#64 愛し、憎まれた者
窓ガラスを派手に割り、戦いに飛び込んできた三人の乱入者たち。その全てが私のよく見知った顔だった。
悪魔の槍は私の喉を貫く寸前でザニアが射った矢によって砕かれ、私はなんとか助かったのだ。この展開はさすがに悪魔も予想していなかったようで、驚愕の表情を浮かべている。
「ライア、アラネア、ザニア……! なんでここまで……荒野は大丈夫なのか?」
そんな私の問いに対してザニアはやれやれと首を横に振る。
「他人より自分の心配しなさいよ……相変わらずね。スーちゃんが元気じゃないのは私にもビンビン伝わってきたんだから」
「そうですよ、兄様。全く……私たちが来なかったらどうするつもりだったんですか? 私たちを荒野に残しておいて、勝手に死なれたら困りますわ」
「ええ、本当に。ライア、次の攻撃が来るわ! あまりのんびり喋っている暇はないようね。遅れずについてきなさい!」
双子の姉妹はぴったりのタイミングで悪魔の攻撃を返り討ちにする。そして二人は連携して腕や足を鎖と鞭で縛っていく。
その隙に私は後方へと移動し、仲間たちの救出へと向かう。二人が時間を稼いでくれたおかげで難なくたどり着く事ができた。アイコンタクトでザニアに合図を送り、悪魔がこちらに気づく前に皆を解放する。
「はーい! 全員、起きなさーい! 私からのラブラブモーニングコールをあげるわ。これで起きなかったら知らないわよ! あ、おねだりされたらもう一回やってあげちゃうかもしれないけど!」
ザニアが弓を派手に鳴らし、ところ構わずに打ち続ける。放たれた矢が眠っている仲間たちの元に届くたびに甲高い破砕音が響く。
悪魔によってかけられていた術式が、ザニアの術式によって上書きされたのだ。本当に彼が来てくれなかったらと思うと、背筋が凍るような思いだ。自分一人だけでは助けられなかっただろう。
「ん……ふわぁ……いい気分だったなぁ……って、なんでザニアがいるの? もしかして寝坊しちゃった?」
きょとんとして首を傾げるヴェリテの頬に鋭いアッパーが加えられる。目を覚ましたイデアがヴェリテをぶん殴ったのだ。
「ふざけるのもいい加減にしてください。今はそれより敵の殲滅です。私も眠ってしまったのでお互い様ですが……」
「イデア、酷すぎ! それなら殴ることないじゃんー! 痛くて僕動けないー!」
そう言ってジタバタと手足を動かすヴェリテにもう一発強烈な殴打が加えられる。今度は悪魔からだったので、ヴェリテは遠くまで吹っ飛ばされる。
柱に深々とめり込んだヴェリテは苦笑いを浮かべる。直前に風術を唱えていたらしく衝撃は少なかったように見えるが、それでも傷が全くないというわけではないだろう。
「うわ……容赦ないなぁ……僕本当に動けないかも。腕一本折れてたら文句言おっと……って折れてなかったかー!」
「貴様らは邪魔だ。私の敵はスィエル・キース……ただ一人でいい」
「残念。もう兄さんだけに任せたりなんてさせないよ。こんなに数がいたら、流石に敵わないでしょ? 君とは初めて会ったけど……兄さんを独り占めしたいなんて馬鹿げてるね」
「……貴様らに何がわかる。私はこの空っぽの身を満たしたいだけ……彼は愛してくれた。悪意にまみれた私を認めて大事にしてくれた。その幸せをこれからも味わいたいと思うのは、間違っていると言いたいのか!!」
悪魔は拳を握りしめ、大剣の切っ先を私の方へと向ける。剣先は小刻みに揺れ、狙いが定まっていないようにも見える。さらに挑発を加えようとするヴェリテを制し、私は前へと歩をすすめる。
一人で前に出ればすぐに殺されるかもしれないというのに、なぜか気持ちは穏やかだった。自分の命よりも優先したいこと――どうしてもこれだけは聞きたいことがあったのだ。
「悪魔、一つ質問をしたい」
「……何でしょう」
「人間に憧れ、でも自分は違うと諦めるしかなかった。その憎悪が溜まりに溜まり、人を恨んで殺すようになり……より復讐するために人間に取り憑いて憎悪を吸い取り、主の体を使って殺し続けた。違うか?」
悪魔は唇をかみながらも静かにうなずく。人間にはない六本の指が火傷が残る顔を覆い、崩れた面を隠していく。
「ええ、そうです。私は人間になりたかった。何も考えずに、自分の責務さえ果たさずに……自分の願いは頑張っても叶えられない。人の願いは聞けるのに、自分は何も出来ない……人間のことが好きなのに、私の心には憎しみだけが溜まっていった……」
