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【完結】孤城の夜想曲 -伝承の復讐者-  作者: 茶ひよ
第1楽章 赤い目の復讐鬼
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#7 そして賽は振られる

 注意深く辺りを見回しているものの、屋根の上から街を俯瞰(ふかん)する私に気づいた様子はない。今日は新月だから、姿を確認する事も難しいのだろう。私の事を忘れたまま、成長を続けた街。故郷であるはずの場所なのに、私の目には他人事のようにも見える。


 遙か遠くまで見える、あの輝かしい光の向こうには何があるのだろうか。この頬をなでる風が行く先には、何が待っているのだろうか。私は、何も知らない。私が知っているのは、人々から向けられる憎悪と、手に染みついた血の臭い。そして――悪魔に愛される喜び。それぐらいだ。


 傷だらけの手を、真っ白な手袋で覆う。白はいい。私がどれだけの人間を傷つけ、屠っているのかが一目で分かる。罪の大きさを、私は痛いほど認識できる。快楽のために、人を殺めているのではない。私は、この歪んだ世界をどうにかしたい。ただ、それだけを願っているはずなのに。


 だが、私は他に解決するすべを知らない。化け物と呼ばれ、戦うことだけを強制された私にとって、残された道は多くなかった。


 細剣を鞘から引き抜き、自らの顔が映るように動かす。虚ろな目をした青年。何のために戦うのかも分からず、淡々と復讐を繰り返す怪物。悪魔に生け贄を捧げ、対価として愛を得る。この空っぽな心は、人々の流した血で埋めているのだから、本当に化け物だ。笑いたくなる。


 なのに、生きていたいと願ってしまう。他人の命などどうでもいい。いや――彼らの命を奪ってでも生き延びたい。孤児院で虐待されて日々を失った。城に永遠とも呼べるような長い時間、幽閉されていた。だから、失った時間を少しでも取り戻したい。そう思ってしまう。


 ――奪われたなら、奪い返せばいい。そうでしょう?


 悪魔の優しい声が、私の雑念を払っていく。そうだ。彼らは私から何もかもを奪った。だから、奪われるのも当然のこと。自分のエゴがむくむくと膨れ上がり、気づくと私は屋根から飛び降りていた。


 叫声が辺りに響き、気づいた者達がどよめく。


「お前がスィエル・キースか……!」


「……ああ、そうだよ」


 ひどく冷めた声が、私の喉からこぼれる。敵が何人いようと、悪魔からの命令は変わらない。殺せ。ただそれだけだ。化け物でも、何でもいい。私は、この心が埋まればそれでいい。飢えた心を満たしてくれさえすれば。


「スィエル・キース……血の臭いが酷いぞ……いったい何人殺しているんだ」


「分からない。私の事を忘れた人間のことなど、記憶にもない」


「狂人め……総員、態勢を整えろ! 術士隊は援護しろ!」


 そう、指揮官らしき人間が叫ぶと、杖を持った術士達が一斉に駆けてきた。気づかれていないと思っていたのだが、どうも情報が回っていたらしい。偵察した人間はかなりの熟練者だったのだろうか。


 暗殺を防ぐために、注意が向くところまでは魔力壁で反応するようにしていたのだが、それを上回る人間が相手にいたということだ。逃げられるような場所はない。だが、撤退することもない。


「その程度の手勢で、私を殺す? そんなに私に策がないとでも思っているのか」


「お前の細い剣一本と魔術で何ができるっていうんだ?」


「細い剣と魔術があれば、貴様らを殺すには十分だ――悪魔、お前も楽しむといい」


 私は笑う。ずいぶんと大げさに口角を上げて笑ったので、相手には魔王の笑みに見えたかもしれない。私の腕に、靄のようなものがまとわりつき、徐々に膨らんでいく。


「な……なんだ! 悪魔だと……なら、あの伝承は……」


「私は悪魔と契約したんだ。だから、捧げ物がたっぷりと必要でね……ほら、彼も喜んでいる。沢山獲物があるから、今日は満足してくれそうだ」


 靄は、なおも不気味な音を立てて成長を続ける。奇怪な笑い声。ぱちゃぱちゃと滴る血。この姿は完全体ではないが、相手にとっては相当の恐怖となっただろう。早く人を食らいたくて仕方がないとでも言うように、靄は槍となって敵に襲いかかる。


