#66 孤城の夜想曲
「兄さん!! 目を覚まして……お願い……」
私が横たわるすぐ側で、私と同じ姿の子どもたちが手を合わせるのが目に入る。ゆっくりと上体を起こすと、子どもたちは目を輝かせて一斉に私の体に抱きついてきた。
私が悪魔と話をしていたうちに、どうやらディニタスが全員の治療を済ませてしまったらしい。医者ではあると効いていたが、これほどの実力者とは。私が負った傷も全て治ってしまっている。
彼の方を見ると、ディニタスは疲労困憊と言った様子で手をひらひらと振る。彼に感謝の言葉をかけようとするが、四方八方からむぎゅむぎゅ押されているために、苦しくて仕方がない。
「うわっ……ちょっ……苦しいって。私は無事だから心配するな。押し潰したら本当に死ぬぞ」
「よかった……本当によかったよ。兄さんの心臓が突然止まっちゃって、僕たちすごく心配したんだ。僕たちのせいで兄さんが死んでしまったらって……ううっ……わああぁぁん!!」
「ほらほら、泣くんじゃない。こうして無事に帰ってきただろう? 大丈夫だよ。あの悪魔からも何もされてないから」
私はレムナント達の頭を一人一人撫でてから宥める。ようやく泣き止んだ子どもたちにホッとしたのもつかの間。私は、人々を殺した罰を受けねばならない。そのために、この世界に戻ってきたのだから。
だが、覚悟を決めた私の予想を裏切る言葉が、領主であるレグルス・ベルガの口から発せられた。
「スィエル・キース。貴様は今後セーツェンへ領主の許可なく立ち入る事を禁止とし、北の荒野であるフィラレスに追放処分とする。罰は以上だ」
「以上って……それだけなのか? 私を殺さないのか?」
正直私は殺されても仕方のない人間だと思っていた。何人もの人間を自分の願いのために手にかけ、犠牲にした。その罪は、自身の命で償うこともできないほど重いものであると。
それなのに、私の罪は故郷から追放されることだけで済んでいる。そのことに対して私は喜びというよりも戸惑いを感じていた。
「殺しても何もいいことはない。罪を許されることはなく、お前が処刑された姿を見て赤目との融和を願うものもいないだろう……過激派が暴走し、再び差別や偏見による殺し合いが起きる。それは避けたいんだ」
「でも……私は何人も殺している。私は、どうやってその罪を償えばいい?」
「言っただろう。私たちが赤目を虐げることがなければ、こんな悲劇が起こることもなかったと……罪に向き合い続けて答えを出す。それが、スィエル・キース。お前が亡者に対してできる償いだ」
そう言われても私は納得できなかった。命をもって償う――それが、私の罪を許してもらえる唯一の方法だと思っていたからだ。
そんな私を見て、アルトは小さくため息をつく。そして領主を下がらせると、私のすぐ横に座った。
「未だに街では赤目に対しての差別が根強い。だから、スィエル……お前さんには力を貸してほしいんだ。両者の架け橋になって、これからの衝突を防ぐ……そうすれば、結果的に失われる命も減っていく。そして、それこそが償いになる」
「レグルス……アルト……いいのか。私を許して。こんな大罪人を許していいのか?」
「まだ許したとは言っていない。身をもって償うならばきっと民達もそれに応えるだろう。お前の罪はいまだに続いている……これからの行動次第だ」
その言葉は厳しいものだったが、私に背負わせるにはこれぐらいの罰は当然だろう。それに、もう私のような殺人鬼は生まれてほしくない。悲しい思いをするのは私一人で十分だ。
「分かった。でも最後にここで一曲弾かせてくれ。あの悪魔……グラシュに約束したんだ。城に戻ったら、いつも夜に弾いていた曲を聴かせるって……」
「ああ、曲を弾くぐらいならまだ時間がある。罰の発表も私の館ではなくここで済ませたし、構わない。それに私は音楽をやっているから興味があるよ。ぜひ聞かせてくれ」
全員が頷いたことを確認した私は、玉座の横まで歩く。そして、あの激戦の中でも傷一つつかなかったガラスケースの中から、純白のバイオリンを取り出す。
軽く弾いた後に私は弓を滑らせてゆっくりと弾き始める。滑らかで寂しげな、でもどこか懐かしい。哀愁を誘う音が、深紅の大広間いっぱいに響き渡る。
この楽譜をくれたのもあの紫髪の少年だった。いつもいつも軍の人間に隠れて楽器を弾いていた私に、彼がプレゼントしてくれたのだ。
名前のない曲――。だが、私はこの曲にも名前をつけることを悪魔との別れ際に決めていた。今後、どこかで演奏することがあれば曲の名を伝えることもあるだろう。
曲の名前は、「孤城」。なんの捻りもないが、これでいい。毎日毎日この忌まわしい氷雪の城から出ることを待ち望み、今日も出られなかった。明日はどんな一日になるかと思いを馳せた夜――。
三千年の孤独な日々は、この曲と共にあった。生きるのが苦しい時もあった。何度も投げ出したくなった。でも、歩み続けた。そして希望を掴み、また明日に向かって歩いていく。
後悔を続け、いつまでも闇に囚われていた夜はもう終わりだ。明日への期待を持ち、明日のために今日を過ごす。そんな夜が続いていけばいい。
穏やかなさざ波の音が聞こえる。
野花に囲まれて歌う鳥の声が聞こえる。
人々の喜びの声が聞こえる。
平和を願う、祈りの声も聞こえる。
今までは聞こえてこなかった音が、聞こえてくる。錯覚であるはずなのに、私には全てが自分の体の中に勢いよく流れ込んでくるような感動があった。
自由にはなっていない。これからも多くの困難が私を待っている。でも、私はようやく晴れ渡る空を見られた。誰にも縛られない日々に足を踏み入れた。今はその喜びを噛み締めていたい。
この曲は、そんな願いの曲だ。希望に向かう夜を想う曲だ。最後の一音を弾き終えた私に、戦いの幕を閉じた事を祝う拍手が向けられた。




