、一応コミュニケーションは成り立っていた。彼女は雑談部と言う部活の副部長らしいが、そもそもその部活の名前を今日初めて耳にした。部員はたったの四人とたまに中学生が一人顔を出しに来るぐらいで、少人数で活動しているらしい。その中学生が私のことをよく話しているらしく、そのおかげで私が無口な人と認識しているらしい。中学生三年生の烏原雪平、私が他学年で知っている数少ない生徒の一人だ。知っていると言っても、ある日私が教室で一人の時にいきなり入ってきて自己紹介されたのが彼との初めての出会いで、それ以降会話をした訳でも無く、私は彼のことを名前以外知らない。
「じゃ、また話す機会あったら付き合ってね。」
別れ際に彼女はそう言い、二年の教室へと向かう。兎川如月、不思議な先輩だ。一緒に誰かと会話が成り立つのは久しぶりで、少し気が晴れた。彼女も気を晴らすために会話をするのだろうか。彼女の笑顔の裏の何かにいまだ少し引っかかっている。自分の教室に入り、自分の席にたどり着き、机の上に書かれた無数の悪口を見つめる。以前はちゃんと消して帰っていたが、いつからかもうどうでもよくなってきてそのままにしている。右手で机を一通りなぞり、手のひらを見るとインクが少しついていた。これは新しい悪口を書かれた証拠で、こういう時に机に伏せて寝てしまい、制服が汚れたことがあったので、毎朝チェックしている。鞄を机にかけ、手を洗いに行く。冷たい水で両手を洗い、ついでに眠気覚ましとして顔も洗う。左手から滴った微量の水が昨日つけた傷に沁み、少しピリッと来た。以前の傷は跡こそ残っていても傷口は治癒している。この瞬間に、昨日傷をつけたことを思い出す。
最初に左手に傷がついたのは、あの日の夜だった。どこにも放出できない感情を右手に籠め、強く握りしめたカッターが左腕を駆ける。エネルギーとして処理した感情が抜けていき、痛みがじわじわやってくる。少量の血が流れ、それを拭きとる。これがリストカットと言う行為だ。その時の痛みは少ししたら去るが、生活しているとたまに傷のつけた左腕からピリッと来る痛みを感じることがあり、傷の数が増えるにつれその頻度も多くなる。生活や健康に支障をきたす行為であるのは重々承知だが、そうせざる負えないほど私の心はもうボロボロなのだろう。
「うわ、泣いてるよこいつ。」
「ホントだ。自分の美しさに感動して涙が止まりませんってか?羨ましいわー。」
クラスメイトが学校に着き始めると、早速このような言葉を受ける。元から良く妬まれたりしていて、最初のいじめの原因は私の外見によるものだった。そのせいか悪口に加え嫌味もよく言われる。私が反論できないことをいいことに、言いたい放題言ってくる。でもこんなものは序の口で、苦痛なのは全員がいる昼休みと放課後だ。
授業が始まると基本的にいじめは収まるが、体育は例外だ。悲しいことに今日の三時間目は体育で、サッカーをすることになった。強烈なパスを顔面目掛けて放ってきたり、スパイクで足を思いっきり踏まれたり、散々だった。いじめは更衣時まで続き、ブレザーとセーターを隠された挙句制服を水浸しにされ、四時間目は凍え死ぬかと思った。保健室に行こうにもその時ついてくる保健委員に好きなようにされるだけなので、私に逃げ場はない。昼休みはは上から水バケツを食らい弁当もろとも水浸し、放課後はいつ終わるかの分からない集団リンチ。地獄のような一日を乗り越えてもまた明日同じ目に合う。これが私の人生だ。
「じゃあね。あ、ブレザーとかもう傷いってたから捨てちゃった。感謝してよね。」
「じゃあまた明日ね、いじめられるほど妬まれる美しさを持つ犬石さん。」
ようやく教室は私一人になり、しばらく床に倒れこんだままでいる。寒い二月は水を絡めたいじめが多くなる傾向があり、着替えを持ってくるのが体調管理のために必要なのだが、そうしたとき制服に油性ペンで落書きされ、二度と着られない状態にされたので、結局無意味なのだ。
残った少しの体力を振り絞り、立ち上がる。熱が出始めているのか、視界がぼやけ、頭が痛い。さらには体育で踏まれた右足にも、一歩進むたびにナイフで抉られるような痛みを感じる。ここまで派手にやられたのは久しぶりだ。体中の痛みに耐えきれず、一旦地面に倒れ、休むことにした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。時系列的には、一章の続きが今回となっております。一章より今のところ二章の一回の投稿の字数は少なくなってますが、一応そっちの方が読みやすいと思ってやっています。毎回一万字未満と言う条件以外は字数に関してはルーズなので、ご了承ください。今回の投稿が二章の最初の投稿の直後なのは、すでに出来上がっていたからです。あとがきをいつも読んでいただいている方、最初期からご覧になっている方は分かると思いますが、一章の四回目の前に今回の本文は出来上がっていました。この次の次の回もほぼ完成していますので、お楽しみにしていてくれると、幸いです。ここまでありがとうございました。
P.s.前回のサブタイトルが本文に含まれていない言葉でしたが、一応過去編はそう言う形式で、現在の時系列のサブタイトルと差別化してるだけです。