「ああ……愚かな人間達が私のために集まってくれるなんて……スィエル、もっともっと犠牲を私に。そうすれば、貴方のことは愛してあげますよ?」


 靄でできた口から血をこぼしながら、飢えた獣は次々に敵を屠っていく。悪魔は囁く。血を捧げれば、何でも願いを叶えると。私は、その快楽に、孤城で生きた長い日々を預けてしまった。浸かりきり、溺れてしまった。


 だから、私は悪魔の傀儡だ。悪魔に身を委ね、罪を重ね、血で自らを呪う。悪魔に依存する私自身を責め立てる。この復讐は、終わらない。それに、私は満足しているから。目の前で、惨劇が起きても、私の心は動かない。それが、彼らが受けるべき罰だと思っているから。


 ぼんやりと、血の流れる様を見ていた。悍ましいとも、怖いとも思わない。それどころか、美しいとさえ思ってしまうのは、悪魔の心が乗り移ってしまったのだろうか。冷えた身体をさらにいじめようと、風が吹きつけ、血の臭いと共に彼方に去って行く。


「はは……はははっ……ああ、無様ですね。私が貴方を守る限りは、彼らは絶対に貴方を殺せないのに」


「悪魔……ありがとう」


「ふふっ。醜い人間達を一方的に叩きのめすのは気持ちがいい。あれだけ虚勢を張っていても、この程度なのですから。さぁ、帰りましょう? もう、これ以上襲ってくる物好きも――」


 そこで、悪魔の言葉が途切れる。何があったのかと問うより先に、人の気配を感じた。

 

「待て!」


 若い男の声が、私を制した。振り向くと、丁寧に撫でつけられた青い髪と同じ色の瞳の男が私を(にら)み付けていた。私は若干の殺意を込めて、口を開く。


「興ざめだな。誰だ。邪魔を挟むのは」


「私の名はアルト・フォーケハウト。お前さんの調査を依頼された者だ。この前は弟子が世話になったな……」


 この前の弟子、ということはあの暗殺者はこの男に色々と教わっているらしい。後で情報を入れておこうと、心の中で考えながら男に言葉を返す。


「ほう。それで? まさかとは思うが、ここで全てを吐くとでも思っていないだろうな?」


「そのまさかさ。お前さんには色々と聞かなくちゃいけない。何故こんな事をする?」


「チッ……誰も私の事など理解しないのに、理由だけは知りたがる。私は愛されるための力が欲しいだけだ。ただそれだけの事を何故そこまで否定する? 私は悪魔に選ばれた。それによって、力を手にした。贄を捧げさえすれば愛されるんだ……放っておいてくれ」


 どうせ、常日頃から愛を得ている者には分からないのだ。

 虚構の愛だということなど知っている。偽りの賞賛だということも知っている。


 ただ、そうだとしても。私の朽ち果てた心を癒してくれる者など、悪魔の他には誰もいない。両親は自ら殺した。仲間は私の知らない時に姿を消した。


 三千年という膨大な時間の経過と共に、私は飢えを我慢できなくなっていった。目の前の標的がグラリと歪む。あの、忌まわしい孤児院の景色が一面に広がる。


「事情は色々あるのは分かった。だが、お前さんの行動を許すわけにはいかないんだ」


「それは法によるものか? それとも社会か、人間性か。いずれにせよ、私がこの殺戮をやめる理由にはならない。貴様達は私が求めるものなど何一つ与えてはくれないのだから。そこをどけ……私は、復讐を辞めるわけにはいかない」


「嫌だと言ったら?」


「……その口を削ぎ落とす」


 いちいち面倒だ。悪魔に任せようかと思ったが、機嫌が悪いのか一向に出てくる気配はない。仕方なく私が剣を引き抜くのと同時に、彼は足を一歩踏み出した。


「今まではずっと勝利を収めてきたのかもしれないが、いつも君の思うままにはいかせんよ――ヴァン・ラーミナ!」


 風術高等術式、「ヴァン・ラーミナ」は、空気中のリソースを凝縮させ、刃の形を作り、発射するというものだ。狙いは身体の左上の方――目か、首か。迫り来る五つの刃を、凍術で相殺し、(しの)ぐ。