悪魔は宙に浮かせていた剣を床に置き、翼を畳んでから私の姿に変わる。いつもの見慣れた貴族服の姿だ。彼の首元につけられた深紅の瞳と同じ色のブローチが、悲しげに揺れる。
「私は化け物。だから私は人間の願いを叶え続け、私の命令に逆らった人間を何人も殺しました。殺して、奪って、すべてを犠牲にして……それが、愛の果ての憎しみの結果です」
「愛の果ての憎しみ……」
「ええ……貴方も私を見捨てた。だから、私は今までの人間と同じように貴方を殺すしかない。私は憎い。貴方が憎くて憎くてたまらないんです。私とは違って、何もかもを得られる人間を……壊したくてたまらない」
その嘆きに対して私は返す言葉を持たなかった。人々を愛し、その末に彼は人間を憎んだ。あの悪魔は何も知らない。成功も、失敗も何も知らないのだ。
憎しみによって願いさえも打ち砕き、悪魔という自分の立場に縛られて、人々を殺し続けた。それがどれほど苦痛を伴うものなのか、私には想像もつかない。
ただこれだけはわかる。あの悪魔は私に対してだけではなく、自分の心にも嘘をついているのだと。自分が負っている傷の深さに気づいていないのだ。
悪魔の方を見ると、天井を支える柱の部分にこちらを見下ろす形で静かに立っていた。その瞳は冷え切っており、冥府に灯る炎のような冷酷さがある。
「どうせ全員殺す予定でしたし、手早く終わらせましょう。これ以上援軍が来ても手を煩わせるだけですから」
「本当にいいのか。自分に嘘をついて、騙して、傷つけて。自分の声が震えていることにも気付けないのか」
「これは私がしなければならないこと。人間を憎むことは、悪魔である私の使命……貴方はもう私の主ではない。憎悪を吸収し、また別の契約者を探す。そして、人間を大量に殺す。憎い裏切り者達は全員贄にして食らう……」
「そんなことは絶対にさせない。お前は私が救ってみせる」
「……戯けた事を――ソリフェ・カルブクルス」
「アドアステラ・ウィンクルム!!」
太陽がこの大広間に直接落ちてきたかのような熱線が、私の全身を焼かんと唸る。それに対して私は、星の力をかき集め、全力を出して悪魔からの攻撃を耐えきるべく踏ん張る。
「小癪な……でも、その抵抗も無駄にしてあげます。炎に焼かれて何もかも消えてしまえばいい。どうせ、貴方の魔力量ではすぐに枯れてしまうのだから。塵すら残さず、人々の記憶からも消えるのだから」
「それはどうかな……? お前の力は憎悪をかき集めたものだ。自分で言っていただろう。善意の前には敵わないと。私には味方がいる。私を信じてくれている人がいる!!」
肩幅に開いた足を強く踏みしめ、地面から湧き出してくるエネルギーを吸収する。これが、皆の思いだ。際限なく湧き出てくる魔力を私はすべて吸収する。
だが、私が想像もしなかったところからも応援は届いた。空からいくつもの星が降り注いでくるのだ。それらは私を包み込む星達と溶け合い、私にさらなる力を与えていく。
先程の戦闘で負った傷も全て回復し、体全体に力がみなぎるようだ。頑張れ。負けるな。その言葉が、私の背を後押ししていく。
「これは、荒野の人々の……ああ、分かったよ。絶対、悪魔を止めてみせるから……」
「何故だ……何故、攻撃が効かない!? 魔力量は十分に上回っているはずなのに……」
「それが、人々の思いだ。お前が知らない、人間の可能性――お前が潰そうとしていた、輝きの強さだ」
「煩い……煩い!」
「それでも、言わせてもらおう。お前は、私には敵わない。人から奪った力だけでは、私には敵わない。自分を信じることの出来ないお前に勝ち目はないと!!」
私は、悪魔から放たれる膨大なエネルギーの熱線に抗いながら、前に進んでいく。
一歩。また一歩。私と悪魔の距離が縮まるたびに、悪魔の顔が歪んでいく。悔しさ、歯痒さ、そして寂しさ――。様々な思いが悪魔の心の中では吹き荒れていることだろう。
私は静かに鞘から細剣を引き抜き、悪魔の喉元に滑り込ませる。灼熱の炎に呑まれながら、私は漆黒の刃で悪魔の喉を切り裂く。
轟音が耳を貫き、両者の体が狂い踊る火によって焦がされていく。光は徐々に色を変え、深紅から色彩の無い白へと変わり――。
悪魔の腕が炎に砕かれるのと同時に、私の左手で極細の細剣が僅かな音を立てて消滅し。純白の光が両者を包み込んだ。