「……強力だな。あと少し遅れていたら刺されていた」


「これでも無事か。結構風術は自信がある方なんだがな。じゃ、これはどうだ?」


 突如、激痛が体中に奔る。あまりの痛みに、私は膝をついた。喉から数滴鮮血が漏れる。全身の傷が強引に開けられたような、耐えがたい痛みが波となって押し寄せる。ずきりずきりという音も聞こえてきそうなほどだ。


「痛覚操作……なら……あの術式か……!!」


 幻術最上位術式、「シカトリス・エウォカティオン」は、最上位術式となっているが、対象の痛覚を操作し、痛みに敏感にさせるというものだ。普通の人間であれば、そこまで恐れるほどの術式ではない。それも普通であれば、だが。


「私がどれだけの傷を負っているか熟知していたな……」


「ああ。スィエル・キース。伝承に名を残す殺戮者は、大軍を相手に、たった一人で戦った」


「があっ……」


 大軍との戦いのときの傷もそうだが、私が痛いと感じていたのは、それよりもっと前の傷だった。

 鎖に締め付けられた痕、火傷を負わされた痕、鎚で殴られた痕。全身の傷が私を責めたてる。


 ああ、痛い。やっと強くなれたと思ったのに。苦しくて、悲しい、この痛みから解放されると思ったのに。焼きごてを背に当てられたときと同じひりつく痛みに、私は悶えるしかない。


「理解したか。お前が連日のように人々に振るっている暴力を」


 理解できない。理解できる訳がない。あるのは、なぜという戸惑いと、今にも破裂しそうなほど膨れ上がった憎しみだけだ。


 私は苦しんだ。何度も無力感に(さいな)まれ、自問自答を繰り返した。それで、悪魔と契約し力を得たというのに。どうして、まだ苦しまなければならないのか。


 悪魔がいなければ、無力なままの自分。それが、嫌で嫌でたまらない。


「巫山戯るな……理解などするはずがない……――フルール・イーサシブル!!」


 ダメだ。調節がきかない。暴走が止まらない。氷の花たちは、いつもの発動より早いスピードで次々に花を咲かせ、アルトに襲い掛かる。


「全く……話ぐらい聞け!! スィエル!!」


 憎しみが荒れ狂う。怒りが弾け、暴れ回る。肌を刺す痛みが、私に襲い掛かる。周りが氷に閉ざされていくのも気にとめずに、私は破壊の限りを尽くす。


「うるさい……誰が貴様の話など聞くか……花よ、目の前の全てを凍てつかせろ!!」


「聞く耳も持たずか……チッ……冷気が!!」


 男の怒号を、私は氷によって遮断する。自分と同じレベルの強さの敵が、早々に現れてしまったことに、何よりもの焦りを感じていた。それだけではない。思い出したくもない過去の傷を抉られ、武器にされたのも、私を動揺させた一つの理由だった。


 もう、思い出さないと思っていたのに。強くなれば。誰にも馬鹿にされない力を身につければ、怖いものなど存在しないと、そう信じていたのに。


 なのに、私は恐怖した。あの術士に、私は負けた。

 氷の壁が崩れた後、あの術士の姿はどこにもなかった。だが、私は負けたと感じた。


 私は、弱い。悪魔からのプレゼントによって、強い私を演じることができているだけだ。それに、あの術士は気づいていたのだろうか。


「……もう、朝なのか」


 日の昇り方からして、もうすぐ人々が外に出てくる時間だ。まだふらつくが、ずっとここにいるわけにもいかない。


 氷で滑りそうになるが、剣を支えに何とか立ち上がる。傷は痛み続け、上手く息も出来ない。だが、こんな苦しみはもう二度と味わわないと、そう誓った。


「アルト・フォーケハウト……貴様の血の味を、私は忘れはしない」


 忌まわしい過去の屈辱を思い出させた罰は、あの術士を喰らうことで帳消しにしよう。そんな事を考えながら、私は城へ歩を進めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 白い手袋のシーンがよかったです。そこは説得力がありました。アルト氏が意外と早く前に出てきましたね。思い切りのある展開だと思いました。 [気になる点] 言葉の選択によるものか、心情と会話文が…
2020/09/17 12:05 退会済み
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